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3件
パンツが見える。 羞恥心の現代史
著者 井上 章一
人がパンチラを喜ぶようになったのは、たかだか50年前のこと。パンツをはいていない女店員が、陰部を見られるのを恥じて墜落死したという「白木屋ズロース伝説」は眉唾だ……。「パンツ」をめぐる感性の興亡をたどる、思索の結実。
パンツが見える。 羞恥心の現代史
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パンツが見える。 羞恥心の現代史
2003/05/31 17:37
人間とは面白い
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、「羞恥心の現代史」という副題に興味を覚えて手にした。硬派の本ばかり選択して読んできた私だが、女性におけるパンツに対する羞恥心を取り上げた本書を選ぶとは、随分軟派な本を選んだものだと後悔しながら読み進んだ。しかし、読み進むの従って、著者の鋭い視点と調査の深さに感銘し、最後には、拍手を贈りたい気分になった。
20世紀初頭まで、我が国の女性は、下着を着ける習慣が無かった。それが下着を着けるようになったのが通説では、「白木屋ズロース事件」とされている。「白木屋ズロース事件」とは、1932年12月16日白木屋百貨店の火災において、多くの女店員が、逃げる際に、下着を着けていなかった為に、裾が風に靡いて陰部が野次馬に見られる事を防ごうと、裾を手で押さえた為に、命綱を手放し墜落死したとされる事件である。だから、婦女子は、下着を着けようと啓蒙され、以後下着の普及が増進されたというものである。著者は、まず、この真相から明らかにする。多くの小説や読み物を調査する事により、当時の女性が陰部を見られる事に、そんなに羞恥心を抱いていない事を明らかにする。では、何時頃から我が国の女性はパンツを履き始めたのだろうか? それは、洋装が普及しはじめた頃と考えている。洋装の普及と共にパンツの普及も始った。しかし、現代我々がパンティと呼ぶ代物が普及したのは、1950年代後半としている。それまでは、ズロースと呼ぶべき代物であった。また、パンツに対する羞恥心、所謂「パンチラ」という感情は、女性には芽生えてなかったという。陰部を見られないためのパンツであり、それを見られても羞恥心は起こっていないのある。それを、数々の小説の中の心理を通して明らかにしていく。パンツに対する羞恥心は、パンツが所謂玄人さんから普及している、あるいは、情事、色事の際の道具として普及していった事に端を発していると分析している。当時の女性の心理として、「たしかに娼婦っぽいが、自分もああゆうのをこっそりはいてみたい。なんだか、今までの自分とはちがう女に成れそうな気がする」。しかし、「世間は、それらのパンティを、もっぱら性的にはやしたてている。娼婦めいている、よろめきにふさわしい、などと。だが、自分は娼婦になりたいわけじゃない。男をそそる小道具だなどと言われても、こまる」。こういう心情が、女性がパンティを隠す深層心理と読んでいる。また、上野千鶴子という人物の面白い女性評を載せている。「女は、しかし、男たちの知らないところで、自分自身のボディにもっとナルシスティックの固着している……観客のいないスカートの下の劇場で、女だけの王国が成立する……この特権的なナルシズムについて知らなければ、女の下着についての謎は解けない」。
1950年代後半、これを「パンチラ」元年と位置付けている。それに大きく影響したのが、マリリン・モンローの「七年目の浮気」であったと言っている。それまで潜在化していた欲望が顕在化したと。
「パンチラ」に女が羞恥し、男が歓喜するという状況は、ある種特殊な文化的状況下で起こる事であって、決して普遍的な現象で無いことを著者は強調している。それを1980年代の中国で実感している。1980年代の中国女性は、スカートで自転車に乗り、堂々とパンツを見せて走っていた事を目撃しているのである。
著者は、10数年の研究の成果を纏め本書を書いており、女性の羞恥の歴史を明確に理解したものの、はやり、パンティが見えれば歓喜するという心は変わらなかったらしい。歴史を知っても、その魔法は解けなかったのある。世の大部分の男性がそうであるよう…。
