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ふかいことをおもしろく
著者 井上ひさし
各界一流のプロの半生をインタビューで解き明かす人物ドキュメント、NHKBSで放送中の番組「100年インタビュー」の単行本化第2弾。今回は、日本を代表する作家・劇作家で、昨年(2010年)4月9日に肺がんのため亡くなった井上ひさしさんのインタビューをもとにまとめた。5歳で父と死別、児童養護施設に預けられ、施設から高校に通学。上智大学に進学したが、東北なまりの悩みから吃音になり、釜石で働いていた母の元へ。製鉄所や漁業で沸く釜石は、母がいて、劇場もあって居心地がよかったと懐かしむ。たくましく働く母のつてで、図書館でアルバイトしたことがきっかけで文学のよさに気づき、作家を志して再び上京。浅草の劇場のコントを書いたり、ドラマの脚本の懸賞で稼いで大学の寮費をまかなった。その後、小説・戯曲で活躍し、1984年に劇団「こまつ座」を旗揚げする。創作の原点と若い世代に伝えたいことを、ユーモアいっぱいに語る。
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2011/06/01 08:37
ゆかいなことはあくまでゆかいに
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書のタイトル『ふかいことをおもしろく』は、昨年の春亡くなった井上ひさしさんの有名な座右の銘の一節ですが、全文はこうなっています。
「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく おもしろいことをまじめに まじめなことをゆかいに そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
あえて全文を紹介したのは、できればたくさんの人に知っておいてほしいことと、井上さんが遺したものとして記憶しておきたいという気持ちからです。
この本もそういうところから出版されたのでしょうか、2007年9月に放映されたインタビュー番組をもとに単行本化されたものです。
井上さんの肉声、表情はわかりませんが、ここにはまちがいなく井上さんが私たちに遺そうとした思いがつまっています。
このインタビューの時点で井上さんがどれほど自身の死について意識されていたかはわかりませんが、死について「人間は、生まれてから死に向かって進んでいきます。それが生きるということです」と話されています。だからこそ、冒頭の座右の銘にもあるように、笑いを大事にされてきたのだと思います。
インタビューにこうあります。「人間の出来る最大の仕事は、人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗出来るようないい笑いをみんなで作り合っていくことだと思います」
深刻な話や難しい話ばかりが私たちに生きる道筋を指し示すのではない。もっと本質的なところで、笑いは生きていくそのことを後押ししているのだと思います。そのような井上さんの思いを私たちはきちんと記憶し、それをまた伝えていかなければなりません。
本書巻末に「一〇〇年後の皆さんへ、僕からのメッセージ」と記された井上さんの文章が収められています。
100年後なんて井上さんはもちろん、私たちのほとんども生きているはずもない世界です。そこに生きる未来の人に井上さんは「できたら一〇〇年後の皆さんに、とてもいい地球をお渡しできるように、一〇〇年前の我々も必死で頑張ります」と書きました。
井上さんがいない今、井上さんが遺したものをお渡しできるように、必死で頑張らないといけないのです。
2011/05/26 22:04
ことばや文学を信じる人の強さを感じた
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:安波茶40 - この投稿者のレビュー一覧を見る
テレビのインタビュー番組をまとめた本で、非常に読みやすくわかりやすい内容になっている。
面白かったのは学生時代の話。何でも井上は大江健三郎、筒井康隆と同年なのだとか。
大学のとき「大江健三郎ショック」を受けたという井上、小説は彼に任せようと感じたと打ち明けている。
また筒井康隆のSFを読み、SFは筒井にと思ったのだとか。
3人とも、それぞれのジャンルで大きな存在。同年で同じような存在感を持つ3人がいるというのはすごいことだ。
井上は父親が農地解放運動などに携わったことから、戦中派「アカ」=共産主義者として、一種のいじめにもあっていたようだ。弱者への共感や、国家、特に戦争を遂行しようとする国家の意思、あるいはそうした勢力への疑義が常に井上の底にあった背景に、こうした生い立ちがあったのだ。
あとこんなエピソードも面白い。
いったん休んでいた大学に戻ったとき、本や映画に使うお金を稼ごうと「浅草フランス座」の文芸員のバイトを始めた井上青年。同じ時に採用されたのは作家林真理子の叔父さんだったとか。ちょうどそのとき、結核の療養から戻ってきたのが渥美清だったという。
こんな部分に感銘を受けた。以下に引用する。
理屈でわかっているようなものを書くと、全然面白くありません。いいものを書くためには、練って練って、これじゃ駄目、あれも駄目、これも駄目と、何度も何度もやってはじめて出てくるものを信じています。僕はその感じを「悪魔が来る」という言い方をしています。(p79)
初日の幕が開いて、お客さんが拍手をして「いい芝居でした」「感動しました」「笑いました」といってくれるのが何よりの報酬なのです。(p81)
「笑い」については、こう書いている。
人は、放っておかれると、悲しんだり、寂しがったり、苦しんだりします。そこで腹を抱えて笑うなんていうのはない。それは、外から与えられるものがあってはじめて笑いが生まれるからです。しかもそれは、送る側、受け取る側で共有しないと機能しないのです。
笑いは共同作業です。落語やお笑いが変わらず人気があるのも、結局、人が外側で笑いを作って、みんなで分け合っているからなのです。その間だけは、つらさとか悲しみというのは消えてしまいます。(p91)
本についても、本好きには心強い発言がある。
本とは、人類がたどり着いた最高の装置のひとつだと思います。それを簡単に手放すのはどうかと思うのです。やっぱりそれを大事にしたいという思いと、じつはどこかでまだパソコンを信用していない自分がいます。やっと集めたものが、ある朝一気にどこかにいなくなっちゃうような気がしているのです。(p113)
やっぱり、すごい人です。実に説得力のある発言です。