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くまくまさんのレビュー一覧

投稿者:くまくま

3,062 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本フリーター、家を買う。

2009/08/29 16:05

ズキッと思い当たる節が無きにしも非ず

25人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語は序盤からズシッと重いものをくらわせてくれる。

 主人公である武誠治は、大学卒業後に就職はしたのだけれど、会社の体質が自分には合わないと思い3ヶ月で退職、フリーターで職を転々としながら居心地の良い実家に引きこもり、ネトゲ廃人と化す。
 まだ本気を出していないだけと言い訳して1年半が過ぎた頃、部屋に運ばれてくる三食がカップメンになったことに憤慨してダイニングに行くと、そこにいたのは名古屋に嫁いだはずの姉で、母親は重度の精神病に罹って言動がおかしくなっていた。

 姉により初めて気付かされる、母親が近所の住民から受けて来たいやがらせの数々。父親の失態と精神病への理解のなさ。自分のちょっとした言動が母親を追い詰めていたという事実。これ以上ないというほどの現実と嫌々ながら直面させられ、何とか社会復帰しようともがき始めるのだけれど、一度失ってしまった信用を取り戻すのは大変なこと。加えて、これまでは癒しの場だった実家も、常に自分の罪と向き合わなければならない場と化している。
 これはかなりつらい。

 初めに落とすだけ落としておいても、地道な努力が認められて再就職すると、段々と物事がうまく回り始めることは救いだ。自分が駄目だったことを認め、それを生かして仕事につなげていく部分では、痛快な気分にもさせてくれる。特に、人材募集のキャッチコピーは秀逸。こういうアイデアが出てくるところはすごいと思う。

 前半がダウナー系の展開なので恋愛要素はいつもに比べて少なめだが、後半から登場する東工大卒中途採用の千葉真奈美との実直なやり取りでは、おなじみ有川節が炸裂する。また、書き下ろされた後日談では、豊川視点で二人のやり取りが描かれていて面白い。

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紙の本

紙の本告白

2011/07/05 11:45

きれいごとでは済まされない

23人中、22人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ベストセラーは基本的に寝かせてから読む主義なので、こんな時期になってしまった。すでに映画化もされているため、内容についてはよく知っている方が多いかもしれない。
「第一章 聖職者」「第二章 殉教者」「第三章 慈愛者」「第四章 求道者」「第五章 信奉者」「第六章 伝道者」という六章は、全て事件に関わった人々の独白で語られる。娘を殺された教師、犯人の級友、少年Bの母親、少年B、少年A、そしてまた教師と、独白する人は移り変わっていく。

 物語は、事故でプールに転落ししたと思われていた幼児が、実は中学生によって殺されていたのであり、その母親である教師が終業式後の教室で犯人を指摘するシーンから始まる。第一章~第六章で一連の事件と、それに関わる人々の心境を語りながら、各章がひとつの短編として成立している。

 娘を殺された怒りを聖職者という枠で押し殺したと見せながら、犯人の恐怖を喚起する復讐を成し遂げていく教師。教師の復讐後に発生するいじめから、悲劇のヒロインの様な役を演じ始める女子生徒。ひきこもりやニートなどと名付けて正当化する姿勢を嫌う公正な人間であると思いこみながら、子どもが殺人者という枠に納まった途端に自分の行動を正当化してしまう母親。自己を確立しようとして自分を見失っていく少年。自分を母親に認めて欲しいばかりに、自分が馬鹿にする様な人間になってしまう少年。
 自分がなりたくない人間像を否定しながら、結局、自ら選んだかのように自分が否定するような人間に堕ちていく過程が描かれる。

 終わり方に救いがないという人も多いだろう。しかし、自分の大切な人を失うという怒りと悲しみは、きれい事では済まされない。普段は物分かりの良い様な事を言っていても、実際に自分がその立場に落とされれば、自分が否定していた様な行動をとる。もしくは自分が信じたいように自分で信じ込む。
 そういう人間の心理を描いている作品だと思う。もっとも、こんな文章もきれいごとなのかもしれないが。

