紙の本
城山三郎、応答せよ!
2008/06/23 11:46
14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
個人的な話だが、会社を辞めた。会社員として働いていたときは、あれもしたい、これもしたいと思っていたことが、実際目の前に大きな時間の塊となってあらわれると、そのあまりの大きさに茫然となっているというのが正直なところだ。組織に所属していた時に望んでいたものは何だったのだろう。なぜ、前に出ることができないのか。見上げれば天さえも望めない圧倒的な壁の前で足をすくませている。そんな自身が疎ましい。そのような時に、城山三郎氏のエッセイ集『無所属の時間で生きる』という書名が目にとまった。
「無所属の時間」とは、「どこにも属さない一人の人間として過ご」す時間のことだが、城山氏はその時間を「人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間」と書く。城山氏がこのエッセイを書いたのが七〇歳の頃、氏の人生においての晩年に位置する(氏は二〇〇七年の三月に逝去)。その人生の多くを組織に所属しないで生きた作家人生だが、それは氏が邂逅した多くの経済人の生き様を通して到達したひとつの境地であったものと思われる。
但し、このエッセイに書かれた多くのことは、いまだ無常の世界でない。氏の地元茅ヶ崎のことを書いても、恩師との交流を描いても、日常の些細な事柄を描写しても、文章は生真面目であり、すっくと背筋が伸びている。これは氏が持ち続けた個性にほかならない。おそらくそのような生き方そのものは窮屈であったかもしれないが、氏の真摯な姿勢は、「無所属の時間」をもった多くの人たちにとって(もちろん、その中には書評子自身もはいるのだが)、ひとつの大きな指針になるような気がする。
読んでいてうれしかったのは「アラスカに果てた男たち」と題するエッセイの中に「星野道夫」の名前を見つけた時だ。アラスカの写真を撮り続けた(そして、何よりも上質な文章を書き続けた)星野について、城山氏は「ごく親しい人のことのように」と書く。氏と星野の間に交流があったのかは知らないが、なんという優しい表現だろう。氏が描いた経済と星野が表現しようとした自然。まるで合致しない世界でありながら、氏は同じ地平に立っている。そして、星野の世界もまた「無所属の時間」であったという。そうなのだ。「無所属の時間」とは、立ちはだかる壁ではなく、目の前に広がる豊沃な大地なのだ。まずは歩きだせ。
紙の本
50代が近づき手に取った一冊
2023/03/04 16:58
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投稿者:こぶーふ - この投稿者のレビュー一覧を見る
人生後半の生き方が書かれれているエッセイです。サラリーマン経験はない城山さんですが、サラリーマン含め、ビジネスパーソンの心の機微とでもいうべき諸々が、この本でも描かれているかと思います。
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城山三郎。品格ある日本人。読んだ後、とても上質なコーヒを飲んだ後の感覚。とても自然体に、求めない生き方、自然体の生き方。もっと城山三郎の本をまた読みたくなった。「この日、この空、この私」といった気持ちで行きたくなったという、その一節、同感できた。自然体に生きる重要性が日増しに強くなってきた。相手に「求めない」も同じであろう。
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無所属であるということは、自分を直に見つめる機会にあるということである。
いかに生き、いかに精神的な満足(あるいは不満足じゃない)を得られるのか…
作家となり数十年来、無所属であることを節目節目で振り返る。
三十代、四十代、五十代、六十代…
一日の中でも自分の時間をいかに生きるかで、それは大きく変わるのだから。
“ほぼ完全な無所属の時間の中に、同じように居てどう生きたか、自分をどう生かしたか。
その差がはっきり顔つきに出てくる”
のだから、それはとても怖いものだ、とも著者は言う。
“この日、この空、この私”
一日一快、その日生きたと思えるような、そんな生き方ができればよいのだろう。
自己を客観的に見つめ、真っ当な組織社会との接点に己の生き様を映し出そうとする、
そんな珠玉のエッセイだ。
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昨年他界された城山爺さんによる、生き方にまつわるエッセイ集。流れるように読みやすくも刺さる文体は、読んでいて心地よい。けれど、まるで自分の父親の話を聞いているよう、というのも2~3歳程しか違わないから、かもしれない。
渋沢栄一をモデルにした小説や石田禮助についてのノンフィクション等、氏のいわゆる経済小説なるものは、学生の頃には結構読んでいた。でも年を経ていわゆる「偉人伝」よりも「市井の名もなき人々の物語」の方に興味が移ってきたからか、氏の本からは遠ざかっていた。追悼の意味で読んだけれど、心地よすぎて実は何も残らないことが分かった(笑)。まー私のまわりには、自分も含めて結構「無所属な人」が多かったりするので(笑)、参考まで。(←何の?)
