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投稿者:kawakami - この投稿者のレビュー一覧を見る
書いてあることがすべての本はよくありますが、そこから何かが拡がっていく本です。読み取るところによって、その「何か」は違うと思いますが、私にとってはインスパイアされた本でした。
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新しい市場のつくりかた: 三宅 秀道 4492522050
# ポイント
- 文化振興財団的企業
- 未利用資源の活用
- 枯れた技術の水平思考
- 器用仕事(ブリコラージュ)とセレンディピティとアブダクション
- 「現場主義」はロケーションの問題ではない。自分なりの働きかけで世界から自分にしか取って来られない情報を取ってくること。
- 社会の消費者の誰かの暮らしのどこかにどう自社資源の恵みをはめ込むか?
- 「家元」の優位性→最初に文化・ライフスタイルを確立した主体の先行優位性、ゲームのルールを決める側
- 社会に対してオープンな組織→社会がすなわち商品開発組織
- 「未名」の対象…まだ名前がついていない→未規定性そのもの、偶有性を受け入れる器→プロトタイプでコミュニケーション
# 抜粋
> 水泳帽メーカーである磯部商店が、単に水泳帽というものを提供するだけではなく、それをどのように使えば便利かというノウハウ、それを使った成果をどのように評価するかという価値の尺度までソフトを整備して社会に提供することで、それまではその商品を使う風習がなかった人たちに新しい風習を教え込んだのです。つまり、同社が売ったのは、モノであってモノでなく、水泳帽というモノは代金決済の手段であって、実際には商品は新しいプールライフの形だったのです。
p.102
> 自分と違う考えの人、自分と立場が違う人、自分と違う欲求を持っている人、自分と違う技術や経営資源を持っている人と、他者と他者として真っ向から交流し情報を取ってきてこそ、未整理の混沌の中から良い偶然を必然として発生させることができる。それを社内に持って帰ってきて、取り込んで、新しい市場創造につなげる、そういう生き方が確かにあるのです。
p.350 終章:東浩紀、大澤真幸っぽい
# メモ
企画という行為は、全く理知的ではなく、歴史的偶然に翻弄されるアクシデント。
起業家精神とオーナー経営者。
文化開発。文化は生活習慣と価値観。
新しい文化→新しい市場 ※文化的な差別化
文化開発:問題→技術(実現可能性)→環境(システム)→認知(欲求、導入)
問題:問題発明(生活の論理)+問題発見(生産の論理)
「○○したい」→新しい幸せ(満たされた場合)/新しい不幸せ(満たされなかった場合)
→抑圧、近代化、東京への憧憬、『おら東京さ行ぐだ』的な
制約:技術的/社会的/経済的/文化的
文化的制約:機会
「当たり前」
最終目的、超越的な第三者の審級、宗教、神
コンセプトの正統化→傲慢さ
問いと解のセットで提供 ※iPhone、自作自演
文化振興財団的企業
例:プール →ハコモノ・遊休資産の活用
→シェア(コ・ユース)
スカンク・ワークス=ノアの方舟
設計情報処理システム/設計情報転写論
→アプリオリでウォーターフォールっぽい?
→一層デザインプロセス論が大事?
→一人の担当者に権限と責任を集中させる。
→コミュニケーションコストの削減とスピードアップとコンセプ��の一貫性
作り手(候補)も使い手(候補)もまだ全員が素人の段階、手探り
新しい商品は既存のエコシステムに入ると「軋み」を起こす。
「現場主義」はロケーションの問題ではない。自分なりの働きかけで世界から自分にしか取って来られない情報を取ってくること。
社会の消費者の誰かの暮らしのどこかにどう自社資源の恵みをはめ込むか?