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紙の本

紙の本別冊図書館戦争 1

2008/04/13 14:30

日常にあるそれぞれの戦場

22人中、20人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 図書館革命のラストシーンに至るまでの笠原郁と堂上篤を追いかけるというのがこの本の柱です。組織の一員としてではない堂上という人間は、嫉妬やら弱さやらを抱えた人間なんですよね、やはり。キャラ好きの人には一読の価値アリです。
 キャラクター重視の方針らしいので、良化法関連の大事件は起こりません。しかし、作者らしい、社会に対する毒が各所にちりばめられており、飽きさせません。ネット連載されていた、「フリーター、家を買う」でも思いましたけれど、見過ごされがちな、社会的弱者というか、社会的少数派の人たちにスポットを当て、そこに感情移入させるのが上手いなあと思います。そういうところに偽善性を感じて嫌がる人もいるかもしれませんけれど、これからも書き続けてもらえると嬉しいです。
 キャラ重視路線でもう少しシリーズは続くようです。ボクの希望としては、稲嶺前指令のエピソードで何か一ついただければ、と。

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紙の本

紙の本ラブコメ今昔

2008/07/06 11:39

自衛官の人間像に迫る?

19人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 制服に代表される職業は、それが目立ちすぎるせいもあり、意外に個人に目が行かなくなるもの。警察官はそれでも刑事ドラマなどがあるからましだけれど、自衛官となるとクローズアップされるのは災害と事故の時くらい。これらは大概不幸な話なので、ドラマ化されたりして美談にはなりにくい…と、お嘆きの自衛官の皆様、あなた方には有川浩がいます。彼女まさに在野の自衛隊広報官と呼んでも良いでしょう!
 本作は短編6編(内1編は前日談)から構成されていますが、いずれも自衛官の恋愛物語。自衛官がラブラブで何が悪い、とばかりに、いずれもあま~い仕上がりになっております。ただし、自衛官であるが故の、厳しさや悲しさもあり、話はそうそう単純ではありません。もしも、の時を考えて結婚も考えなければならない。危険なところに行って欲しくはないのに、危険に立ち向かい守るところに自らの存在意義がある。揮われない方が良い力であっても不要な力ではない。自衛隊について、自衛官について、見直す機会になるかもしれません。

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紙の本

紙の本天地明察

2009/12/10 16:35

解く段取りがむしろ冥利

15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書で使われている「明察」という言葉は、算術の解答が正しかった場合につけられるので、「大変よくできました」的な意味合いがあるのだろうし、本来の意味的には「事実を見抜いた」となるのだろうが、ボクはこれに、証明終了を意味する「Q.E.D.」という言葉をあてようと思う。なぜなら、誰かに認められるという意味よりも、自らが成し遂げたという充実感を、より強く持たせたいと思うからだ。

 この作品の主人公となるのは渋川春海、本来の名を安井算哲という、本因坊道策と同時期の、将軍家お抱えの碁打ち衆の一人である。そうは言っても、囲碁の話がメインなのではない。彼が成し遂げる改暦と、それにまつわる人々の姿が主役である。
 彼が活躍した江戸時代の初期、日本では宣明暦という、八百年余むかしに伝来した暦を使用していたらしい。しかしこの暦の一日は、実際の一日とわずかにずれており、そのずれは四百年で丸一日にもなってしまう。これでは実用上、色々と差しさわりが生じてしまう。
 徳川の御世になったとは言っても、日本における権威は朝廷にある。しかし朝廷は、長い怠惰の間に暦に関する技術を失伝しており、それを隠すために暦を改めることを認めようとはしない。この状況に立ち向かうべく、数々の第一人者が期待したのが春海というわけだ。

 だが、彼は才気煥発の天才にも描かれないし、抜群の行動力を持つ英雄の様にも描かれない。どちらかというと、慣れない二刀を腰に佩いた、やさしいけれど頼りなさげな人物に見えるし、それ以上に周囲に集う人々が綺羅星のような実力をもって輝いている。特に中盤は、保科正之の、武断の世から文治の世へと舵を切る名君ぶりが目立つ。
 しかし、そんな彼だからこそ、天地を明察し、誰も切りつけることが叶わなかった権威の壁を破ることができたのだろう。なぜなら、改暦のためには様々なものがいる。算術の技術や天測の記録、お金や人材、そして物事を滞りなく進めるための人脈などである。数多くの第一人者からそれらのものを受け継ぎ、その想いを背負うことによって成長した春海が、碁打ちの本領たる先を見通す布石により、大逆転で事業を成し遂げる様は圧巻である。そんな彼を支えたえんとのエピソードも興味深い。