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無所属でいるには、よりいっそう、核として、行動のよりどころとして、自分という軸がしっかりしていなくてはならないのかもと思った。
城山さんの尊敬する人物や偉人のエピソードがおもしろい。
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故城山三郎氏は私の好きな作家の一人である。氏が描く男はどれも漢であり格好いいのだ。
本書は、城山氏自身が「無所属」というキーワードを軸に書き溜めたエッセイである。城山氏は約10年間の大学教員時代以外はフリーの経済作家として、いわば社会的に無所属の立場で過ごされてきた方である。
本書にて城山氏の造語が二つ、紹介されていた。
ひとつは「一日一快」。一日にひとつでも、爽快だ、愉快だと思えることがあれば、「この日、この私は、生きた」と自ら慰めることが出来るということである。私も仕事などで凹み、ぐったりして帰宅することがあるが、そんなときに道端に咲く花が素敵だったり夕焼けが綺麗だったりすると、爽快に感じて疲れを忘れることがある。
もうひとつは「珊瑚の時間」。一日を振り返って、どう見ても快いことがない場合の奥の手という位置付けである。晩餐後に短時間でもよいから寝そべって好きな本を読み、眠りに落ちていくというものであり、私も実践している。「今日は何ひとつ良いことがなかった、何をやっても上手くいかなかった」という日でも好きな本を読んだり、DVDを観賞したりしながら酒を飲むという至福の時を過ごすことがある。今後、私も「珊瑚の時間」と呼ぼう。
本書で手に取ることの出来る城山氏の人柄の温かさは、生き馬の目を抜くような経済小説を書いてきたとは思えないほどである。読んでいてホッと心温まる内容だった。今度、久しぶりに城山氏の経済小説を読んでみよう。
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毎朝、所属する時間に向かう通勤時間で読む「無所属の時間」。。
結構しんみりするときも、
スイッチ入ってみるときも、
所属する時間には裏切られたりもするけれど、
自分自身である時間を作ってみようと思う、一冊でした。
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城山三郎の生き方がゆっくり、じっくり伝わってきました。
「この日、この空、この私」
毎日を大切に生きていきましょう!
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このところ城山三郎のエッセイを、手に取る機会が続く。
「無所属の時間」とは、まさに読書子の現状にピッタリと、15年ぶりに再読。
「無所属の時間」とは、どこにも属さず、肩書きのない状態を指すと思うが、著者は「人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間ということではないだろうか」と、積極的に捉えている。
著者は、「この日、この空、この私」と所々に綴っている。
人生は考え出せば、悩みだせば、きりがないから上記のような気持ちで生きるしかないのではないか、と。
諦念という意味ではなく、「その一日こそかけがえのない人生の一日であり、その一日以外に人生は無い」「明日のことなど考えずに、今日一日生きている私を大切にしよう」という積極的な意味だとも。
戦争を体験した著者だからこその、言葉だろう。
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何にも縛られない自由な時間をどのように過ごすか。
How to本ではなく、気持ちの持ち方が書かれている。
楽しむことは見聞を広めたり、深めたりすることだと教えてもらった。
そしてこれは、退職者よりもずっと若い、これから社会に出て行く人こそが実践できれば幸せな方向に進むための、道しるべなのかもしれない。
ぼくも同じような立場だから、共感するところが多かった。
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一日一日を私はどのように過ごしたいのか考えるいいきっかけをもらった。変わりない毎日を送っていると思い込んでるけど、実は一日一日違うんだよなあ。いろんなことを私は見過ごしているような気がする。
