紙の本
時を超えて
2010/05/29 20:51
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
マレー蘭印紀行 金子光晴 中公文庫
作者は詩人です。高校生の頃に詩集を読むことでお世話になりました。心が折れそうな思春期を支えてくれたのは、彼をはじめとした萩原朔太郎、室生犀星、村野四郎氏らの詩でした。作者は反戦・反骨精神(権力にさからう)の詩人で、息子を兵隊に行かせないために、息子を寒い屋外に放置して、わざと風邪をひかせて病気にしたというエピソードを覚えています。また、貧しかったという記録を読んだこともあります。そして、愛知県出身ということは、最近になって知りました。
本作品は、今から80年ぐらい前にマレーシア・シンガポールなどを作者が旅行したときの様子を書きとめたものです。読書は当時へのタイムトラベルになります。
紀行文とはいえ、記述は「詩」です。自然の描写、光と影の交錯、昆虫やコウモリ、鳥たちを素材として作者独特の文字表現が続きます。彼の詩作の起源が、マレーシアの土地にあります。ゴム園をはじめとした自然観察の視点は神秘的です。暗い中に光るものが見える。作者自身がかかえている世界がこちらにも伝わってきます。その頃の人類は、大自然を破壊するまでの科学力をもちあわせていませんでした。自然のふところで人類は生息していました。
日記が紀行文へと変化しているのでしょう。4歳のこどもを日本に残して、5年間の旅に出ています。旅の動機は語られていません。目的地はあるようですが、目的ははっきりしません。ゴム、混血、ベンガル、琉球、古い単語の羅列(られつ)があります。
旅先の会話で使用する言語はどうしたのだろうか。通訳がいたとは思えません。マレーシア語というものがあるのかどうかは知りません。タガログ語、英語だろうか。
内容と文の量に物足りなさはあるものの、読んでいると旅に出たいという郷愁にかられます。
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ジャカルタに行く際に読んだ。最初はとっつきにくい印象だったが、次第にそれも慣れてきた。戦前のマレー半島、蘭印地域の熱帯特有の蒸し暑さを含んだ熱気が文章から感じられ、それと同時に、今日の飛行機を使った旅と金子の時代のゆったりした時代の違いや決して変わらないものを見つめる機会になった。上質の紀行文と言える。
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こんなに美しく格調高い紀行モノはないだろう。
詩のように、風景を正確に描写することができるなんて、彼以外の誰にもきっとできない。
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「どくろ杯」などで著名な、金子光晴のアジアを
旅行した際に感じたことや、風景などを
独特の世界観で語っています。
本書の中に出てくるマレーシアの部分で
「バトゥパハの日本人倶楽部」というところに滞在した際の
記述に「ゆったりとした独特の時の流れ」の記述が
実際に現地を旅した私にとっては正に言い得ているなという
感じだった。
他にも彼の独特の視点で描かれたディープなアジアが
見えてくるはずです☆
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僕らは滅ぼされてゆくものたちに、もっともっと眼を向けなければならないのだ。旅の途上の一時の休息地であれ、共に住むものであるのなら、なおさらのことだ。
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金子光晴のこの本に憧れて、タイからペナンまで列車に乗り、シンガポールまではバスで旅行した。
さすがに詩人であるだけに金子の文章は美しい。25年前のマレー半島はすでに詩人が見た風景とは異なっていたが
それでも行間から伝わる空気は同様であった。
またもう一度バックパックにこの文庫本を持ってマレー半島を訪れてみたいものだ。
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まだ未読。
NHKの「私が選ぶこの1冊」でナレーターさんが文章を読んでくれていて
その文章の美しさに感動した一冊。
ぜひ目でも堪能したいと思った。
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昭和初期の南国マレーシアの湿度をたっぷりと含んだ情景をまるで静謐な水墨画で描き上げたかのような旅行記。 旅行記と言っても、本人がほとんど登場しない。 熱帯林、ゴム農園、椰子の木や人食い鰐、マラリア蚊、蝙蝠と女衒たち。まだ未開の地での血生臭いマレーシアの人々の暮らしも、金子光晴は美しい日本語でただ見たままに書き残している。 この間読んだ夏目漱石の『草枕』にとても似ている気がした。 どちらも旅をしながら目に映る自然のあるがままの姿を美しい日本語で絵を描くように綴っている。
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一番最初にこの本が出た昭和初期には、マレーなんて日本人にとっては未開の地だったろうから、相当に刺激的な内容だったに違いない。21世紀の現代で読んでも、当時はそんな生活をしていたのか、と思うから。
土人は、おのれが土で作られたものと信じている。
夜が来ると森は、人も世界も溺らせ、太陽よりも深く、大きく、全身をゆさぶってざわきはじめるのであった。
馬来人ほど余韻のない人間はいませんね。
馬来人をかたるものは、彼らを蓄積心のない遊惰な民だという。
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昭和のはじめのマレー半島,シンガポール,ジャワ,スマトラの紀行.「考える人」 2011年 02月号 の特集をみて読みたくなる.