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紙の本

エピローグが見せる作品のエッセンス

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いやあ、すごく良いラストだった。誘惑に負けてアニメの最後の方の回だけ見てしまったので、コミックスもそれをなぞる形になるのかなと思っていて、あまり期待をしていなかった分、それを良い意味で裏切られたので、感慨はひとしお。確かに、アニメのストーリーをなぞった部分もたくさんあるのだけれど、コミックスにはそこを越えているところがあった。
 偶然の産物なのか意図したものなのかは分からないが、このコミックスのエピローグは3部構成になっている。そしてこのストーリーが、まさに鋼の錬金術師という作品のエッセンスを凝縮したものであるといって良いと思う。

 生物として活動を行うにはエネルギーが必要だ。そのエネルギーは、別の生物を食べることで体内に取り込まれる。他の命を奪わない限り、生き続けることはできない。そして、奪ったからにはそれを無駄にしてはならない。賢者の石の顛末には、このような思想が通底していると感じた。
 更に人間的な特性として、歴史を紡ぐという点があると思う。この歴史は紙に書かれた記録、という意味ではなく、世代間で積み重ねられていく情報や経験のことを指している。人間が生物である限りいつかは死ぬ。だが、その人の生きた証は何らかの形となって受け継がれていく。それが進歩というものだろう。仲間の犠牲は無駄にはならない。
 無機物だって壊れたら終わりというわけではない。道具は大切に修繕しながら使い、壊れたら鋳潰して再生させる。そう、再生させるのだ。再生したものは新たな歴史の流れに組み込まれ、新しい物語を紡ぐ。この世界にはそういった循環があるのだ。

 この1巻だけを読んでも、ボクが感じた面白さを感じることはできないと思う。ここまでのストーリーの積み重ねがあるし、作者の荒川弘氏の実家の家業が酪農であると知っていることも関係しているかもしれない。
 ひとつの作品にも、それなりの歴史がある。次回作もそういった歴史が積み重ねられるものになることを祈りたい。

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紙の本

紙の本21世紀の歴史 未来の人類から見た世界

2009/08/17 16:44

未来を見通す目は歴史を振り返ることで育まれる

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人類の誕生から現在までの歴史を概観することによって教訓とすべき歴史的事実を明確にし、これまでの市場経済を支配してきた9つの"中心都市"の興亡を見ることによって、21世紀の世界の歴史を予測している。最初の2章で過去を振り返り、残り3章で、未来に達するかもしれない、超帝国、超紛争、超民主主義という3つの状態について紹介している。
 後半3章は著者の予測であり、内容が正しいかどうかはその時にならないと分からない。一方、前半2章は歴史的事実に対する著者の見解を示しており、著者の思考方法が垣間見えるので、今後の世界の変化に対して自分で考察する場合の参考になると思う。

 前半のポイントはいっぱいあると思うのだが、自分なりに重要だと思った点をいくつか挙げてみると、(1)人類は本質的にノマド(遊牧民)である、(2)サービスを産業品に置き換えることで経済成長してきた、(3)歴史は繰り返す、になる。
 (1)は、自分たちが定住している現状を考えると矛盾しているように思えるが、人類の黎明期においては住みやすい土地を求めてさまよい歩いたこと、優秀な人材は生まれた国に拘わらず"中心都市"に集まること、現在もモバイル製品が売れていることなどを考え合わせると、意外に納得できる。(2)は、人馬による輸送が自動車に、会計事務がシステムに、足で稼ぐ情報がインターネットに、という時代の変遷を思い浮かべれば理解できる。そして、これらの積み重ねが(3)なのだ。これが繰り返されると仮定すると、訪れる未来は次の様になるらしい。
 いずれは社会保障や治安維持などの公的サービスも民営化され、市場経済の枠組みに取り込まれる。市場は、アダム・スミスが論じた様に、見えざる手が理想の状態に導いてくれないらしいので、経済格差が生じる。この様なサービスを提供する企業は巨大になり強い力を持つ一方で、税収を減らすことになる国は影響力を低下させる。この状態を超帝国と呼ぶ。そして、軍事的影響力の低下は地方勢力や犯罪集団による紛争を招く。また、影響力の回復を狙って軍備拡張に走り、武力解決を頼みにするようになり、超紛争に至る。だが、著者の理想とする世界では、いずれ利益を求めずに働ける人たちが国際機関を組織し、全ての人類が必要財を手にできる、超民主主義が成立する。

