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「政治家の殺し方」と同じく政治家の自著だが、こちらのほうがナンボか面白い。なぜなら、「悪役」のイメージが定着している小沢一郎の存在を「買っている」からだ。小沢一郎批判なんて、どこにでも転がってる話であって、本で読んでもまったく面白くない。「逆張り」だからこそ読む価値もある。悪評の数々は兎も角として、小沢一郎がなぜ四半世紀にわたって政治のキーパーソンで在り続けたのかという問いを解き明かした論評は何一つとしてない。本書はその秘密の5%くらいを語っているように思う。
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逮捕の話や、彼の考えを知りたいと思って本屋で購入。
ところが逮捕に関する話はゼロで(裁判中ということもあって)、後悔。
小沢事務所での苦労話が中心だが、電話の取り次ぎや、感謝の大切さ、根回し、読書など、大人として身につけておかないといけないことを思い知らさせてくれる。タイトル通り、基本の「雑巾がけ」の心得が詰まっている。そういう観点で読めば得るものも多いかと。
ただ、あまり自分に刺さるような思いが綴られていないので、政治家として応援しようとまでは思えなかった。
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小沢さんを嫌っている人は多い。 というより異種の人間という見方である。 相容れないものがある。 畏怖している。 厚顔である。 批判する人は多い。 しかし、これ程圧力を持った政治家も日本にはいない。
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本書は小沢“刑事被告人”一郎の9年間の秘書を務めた石川知裕が精魂込めて尽くした、我が師小沢一郎の評伝。通常この手の本は、メデイアでは語れない聞くことのない「ヒューマンさ」からホロリとさせられるエピソードがあるもの。田中角栄の評伝なんて、そのオンパレードで鼻白む程。本書にも、小沢からの訓示が紹介されるも、いずれも矛盾・説明の無さ・無愛想さに溢れある意味、表裏のない人物であることを知るも、決して魅力的な人物でないことを改めて実感。いくら目を凝らして読んでも魅力さは、ついぞ出じまい。一体、どこに惹かれ秘書となり、今なお私淑する理由が一向に伝わってこない。談志師匠は「修行とは矛盾なり」と喝破した。にもかかわらず多くの弟子たちは師匠へのオマージュは尽きない。逆説的に言えば、小沢一郎の評価って、接した者の判断に大いに委ねられる人なんだと確信を得た。本人が口下手・無愛想を決め込むため、余計にその傾向大である。良い、素晴らしいと拡大解釈する人は政治被告人になろうが、根強いシンパであり続け小沢神話を信奉する。とにかく小沢一郎ほど謎に包まれた政治家はいない。政治家は官僚出身であろうが、党人派であろうが、当選回数に比例して閣僚や党役員を歴任し統治能力を磨いていく。その流れに棹さすかの如く無任所を貫く。私の記憶では自治大臣と幹事長2回やった程度。政策より政局、「戦勝国のための戦勝国による国連」の真摯さを信じる政治家小沢一郎は、今なお青臭い書生論を吐くが、この国難の状況下では、KY・政治音痴ぶりを感じずにはいられず、僕は「すでにお前は死んでいる」と思うんだけど…。
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大した内容ではないが、小沢一郎のことが分かって、面白い。
例の「山猫」の台詞(「小沢一郎の最終戦争」)は、小沢一郎の使い方が間違っているらしい。若者が年老いた貴族に対して、「変わらなければならない」と説く際の台詞だそうだ。最初、別の本で読んで、変だな〜と思ったので、多分、そうだろう。
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現在、訴追されている石川議員の著書です。小沢一郎の秘書だった人が罪に問われている、という報道を見て、
「きっと小沢一郎のことだからいろいろ裏のお金も動いているんだろうし細かい打ち合わせがあってやったこと(不正な処理)だったんだろう」と思っていましたが、実態は違うようです。
「小沢一郎は特段なんの指示もしない」
「今回、逮捕されたあと、拘留がとけて出所してきたときも何もなし」
「最初に選挙に出て負けた時も何もなし」
「繰り上げ当選で議員になった時も何もなし」
10年以上秘書としてまじかに接した石川氏をして、小沢は「わからない」のだそうです。
とにかく、顔色(文字通り)を読んで先に先に対応を考えていく、それが秘書の仕事、と。
もちろん小沢事務所特有の事情、という側面が強いでしょうが…
これも私には未知の世界、勉強になりました。
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多くの人は「小沢議員の秘書」の本として手に取ったみたいですが、私は無理やり「読まされた」ので、事件の真相もしくは小沢一郎の人となりよりは一種の自己啓発本として読みました。大人は我々若者に①礼節②応用力③アグレシッブさを求めて、それは私たちも痛く感じているのに、どうしてうまくいかないんだろう。どれだけ多くの人に言われても、どれだけ多くの自己啓発本を読んでも、大人が求めているような「若者」になれる気がしない。
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この時代にこんな子弟的な世界があったことに驚かされた。それにしても、政治家ってなんだろう。小沢さんのことを読む限り、ただの既得権益者としか思えないが...
