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分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか
著者 著:三中信宏
生物の「種」って何? それは実在するか? 生物分類学の歴史は2000年に及ぶ。その知的格闘を平易に跡づけ、「種」をめぐる最も素朴で根本的な疑問を考える。前作『系統樹思考の世界』と対をなす怪著! (講談社現代新書)
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分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか
2010/01/22 16:02
ヨコ思考でいこう
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「「系統樹思考」が「タテ思考」ならば、「分類思考」は「ヨコ思考」である」と作者は述べる。系統樹は言い換えればWeb設計などのツリー図。さらに、具体的にこう述べている。
「系統樹思考はオブジェクトどうしを「つなぐ」ことによって体系化を目指す。一方、分類思考はオブジェクトのパターンを「わける」ことによって体系化しようとする。「つなぐ」ためには系統樹が必要となる。そして、「わける」ためには分割された集合すなわち「群(gruoup)」が必要となる」
「つなぐ」のではなく「わける」。マーケティングで言うところのグルーピング。「群(gruoup)」とはコミュニティであり、社会ってことだよね。
その代表がリンネの考案した生物の分類でおなじみ、「「種」-「属」-「科」-「目」」だそうだ。バラ科が多すぎると記憶しているが。
「過去半世紀にわたる認識人類学や民族分類学が明らかにしてきたように、私たちヒトは、あるバイアスを帯びた“世界観”を形成し、その世界観のもとで実際に人間や生物や自然や天体について理解しようとしてきた。そのバイアスはほかならないヒトがたどってきた進化の過去の反映であり、私たちはそのバイアスと寄り添いながら日々生きているのである」
深い一文。バイアスをかけずに生きるなんてできないよな。コレステロールのように善玉バイアスと悪玉バイアスがあったりして。
「長い歴史をもつ分類学は、それが経てきた時代ごとに新しい“革袋”を編み出してきた」
しかし、その革袋に入れるのは「古い葡萄酒」だと。
なぜなら、
「リンネ以降、現在にいたるまでの生物体系学のルーツには、既済の科学とともにあった原初的な民族分類の思考形式が基盤として残っている」からだ。
で、
「私たちは日常的に「種類」という言葉になじんでいる。-略-しかし、生物学者は何世紀もの間、まさにこの「種とは何か」-略-問題に取り組んできたが、いまだに解決の見通しは立っていないのが実情だ」と。
分類学の先達、中尾佐助の理論の作者の解釈が興味深い。
「中尾は普遍的分類を実現させるためには“学”の垂直思考ではなく、“論”の水平思考こそ必要なのだと語っているように思える」
有体に言ってしまえば、スペシャリスト(専門職)じゃなくてジェネラリスト(総合職)。ってことか。理系と文系の融合ってことかもね。
作者が言うように、「革袋に入っている古い葡萄酒」はひょっとしたら美酒かもしれない。あるいは酢になっているかもしれないが。ジャン・ティンゲリーのジャンクアートのように、ええとぼくが知っている範疇ではデカルトが「魂の存在場所」と考えた松果腺のように、とんでも理論やオカルトとか言われる古いジャンク理論が敗者復活するのかもしれないし。