 この予測を読んでボクが想起したのは『易経』である。易は、坤から乾まで、爻という横棒が順次、陰陽変化しながら状態を遷移していき、六十四卦を生み出す、というのがボクの理解だ。だから、ある状態から移れる状態は限られており、いきなり変な状態に飛んだりはしない。そして、これを社会と結びつけることにより将来を占う。社会がいきなり変な状態に飛ばないのは、例えばナチスが登場するまでには、第一次世界大戦の戦費負担による経済悪化、閉塞感を打破するためのナショナリズムの高揚、不満を纏め上げる扇動者の出現、の様な段階を踏んでいることから明らかだ。
 この様に考えると、先ほどの超帝国・超紛争の流れもいきなりその様な状態になるわけではなく、初めは何か小さなきっかけが、放って置くとドンドンずれが大きくなって、取り返しのつかない状態に至ってしまうことになる。だから、今のうちから世の中の流れを注視し、少しでも違和感を持ったら早期に対応することが重要になってくるのだろう。

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紙の本

紙の本日本の食と農 危機の本質

2009/05/05 10:46

自給率が低いのは国のせい?いいえ、あなたのせいです

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 親戚に農家の人がたくさんいて小さい頃は手伝いをさせられたりもしたので、農業にはそれなりに意識を向けてきたと思う。そして昨今の不況に絡む農業ブーム。欧米に比べた日本農業の特徴として、1件当たりの作付面積が小さく規模の経済が働きにくくてコストが高くなる、という事があるのだから、耕作地を集約して農機への投資を低く抑えるようなシステムを作れば良いのに、とずっと思ってきた。でも、先祖伝来の土地を手放すのは嫌なのだろうし、農機の共同利用は誰が先に使うかでケンカになるし、村社会でよそ者を排除しがちだし、なかなか簡単にはいかないのだろうな、とも思ってきた。しかしこの本は、そういう思い込みをぜーんぶ、打ち砕いてくれた。

 日本の農政に構造的な問題があることは間違いないことだと思う。実際、この本の中盤以降も、そういった問題点を一つ一つ明らかにして行っている。だが、そういった構造的問題が許されてきた原因は、消費者のエゴや地権者のエゴにある、と著者は言う。こういった場合、普通ならば行政の責任を追及するのが常道なのだが、あえて、普段は守られる側の消費者・地権者を断罪するのだ。
 戦後の農地改革により、日本には作付面積の小さい零細農家が数多く生まれた。そして高度経済成長期。急激な工業化により都市部の労働者の賃金が上昇することで、農村部との所得格差が問題になってくる。ここで取られた対応は大きく二つ。JAを通じた国からの補助金による所得再分配と、兼業化だ。この対応はおおむね成功し、所得格差は無くなるのだが、これらの仕組みは以後も継続してしまう。その結果起きるのが、零細農家の農政への影響力の増大と、耕作放棄地の増大である。
 JAが選挙の集票システムとして機能してきたことは周知の事実。そのJAの組合長選挙などの選挙権・被選挙権は組合員にあるのだが、組合員になるにはほんの少し農地を持っていればよい。加えて、権利は農地の広さと関係がないため、数の多い零細農家の意見が農政に反映されやすくなる。まあこれだけならば特に悪いこともないのだが、もう一つの現象と絡むと途端に悪い事が起きる。
 兼業化は、副業の主業化を引き起こす。零細農家はまじめに農業をやる必要もなくなり、耕作放棄状態になる。この状態は、JAや地域の農業委員会の指導対象なのだが、農業委員会のメンバーは地元の人。しかも、民主主義の結果として、同じ状態にある零細農家の代表が多いので、見て見ぬふりが多くなる。
 これを助長するのが、もし高速道路などの公共事業用地に指定されれば耕作放棄地が大金に化けるという事実である。農業をやりたいと思っている人は耕作放棄地を借りて大規模農業をしたいと考えているのだが、貸出中に公共事業が誘致されたりすると売り抜けられないから、地権者は農地を貸したがらない。零細農家はまじめに農業をやらない方がもうかるシステムになっているのだ。

