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339件
大奥
著者 よしながふみ
男子のみを襲う謎の疫病が国中に流行り、男子の数が激減。男女の立場が逆転した世界に生まれた貧乏旗本の水野は、大奥へ奉公することを決意する。女性の将軍に仕える美男三千人が集められた女人禁制の場所・大奥で巻き起こる事件とは…!?
大奥(19)【通常版】
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大奥 第1巻
2005/11/17 06:37
男たちの大奥
34人中、31人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある時、男性ばかりが感染する謎の奇病が流行したため、男性の人口が著しく減少。よって労働を女性が担うようになり、家督相続も女が行う。もちろん将軍も代々女性なので、大奥は当然男性ばかり。貧しい武士・水野は、自ら乞うて大奥への出仕を願い出るが…。
『パラレル大奥』の話になるらしいというのは、雑誌予告で前々から聞いており、最初から「男性と女性が逆転した世界」が、ただぽんと出てくるのかと思っていた。ところが第一話で、なぜパラレル=男女逆転状態になったかという理由をちゃんと説明している。折しも現実でも「性別」に「役割」を割り振るのではなく、必要に迫られて「役割」に「性別」を当てはめる事態が起こっている。はからずも非常に似た現実を横目で見ながら、仮想現実の世界を楽しむという事が可能になってしまった。
勿論別段のテーマを設けずとも、本作は漫画自体で十分楽しめる。第一部の主人公・水野は、どんな境遇にあっても、自分らしさを貫く潔いよしながキャラであり、吉宗も、クールで決断力のある第二の主役として魅力たっぷりだ。姓からの連想で、てっきりこの先も水野と吉宗の中が続くのかと思ったが、あっさりと新章では江戸時代初期の大奥が取り上げられている。史実を良く知る人は、今後そちらとの比較をしながら、一体どのように辻褄が合うのか、或は合わなくなってゆくのかを見てゆくのも面白い。
『愛すべき娘たち』でもそうだったが、よしなが作品は、その終わり方が、意外性に富む。ボーイズラブものだと、「誰と誰が恋に落ちて結ばれる」或は「別れる」いずれかの選択だろうと、漠然と予測がつく。だが『大奥』では、著者が一体読者をどこに連れて行こうとしているのか、全く予測がつかない。
けれど、「分からないから読みたくない」のではなく、「分からないから読みたい」と思わせる力を、この作品は持っている。着地点が早く見たいような、壮大な大奥絵巻をずっと見ていたいような。こちらもまた、パラレルな心もちである。
大奥 第3巻 (JETS COMICS)
2008/01/30 22:30
鮮烈な覚悟を底に押し込めて、静かに綴る没日録
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:もりこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
若い男子のみが感染する致死率の高い疫病によって人口の男女比率が崩れ、女将軍に美男たちが仕えることになった大奥を舞台とするパラレル時代劇です。
男女逆転によって起こる出来事を描くのではなく、起こる出来事によって逆転せざるをえなかったという描き方が秀逸です。3巻では2巻から引き続き、国家存亡の危機に当たって女将軍が誕生した経緯と、彼女を取り巻く男や女、時代の様子が語られています。
発想、着眼点、切り口、流し方、信念と色気を併せ持つ登場人物たち。どれをとっても見事です。「この国はまだ滅びぬような気がするのです」。様々な事由に動かされながら繰り返す日々の暮らしが時代であり、その積み重ねが歴史だと教わりました。
台詞が多いので文字が混雑しているページもままありますが、かえって気をつけてよく読みこんでしまうリズムがあるのでまったく気になりません。しかも時にはその台詞を封じ、表情だけで心の機微や感情のひだを、大胆に細心にしかも手際よく写し取っていたりするのが見とれるほどに鮮やかです。背景も少なめですが、それが逆にどろどろな人間関係を描きながらもどこか洒脱で小粋な作風に一役買っているようです。章ごとに主人公が変わる群像劇のような構成も潔くて面白いです。