パンツが見える。 羞恥心の現代史
2002/11/22 11:08
女性の羞恥心の変遷を、「パンチラ」をキイワードに読み解く真面目な好事(こうず)書
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pipi姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者はまず、有名な1932年の白木屋デパートの火事を取り上げ、この事件で女性がパンツ(当時はズロースと言った)を穿くようになったという俗説を嘘だと論破している。この俗説とは、6,7階から救助綱にすがって地上に降りようとした女店員たちが綱から手を離して墜落死したのは、和服姿の彼女らが裾の乱れを気にして前を押さえたからだというもの。和服の下にズロースさえ穿いていれば、彼女たちは野次馬に下から陰部を覗き込まれる羞恥を感じず、したがって綱から手を離すようなこともなく命が助かったに違いない。これを教訓とし、これ以後、ズロースが瞬く間に流行したという。
この、有名な白木屋ズロース流行説が、白木屋専務のでっち上げであったと、多くの資料を駆使して井上氏は論証する。
そして、当時の女性には、陰部を覗かれて恥ずかしがるような感性がなかったことを立証する。さまざまな事象をそれはもう次から次へと、当時の回想録、小説、新聞、雑誌を総動員して列挙していくのである。
昔の女は慎ましく、現代っ子はあけすけで性的にも解放されているという従来の見方は間違っている、と女性の心性、とりわけ羞恥心に分け入った研究はとてもおもしろい。著者の唱える「1950年代パンチラ革命説」は、膨大な量の資料を駆使して「実証」されていく。そこにおいて引用される出典の多くが小説である。小説を史料として扱うことに疑問が湧くが、井上氏は手堅くそれに対する反論も用意している。
だが、パンチラを恥ずかしがる心性と、それを嬉しがる心性、いわばパンツの神秘力の謎が解けた、と言ってご本人はすっきりさわやかになっているようだが、どうもいまいち霧が晴れない気分が残る。
なぜだろう。
パンチラが嬉しいという正直者の井上章一にシンパシーを感じないからだろうか??
ほんまに男の人って、スカートからパンツがチラリと見えて、嬉しいのかねぇ。
羞恥心の歴史に着目した著者の慧眼には脱帽するし、おもしろおかしく読みやすい本ではあるが、もっと短くまとめられるはずなので、★は4つ。
パンツが見える。 羞恥心の現代史
2004/10/11 10:54
学問的気分とエロチックな気分が同時に味わえる、独創的な調査研究
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
事象Aと事象Bが在る。この事象間または各事象の変化の間に、相関関係が在るとする。この時、Aが原因でBが結果か、逆に、Bが原因でAが結果か、を如何にして判断するか。Aが原因でBが結果であるということが、通説または常識であるとき、Bが原因でAが結果であることを、如何にして証明するか。この本はそういう本である。何故女性はパンチラを恥ずかしがり、男はそれを嬉しがりときめくのか。いつからそうなったのか。恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしいのか。
和装の時代は、パンツは無かった。なにかの拍子で裾が捲れたら、もろに陰部が見えることもあった。パンツで隠すことができれば、従来の恥ずかしいところは見られず、パンツ自体を見られることは気にならない。それが何時からどのようにして、恥ずかしくなったのか。
白木屋デパートの火事による女子店員の墜落事故から、日本女性のパンツ着用が普及した。当時の新聞、雑誌の記事を、丹念に渉猟分析し、この神話をくつがえすことから始まり、各時代の小説に表現された事項をかき集め、など、従来の学問的方法とは異なるやりかたで、現代歴史を検証している。
学問的気分とエロチックな気分が同時に味わえる。独n的な調査研究だろうが、学問的な部分もエロチックな面も、何となく物足りない感じではある。パンチラではテーマが軽すぎるか。ビニ本、裏本の研究をしている東大の先生もいるはずだが。