 都会の消費者も無農薬農法に関心があるなんていうけれど、実際に雑草取りを自分がやらなければならないとなると、農薬をまきましょう、となる。見かけが悪くても買います、なんて言っていても、実際に見かけの良い商品と悪い商品があれば、見かけが良い商品ばかりが売れて悪い商品は廃棄されることになる。こうしてコストは益々上がり、価格競争力はより低下していく。

 こんな調子で、傍観者のはずの読者がいきなりバッサリ切られる本なので、自分の悪い点を見つめる覚悟がない人は読まない方が良いです。でもその覚悟がある人は、読んで決して損をすることはないでしょう。そうすれば、昨今の農業ブームというものが、40年前から繰り返されている議論だということが分かります。そして、なぜそれが繰り返されているのかも。経済原理の視点からなされる著者の政策提言は興味深く、色々と考えさせられます。

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紙の本

紙の本海賊とウェディング・ベル

2009/03/28 23:18

キング・オブ・パイレーツの遺産

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この一連のシリーズの中でボクが一番ワクワクするのは、キングのストーリーなのです。何かをするために翔ぶのではなく翔ぶために翔ぶという、手段が目的になってしまったような生き方。彼自身とダイアナ・イレブンスだけという、その世界構成の単純さ。純粋性。そういったものにしびれてしまう。並の人間にはまねできない、ということは十分承知の上で。

 今回もやはりジャスミンが大活躍して、海賊を子分にしたり駆逐艦を乗っ取ったりするのだけれど、最後の最後にケリーに向けられる尊敬というか敬意は、利害とか社交辞令とかそういうものの全く混じらない、きれいな結晶ではないかと思うのだ。そして、そういうものを平気な顔をして受け取り、簡単に手放せてしまえる自由さ。それに憧れる。

 金銀黒はまったく登場しない、政治力もほとんど使わない、人間的技術と魅力の勝負のお話。

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紙の本

よく証言してくださいました

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 満州移民が最も多かったという飯田下伊那の郷土史として、満州移民が何によりもたらされ、何をもたらしたのかを、満州移民からの聞き取り調査をもとに検証している。
 養蚕で世界経済と密接に結びついていた飯田下伊那は、1930年代初期の大不況により困窮してしまう。折しも、満州に移民を送ることで農産増強とソ連との緩衝地帯化を検討していた人々は、村への補助金支給をエサに、移民を出すことを要求する。
 補助金に目がくらんだ地方指導者層は、渡りに船とばかりに移民の約束をするが、その後徐々に景気は回復し、移民の希望者はいなくなってしまう。国との約束を果たすために指導者が行ったのは、学校・教師を利用して理想を説き、少年を青少年義勇軍に仕立てあげたり、地主に小作人から土地を取り上げさせ移民せざるを得ないよう状況にしたり、とにかく無理やりに移民者を増やすことだった。そうすることで、満州と郷土での一人当たりの耕作面積を増やし、農業の効率化も目論んでいた。
 一部には開拓者の意気込みを持ち移民した者もいたが、与えられた土地は既に開墾されていた。中国人が耕作していた土地をただ同然で無理やり購入し、開拓地としていたのだ。五族協和という理想はそこになく、実際には地元民をいじめ、搾取する現実があった。

