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謎解き「張作霖爆殺事件」
著者 加藤康男 (著)
昭和三年六月四日早朝、満州を支配していた奉天派の大元帥・張作霖は、北京から奉天への帰路途上、乗車していた列車が爆破炎上して暗殺された。満州事変のきっかけとなったこの事件は、戦後、本人の自白をもとに関東軍の高級参謀河本大作による犯行との説が定着していたが、近年この定説が覆されようとしている。証拠、証言が多数あった河本犯行説はなぜ破綻したのか? 暗躍するソ連特務機関の影。長男・張学良周辺の不穏な動き。発掘された新資料の数々――真犯人はいったい誰なのか? 昭和史の大きな謎に迫る。[第1章]「河本大作首謀説」をめぐって――爆殺計画/現場検証/昭和天皇と田中義一首相 [第2章]「コミンテルン説」「張学良説」の根拠――クレムリンの極秘ファイル/張学良の謀略 [第3章]謎の解明・「河本首謀説」の絶対矛盾――関東軍爆破の疑問/昭和史の闇に決着
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謎解き「張作霖爆殺事件」
2011/08/29 09:37
また一つ昭和史の修正が必要に
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
奉天軍閥の首領、張作霖が北伐軍に破れ、奉天に逃げ帰る際、彼の乗った列車ごと爆殺された、昭和3(1928)年7月の、いわゆる奉天事件は、事件直後から現在にいたるまで、大陸に進駐していた日本の関東軍の仕業とされてきた。その実行犯が河本大作という関東軍高級参謀であることも、主に他人の証言にもとづいて、一つの揺るがぬ史実として伝えられている。
明白とされていた定説を揺るがせた最初の衝撃が、2006年に出版されたユン・チアン著の『マオ』で、毛沢東の真実を暴いたこの書に、張作霖事件の首謀者がソ連の情報組織グルーシカであると、記されていたのだ。さらに、ソ連を黒幕と位置づけ、関東軍犯行説を否定する報告が、英国の当時の情報機関の資料からも見つかった。
本書は、最近明らかになった資料を用いながら、張作霖爆殺事件の真相にせまるものである。なんといっても、関東軍主犯説を揺るがす決定的な事実は、事件直後に撮られた列車の写真である。河本らは、列車が通る線路の脇に爆薬を仕掛けたと言っているのに、線路や列車の下部にはまったく損傷がなく、線路付近に爆発による穴もない。その一方で、列車の上部は大きく破壊されている。これは、爆薬が列車内または、爆発現場の上を通っていた橋に仕掛けられていたことを示すもので、河本らが行ったとされる証言とは明らかに矛盾する。
著者は、資料を吟味した後、さまざまな可能性を示唆する。実行犯が河本であるかのように演出しつつ、犯行そのものはスターリンの指令のもとソ連の情報部員によって行われたという可能性がその一つ。そして、実行犯は息子の張学良であるというのも、説得力のある仮説である。学良はその時すでに国民党にひそかに入党しており、いわば、父を殺すことにより、蒋介石に恩を売ったわけである。その後、共産党にも近づき、第二次国共合作の形成に大きな貢献をしたとされるこの男の真の姿は、自己保身のためならば、父親も親友も死に追いやる、実に計算高い男のようだ。最後はアメリカで、100歳の天命をまっとうしたのもなるほどと頷かれる。
本書は決して、張作霖事件の真実を明らかにするにはいたっておらず、現在もその真相は謎のままである。しかしこのように、多くの反証的事実が出てきている現状を考えると、この事件を関東軍がやったと断定的に記述する現行の歴史教科書には修正が求められよう。少なくとも、「日本軍部が中国東北地方の直接支配をねらっておこしたもの」(山川『世界史B用語集』)などという記述は、最後の部分を「おこしたとされている」と中立的な表現に変えるべきである。