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聖の青春
著者 大崎善生
重い腎臓病を抱え、命懸けで将棋を指す弟子のために、師匠は彼のパンツをも洗った。弟子の名前は村山聖(さとし)。享年29。将棋界の最高峰A級に在籍したままの逝去だった。名人への夢半ばで倒れた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動ノンフィクション。第13回新潮学芸賞受賞作(講談社文庫)
聖の青春
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聖の青春
2007/04/17 23:24
長くて、ややこしくて、もう届かない恋文
11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ユー・リーダーズ・アット・ホーム! - この投稿者のレビュー一覧を見る
村山さんが亡くなった年度の、A級順位戦最終局のテレビ中継を今もはっきり覚えています。何度も画面に現れるA級順位戦対戦表の左端に村山聖八段(追贈九段)の名前がありました。既に前期、A級復帰を決めてすぐに次期の休場を決断していた村山さんの対戦表は空欄で、当の村山さん本人も、最終局のその日から半年さかのぼる8月に、もう鬼籍の人となっていました。対戦表のボードが映るたび、あるいは緊迫する対局場の様子を眺めていると自然に何度も、ああ、もう村山さんはいないんだと思えてくるのが悲しくて、ほとんど呆然とした気分で画面を眺めていた気がします。
この本に書かれている、奨励会の26歳の年齢制限までに昇段がかなわず、プロ棋士への夢が断たれた友人の加藤さんとのエピソードで、勝たなければ即退会が決まる一番に破れた加藤さんに対して、負け犬、と追い討ちをかけるように言い放って泣いていた村山さんの気持ちは想像を絶します。プロを目指す奨励会員も、あるいはプロの棋士たちも、負ければ何もないという世界で命をかけて戦っています。だけど、村山さんにとって、負ければ死に、勝てば希望が繋がるといことは、かけらも比喩なんかではなかったんじゃないかということです。加藤さんが奨励会を退会しなければならなかったその時、村山さんはB級2組で戦う六段のプロ棋士でした。本来なら、加藤さんの立場から見れば圧倒的に羨むべき位置にいる村山さん自身にとっても、目指す夢へと確実に歩を進めている道の途中だったはずですが、それでも、棋界から去ってゆく加藤さんを負け犬と痛罵して、自分は負け犬にはならないと叫んだ村山さんの心には、負け犬に“ならない”というよりも、“なる余地すらない”という思いがあったのではないかという気もします。
夢が破れても、加藤さんには別の人生がある。二十歳の誕生日に、生きていられると思わなかったと喜んで師匠の森さんに報告していた村山さんが毎日見つめていた死は、すぐ目の前で強い将棋を指す村山さんを見ていた周りの人たちには想像のしようもないくらいに切実なものだったのではないでしょうか。将棋を失えば、殊更の夢なんかじゃなく、ごくごく素朴な暮らしさえ託す時間はないんだと、村山さんは思っていたんじゃないかという気がします。夢破れて傷ついていても未来のある加藤さんに、自由にならない自分の人生を突きつけられるような思いがして、それでも自分は絶対に負けない、泣き言なんかいうものかという切ない決意だったのかもしれない。もう、将棋が本当の意味で村山さんの人生で、だから負けてしまえば本当に死を意味したのかも知れないし、負け犬と言い放ったのは、むしろ淡い羨望の裏腹だったのかもしれない。
対局の前には、ほとんど相手を斬るという気持ちだといった村山さんの覚悟は、寄り添うような本物の死を間近に見つめる人の真剣さだったのではないでしょうか。自分より長く生きるだろう人たちを相手に、差し迫った自分の人生の足場を問い続けるようなジンレマを抱えながら、その相手の夢をつぶす可能性さえ人一倍承知の上で、真剣に、斬り合いの覚悟で、全力で挑んでいった村山さん。それしか生きる道はなかった。一年の休場を決めた後も、村山さんは最後まで復帰の希望を捨てませんでした。
もし叶うなら、いまから村山さんのところに駆けていって、ちょっと勇気を出して声をかけて、あなたの将棋が大好きですと伝えたい。本当に、大好きだった。
聖の青春
2002/06/25 11:54
生きている証を勝負に見出した男の物語
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:奥原 朝之 - この投稿者のレビュー一覧を見る
幼い頃に腎ネフローゼを患って以来常に病気と対峙し、若干29歳という若さでこの世を去った棋士、村山聖の生涯を綴った物語である。コミック『聖(さとし)』を併せて読むと良い。本書にはないエピソードも幾つか挿入されている。
自分の命が長くないことを幼くして悟った聖は将棋という世界に自分の生きている証を見出した。『名人になるんじゃ』という、その思いだけが彼を生かしていたのかも知れない。将棋界で頂点に立つことが自分の生の証だと信じていたのだろう。
二十歳になったときに師匠の森に『先生、僕二十歳になりました』と話しかける場面がある。『二十歳になれると思ってませんでした』という言葉が後に続く。その時には『そうか』と受け流した森だが、村山が立ち去った後で『良かったなぁ、村山君』とぽつりとつぶやく場面がある。村山聖は常に死を意識していたのである。それを知った師匠はきっと胸が締付けられる思いだったに違いない。
体さえ丈夫であれば名人になれたであろう村山聖。晩年は羽生も勝てなかったという。名人であった谷川ですら村山には連敗を喫している。体さえ丈夫であれば、と思わない読者はいないだろう。本人も20歳前後の頃にはそう思ったことがあるらしい。しかし無い物ねだりをしてもどうにもならない。これが僕なのだとあの若さで悟っている。なんて悲しくも力強い言葉なのだろうか。
しかし遂にA級に昇級しながらも名人へは届かなかった。羽生を苦しめた唯一の棋士といっても過言ではない村山聖。なんて運命とは皮肉なのだろうか。羽生を凌駕する力をもちながら一冠も為し得なかった棋士、村山聖。なんて運命とは残酷なのだろうか。
これほどまでに自分を常に完全燃焼させている人物を私は知らない。お涙頂戴の話は基本的に好きではないのだが、これにはまいった。泣かずにいられない。
聖の青春
2012/02/05 17:00
一人の棋士の人生
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:お月見 - この投稿者のレビュー一覧を見る
実在した天才棋士の短すぎた人生を、丁寧な描写と、将棋への熱意が読んでいるこちらにも伝わってくるような、臨場感ある筆致で描いた傑作です。
「聖の青春」というタイトルも秀逸です。29歳の若さでこの世を去ってしまい、輝かしい伝説や経歴を残しながらも、まさに将棋だけに命をささげた人生だった。
「恋がしたい」という、青年としてはあたり前の憧れを、ぽそっとつぶやいた場面が印象的で、人なつっこい風貌だったという村山聖という人物が、より身近に感じられました。
それから印象に残るのが、よき師との出会いと、絆の強さです。
実話なので、はじめから結末がわかってはいても、最後のシーンでは涙が止まりませんでしたが、森師匠との出会いなくしては、村山聖のこの濃密な人生も、別の筋書きに変わっていたかもしれないと思うと、それがある種の「救い」のようにも思えるのでした。