 それも長くは続かない。ソ連が参戦し、移民を守るべき関東軍は、家族を引き連れて遼東半島に逃げる。それは一年も前からの計画だった 残された移民は、綱紀が緩むソ連軍の暴虐と、恨みに燃える中国人の略奪に震えながら、死の逃避行を行う。
 本文中から体験者の語りを抜粋してみよう。一つ目は集団自殺の様子、二つ目は腸チフスの蔓延の様子だ:
「(略)…紐を子供の首へかけて、…(略)…苦しくなって、ウワッとふんぞり返っちゃう。…(略)…そり返ったところをもうひとりがみぞおちを蹴ると、苦しがっとったのが、パッと奇妙におさまってしまうんな。そういう要領で、俺としては二十何人かは手をかけた。」
「(略)…お母さんを看とったら、死ぬ二日ばか前にね、しらみが服の外へ出てくるの。しらみっつうのは、肌についとりゃあったかいもんで肌におるんだけど、外へ出てくるの。…(略)」
 しらみが服の外に出るという日常的に思える光景にまで、死のにおいが染み付いている。これを乗り越えて収容所までたどり着いても、食料はなく寒さをしのぐ防寒具もない。生き延びる可能性を少しでも上げるために、女・子供が中国人に売られていく:
「中国人の夫婦が、暗くて寒い収容所に現れて、妹を預かりたいと言った。…(略)…彼女はやせ細った小さな体で精一杯抵抗して連れ去られるのを嫌いました。私は背を向けて体を丸めて、最後まで振り返ることなく彼女を送りました。…(略)」

 満州に行くときは万歳三唱で送り出されたにもかかわらず、ようやく帰国して報告に出向いた県庁では、乞食扱いをされる:
「忘れもしません。通る人々のさげすむような眼が…(略)…県庁からの連絡で、洗いざらしの毛布一枚と、湯呑み一コが渡されました。こんな物を受け取りに来たんじゃないと、皆は怒り、そして叫びました。」
「(略)…妻の実家についたがその子は帰り着いた内地の床のなかで、「ナイチイク、ナイチイク」(内地行く)と言って泣きつくのです。…(略)…どんな内地というものはいいものかと、幼心に想像していたのでしょう。…(略)…でも日に日にその声は小さく、細くなってゆきました。…(略)」
 食料も満足に手に入らず、頼るべき人も既にない人々は、再び鍬を手に取り、西富士の開拓地へと向かっていくのだ。

 こうして描写すると、満州移民は被害者の様に思えるし、実際に国策の被害者ではあるのだが、中国人から見れば自分たちの耕作地を奪い取った加害者であることも確かだ。そしてその報いは十分以上に移民たちの上に降り注いだ。いまなお、身内を手にかけた悔恨に苦しむ人もいる。
 一方で、1970年代に建立された満州移民の慰霊碑には、英霊としての称賛の言葉が並ぶ。そして、その言葉を刻んだ知事は、戦中に人々を満州に送り込んだ責任者だったりする。行政における責任という言葉の虚しさを覚えざるを得ない事実だ。

 同化は何世代もの長い時間をかけて、ゆっくりと進めなければ成功しない。この時には、血が混じり、文化が融合していくことが重要だ。古代ローマのカエサルはこれを熟知していたから成功した。しかし、満州移民という政策には、性急さと強引さしかなかった。
 現代にも似たような状況は残っている気がする。イスラエルとパレスチナの問題だ。過去の苦い経験は、これからの課題を解決する教訓となり得るのか。

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紙の本

恋をするのは心か、身体か

17人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 脳からの信号をインターセプトして肉体との接続を切り、仮想空間での五感の再現を行う技術。そしてそれを背景とした多人数参加型のネットワーク・ロールプレイング・ゲーム、「ソードアート・オンライン」。1万人限定で運用が開始された仮想世界は、同時に管理者によって現実世界から切り離された。一度ログインしてしまえば、ログアウトするにはゲームをクリアするしかない。現実世界でゲームのインターフェースを物理的に外そうとすれば、神経信号を送受信している装置が発生する強力な電磁波により脳を破壊されてしまう。いわば自分の体を人質に取られた状態で、ゲームの進行を強制されるプレイヤーたち。
 ある者は絶望して死を選び、ある者は何もせず呆然とし、ある者は徒党を組み、そしてある者は一人ゲームのクリアを目指す。現実の体は病院に繋がれたまま2年が過ぎた頃、世界は唐突に動き出す。ある少年と少女の出会いによって。