「家元」の優位性→最初に文化・ライフスタイルを確立した主体の先行優位性、ゲームのルールを決める側
社会に対してオープンな組織→社会がすなわち商品開発組織
「潜在ニーズ」は事前決定論 → 「正解」を探す。
→自らの製品を「正解」にする能動的な働きかけが重要。
→野中郁次郎っぽい。個人的信念から普遍的真理への正当化。
「アンテナ」…自分だったらこれはこういうふうに解けるかも、というように、意識が、取りかかろうとする前から無意識に問題を選んでいる。
→問題解決力が問題を開発する。「解けるかも」の領域が拡大するので。
→社会の中で困っている人を見つける。
→共感・なんとかしてあげたい、ジェントルな優しさ
→親切で面倒見がいい、お節介な人柄
→リサーチ向き、具体的課題なしのリサーチ活動
「未名」の対象…まだ名前がついていない
→未規定性そのもの、偶有性を受け入れる器
→プロトタイプでコミュニケーション
# 感想
野中郁次郎、石井淳蔵を連想。
ふだんから考えていることと近かった。
三宅氏の論文は既読だし。
その意味で驚きは無いが、だからこそ大部分に納得できる名著。
- CiNii 論文 - 消費システム整備による商品開発 : 墨田区両国・フットマーク社の事例から http://ci.nii.ac.jp/naid/110004520164
- 「文化開発論」のための概念整理の試み—潜在していたのは「ニーズ」か? http://merc.e.u-tokyo.ac.jp/mmrc/dp/pdf/MMRC296_2010.pdf
『デザイン・ドリブン・イノベーション』にも通じる。 http://booklog.jp/users/zerobase/archives/1/4496048795
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とにかく類書がない。
日本の現代ものづくり産業の閉塞感を、「問題開発」・「文化開発」の視点でえぐりとる。誰もがなんとなく気がついていた問題の本質を、面白い事例をもったいないほど多く交えて、徹底的に語り尽くしている。
元来、商品やサービスの開発とは、より豊かな生活の提案であり、つまりは文化の創造である。ところが、得てして日本のものづくり産業(特に大企業)では、技術にこそ価値があるかのような「技術神話」が蔓延してしまっている。たとえば、「イノベーション」と言った時、それを「技術革新」の意味ばかりで捉えてしまいがちである。
技術開発に明け暮れ、ヒット商品が生み出せないメーカー開発者は、ライフスタイルの中にこそ、真の商品やサービスの価値があるという原点に立ち返るべきではないだろうか。
(感想ここまで、以下私論)
筆者が重視する「文化開発」的なものづくりが、日本でなかなかみられない構造的な要因の一つは、日本の製造業メーカーの多くが最終製品を殆ど持たない部品・材料メーカーで、最終製品を持つのは得てして縦割り組織で巨大な設備投資を行う大企業だという事実だろう。部品・材料メーカーのように最終製品を持たなければ消費者のニーズに直面することはないし、大企業は大きな方針の転換はハイリスクとみなされやりにくい。また彼らが扱う工業製品、ロングテールのニッチを狙いづらいビジネスだ。また、そうしたニッチな役割を担うべきベンチャー企業が日本では育ちにくい社会背景があったことは、多くの人が指摘する通りである。
そして、そうした産業を主な分析の対象とした「経営学」は、主として大きな組織をいかに機能させるかという学問体系である。ピーター・ドラッカーの「マネジメント」が日本で信奉されるのも頷ける。日本の大企業の社長は、より良い暮らしを生み出す担い手というより、優秀なマネージャーとしての資質が求められるのである。そこで生まれる商品群は、とかく技術偏重な商品開発になりがちとなる。
かといって、大きな投資が必要なタイプの工業製品であっても、人間が利用する商品である以上、文化開発は常に重要である。必ずしもオンリーワン技術が必要とは限らない。ウォークマンやiPodなどの例を出すまでもない。これらの製品は、音楽の聞き方や買い方そのものを変革したが、技術自体は既存のものの組み合わせである。人類学者のレヴィ・ストロースに言わせれば、彼が「器用仕事(プリコラージュ)」と呼んだ、「目的に合わせて用途を開発するのではなく、今あるものをどのような用途に活かすかを工夫」ということだろう。
ある技術のコストが一定のしきい値を下回ることにより、既存技術の組み合わせが一気に化けるということがよくある。iPodの成功はPC価格が下がり一人一台になったという社会背景が前提にあったし、iPadはタッチパネルディスプレイの価格破壊、Kinectは赤外線深度センサーの価格破壊が背景にあった。どれも技術的には出来る事が以前から知られていた。
