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4件
ヴェネツィアの宿
著者 須賀敦子
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場からオペラアリアが聴こえた夜に亡き父を思い出す表題作、フランスに留学した時に同室だったドイツ人の友人と30年ぶりに再会する「カティアが歩いた道」。人生の途上に現われて、また消えていった人々と織りなした様々なエピソードを美しい名文で綴る、どこか懐かしい物語12篇。
ヴェネツィアの宿
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ヴェネツィアの宿
2010/01/05 13:32
光と影に包まれた道を歩く。ゆっくりと歩く。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:東の風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
寄宿舎生活を送ったカトリック学校時代のこと。フランスのパリに留学した時のこと。日本に戻ってしばらく働いた後、今度はイタリアのローマに留学した時のこと。イタリアの男性と結婚し、ミラノで暮らしていた時のこと。日本に帰った後、久しぶりにイタリアを訪れた時のこと。著者・須賀敦子(すが あつこ)が歩いてきた道のそうした折々、なつかしい店の中を覗くように差し挟まれる父と母の思い出。文章にきらめく光と影が美しく、ふっくらとした豊かさに満ちていて、著者が紡ぐ筆致に乗って、誘いこまれるように本の中を歩いて行きました。
著者が案内して見せてくれる記憶の風景に、親しさとあたたかさとを感じながら頁をめくるうち、時折、はっと胸を衝かれる文章が目に飛び込んでくるのも印象的。
<「ヨーロッパにいることで、きっとあなたのなかの日本は育ちつづけると思う。あなたが自分のカードをごまかしさえしなければ」> p.103
<そのころ読んだ、サン=テグジュペリの文章が私を揺りうごかした。「自分がカテドラルを建てる人間にならなければ、意味がない。できあがったカテドラルのなかに、ぬくぬくと自分の席を得ようとする人間になってはだめだ」> p.146 ※この言葉の出自については、巻末の「解説」のなかで触れられています。
<しかし、なによりも、自分だけの人生をもとめて故国をはなれ、一歩一歩手さぐりしながら歩いている彼女に、私は深い共感をおぼえた。> p.210
<「ミラノなんて、おまえは、遠いところにばかり、ひとりで行ってしまう」> p.248
「ヴェネツィアの宿」「夏のおわり」「寄宿学校」「カラが咲く庭」「夜半のうた声」「大聖堂まで」「レーニ街の家」「白い方丈」「カティアが歩いた道」「旅のむこう」「アスフォデロの野をわたって」「オリエント・エクスプレス」の十二のエッセイに吹き通う清やかな風の香り、凛としてしなやかな精神の深み。素敵だなあ。
フェニーチェ劇場の広場に面したホテルに泊まった一夜、走馬燈が流れるように古い記憶がめぐる「ヴェネツィアの宿」、夢幻のような前半の数頁の美しさ。次の学生寮に移るまでの時間を、ひとり、ローマ終着駅でつぶす“私”の心細さにしんみりさせられた「カラが咲く庭」の一場面。京都の竹野夫人という人から届いた手紙が、異様な体験へと著者を巻き込む「白い方丈」の恐さ。特急列車“フライイング・スコッツマン”に乗って、スコットランドのエディンバラへの旅と、国際列車“オリエント・エクスプレス”にまつわる父の思い出が交錯する「オリエント・エクスプレス」。そして、本書の最後に置かれたその文章がぐるりとひとまわりして、最初の収録エッセイ「ヴェネツィアの宿」へと帰っていくところ。とりわけ忘れがたく、印象に残った文章と名場面です。
ロンバルディア、カラブリア、プリアといったイタリアの地方名はじめ、ヨーロッパの都市の名前が結構出てきます。私は、アトラスの世界地図帳を引きながら、本書を読んでいきました。おかげで、イタリアの地理に少しだけ明るくなったかもしれない。そういえばイタリアの国って、人間の脚みたいな、靴みたいな形をしていますね。本書の中で実によく歩く人という印象を持った著者と、何か響き合うものがあるなあと、ふっと今、そんな気がしたのですが。
本書の巻末、「彼女の、意志的なあの靴音」と題する関川夏央の文章もいいですねぇ。<友情をもとめながらも孤独を恐れない><温厚な表情の裏側にひそむ強いなにものか>を持った須賀敦子の人となりを伝えてくれる文章の、格調高く、きりりとしていること。この見事な解説文にも、ため息が出ました。