 自分の意思で抜けられない(仮想)世界で生き抜くことを強制された人たちの物語、と要約できるだろう。この仮想世界では完全に五感が再現されているため、主観的な認識の範囲では、それを現実と呼んでもかまわないと思う。
 もちろん、一般に言う現実世界とはルールが違うし、現実の体が生命活動を停止すれば仮想世界でも消滅してしまうという制約がある。しかし、ここで考えてみたい。
 現実の世界のルールは誰が作ったのか?物理法則は自然、もしくは神という存在が決めたのだろう。国家や法、経済というルールは人間自身が決めた。そしてこの構造は、仮想世界でも同じではないのか。物理法則や世界を支配するルールはゲームの設計者が決めるのだろうし、ゲームの参加者が社会のルールを決める。
 死だってそうだ。現実の世界では病気や老衰、つまり生物の細胞に異常が生じる事で死に至るが、昔の人が考えたように、寿命を決めるのがどこかに存在するろうそくの長さではないと誰もいいきれまい。現実世界での死は、その原因まで理解しているようで、実は理解していないのかも知れない。そうだとすると、仮想世界での絶対寿命が現実世界の寿命に制限されるのと構造的には同じではないか。自らの経験に基づいて世界を判断する限りにおいて、その経験が自分にとって完全なものでありさえすれば、そこがリアルであろうとバーチャルであろうと本質的には関係がないと言える。

 この世界の主人公であるキリトやアスナは、リアルよりバーチャルの方が良いと賛美しているのではない。またその逆に、バーチャルを卑下しているのでもない。2年間過ごした"現実"を現実として認識しているだけだ。だから、バーチャルでの経験は、リアルに戻っても続いていく。失われた2年間にするのではなく、別の世界で経験を積んだ2年間と捉えているのだ。
 第1巻と銘打たれていますが、この巻でバーチャル世界からの脱出は完了します。この後はどういう方向に進むのか、楽しみです。

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紙の本

よく逃げ出しませんでしたね

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本の政策決定プロセスの詳細に踏み込んだ貴重な資料だと思う。同時に、表舞台で事を成し遂げるには、どれだけの人が裏方で泥をかぶらなければいけないのかも実感させられた。著者がどれだけ苦労して、どんな手法で改革を断行したかはじっくり読んで頂くとして、ここでは、政治を報道するマスコミのあり方という視点から見ていきたい。
 ボクはマスコミの人間ではないから本当のところは知らないが、想像で言えば、政治部記者のニュースソースというのは、特に親交のある、政治家、官僚、評論家などだろう。現在進行中の政治に対して、本音で話してくれるような人間は、記者個人と相当の信頼関係が築かれていると考えるべきだ。そんな関係を、多方面、多思想にわたって構築するのはとても困難だろうと思うので、信頼できるニュースソースは、ごく少数の、ある程度思想の似通った人たちなのではないかと思う。
 事実の報道は、特定の思想に偏るべきではない。一つの政治問題を報道するためには、様々な立場・理論の見地から検討し、ソースの政治的利害関係を考慮に入れた上で、情報を公正に評価する必要があると思う。しかし、報道番組を見ている限り、特定の局に出演する評論家は大抵いつも同じであり、とても様々な立場から評価しているとは思えない。
 本書では、マスコミの見解の朝令暮改ぶりが冷静に指摘されている。このような問題は、ソースが特定の政治的立場に偏っているから、政治的理由によって起こるに違いない。国民に正しい政策内容が報道されるには、本書で提言されているように、政治的影響を受けない、第三者による政策評価機関の設立が求められると思う。

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紙の本

既存の枠をはみ出す

12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 魔法とは現象であり、それを制御する技術である。フェルミオンでもボソンでもない、意思や思考を形にする想子(サイオン)と、意志や思考を産み出す情動を形作る霊子(プシオン)のうち、サイオンを制御する事で現代魔法は成される。そのプロセスを助けるのが、CADと呼ばれる魔法発動デバイスだ。
 しかし一方で、魔法は才能でもある。全ての者が同じ様に魔法を使える訳ではない。ゆえに、資源配分は当然、優秀な者に集中されることになる。そしてそれは、魔法を使える者と使えない者の間だけではなく、使える者同士でも適用されるルールだ。