同様の現象はサービス分野にも起きている。高速インターネットが安価になったお陰で、音楽や映画を通信��入手出来るようになったし、高性能なカメラやビデオが一般消費者でも買えるようになり、アマチュアやセミプロのハイクオリティな産業写真(iStockphoto等)や報道コンテンツ(ソーシャルメディア)が生まれている。ただし、これらの現象は、ある程度のレベルの専門性を持ちうるが、必ずしも仕事で活用出来ていない人達が、十分な余暇をもっているという社会背景で成り立つ。いわゆるクラウドソーシングである。
オンリーワン技術でないと、すぐに真似されるという危険を指摘する人もいるが、魂は細部に宿るのであり、サービスを含めたきめ細かでトータルな仕様設計は、簡単には真似できないし、技術で差が出しづらいということは先行者に利があるということだ。
筆者が指摘するように、一般に大企業では真のイノベーションは起きづらい。本書の多くの事例が中小の町工場発であるように、上から下まで見渡せて、社長(や奥さん)が事業の全決定権をもっているところで新しいアイディアは実現しやすい。また、大企業であっても、トップダウンによって決定権のある小規模の開発チームを作る、などということが対応策としてあり得る。
本書で批判されがちな大手自動車メーカーも、筆者が主張するような視点を重視している動きが既に存在している。例えば、2000年代初頭に行われた日産セレナのキャッチコピー「ものより思い出」は、車の使われ方を重視したマーケティング・コンセプトだったといえるだろう。また、トヨタ奥田元社長が現役時代に特命で若手開発チームを編成し作った車「bB」は、小規模のチームが「不良用」という新しい車を文化開発し成功した事例だろう。ただし、これらの事例は、筆者が求めるような、人間の心のひだに触れるような領域までは達していないのかもしれない。
単なるモノよりも、その背後のストーリーや体験を重視する傾向は、ものづくり以外の場面でも増えてきたように思う。最近では、パッケージ旅行のような疑似体験に飽きたらなくなった消費者が、もっとニッチな「体験型◯◯」や、「◯◯体験一回△円」といった、実体験型サービスを求めるようになり、それに対応したサービスが増えてきたように思う。そして、そこでは「体験のコモディティ化とその消費」も起き始めている。
本書が指摘するもう一つの事は、時には煩悩や衝動に訴えるような刺激を設計する「文化開発」的なものづくりでは、時として綺麗なことばかりではすまされないということだ。例えば他人によく思われたいという自分では認めたくない潜在的欲求や見栄といったものにも訴えることを考えることがある。例えば、ハーレーの顧客は、所有欲を満たしつつも、明示的にはその事実を認めようとはせず、エンジン音や機能面の良さを強調する。この辺りは、日本刀が武器から美術品としての価値を持っていくプロセスにも似ているかもしれない。
また、本書でキーワードとして出てくる「ラグジュアリー」という言葉は、その言葉がもつ哀しさも含め、個人的にもずっと考えてきた概念だ。エルメスの持つストーリー性という価値や、一流ブランド品が、ディスプレイから顧客サービスまで細部にわたってクオリティ・コントロールされ、顧客の満足を満たしている一方で、偽ブランドはアジアの���天で棚の中にビニール袋に入れられて売られている。この辺りの問題は本書の感想の領域を超えるので、また別の機会で論じてみたいと思う。
筆者の重視するプロセスを地で行なっている業界といえば、現在ネットサービスでベンチャーを立ち上げようとしている若い起業家たちだろう。彼らは初期投資が低いIT分野で、新しい体験やサービスを生み出す事により事業を起こそうとしている。彼らがやろうとしていることは、まさに文化開発の営みだろう。
そもそも、文化は開発出来るのか。もし、誰かが思いついた「文化的行動」が広まったのならば、その社会にそれが伝搬する素地があったということだろう。しかし筆者は、そうした文化を「アンメットニーズ」と呼び、顕在化していないが潜在的にそこに存在する欲求として扱い、「はい、あとはサイト立ち上げてブランド化」みたいな安易なマーケティング論には与しない。人間が考え、人間が望むことである以上、人という動物としての枠組みは超えられないが、なにかそこにあるものを見つけるというより、新しく「文化」を生み出すという感覚を大切にすべきだと言いたいのだと思う。その違いの感覚はなんとなくだが分かる。
結局のところ、食うに困らなくなった人間にとっての「消費」とはなんなのか。そこで消費されているのは、目に見えないストーリーやロマンだ。芸術や美食にうんちくがつきものであるように、この本にもそんなうんちくがたくさん詰っている。そして、この本自体が、日本に求められる新しい経営学をクリエイトした結果生まれた存在であり、そして私は今こうしてそれを消費したのだ。
p.12
「以前は手が届かなかったような希少だったある技術の果実が、安価に手に入りやすくなった」