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僅か30ページ程の本書第二部「これから修行をする人へ」は、ビジネスを円滑に進める上で、示唆に富む部分が多い。立ち読みでエッセンスを学びとるのが良いと思われる。
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「今の政治家には雑巾がけが足りない」と繰り返す史上最恐の上司、小沢一郎。その彼に仕えた筆者だからこそ書くことが出来る自身の『修行時代』から得ることの出来た教訓は本当に貴重なものばかりです。
筆者は『小沢部屋』に仕えた政治家として、また『陸山会事件』の被告として現在も裁判で係争中の筆者が綴る書生時代の『修行』のお話です。
大望を抱いて北海道は足寄から東京の早稲田大学に学び、筆者の選んだ就職先は『小沢部屋』こと小沢一郎事務所。そこで筆者が住み込みの秘書として修行生活を始めた筆者を待ち受けていたものはまぁ、理不尽。理不尽。また理不尽のオンパレードで本書をして『史上最恐の上司』と言わしめた小沢一郎に仕えるということはいったいどういうものなのか?そういうことを考えていました。
これと近い生活をしているのは武道における寮生。もしくは内弟子と呼ばれる制度や、職人の世界における徒弟制度を記録したものや当事者の自伝で、過酷な稽古や師匠と行動を四六時中とものにすることによって武道なり仕事なりの『精髄』を学ぶというものであります。ただし、その分の修行が辛く、厳しいものであることは言うまでもありません。
筆者が経験した『雑巾がけ』というのもそれに準じることで、小沢一郎という『試練』をいかに筆者が耐え抜いたのか?そのことを軽快なユーモアを交えながら綴っておりまして、少しクスっとしながらも『自分だったらこれに耐えられるだろうか?』と自問自答しながら読んでおりました。
住まいは小沢邸の中にある一室で四畳エアコンなし、さらには低賃金で朝は5時から起きて庭掃除から始め夜は先輩秘書との飲み会になるため慢性的な睡眠不足となり、さらには頻繁に落とされる理不尽なカミナリ…。これには何の説明もなく、あとから先輩の秘書から『あの時はああだったから』ということを教わるまではまったく何の説明もないというエピソードを読んだときには
「よくここで歯を食いしばっていたよなぁ」
と筆者にエールを送っておりました。
やがて、筆者も選挙の参謀を勤めたり、後輩秘書の上に立ったりと成長を果たし、『小沢部屋』から独立して自分で代議士という『一国一城の主』となっていく姿は希望が持てるもので、いま、筆者の境遇は決してよいものとはいえませんが、ここでの修行の日々を思い出してぜひがんばっていただけたらと、心からそう思っております。
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この本をブクログに登録したのは2013年11月15日ですが、レビューを書いていなかったので、本日(2021年5月22日)、書いておきます。
著者、石川知裕さん。
ウィキペディアによると、
石川 知裕(いしかわ ともひろ、1973年(昭和48年)6月18日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員(3期)。
元衆議院議員とのことで、その在任期間は、2007年3月27日 - 2013年5月21日になります。
したがって、この本を書かれた時は、衆議院議員だったと思われます。
次に、この本の紹介記事を、適当なところから、コピペします。
就職先は「小沢一郎事務所」。憧れの政治家の下で働き始めた著者を待っていたのは、今どき珍しい書生生活だった。住まいは四畳エアコンなし、低賃金で睡眠不足、頻繁に落とされる理不尽なカミナリ……この苦行の先には何があったのか。「今の政治家には雑巾がけが足りない」と繰り返す史上最恐の上司、小沢一郎とは何者なのか。過酷な経験をもとに修行生活の意味と独自の「仕える技術」を綴る。
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なかなか面白い。