 司馬達也は妹の深雪と共に、国立魔法大学付属第一高校に入学した。しかし彼は、学科はトップだったが実技の評価が低く、深雪は花冠(ブルーム)と呼ばれる一科なのに、達也は雑草(ウィード)と呼ばれる二科の生徒だ。二科とは、一科の補欠であり、専任の指導者がつくこともない。
 一応平等は謳っているものの、実態がこれなので、当然のことながら、一科の生徒は二科の生徒を見下す。しかしそれに、兄の実力を高く評価する深雪は納得がいかない。そのことからトラブルが発生するのだが、それは彼らを、生徒会長・七草真由美や風紀委員長・渡辺摩利とであわせるきっかけになるのだった。

 魔法を技能として体系化する設定が細かく、もしかするとそれを敬遠する人もいるのかもしれないが、こういう深い設定は個人的に大好き。そして、劣等生だと思われている人物が、実は既存の枠では評価しきれない人物というだけであり、世間の偏見を実力で跳ね除けていくという設定が魅力的に映る。
 WEB小説からの出版ということで、これから順次刊行されていくのだろう。たのしみ。

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紙の本

紙の本ハーモニー

2011/03/28 21:09

みんなが平和に暮らせる世界

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 21世紀後半に起きた大災禍は人類に滅亡を感じさせた。旧来の政府が弱体化した代わりに、人々は生府という共同体を作り、個人の情報をすべてオープンにして危険を事前に回避し、また、個人の身体を共同体の資産として管理することが常識的となった。
 だから、自らの体を傷つけるような行為は常識的ではない。人々はWatchMeという恒常的健康管理システムを導入し、異常には瞬時に対応することにより、人類から病気や苦痛という単語はほぼ駆逐された。その代償として、酒やたばこ、カフェインなどの嗜好品も健康に悪影響を与えるものとして遠ざけられているのだが…。

 そんな世界において、霧慧トァンは友人の御冷ミァハの誘いに乗り、一緒に自殺をしようとする。自分の身体を自分のものとして扱えない世界に対して、決意表明をするためだ。しかし、トァンの自殺は失敗し、生き残ってしまう。
 それから十数年後、螺旋監察官という世界の生命権を保護する立場に就いたトァンだったが、少女時代の影響はこっそり残り、どこか世界の在り方に対して息苦しさを感じていた。そんなとき、世界中に点在する数千人もの人々が、何の前触れもなく、一斉に自殺するという事件が起こる。その事件の影には、死んだはずの御冷ミァハの影が見え隠れしていた。

 この本の結末にもたらされる世界を、ユートピアと呼ぶのか無と呼ぶのか、あるいは地獄と呼ぶのかは読者により異なるだろう。何故マークアップ言語風の記述になっているかも、その時に分かる。
 世界の最も効率の良い管理方法は、人々の間に差異を認めないこと、そしてそれを人々が受けられている状態なのだろう。しかし実際には、個人個人で価値観は異なるし、文化圏でもそれは異なるので、世界中の対立の根源としてなくなることはない。
 作中世界は、一度滅びを目前に見た人類の世界だ。だから、人々の争いの根源に対する恐怖感は、現代に生きる人々より現実感がある。ゆえにそれをなくそうなどという冒涜的な試みが現実に計画・実行されてしまうわけだ。

 みんなが平和に暮らせる世界をユートピアと呼ぶならば、この物語が導く世界はまさにそれであろう。しかし、人間が暮らすという意味は何かと考えてみれば、その答えによっては、作中世界はユートピアとまったく正反対の世界に見えるに違いない。

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紙の本

紙の本植物図鑑

2009/07/05 19:13

日常というのは普段の生活のことです

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 作者の描く世界は、普段あるような生活の描写の中に、スパイスの様に虚構がまぶしてある。だから、現実を逸脱しない範囲でありながら、創作として楽しめる作品になるのだと思う。今回は、普段歩いている道の道端にも生えている"雑草"という現実的な風景に、道端に落ちている男の子を拾うという虚構が織り込まれている。
 遠くへ出かけるのだけが行楽なのではないということで、歩きで自転車で野草を摘みに行くのがさやかとイツキのデートみたいなもの。週末に二人して出かけては様々な野草を収穫し、二人で料理する。そういう日々の出来事を通じて、さやかの日常がイツキの日常に取り込まれていく。
 ありえないような設定がほとんどなく、現実的な描写、例えば野山めぐりをする時にトイレの心配が出てくるところとかがボクの好みです。

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