p.79「価値とは存在ではなく、現象である」
p.93
現代日本はそれ(イノベーション)を自らの先入観に合わせて技術革新の意味でばかりとらえている
p.97
「技術もお金もない立場にいればこそ、知恵が出る」
p.115
「目的に合わせて用途を開発するのではなく、今あるものをどのような用途に活かすかを工夫する「小細工」のことを人類学者のレヴィ・ストロースは器用仕事(プリコラージュ)と名づけました。」
p.123
「日本も、もう最先端の工業化社会の一つとして、その創造性を問題解決手段の改善のみならず、むしろ問題の設定に向ける時代が来た」
p.127
「経営学は、近代量産工業が登場してから、大規模なビジネス組織が人類の社会で活躍するようになり、その大規模な組織がどのように機能しているのかを研究しようとして体系化された知識」
p.238
ブランドとは成金の為にある
p.237
コモディティのマーケティング論は、ラグジュアリーを説明することができていない
p.242
あの人たちがやっているのだから、何かカッコいい
記号としての商品の価値
他人からこんなふうに思われたいという自意識が露呈する
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クリステンセンの唱える「破壊的イノベーション」が示す通り、商品が成熟し、わずかの差異を新しい機能と称してみても、どこに差異があるのかわから無くなり、必要な機能だけに絞った安価な商品が、席巻するようになる。
日本はまさにこのような状況に置かれている。
どこにもないものを作る技術革新を進めても、実はそれが消費されるかどうかはわからない。
ならば、筆者が唱えるように、使う文化を提供すること。
これは実は、過去にサントリーが水割りなどでウィスキーを消費するようにした、文化を創造する事を再確認したものである。
技術屋ばかりのイノベーションではなく、ブランドを作る、文化を作るような、マーケティングの発想こそが、もう一度日本の再浮上への道なのではないかと自分自身が思っている事を、再確認できた一冊。
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Kindleにて読了。
商品開発と新しい市場の作り方を結びつけて、わかりやすく解説した本。実例も多く、とても読みやすかった。
問題解決という視点が全編を通して強調されている。人生には問題が溢れていて、どのように解決するか?ということは、どう生きるかにもつながると思う。
発見ではなく、発明。とても参考になった。
新しいことにどんどん挑戦していき、自分のフィルターを大きくしていく。問題解決には単なる技術的アプローチだけでなく、社会的アプローチもある。今後は、もっと文化人類学的な観点から商品開発が進んで行くのではないだろうか。
そして、消費と生産の場を密度の濃いコミュニケーションでつなげていく。
技術が社会を変えていく。
働き方をデザインしていくことも面白そうだ。
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少し考えながら読んだので、いつもより時間がかかりましたが、読了しました。新製品・新サービス開発を中心とした論旨展開でした。
大変興味深く、いろいろ考えるのに良かったと思います。
具体的な事例を交えながら、「新市場開発=問題開発」というメッセージを説いていました。
「イノベーション」というかどうかは言及されていませんでしたが、結局フィールドワークで問題の種を探し当てることがとても重要だとしていました。
BtoCにかなり寄った内容でしたが、「新しい文化をつくる」という視点で、新サービスや新商品につながる分析・洞察が大切だ、というのは、極めて共感。
そういえば、うちの主要製品も初めはそうだったんですよね。
MBは良く分からないけど。。。
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既存の市場で、技術競争・価格競争をするのではなく、新しい市場をつくる=新しい問題を“開発”しよう、という本です。
例えば携帯電話。
これがないときは待合せで相手が来なくても多少は気にならなかったと思いますが、携帯電話を持つようになってからはすぐ電話してしまうし、もし携帯を忘れてきたら不安でしょうがないと感じたことあると思います。
要するに、「電話を携帯する、してなきゃ不便ですよね?」という問題を開発し、社会に提起したというのです。
以前、父に、「大概便利になった現代では、『社会で求められているものをつくる』という原点に帰るべきではないか」と言われたことがあります。
この本で出てくる、問題を“開発”した事例でも、決して市場規模は大きくなくとも、一部の人に本当に求められているものが沢山出てきます。
日本のメーカーの1つの方向性であるように感じました。
