縮尻鏡三郎 首を斬られにきたの御番所
著者 佐藤雅美
失脚して縮尻(しくじり)御家人となった拝郷鏡三郎は、いまは「大番屋」の元締として大忙し。本日もよろず相談事が持ち込まれる。役人の言葉に逆上して「ここで餓死させていただく」...
縮尻鏡三郎 首を斬られにきたの御番所
商品説明
失脚して縮尻(しくじり)御家人となった拝郷鏡三郎は、いまは「大番屋」の元締として大忙し。本日もよろず相談事が持ち込まれる。役人の言葉に逆上して「ここで餓死させていただく」と坐り込む男あれば、ぐうたらな娘婿は評定所に呼び出される。趣味の陸釣りに出かければ、手に釣竿を握った奇妙な土左衛門の話を聞かされる。表題作ほか「天に口無し」「護持院ガ原逢魔が時の大捕り物」「舞う桜」「吝嗇之助は吝嗇之助」「妲己のおせん」等を収録、好評シリーズ第二弾。
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父離れ、娘離れは一筋縄では行かない
2011/07/31 10:12
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初に野布袋の丸を握った土左衛門の話が出てくるので、知ってる人は、「これは幸田露伴の『幻談』だ」と思うだろう。露伴の小説では土左衛門の正体はわからないが、縮尻鏡三郎は南町奉行所の定廻り同心黒田幸兵衛や北の臨時廻り同心梶川三郎兵衛や岡っ引きの勘八たちとのチームワークで土左衛門の正体を突き止める。そして背後にあった事件の真相も。
「せんみつ」が真相解明の鍵となったのだが、「せんみつ」という言葉を、私は、テレビ朝日の刑事ドラマ「相棒」で覚えていたので、それがこの小説にも出てきたのがうれしいやら、たのしいやら。
梶川三郎兵衛と、北の御番所に「首を斬られにきた」羽鳥誠十郎が、縮尻鏡三郎の飲み仲間になった。そこに娘知穂の婿の三九郎も加わって、三枝能登守から御裾分けされた料理切手で八百善の料理を食べきれないほど食べたうえ、たくさんのおみやげの料理と、御釣りに二十両まで渡されてしまった。後でこの料理切手は間違えて贈られたものだったことがわかるのだが。
ところで娘婿の三九郎、人が良過ぎ脇が甘過ぎで次から次へとトラブルに巻き込まれ、あわや御扶持召し放ちの危機に。知穂はもう三九郎を見放して手習い塾の師匠を始め、その才能を認められて時習堂という大きな塾の女座の師匠にヘッドハンティングされ、生き生きと働いている。三九郎が小伝馬町の揚り屋に入れられても、着替えを下男に届けさせるだけで心配もしない。
縮尻鏡三郎は、時習堂の男座の師匠の鞠川秀之進が白皙長身で博識だと知るや、たちまち心配と妄想のとりこになり、知穂と秀之進がくちづけを交わす夢まで見てしまう。
うーん。そりゃあまあ、三九郎は、ふっくらしていて動きも鈍くなまえも野暮ったく、同性として友達としてはいいやつだが異性にもてるとは縮尻鏡三郎にも思えず、知穂だってもともと三九郎を気のおけない友達とは思っていても恋人とは思っていなかったのを、鏡三郎が抑えつけるようにして結婚させた、という経緯があるからね……。
間違えて贈られた料理切手がきっかけになって、今をときめく老中山野越前守が瀟洒な庭のある屋敷で縮尻鏡三郎と対面する。山野越前守はハンサムで頭が切れて、こすっからいところがない。それはいいのだが、鏡三郎の縮尻の原因になった大坂出張の話をむしかえしてくる。山野越前守が大坂城代だったときに、実弟が城主になっている越後のさる藩が起こした問題だったからだ。なまえといい、弟のことといい、山野越前守のモデルは水野越前守に違いない。
山野越前守は話の終わりに、事と次第によっては鏡三郎とその元上司の三枝能登守とを倒すつもりでいたことを打ち明ける。そして、鏡三郎がおりんと暮らしていることも調べ上げてあることを、粋なはからいでさらっとわからせる。油断も隙もない。佐藤雅美描く山野越前守は、いかにも水野越前守はこういう人だっただろうというイメージに合っている。
縮尻鏡三郎は、知穂がいつまでも父上と一緒に暮らしていたいと言っていたのに、自分がおりんと再婚するために婿をとらせてしまった、すまない、と思っているのかな。鏡三郎がおりんにあれこれ言いわけをして赤提灯やももんじ屋などに行くのも、知穂が仕事が忙しいからと帰りに一膳飯屋に寄って三九郎を放ったらかしにするのも、父娘とも意識していないが、深層心理ではつながっているんじゃないかしら。
つい、えせカウンセラー的な読み方をしてしまった。
脇の甘い婿・三九郎が妻を苛立たせ、鏡三郎の頭を悩ませる
2009/12/02 19:43
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
「縮尻鏡三郎」シリーズ第二弾。
各話の物語は独立しているが、時間の流れがつながっている連作短編小説。
前作「縮尻鏡三郎」では、鏡三郎の『長崎会所五冊物』の解読を発端として、長崎貿易収支減少の原因を探り出してきた鏡三が、地借りしている津田織部の次男・三九郎を娘・知穂の婿に迎えたあと、自身は隠居して引合茶屋・矢車屋のおりんと所帯を持ち、大番屋の元締めに戻ったところまでを描いていた。
「縮尻鏡三郎」はシリーズものだから、鏡三郎を取り巻く状況はこの続きから始まる。
「首を斬られにきたの御番所」は前作のように、長崎貿易収支減少の探索とその解決による完結という明確な流れはないものの、娘夫婦の不仲が鏡三郎の心配の種であり、この問題が本作品を貫く大きな流れだと思う。
もともと知穂は三九郎のことを『ぼんくら』呼ばわりしており、所帯を持ってからも亭主の事を『三九郎』と呼び捨てにする。
三九郎は過去の鏡三郎がしたように、習い事や顔を知ってもらうための挨拶回りなどの就職活動はほとんどせず、鏡三郎の大番屋に顔を出したり、道場に通うだけであり、しかも粗忽者。
本作中の『舞う桜』では、そんな三九郎の粗忽ぶりが描かれており、知穂との仲はますます悪くなるばかり。
知穂は自分が稼がねばと手習塾を始めていたが、大手手習い塾の女座を任されることになってから、元々そこの手習い塾を開き男座を担当している男前で博識の菊川秀之進と知り合い始めると生き生きとしだした。
最終話『春を呼び込むか、百日の押込』で、三九郎はまたまた事件に巻き込まれることになり、知穂は『あんなぼんくらとはいつまでも一緒にいても仕方がない』といい、鏡三郎に三九郎と別れて一人で暮らすと言う。
この最終話は、三九郎を巻き込んだ事件の解明が中心で、それに加えて大きな流れである鏡三郎の心配事に、希望の光を射す状況を描いている。
読む前には一見意味不明な『春を呼び込むか、百日の押込』というタイトルは、読み終えてそういうことかと納得させられる。
第一弾「縮尻鏡三郎」もそうだったが、一つの話の中にまったく違う出来事が描かれ、それが話が進むにつれて一つのことに結びついていく様子は読んでいて気持ちよく、特に『いまどき流行らぬ忠義の臣』は、二つの出来事と鏡三郎が縮尻御家人となった大阪無尽調査の件と絡めてあり、とても爽快だった。