世間の目は関係ない。どんな時も小沢であるらしい。さすがだな。
小沢さんの秘書なんて絶対にやりたくないけど、こういう人生経験、いいだろうね。
小沢さんは相当にものぐさだけどポイントはしっかり押さえている、つまり要諦を極めているのだろう。
そして民主党の問題は、こういう雑巾がけをしないまま大臣になってしまった議員が多いから政治家というか人間としていけてないのだろう。これは政治家秘書だけでなく他の業種でも言えるのではないだろうか。
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石川代議士は小沢代議士の政治資金規正法違反という無実の罪(元検察官まで特捜部の妄想と言い放った)で起訴され、現在公判中である。そんな著者が下積みの重要さを語っており、特に若者に読んでもらいたい本である。小沢一郎という人は自分の秘書に対し、労をねぎらうとか、褒めるとか、感謝するとかは一切無いうえに厳しく叱ることは度々あるらしい。著者が衆議院選に立候補したいと言っても、秘書の代わりがいないから駄目だといわれるし、逮捕されてから会っても、ねぎらいの言葉一つなし。また他人に対する評価も、以上に高い人あるいは不当に低い人があり理解不能との事。しかし著者は小沢一郎を今でも慕い尊敬している。小沢氏がこの国を普通の国にすることを望みながら。
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政治家に求める理想像なんて人それぞれだろうけど、私は政治家には「人の話を聞き込む能力」を求めたい。政治に何を求めるかなんて、中々実際の声としてあがるものじゃない。それを研ぎ澄ましたアンテナでうまくキャッチし、あとの詳細は政治家自らが耳を傾け、人々の声を拾っていく。それこそまさに理想の政治家だと思う。
振り返って、この本に登場する親分と言われる政治家はどう? 何百億円を集めた「剛腕政治家」って言われても、ピンと来ない。だから何? その集めたお金で、国民はどれだけ幸せになれたの? もし説明できるのなら納得もできるよ。しかし、震災で生活の基盤を奪われ苦しむ、声無き声をもつ岩手の人たち、東北の人たち、そして日本国中の人たちに対し、親分政治家は人々に見える形で何をしたの?
また、私が苦手とする人間は、次の2タイプだ。
1つが、急に機嫌が悪くなって怒り出し、その原因を探ろうにも、何を言ってるのかすらわからず手がつけられないタイプ。
もう1つが、特定の人物には笑顔で愛想よいが、利害に直接つながらない者や関係がない人には、全く正反対の態度を示すタイプ。
そんな人間は少なくとも私の周囲にいてほしくないし、間違っても政治家になってほしくない。そんな人間が不特定多数の人々の幸福を集約し最大化するような緻密で繊細な仕事ができるわけないから。日本経済や社会が右肩上がりの時代、イケイケドンドンの政治家が幅を利かせていたから、今も幻想があるかもしれないけど。震災を経た今、そんなタイプの政治家が復興に役立たないどころか、足を引っ張るだけってみんなわかってきたはず。
私も「雑巾がけ」の重要さはわかってるつもり。だからいくら雑用の日々でも、そこから日本を底で支える国民の声を聞き取る力が身に付き、国民の幸せにつなげるような発想や視点が得られたのなら、そういう政治家養成システムは外見上がいくら前近代的でも、支持したいと思っていた。
でも本書では、運動部で下級生時代シゴキを受けたOBが「あのときはツラかったけど、今となっては楽しい思い出だよ」とか飲み屋でしゃべってるのと同じ構図が見られただけ。苦労した事実だけで満足してしまい、その苦労の要因を分析し、改善し、自分が政治家になったときには、もっと有効に人の役に立てるようなしくみづくりにつなげたい、という視点が読めない。結局「自分はこんなにがんばりましたよ」的告白本なの、とも言いたくなるような、ちょっとガッカリな読後感でした。
私と同様ガッカリした方には、これも岩手県が舞台の「村長ありき―沢内村 深沢晟雄の生涯(及川和男著)」をお勧めします。カネと権力と威光ではなく、人柄によって、いかに政治家が人を集め政策を実行できるかがわかります。
(2012/8/22)