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三宅さんには申し訳ないですが、いくらこの本で叫んでも、日本は変われないと感じました。なぜなら、これは教育の問題だから。三宅さんが素晴らしい事を言っても、実は今の日本にそれを実現できる人は極めて少ないんです。この本の中で中小企業の経営者が素晴らしい発想をされる事を書いていらっしゃいますが、今の若者やその親の大半は大手企業で三宅さんが否定的に書かれているようなマーケティング業務に関わる事を希望しているんです。
私はこの本を読んで、教育というのは問題解決であると、しみじみ思いました。どんなに小さな子供であっても、その子が感じた素朴な疑問を解決する事にしか、教育の意味はないと思います。疑問=問題であり、それを解決するために、物理や化学、歴史、英語、数学を学んでいくというのが正しい姿なのではないでしょうか。
つまり、小さな頃から自分の疑問を解決する経験を積んで来た人にしか、三宅さんが提言している事は実行できないんだと思います。一冊本を読んで、明日からやってみよう、といった話ではないんです。
ですから、今の日本の抱えている問題は根深いです。何のために勉強するのか分からないのに、勉強できてしまうような、不自然に適応力の高い子供達ばかりになってしまいました。そうでなければ、スマホ対応洗濯機みたいな訳の分からない商品が出てくるはずがありません。
とにかく、周りが何と言おうが、自分の問題意識や疑問を突き詰めて考える人間を育てるしかないと思いました。
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今の日本の企業の問題点がズバリと書かれている。この問題点を言葉にするのはとても困難なことだが、数々の事例や、選び抜いた言葉をうまく繋げることで、なんとか読み手に伝わるようにという著者の思いを感じることができた。
日本の企業が何故厳しい状況におかれているのかというと、既存の商品やサービスをより良いように改良するのは得意だが、日常の中にある様々な問題点を見付けることができず、問題点を元にライフスタイルをデザインすることができないから。問題点を見付けて、新しい文化を創出できないから、新しい商品を作ることができない。既存の延長線上の商品では、競争に巻き込まれるだけだ。
そういう風に日本の企業を見ていくと、現在日本では少なくなってしまった好調な企業の、共通する特徴が見えてくる。それは、他社とは違う独自の路線で、自分達の信じる文化や思想を体現している企業だけが、この厳しい状況の中でも、好業績を上げることができている。
この本を読み終わると、物事や世界の見方が変わってくる。新しい商品(新しい市場)というのは、普段の生活の中にあるからだ。
例えば、本を読むという行為ですら問題点はたくさんあるし、こうやって書評を書くことにだって些細な問題点はあるはずだ。そこをどう問題と捉え、それをどのように解決するかで、新しい文化を創ることができる。それが新しい市場を作っていくということだろう。
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ウォシュレット、水泳帽、障害者用コップなど、技術だけでなく、市場を作る商品は問題を発明している。
コンセプト作りから生産まで一気通貫の体制が必要。答えのない場所で製品開発するわけなので、試行錯誤を繰り返し精度をあげることが重要。
しかし、大企業はこれが苦手。
結局、この本の事例のようなことを実現するには、企業文化こそ重要で、そこは簡単には変わらないので、大企業病の会社には、問題発明(文化の創造)は難しいであろう。
そもそも、大企業とは、大量生産による効率化にこそ最適化された形態で、小回りのきく企画力で勝負するには、不適なのかもしれない。
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そこそこおもしろかったです。
メインアイデアはそれほど新しい感じでもないし、少し読みやすすぎる感じがしましたが、こないだ読んだリバースイノベーションに通じるところがありました。
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12月の読書会の課題本
アマゾンさんから届いた時「・・・」
難しいぃぃぃぃぃ~ しかも部厚いぃぃぃぃぃぃ~
この本を選んだHさんを恨みました(笑)
アマゾンさんの書評も高評価、東京の本屋さんでも平積みで売れまくっている様子・・・
そんなスゴイ本なんだけど・・・けど・・・
私の理解力が悪く難し過ぎて内容が入ってこなかったのが本音です(苦笑)
必死に理解できる部分を探そうとしましたが厳しかった
なので本の内容について語ることはしませんが、今回の読書会はいつもと違う進め方で
それが面白かったです!