正直かなりきつい読書だった.はじめから詩人特有の凝った文章や言い回しが続き,そのなかに難読漢字がしばしば現れる.自然や風土の描写が延々と続く中,人間は散歩をしたり人の話を聞いたりするだけで,心情を表す言葉はいっさい出てこない.あとがきを読むとそれが詩人の意図するところだったらしい.それがようやく変わるのはジャワの章で,それ以後は人間を感じることができる.感想しか書いていない紀行も困ったもだけど,逆に,何を見て,どう感じ,どう行動したかがない紀行も私には物足りない.
この凝った文章自体を楽しめる人にはいいだろう.私のような詩心のない人間にはちょっと無理だった.
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近代日本を疎外し、また疎外され続けた一人のろくでなしの詩人が、モロモロの理由(妻を愛人に会わせたくない、とか)で、ほとんど無銭状態で、日本を飛び出し流浪の旅を続ける様を描いた「旅行記」。
などと書くと私小説じみたバカバカしい自己愛が描かれているかと言えば、全然そんなことなくて、ただ淡々と、美しく静かな言葉がつづられるのみ。まるでマレー半島の自然そのままに。
いろんな場所で引用されてるけど、少しも古びないこの言葉たち。
「迂曲転回していく私の舟は、まったく、植物と水との階段をあがって、その世界のはてに没入してゆくのかとあやしまれた。私は舟の簀に仰向けに寝た。さらに抵抗なく、さらにふかく、阿片のように、死のように、未知に吸いこまれてゆく私自らを感じた。そのはてが遂に、一つの点にまで狭まってゆくごとく思われてならなかった。ふと、それは、昨夜の木菟の目をおもわせた。おもえば、南方の天然は、なべて、ねこどりの眼のごとくまたゝきをしない。そして、その眼は、ひろがって、どこまでも、圧迫してくる。人を深淵に追い込んでくる。
たとえ、明るくても、軽くても、ときには染料のように色鮮やかでも、それは嘘である。みんな、嘘である。」
嘘なのは「南方の自然」だけなのか?そんなことはないだろ。
どれだけ逃げても追ってくる「(近代的)自己」とやらから徹底的に逃げ出そうと試み、それでも残ってしまうなにものかをそっと掬い出してしまうこと。
そして、そこにある深い絶望とそれに静かに寄り添うことしかできない無力なひとりの詩人。
「人間」のふりをしてるだけで精一杯な者のみが抱える切実な美しさがやっぱり泣けます。
これを読むといつも、まだまだ絶望が足りない、と打ちのめされます。
もっともっと眩暈がするような絶望を。そして美しさを。愛を。
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「ねむれ巴里」の続編は「西ひがし」なのだが、よく判らず本書を手にする。しかし、この段階で本書を読んだのは良かったと思う。冷徹で透明度の高い文章は第3楽章の趣。
「ねむれ巴里」の始まりでは、三千代夫人をパリに送った後、自身はシンガポール、マレー、スマトラなどを金策のため旅したとある。徒歩で細道を超えたり、原野でスコールに会いずぶぬれになったり、ジャングルを刳木舟でのぼっていったとある。しかし、この段は至極あっさり。どんな旅だったんだと思う。その事情が判るのが本書。
弛まぬ川の流れ、凶暴な相を見せる植物、溢れかえる陽光、突然の驟雨、闇に蠢く野獣たちの気配。著者はこの豊潤さの中で空虚を見ている。
幾らでも引用したくなる切れ味鋭い文書が続く。著者自身の事情についての記述は殆ど無く、ろくでもない知人達は登場しない一人旅は、前2作と印象がかなり異なる。単独でも十分読み応えある純粋な紀行文。スラスラと文章を堪能しながらの読書ができた。
後半は炎天の下、鉄鉱石を拾う痩せ老いた中国人苦力や売られて奥地へ進んでいく女性達の姿が描かれる。
悲しき亜熱帯なんて詰らない冗談が頭に浮かぶ。
爪哇(ジャワ)の段では、三千代夫人も登場する。Mとして表記されている。時系列で並べられた紀行ではないわけだ。
さて、この後は「西ひがし」に取りかかろう。
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シンガポールからマレーシアに旅することになり、その道中のお供にと購入。同時期に購入した「深夜特急」と交互に読んでいたが、これは戦前に書かれたものなのに、「深夜ー」と似たような放浪記であり、ついでに言うと「深夜ー」にもこの本の記述が出てきたりと、なんだか不思議なつながりを発見。古今東西、旅するということは、人間にとって何らかの魅力のある行為なのだなあと実感。
この本ではマレー半島のプランテーション農園にまつわる話がけっこう出てくるが、実際旅してみると、その風景が、今も変わらず広がっていて、感慨深かった。旅の気分にちょっと深みが出る一冊。
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@yonda4
この本のように、読んでいて臭気を感じたことはない。
活字を読んでいるのに、臭いがしてくる。
昭和初期に著者がマレー半島を旅する紀行文。
ぜひ、ご一読を!
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マレーシア・シンガポール・インドネシア。現代の区分けだとこうだが、まだそうではなかったころ。
南洋の風土が、数百年の華僑の侵食を経て、帝国主義に蹂躙、腑分けされる。
島原の女性たちの足跡もあり。
物悲しくも色とりどりで美しい描写。褪せないはずだが、今からは想像するしかない。