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龍時(リュウジ)
著者 野沢尚 (著)
こわれた家族、さえない学校。体内に滾るのはサッカーへの情熱だけ。それさえも、この国では行き詰ってしまうのか。2001年、スペインU─17とのサッカー親善試合に急遽招集された無名の高校生、志野リュウジは、世界の壁を痛感し、単身スペインに渡ることを決意する。両親との葛藤、国籍のハードル、友情や淡い恋など、ビルドゥングスロマンの味わいを発揮しながら、選手の目線から驚くべき緻密さでゲームシーンを再現。本邦初の本格サッカー小説、待望の文庫化。
龍時(リュウジ)03─04
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龍時 01−02
2006/06/12 19:33
サッカーをフィクションで楽しむならどの媒体?
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:吉田照彦 - この投稿者のレビュー一覧を見る
例えば僕らの世代でサッカーを扱ったフィクションというと、テレビアニメ化もされたコミック『キャプテン翼』などがすぐに思い浮かぶのだけれど、コミックとアニメとを比べて、どちらによりリアリティを感じ、面白く感じたかというと、僕の場合はコミックのほうだった。
なぜか、ということを明確に言葉にすることは、ちょっと難しい。実際の話、僕はコミックの『キャプテン翼』を6巻から19巻まで、内容的にいうと、少年サッカーの全国大会決勝トーナメントが始まった回から、全国中学校サッカー大会の南葛中対ふらの中の準決勝が終わった回まで読んでいた一方で、アニメのほうはそれほど熱心に観ていた記憶がないので、公平な比較ができないということもある。ただ、当時のアニメ制作の技術のせいなのか何なのか、コミックよりもダイナミックな動きを見せられる分、アニメのほうが逆にリアリティや臨場感を欠いている、という印象を持っていたのは事実のように思う。
ではドラマはどうかというと、残念ながらサッカーをドラマ化した番組は観たことがない(そういう番組があったのは知っているものの)のだが、『エースをねらえ!』のドラマ版などを観る限りでは、あまりそういった方面に明るくない女優や俳優が使われる場合には特に、リアリティや臨場感を出すことはなかなか難しそうな気がする。
なぜここでこんな話を長々としているかというと、今回初めてサッカーを題材にした小説を読んでいるからなのである。それが本書。
例えば野球の場合、基本的にセットプレイなのでプレイとプレイとの間合いが長く、小説化するに当って選手の心理描写をするのは比較的やりやすいのではないかと想像する。一方サッカーの場合、セットプレイといえば、スローインやフリーキック、コーナーキック、ゴールキック、PKなど、場面がかなり限られており、むしろセットプレイ以外の流れの中からドラマが生まれる確率が高いように思うので、選手の心理的な緊迫感を盛り込みながら、自然な文脈の中でプレイを流すのには難易度の高い分野であるように思われる。
フィクションとしてのサッカーの醍醐味は、現実の試合では知ることのできない、プレイ時の選手の心理や思考を追うことができる点にあると思う。もし、プレイの流れだけを忠実に追ったフィクションがあったとしても、それを面白いと感じるかどうかは、個人差もあるだろうが、かなり微妙な線であるように感じられる。ノンフィクションならともかく、フィクションでそれをやって面白いとは僕は思わない。
プレイの流れを切ることなく、いかに細かな心理描写を挟み込むか。コミックならば線描の仕方などでスピード感やダイナミズムを保ったまま心理描写を盛り込むことができるが、小説でどうそれをやるか。その辺のところを、本書の著者野沢尚氏はかなり巧みにこなしたと僕は思う。脚本家でもある野沢氏ならではというべきか、描いている場面の映像が著者自身の目蓋にしっかりと描けていると感じた。最初、プレイの描写に慣れないうちは、ボードゲーム版サッカーゲームの対戦を見ているようなぎこちなさを感じたが、著者の描く選手の動きが次第に自分の脳裏に像を結ぶにつれ、加速度的に臨場感が増していった。
ちなみに本書は、無名の高校生リュウジがスペイン・リーグのユースチームからスカウトされて単身スペインに渡り、異国での生活や文化の違いに懊悩しながらも、次第にプロ・プレイヤーとして成長していく姿を追ったシリーズ作品第一弾である。緻密なプレイの描写とともに、思春期の少年特有の繊細な心の揺れを追った青春小説としても存分に楽しめる。「目下のところ日本人作家による史上最高のサッカー小説である」という解説の金子達仁氏の賛辞は決して過言ではない。