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「ジョン平とぼくと」シリーズ 完結
そこは魔法が日常的に存在する世界。魔法の苦手な高校生・北見重は、大した能力もなさそうな彼の使い魔・ジョン平とともに、なんとか日々をやりすごしている。目下の悩みのタネは、3週間後に予定されている魔法実技の試験である。そんなある日、重の通う高校に、新任の物理化学教師がやってくる。普段使われていない化学室の個人利用を許され、ひとり化学実験などにいそしんでいる重にとっては、自分の大切な居場所がなくなるかどうかの一大事。しかしそれは、もっと大きな出来事の序曲にすぎなかったのだった。架空科学系テキストサイト「大西科学」が贈る、ハートウォーミング・ファンタジー。巻末には小川一水氏による解説を収録。 ※電子版は文庫版と一部異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください
ジョン平とぼくと
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紙の本ジョン平とぼくと
2009/03/01 13:45
エンダーの言動にはイラっとさせられる
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代社会と同じくらいに科学技術は進歩している。ただし、違うところが一つ。「魔法」が存在していてみんなが使えること。人々は使い魔となる動物をそれぞれ飼っているし、天気は予報ではなく予言され、首相の使い魔の病状がトップニュースになってしまうような世界。高校生の北見重は、そんな世界ではちょっと外れている。上手く魔法が使えないのだ。でも彼はそんなことをあまり気にしないし、うまく言葉をしゃべれない使い魔ジョン平と仲良く暮らしながら、誰も来ない物理化学室で今日も一人で実験を行っている。
ある日、重に物理化学室の鍵を貸してくれた教師が田舎に帰ることになり、代わりの女性教師、榎戸寧がやってきた。このまま実験をさせてもらえるか分からない重は少し不安になる。そして時を同じく起きるクラスメイトの使い魔の失踪。残される大爆発の跡。幼なじみの有吉鈴音から事件現場近くで寧先生を見たという証言を聞き、自分が疑われたこともあり、重は寧先生を調べ始めるのだが…
全体的にとってもゆるい雰囲気。もっとシリアスな感じになってもおかしくないのだけれど、ジョン平が言葉を発するとそれも自然と緩んでしまう。時々間に挟まれる重の解釈に、いわゆる理系の理屈っぽさを感じる人がいるかもしれない。でもボクはそういうのが好きだし、最後の解決も思わずクスッと笑っちゃうような日常的な解決で好感度が高い。
大人から見た青春群像ともまとめられるかもしれない。
紙の本ジョン平と去っていった猫
2009/03/02 12:55
日用品による事件解決、ふたたび
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブラウ事件も収まり、懸案だった魔法試験も何とか無難に乗り切った春休みのある日、重が化学室の扉を開けると、そこには体操服を着た少女がいた。岡崎三葉と名乗るいかにも言動が怪しいその少女は、追われているので匿って欲しい、と重にお願いする。予想外の展開に狼狽した重は、女の子ということもあって幼なじみの鈴音に相談するが、彼女も匿ってあげれば、という。最後の砦のエンダーも、予想に反して匿うことに反対しない。
結局、重の家に住むことになり、なぜか一緒に学校にまで行くと、化学室に再び招かれざる客が来る。その姿を見るなり逃げ出した三葉を追う内に、追手の正体と依頼主の存在が明らかになるのだが。寧先生の再登場、エンダーの格闘戦、ブラウ事件との関わりなど、見せ場がいっぱい、かつ、ほんわか世界の魅力が深まる第2巻。
紙の本ジョン平とぼくらの世界
2009/03/03 13:16
新しい学生生活の始まり
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
春。新入生がやってきた。お付き合いで一年生の教室まで行った北見重は、クラスの集団の中心に、ここにはいないはずの人物の顔を見かける。三葉と名乗っていたあの猫だ。しかし彼女が学校にいるはずもなく、今いるのは三葉の変身のモデルとなった子、のはず。そうなればもちろん父親であるあの男も出てくるわけで…
彼らの目的や色々な人たちの関係が明らかになる第三巻。第一部完です。
ここでこの作品の世界観の特徴を考えてみよう。現代社会との大きな違いは魔法があること。(実は携帯電話も登場していないけれど、それはあまり問題ではなさそうなのでおいておく。)この魔法の特徴は、効果が小さいこと、ではなくて、人間(たち)が存在しないと使えないという事だ。
もちろん、魔法のエネルギー源は陽素や陰素と呼ばれる核反応により生成する何かであり、それ自体は人間がいなくても存在する。しかしそれは、ただあるだけでは世界に対して何の影響も示さず、いくつかのキーワードを唱えることにより脳内に引き起こされる反応が陽素を変換し、現実に影響を及ぼす。例えるならば、原油だけあっても意味がなく、ナフサを精製し石油製品を作ってはじめて商品価値があることに似ている。こう考えると、人間が陽素を材料として引き起こした現象(=魔法)と、人間が道具を使って引き起こした現象(=科学)は全く等価になる。
本作のクライマックスでは、魔法>科学になる可能性が示されたが、それは実現することはなかったので、本当にそれが可能かは分からない。ただ、みんなが願えば世の中が良くなる、というのは、魔法があってもなくても真実であると信じたいところだ。