映画にもドラマにもアニメにも創り出せない空間、ここでしか味わえない空気を醸していて、マンガの極意を見た気がしました。1冊で3冊読んだぐらい、ずっしりと読みごたえのある作品です。
大奥 第5巻 (JETS COMICS)
2010/08/04 21:30
稀代の娯楽性と思想性を兼ね備えたマンガ作品 映画だけじゃなく原作も読んでほしい
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鬼島 空 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「疫病によって男子人口が減少し、公的な役割をすべて女性が担うようになった日本」という設定の本作。「男女逆転大奥、女将軍のもとに美男が3千人」というその宣伝文句から、女性向けキワモノマンガだと思う人も多いように思うのだが(そして、それはそれで事実であるが)、しかし本作は、エンターテイメントであると同時に、非常に質の高いジェンダーSFでもある。というか、おそらくは思いつきに過ぎなかっただろうこのキワモノ設定から、作者は力業で、「人間にとって、生物としての自然と、文化や歴史とはどのような関係にあるのか」という人類学的な問いを展開していくのだ。本作は今年、第1巻のみが映画化され公開される予定だが、しかしその真価が現れるのは2巻以降であり、第2巻以降を読み進める読者は、男女逆転大奥という笑い事のような設定を楽しみながらも、「男女逆転大奥は本当に可能なのか」という笑い事ではない問いに向き合わざるを得なくなるだろう。そしてその問いは、「人間の構築する権力の制度(=文化)というものは、人間の生殖機能という自然から逃れられないものなのではないか」という問いにつながっているのだ。
第5巻の主人公は第五代将軍「家綱」。三代目将軍の父の身代わりとなった「家光」に引き続き、男女役割逆転の第二世代を担う。既に公的なものの女性への移行があらかた終了した「元禄期」にあって、有能で可愛らしく傲慢な家綱は一見、権力者であることと女性であることを問題なく共存させているように見える。「公=男/私=女」という二項対立が逆転した後なのであるから、女であることと権力者であることに矛盾はあるはずもなく、家綱には一見、第一世代の家光のような女性性の否定や苦悩は存在していないように見えるのだ。にもかかわらず、「将軍といえども閨で大奥の男たちをその気にさせなければ始まらないのであるから、可愛くなくてはいけない」という父の教えが、生涯にわたって家綱に影を落とす。この世界では、最高権力者自身が「生む性」であり、血統の持続のために生むことを要求される。閨というもっとも私的な空間で「欲望される客体」であることが、最高権力者・家綱を傷つけ続けるのだ。母となったときに権力者へとテイクオフしていった家光に対し、母になることに失敗した家綱は生涯、「欲望される客体」であることから逃れられず、権力者へのテイクオフに失敗する。「もっとも私的なことがもっとも政治的なこと」とは、フーコー以降、ジェンダー系研究のドグマみたいなものだが、「家綱」という問題系は驚くべきやり方でこのドグマを血肉化されたドラマとして展開していて、閨という私的空間と政治との連関をつきつける。権力とは、つまるところ多くの女を自由にできるということとイコールなのか。権力の根幹には、逃れがたい自然が潜んでいるのか。
ジェンダー研究がしばしばテクスト上の思弁的空中戦に感じられてしまうのに対し、マンガである本作では、具体的登場人物によって思考は肉化され、登場人物たちは逃れがたい問題系をその身体で生きる。大奥という極端な舞台に、男女逆転という馬鹿馬鹿しいまでの捻れをかけることで本作は、身体と政治とのつながりを、社会科学に可能な深度を超えて問いつめることに成功しているように見えるのだ。また本作では、鎖国といった史実が、男女逆転した世界の論理に見事に組み込まれた形で生じていく。その史実の料理の仕方が実に高度である。この第5巻で著者がどのように料理するのかが楽しみになってくるのは、生類憐れみの令及び赤穂事件であるが、ネタバレを避けて一言言及しておくと、その出来映えは、「生類憐れみの令とは本当にそういう理由で起こったものなのではないか」などと一瞬思ってしまうほどであった。
まずエンターテイメントとして素晴らしく、そして読者を深く考えさせもする。『大奥』は、私にとって、マンガのある国に生まれてよかったと心の底から思わせてくれる現在進行形のマンガ作品のなかでも、その筆頭なのである。