電子書籍
三匹の蟹
著者 大庭 みな子
『大型新人」として登場以来25年、文学的成熟を深めて来た大庭みな子の、あらためてその先駆性を刻印する初期世界。群像新人賞・芥川賞両賞を圧倒的支持で獲得した衝撃作「三匹の蟹」をはじめ、「火草」「幽霊達の復活祭」「桟橋にて」「首のない鹿」「青い狐」など、初期作品を新編成した7作品群。
三匹の蟹
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紙の本三匹の蟹
2004/10/10 22:08
教えたくなかった小説
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ツキ カオリ - この投稿者のレビュー一覧を見る
何度この小説を読み返したか、わからない。
それくらい大好きな小説である。
そもそも、書評をするにあたって迷うのは、その対象となる本の選定だ。いいものは教えたい。だが、それと同じくらい、教えたくない。
内緒で取っておき、こっそり自分だけのものにしたい。
そして、好きな時に、何度も読み返したい。
好きな本があまり世間に知られていないのは、残念であると共に、ちょっぴり、うれしかったりする。
だが今日は、「とっておき」を蔵出しするつもりで、ご紹介したい。
由梨は、アメリカ西海岸に、夫の武、娘の梨恵と共に、3人で暮らしている。
ある夜、いつも開いているブリッジ・パーティーに、体調不良もあり、由梨は、どうしても参加する気になれない。お茶やお菓子、お酒の用意だけをして、客達の相手をするのもそこそこに、適当に言い訳しつつ、由梨はホステスの立場をほっぽり出し、外出してしまう。
車を走らせているうちに、由梨は遊園地に行こうと思い立つ。
遊園地の中には、アラスカ・インデアンの、民芸品の展覧会場があり、さほど興味もないのに由梨は、奇怪な面や、動物の顔や頭を象(かた)どった被りものなどを見つめる。
一通り見終わった頃、桃色のシャツを着た男が、展覧会場の終了を、告げにやって来た。
この小説には沢山のいい所があるが、あえて一つだけ挙げれば、少々意地悪な会話の、切れの良さである。
一部引用してみよう。
「ふん、ママ、若く見えたいのね」
「そうよ。女は誰でも若く見えたいのよ」
「だけどね、ママ、みんな梨恵がいるのを知っているから、少くとも三十より若いとは思わないわよ」
「十六ぐらいで子供を生む女のひともいるわよ」
「そういうのは不良少女よ」
「どうお、ママ、二十六に見えると思う?」
「梨恵はもう知っているから、知らない時のような気分になれないのよ」
「何だって、何時まで其処(そこ)に突っ立っているの。ひとを批評ばかりするのはよくないことよ。殊(こと)に女の子は嫌われます」
まだまだ引用したい所が山程あるが、登場人物たちの絶妙な会話のやり取りを、ぜひ楽しんでほしい。
「不倫」という言葉が当たり前のように日常化している今日、この小説を読むと、さほどの衝撃を感じない方も、いるかもしれない。
だが、この小説は驚くべきことに、1968年に書かれたのだ。
作者は、この処女作で、芥川賞を受賞した。
紙の本三匹の蟹
2020/06/11 22:08
蟹って、たしかに人の顔にみえる
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「三匹の蟹」というタイトルは、海辺のモーテルの名前からきている。緑色のランプがついていたということは空室ありということなのだが、桃色シャツの男と主人公がこのモーテルにはいったかどうかまでは書かれていない。でも、何も起こらなかっただろうと思う、「喋ることが無いのだもの」と桃色シャツを冷たくあしらった彼女だから、彼女は遠くアメリカの地で何もかもに疲れてしまったのだろう。モーテルの名前だけではなくて、冒頭にも蟹が登場する「蟹の甲羅は甲羅であって、顔ではないのだが、どういうわけだか、由梨は何時でもそのいびつな蟹の甲羅が顔に思えて仕方がないのである」。蟹は何だか哀しいという彼女の気持ちを具現化したものなのだろうか。この作品は第59回(1966年)芥川賞受賞作だ
紙の本三匹の蟹
2001/03/09 15:28
人の心と心は、霧の中に立っているようなもの
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:せいあ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「三匹の蟹」は、誰にも起こりうる出来事を描いているだけによりリアルであると思う。
主人公由梨の一夜は、あるコミュニケーションの一つの形にすぎない。この物語は特別な体験を描いた作品ではない。だから、地味な作品である。
ある一定の感情に滞った状態や何かよくわからないもやを払うために、きっかけとして人は何かとコミュニケーションをとろうとする。自分とは違う何かとふれあうことでこれまでの凝り固まった価値観に新しい風を吹かせ、間違いを修正したり、自己を再確認したりする。
人が当たり前のように誰かと会話したり、スキンシップしたりしていることを、深く掘り下げて考えるきっかけになった。