ヴェネツィアの宿
2002/07/29 17:29
「美学をもったスタイリツシュな女でありたい」とやせ我慢して念じるとき、私はこの本の解説「彼女の、意志的なあの靴音」を読む、くりかえし…。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
解説を書いているのは辛口にして情の深い作家・関川夏央氏である。
久世光彦氏がテレビ界の戦友として向田邦子さんに惚れていたように、関川夏央氏も文芸界の闘士同志として須賀敦子さんに惚れていたのだろう、きっと。余談だが、この「惚れる」という言葉、女の人が男性に対して感じるときに遣うのは良くない。エレガントでないから…。男が女に惚れるときのみに使うべきだと私は思う。
関川氏は、朝日新聞の書評委員会で須賀さんと一緒だった。黒塗りのハイヤーがひとりひとりに出るのを須賀さんがいやがったエピソードが、この巻末の文章に書いてある。私はその部分が好きで、もう何回も須賀さんのセリフを読み返してきた。
「ああいうものに平気で乗るセンスとずっと戦ってきたのよね」
気負いなくさらっと発声された言葉に関川氏は驚いたという。「温厚な表情の裏側にひそむ強いなにものかに触れた気がした」と書いて、須賀さんが「お上」や「当局の方針」を憎む人だったという記述がつづく。
本物のエレガンスはこうでなけりゃあ、と私は感じる。この短いつぶやきには、ここ数十年間で、先進国の人びとがどんどん置き去りにしてきたものへの深い哀悼が込められているような気もしてならない。
黒塗りのハイヤーを断った須賀敦子が、築地から銀座方面に向けてコツコツとハイヒールの美しい音を意志的に響かせながら歩く様子が目に浮かぶ。再び余談だが、夜のランニングを始めて間もない私は、「今ジャガーやアルファロメオが迎えにきても、もう乗らないな」と考えながら走っている。履いているのは須賀さんのようなハイヒールではなく、泥んこもついたPUMAのトレーニングシューズなのであるが、自分の足で歩くことや走ることの誇らしさと喜び、そして自信が自分を内面から新陳代謝させつづける気がする。それがきっと須賀さんの書いたものを受け止めた私が、「本を生きる」ことの証しなのだろう。ことランニングに限らず、優れた本というものは読み手の生きる上での価値観に、そうまで影響を与える。「そういう読書でないと意味がない」とも最近は思う。
関川氏は上のようなことを、彼女は「うかうかと人生をついやす」気配などみじんも見せなかったと表現している。わずか8ページにも満たない解説で、須賀敦子という不世出の個性に対し的を射た絶賛をしている。上質のラブレターを読む楽しみがここにはある。
このエッセイは、須賀さんにとっても大切な1冊だということだ。人生の途上で出逢い、互いの心の琴線を響かせ合いながら親しさを増した。しかし、自分の前から消え去っていった懐かしい人びとと奏でたエピソードが綴られている。
ヴェネツィアでオペラのアリアを聴いたとたん思い出した亡父のヨーロッパへの旅の話。ここで須賀さんは、父親がふたつの家庭をもっていたことを切なくも明らかにしているが、別の本では、父親から森鴎外の史伝小説のような身につく本を読めとアドバイスを受けたことを書いていた。読書家の娘の羅針盤であった父。その父娘をめぐるオリエント・エクスプレスのエピソードには胸がしめつけられる心地する。
学問への意欲と向上心に燃えたパリの留学生時代、寄宿学校で同室だった手ごたえある友人カティアのストイックなまでの学究精神。そして人生の旅の先、ミッションのためフィリピンに滞在中で来日した彼女との再会は、30年ぶりだというのにわずか1時間。
先立った夫ペッピーノや友人たちとの旅の記憶。夫が一族の健康について負っていた深い悲しみを追憶しつつ、夫自身の死の朝の様子をほんの数行で表わしている。
この本を手に取るたび、須賀敦子という美しい感性の喪失に泣きたくなってしまう。
ヴェネツィアの宿
2019/01/26 12:07
家族との葛藤とか
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メイチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
須賀さんの静かで理知的な文章から、勝手にごたごたした人間関係とは無縁のひとかと思っていたけど、この本を読んで印象ちょっと変わりました。もちろんいい意味で。
須賀さんが自分について語るときの雰囲気はまた一味ちがうように思いました。