いつもはメンバーが順番に本の感想を言っていくスタイルですが、今回は各自で本の内容について
質問を考えてきます
それで、質問をして他のメンバーが自分が考えるその答えを順番に言っていきます
「へぇぇそんな質問をこの本から読み取ったのかぁ」ってところもポイントですが
その質問にその場で答えるというのも頭がフル回転で、読書会終了時には少しクラクラしました(笑)
今回は読書会主催者のYさんのお友達のHさんをお招きして、Hさんが質問読書会をして下さいました
1冊の本からメンバーの数だけ質問が出てきて、またメンバーの数だけ答えが出てきて・・・
最初は難解だったこの本も「あぁぁなるほどねぇぇ」という気付きをメンバーから教えて頂けて
もう1回読んでも良いかなぁぁなんて思えました(笑)
2012年も読書会、休まず12回参加できました!
早朝だけど、とっても美味な朝食と気持ちのよい対応をしてくれるスタッフみなさんのおかげで
元気に読書会の後も会社に行くことができました。ありがとうございました
また2013年もいろんな本と出会えるとことにワクワクです!
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なぜエジソンにウォシュレットがつくれなかったのか?新しい商品を作るために必要なのは技術だけではなく、暮らしをデザインする事が必要。
中小企業から大企業まで、様々な企業のヒヤリングから得た、商品開発に必要な要素、体勢とは?
平たくいうと、カイゼンではなくイノベーションの起こし方。
【学んだ点】
■問題はそこにはなく、取り組もうとする問題の設定そのもにあると気がつくべき。ふだんの暮らしにも多くのヒントが前から転がっている
■新しい要素伸結合のパターンは会社の外の社会にしかない。想定内の情報ばかりが目に入ると自分の「現時点でのものの見方」が強固になるだけ
■仕事は世界経営計画のサブシステム。この世界をどう理解し、何を変えたいと思い、自分はそこで何ができるか、何を分担するのか=仕事。
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読書会の課題本。問題意識をどう設定するのか、これによってずいぶん考え方や見え方が変わるはず。
一番感銘したフレーズは、「商品開発に一番の前提となる資源は、技術でも資金でもなく、未確定の世界に挑戦する心の勇気」(p117)。
商品開発だけではなく、新しいことをやってみようという心意気を忘れず、
仕事に取り組んでいきたいと考えさせられた本でした。
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なかなか刺激的な本。
自分より若い年代の人でアカデミックな世界からこういう人が出てくるのは嬉しい限りだ。
もっともっと、いろんなところでこういうこと発言してくれないかなあ、と思う。
作者が言うには、新しい市場を作りだすには新しい文化を創造する必要があるという。
そのためには日本は技術神話から脱却する必要がある、と。
今まで誰も知らないニーズを掘り出すのではなく、創造するのだ。
これを作者は問題発明型、と呼ぶ。
僕がこれからやろうとしていることは、別に全く新しい何かではない。
しかし、多くの人に知られていないことである。
今まで知らずにいて、特に必要とすらしていなかった人たちにどう語りかけて行くのか。
フェアトレードの商品を購入することで、その人にどういうメリットがあるのか、その仕掛け作りが必要だ。
ところで一か所だけ気になったんだけど、p.297の「おまえを閉じ込める牢獄とは、すでにおまえ自身のことだ、というようなメッセージが、イーグルスの名曲『デスぺラード』でも歌われていますが、」というくだり、これ『ホテル・カリフォルニア』じゃないかなぁ。
“We are all just prisoners here,
Of our own device”
からの引用だと思うんだけど。