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植草甚一WORKS2 ヒッチコック、ヒューストンら監督たちについて
著者 植草甚一 (著)
「北北西に進路を取れ」を見たあとで、これは「三十九夜」と「海外特派員」とをつき混ぜたもので、新手は使っていないと友人の一人が言った。この印象は前半において正しいが後半にお...
植草甚一WORKS2 ヒッチコック、ヒューストンら監督たちについて
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植草甚一WORKS 2 ヒッチコック、ヒューストンら監督たちについて (SCREEN Library)
商品説明
「北北西に進路を取れ」を見たあとで、これは「三十九夜」と「海外特派員」とをつき混ぜたもので、新手は使っていないと友人の一人が言った。この印象は前半において正しいが後半において誤っている。「海外特派員」はジョエル・マクリーの新聞記者が、白昼の殺人を目撃し、事件の謎を解くためアメリカからオランダまで行くように、一地点から地理的に主人公と事件が移行していくコンストラクションの点で「三十九夜」のヴァリエーションなのである。そして「北北西に進路を取れ」を見ていると、いままで使った手法を背景を変えただけで面白く見せている印象をあたえるが、全体としての新手をヒッチコックはこの映画で試みているのである(『ヒッチコック総決算「北北西に進路を取れ」』より)
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紙の本
植草甚一が生きていたら、このような本をつくらせなかったのではないかと思う
2010/01/17 19:33
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
キング・ヴィダー論があるので読んでみた。植草甚一は以前、単行本でかなり読んでしまったが、最初に読んだのは、まだ彼がそれほどの人気はなかったろう1960年代、映画雑誌のなかでだった。
たぶん『映画の友』連載の評論で、ベルイマンの『野いちご』評や、ジードの『パリュード』などにふれた言葉が妙に記憶に残っている。面白い文章なので単行本に収録されていると思うが、70年代になって何冊も植草本を続けて読んだとき、そういうことが頭にあったかどうかも忘れてしまった。ともかく、植草甚一自体をもうずっと読んではいない。
ところで本書は、1950年代を中心に『スクリーン』(刊行元から発行されている雑誌)に執筆したものを集めたものだが、これまでの単行本には収録されていないものが多いのだろう。晶文社刊〈植草甚一スクラップ・ブック〉の担当編集者の能力を信ずるとすれば、面白かったら収録されていたはずである。残念ながら本書収録の映画監督論には、つまらないものが多い。
特に目当ての「映画芸術家研究 キング・ヴィダー物語」は海外資料を参考にしただけらしい初期ヴィダーの軽い伝記風よみもので、しかも連載2回だけで終わっており、新しい本に収録する価値があるとは思えない。
この本のなかで面白いのは「ウィリアム・ワイラーと話した五分間」である。来日したウィリアム・ワイラーに植草甚一が英語で話しかけて通じない。
順番に並び、植草の番のところで簡単な挨拶のあと、「あなたにお会い出来るなんて夢にも思いませんでした」(〔ルビで〕アイ・ネヴァー・ソウト・アイ・クッド・シー・ユー)と言う。ワイラーは《ちょっと頭をかしげて、かがみ込みながら『えっ』といったような顔をする。》だが著者がもう一度、元気を出して同じことを言うと、《今度は分ったとみえ、すぐ、『スプレンディッド!』と大きな声をだして、笑顔を》見せる。
パーティーの会場で植草甚一は、もう一度ワイラーに話しかける。
《『ワイラーさん、一つ質問があるんですが』(ミスター・ワイラー・アイ・ハヴ・クエスチョン)と言ってみたが、全然通じない。同じ言葉を、もう一度出来るだけハッキリ発音してみたが、やっぱり通じない。情けなくなったところ、そばにいたパラマウントの外人が『クェスチョン』と言い直してくれたので、どうにか通じた。》
そのあと二人はかなり専門的な映画の話に打ち興ずる。
植草甚一は10代のころから英語のすごい本(たとえば私など、この年になっても歯がたたないヘンリー・ジェイムズの「ジャングルの野獣」など)を読んでいたことをどこかに書いており、読む能力にかけては抜群だと思っていた。
だが単語の発音のせいでアメリカ人とは通じない顛末が、このワイラー論に描かれていて、その意味では面白かった。
だがこのエッセイが単行本では初めてであるのかどうか、そうしたデータが本書にはないので、今までの植草甚一の本を調べないと分からない。ヒッチコックについても、この本には、悪くないエッセイがある。
ワイラーやヒッチコックについての比較的面白いエッセイは、すでに〈植草甚一スクラップ・ブック〉に収録済みかもしれない。だがそうした面白いエッセイがあったからといって、この新刊を評価できない理由はいくつもある。第一に、前述したように単行本収録は初めてであるかどうかなどのデータがない。第二に、本文の記述とあまり関係のないスチール写真は、意味がない。第三に、『ぼくの採点表』と対照的だが、ページの余白が多すぎる。
各評論の末尾に、初出の雑誌発行年月が載っているので、かろうじて救われている。
本書を刊行した出版社は、自社の雑誌に延々と続いた双葉十三郎の連載「ぼくの採点表」の単行本化を、かつて自社ではできなかった。
すぐれた編集者の努力によって、双葉十三郎の膨大な映画評(『スクリーン』以外に載ったものも含む)は理想的なかたちで分厚い何冊かの本になって、現在手にすることができる。
残念な言い方になるが、本書をざっと読むだけで、『ぼくの採点表』を自社刊行できなかったことが、よく分かる。