一日に一つでも愉快だと思えることがあれば、この日私は生きたと思える。もしどうしても愉快なことがひとつもなければ、奥の手がある。寝る前に好きな本を読んで眠りにつくのだ。この『一日一快』の考え方に気持ちが楽になった。人生もっと楽しまないと♪
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お叱りの手紙
日帰りの悔い
その空白の一日、石坂は二百とか三百とかの肩書をふるい落とし、どこにも関係のない、どこにも属さない一人の人間として過ごした。~おそらく、それが人間をよみがえらせるきっかけの時間となるからであろう。
永井龍男さんは~とくに短編に名作が多く、「青梅雨」などは、日本の短編ベスト・スリーにでも 入れたいほど。
子猫とナポレオン
慶弔積立金
ヴェネツィアと黒衣
組織を超え、光の中へ
砲兵中佐渡辺康夫の死、享年わずか三十。
自分を見物する心
東京での一日
一日四分割法
「眠るのにも体力が要る。その体力がなくなったということですよ」
私は深夜のこの時間を「神授の時間」あるいは「真珠の時間」と呼んでいる。
作者は一日を大きく4つにわけ 語呂合わせで 真珠の時間 黄金の時間 銀の時間 珊瑚の時間 と呼んでいる。
途方もない夢
熱い拍手
どん尻が一番
渡世の掟
いまの世の仙人たち
にがい笑い
パートナー志願
ハッダと冷麦
箱根の夜は更けて
旅さまざま
三十代最後の年には
無所属の身である以上、ふだんは話相手もなければ、叱られたり、励まされたりすることもないので、絶えず自分で自分を監視し、自分に激をとばし、自分に声を掛ける他はない。
この日、この空、この私
自分だけの、自分なりに納得した人生 それ以上に望むところはないはずだ。
人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。
四十代最後の年に
ハート・トラブル
冬を送り出す
「例年なんてものはない。一年一年がちがうものなんだ」
四十代最後の年に(続)
その四十代の果てに、「毎日が日曜日」を書いた。
人間の奥行き
孜孜営営
五十代半ばにて
この親友の名は、伊藤肇。
アラスカに果てた男たち
クリス
星野道夫
人生、当たり外れ
六十代をふり返る
湘南、二十四時
ある朝、東京で
孫の来る家
楽しみを求めて
定住意向
あとがき
つまり、これは私の造語なのだが「一日一快」でよし、としなければ。
解説 高杉 良
あとがきによれば、執筆(連載)は「一冊の本」(朝日新聞社のPR誌)1996年4月号~1999年3月号。著者69歳から72歳までの晩年の作品。内容は実に若々しい。
11月16日から12月5日にかけ、毎日一、二編くらいを読み続けて読了。また読みたくなると思う。
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■時間
A.4 つの時間
・真珠の時間:仕事のアイディアを練る、深夜の時間
・黄金の時間:仕事上のゴールデン・アワーとなる、9 時頃から1 時過ぎまでの時間
・銀の時間:資料調べや下書きなどをする午後の時間
・珊瑚の時間:新聞や郵便物に目を通したり、仕事とは関係のない本を読んだりする、夕方以降の時間退職後の自由時間の大きさにおびえる人もいるが、こうして分割すると、1 日という単位も相手にしやすい。
B.戦後最大の財界人、石坂泰三は、出張の際、「空白の1 日」を日程に組み込んでいた。そしてその1 日を、どこにも属さない1 人の人間として、ただ風景の中に浸っていたり、散歩したりして過ごした。こうした無所属の時間は、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間といえる。
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無所属の時間の中に成すこともなく置いておかれるのか、無所属の時間でどう生き直すか生を充実させるか、を探ってみたい。
一日の時間帯に名前をつけ、何をして過ごすかを決める。急にでかけることが癖になっている。
作家として、もともと多く持っていた自由時間の過ごし方、参考にさせていただきます。