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神と仏の出逢う国(角川選書)
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.5 1件

電子書籍

神と仏の出逢う国

著者 著者:鎌田 東二

山川草木・花鳥風月の森羅万象に祈りを捧げる日本独自の神仏観は、いかにして形成されたのか? 日本文化の底流を成す神仏習合の歴史を見直し、不安に満ちた現代社会において日本的霊性が持つ可能性を探る。

神と仏の出逢う国

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みんなのレビュー1件

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評価内訳

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紙の本神と仏の出逢う国

2009/12/09 20:24

日本のカミは死んでいなかった!

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:negibouzu - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本文化の主流は「神仏習合」である、と20年来主張してきた
著者のしめす神とは、「様様」であり、存在への最上級の敬意の表現
である。「すごい威力をも」ったエネルギーを束ねる「フォルダ」
が神である。そのようなカミは「あるモノ」であるのに対して、ホ
トケは修行の果てに悟りを開いてホトケと成った者である。カミは
「人間の祈りや祭りに感応して、その場に立ち現われて来る。」ホ
トケは「此岸を離れて、悟りの世界」へ渡って往く者」だと定義す
る。
ちかごろ評者は、地元の石仏の写真を撮り歩いているが、先日立ち
寄ったお寺で地蔵や阿弥陀如来の石仏を撮らせていただいた。奥の
院には鍾乳洞に観音窟がほられ、頂上には奇岩がまつられ、そのて
まえには小さいながらも滝が水を落していた。そこにはあきらかに
仏教だけではない神威・霊性とよぶにふさわしい雰囲気がある。べ
つの浅間神社にも滝がながれ、倶梨伽羅不動と大日如来が境内にな
かよくすえられていた。柳田國男のいうように、「水がわが邦の固
有信仰と特殊に関係の深い」かたちがここでもみられる。その水脈
をくんで麓の寺がつづいてきたことが端的にわかる。その意味で評
者も著者の主張にこころひかれる。「草木国土悉皆成仏」の成仏観
には「神道」の神観や自然観や生命観が溶け込んでいる。
このような前提に立って著者は、古代律令神道、律令仏教から中世
神道、中世仏教、近世の国学と幕末維新期の神道と仏教とを俯瞰す
る。その視点は体系的な仏教に対置して登場した神道が「共同体な
いし国家の伝統的な基幹宗教文化として生活習慣化されていた“フ
ォルダ”のような一種の容れ物」だととらえる立場である。これは
柳田が「天然または霊界に対する、信仰というよりもむしろ観念」
だと指摘した、神道の幅広さ、ファジーな面を現代的にアレンジし
たともいえる。
そして、現代が「平成」ではなく「兵政(イラクへの自衛隊派遣な
ど)」におちいる遠因をつくったのは、明治維新政府が仏教と国家
的神道を分離し、仏教を壊滅させようとする政策だった。神道が国
教化されたのではなく、国家が管理しやすい体制になっていき、天
皇制の神格化が進められた。そのけっか、神社は宗教ではなく教派
神道が宗教であるという、国家神道への倒錯した政策が戦争への道
を後押しした。氏神鎮守の神は祈りと平穏無事に1年をかさねるこ
とができたことへの感謝の対象でこそあれ、戦い鼓舞をするもので
はなかったはずだった。この意味で、自然主義で自然の存在を畏怖
するところからはじまる神道と、人間の苦悩をあるがままに見るこ
とからはじまる仏教との習合が必要になっている。地球全体、生命
界全体の問題を解決するために新神仏習合が求められている。
本書は国家神道と素朴な産土神信仰との区分をはっきりと仕分け、
国家神道が維新政府によって天皇制を補強する政策として打ち立て
られ、機能してきたプロセスがわかりやすく説明されている。「霊
性」にもとづく本来的な神道と仏教とのあたらしい習合が必要だと
いう主張に、一読者としてうなずける。
ただひとつ批判を許していただくとすると、神と仏との原理的違い
としてカミは「立つモノ」であるのに対して、ホトケは「座る者」
という点はいかがなものだろうか。その根拠がカミガミを数える数
詞は「ハシラ(柱)」というが、ホトケを数えるには「ザ(座)」
を用いるというのはダジャレといっては言い過ぎだが、根拠がよわ
い。おなじ地蔵菩薩でも坐像もあれば立像もある。薬師如来もしか
り。ホトケを狭義に釈迦だけに限定しても腰かけた像(深大寺)も
あれば立像(清涼寺)もある。実在の空海や親鸞、日蓮などはきわ
めて行動的であって、座るイメージからは遠い。カミの場合も石や
山、植物神は「立つ」といえても、雷や海、蛇などはそれがふさわ
しいとは思えない。姿態を座標軸にしてカミとホトケとを仕分けす
る方法は一考を要するとかんがえる。

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