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東アジア人文書100
20世紀後半の東アジアではどのような本が読まれ、評価を得てきたか。東アジアの出版の共有財産として、相互で翻訳出版すべき人文書100冊を、国を超えた編集者たちが協議して選び...
東アジア人文書100
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東アジア人文書100
商品説明
20世紀後半の東アジアではどのような本が読まれ、評価を得てきたか。東アジアの出版の共有財産として、相互で翻訳出版すべき人文書100冊を、国を超えた編集者たちが協議して選び今後の世代におくる、人文書ガイドブックの初の試みである。本書は、2005年に発足した民間の団体・東アジア出版人会議から生まれた。日本の経験豊かな3名の出版人の呼びかけで始まったこの会議は、中国・台湾・香港・韓国・日本の編集者が自主的に参加し、総会は現在まで11回におよぶ。そこでは、東アジア各地域の人文書をめぐる過去・現在・未来を基調に、各国の情報交換や共通問題のディスカッション、若手編集者の研修、共同出版構想などが実践されている。本書はそのかたちにあらわれた初めての成果である。20世紀初頭までは、東アジア地域の本と文化と学術の交流は盛んであった。しかし、その後長くつづいた険しい歴史、さらに商業主義とグローバリズムのなか、とくに日本では中国語・韓国語の人文書はほとんど知られていない。本書で紹介されている各冊は、日本の読者にとっては新鮮な驚きであろう。「私たちは、読書を推進する上で最も重要な責任は、作者ではなく編集者にあると考えた」(董秀玉)。本書は、過去と現在を見据えつつ、新たな「東アジア読書共同体」を構築するための、小さな一歩である。[発行・東アジア出版人会議/発売・みすず書房]
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紙の本
地味だが価値ある出版、この本に接したことで未読だった本を読むことになるだろう
2012/03/10 10:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
いわゆる「名著」をセレクトし、紹介している本だが、東アジアの《三国五地域》(と巻末の文章で説明されている)中国、台湾、香港、韓国、日本の近年半世紀ほどの人文書を各国出版人が何度もの会合を経て選んだ点に興味をおぼえた。
本書出版の先に、ここで選ばれ、紹介された本をできるかぎり互いの国で翻訳し、広めることが運動のモチーフにあるというのも納得がいく。冊数配分(中国、韓国、日本が各26冊、台湾16冊、香港6冊)に沿って、《各国・各地域の判断に委ね》られ、選ばれている。
日本はいざ知らず、東アジアの他の国の人文書のことなど全くの無知にすぎない私のような者にとって、本書はいろいろ勉強になる。すごい映画を観たり、すごい小説を読んだりするときのわくわくし圧倒されるのとは違うが、学校での有意義と思える勉強のような感じがする。
選ばれた著作の刊行年代をみると国によって大きな開きがある。中国では1940年代と50年代はあるが、1960年代は全くなく、70年代は1979年が一冊あるだけ。韓国の場合、1947年の一冊のあと、1965年まで20年近く、ない。日本の場合、なぜか1965年以降20世紀に刊行された本にしぼられており、そのため中国、韓国には6,7冊ある21世紀ゼロ年代の本がない。《選書の時期区分は過去五〇年間を核とし、必要に応じてさらにそれを遡る》という選書規定だが、日本の場合、過去に遡る必要がなかったのに対し、他の国は遡る必要があったというところか。
こうした著作刊行年の差は、著者の生年差を生じさせている。こころみに1940年以降に生まれた著者を数えれば、中国が8人、韓国が10人だが、日本はわずか2人である。さらに1950年以降の生年では中国5人、韓国4人、日本は一人もいない。
これが意味するのはいろいろあろう。巻末の「東アジア出版人会議一同」による文章を一部引用しよう。《中国では、文化大革命とその後の混乱があり、韓国では長く厳しい軍事独裁と民主化闘争の時代があり、台湾もまた長期戒厳令下にあった。……一方日本では、高度経済成長からバブル経済とその崩壊という過程のなかで、市場主義と効率主義が人文書出版のみならず人文学そのものをも浸食するという困難な状況が長く続いている。》
この文章は中国と韓国におけるある時期の本の欠如を説明しているのだが、日本の最近年の本の欠如を説明しているようで、していない。今世紀ゼロ年代の著作が選ばれていない理由が、人文学が浸食され良書がなかったせいなのか、あるいは1965年から(実質的には)1994年という30年間の著作の豊かさのため以後の書物を省いたせいなのか曖昧なのである。
人文書と断わらないまでも、過去に日本の戦後思想を選別する試みはあった。柄谷行人らによる『近代日本の批評/昭和篇下』(1991年)であり、上野千鶴子らによる『戦後思想の名著50』(2006年)である。ただ本書は批評家・著作家ではなく出版人による選択・紹介であり、また視線が東アジアの隣国に向いているところが異なる。
さて日本の本と中国・韓国等の本のタイトルをくらべると、後者では『中国哲学略史』のように一目瞭然、論じられる内容が分かる書名が多いこと、また当該国の国名が組み込まれた題が多いことに気づく。日本においては学術書から離れたものが多く、また西欧からの影響か、題の決定に洒落たセンスで臨むためだろうか。
本書に紹介されている日本以外の著作のうち、すでに邦訳されているものについてカウントすると、中国が1冊、韓国が6冊、台湾が3冊、香港が1冊、計11冊である。いずれも著者および邦訳書を知らなかった。
これらのうち関心をもった一つに『朝鮮戦争の社会史』という邦題の金東春〔キム・ドンチュン〕『戦争と社会──われわれにとって韓国戦争とは何だったのか?』がある。著者は1959年生まれと若く、2000年の著作が日本で2008年に刊行された。ハルバースタムによる同じ戦争をあつかった『ザ・コールデスト・ウインター』が2009年に訳されているが、本書の紹介文をながめながら、もし手をつけるとしたら当事国である韓国の著作から読みたいと思った。
私の趣味性が文学に傾いているせいか、邦訳されていないものでは、台湾で2002年に出た王徳威『世紀を超える風采と文才──現代小説家20人』や、香港の1979年刊行の夏志清『中国現代小説史』などに興味がある。後者は20世紀、前者は1980年代以降の中国語文学を包括的にあつかった著作であり、対象となっている作家にいくらか見知っている名もあって関心をひく。ちなみに詩歌・小説・戯曲などは《今回の選書では見送る》というのが本書における選書基準の一つである。
『世紀を超える風采と文才』で対象となっている20人の作家がどのくらい日本で紹介されているか調べたところ、半分以上がなんらかのかたちで小説が訳されていることを知った。なかにはマレーシア出身の中国語作家もいるが、そういえば私が好きな台湾の映画監督ツァイ・ミンリャンもマレーシア出身である。
一見して中国圏・韓国圏の人名は欧米の人名と違って、男女の区別がつきにくい。そんなところが、隣国の遠さを私にあらためて感じさせる書物である。