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縁が有ろうが無かろうが
2015/12/17 15:48
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投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
孤独に死のうが、誰かに看取られながら死のうが、やはり一人で死ぬ。問題は、死んだ後にやってくる。供養や墓問題。これは、死ぬ前に考えなくてはならない。読後、死ぬことを意識させられる一冊。
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日本を代表する宗教学者による「無縁社会本」。「なぜ日本は無縁社会に到達したのか」「本当に有縁社会は良いものか」「そもそも、本当に現代社会は無縁社会」なのか、といった根本的なものについて言及している。村社会における葬儀・法事を例に挙げたり、高度経済成長期の新宗教の役割について述べたり、著者の宗教学者らしい部分が垣間見える。
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その時代、私たちはまぎれもなく無縁を求めていた。無縁になることは束縛から解放されることであり、自由な暮らしを実現するための基本的な条件であった。現在の無縁社会の議論のなかでは、こうした側面が忘れられている。
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愛媛新聞2011.02.13。
《現在の〝望まれない無縁社会〟に、過去の〝望まれた無縁社会〟の歴史を対峙させる。そこで初めて議論が深まるとする著者の論考は明快で、共感を覚える。》(稲泉連・評)
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NHKが「無縁社会」をことさら問題視し番組で取り上げたときに、反射的に違和感を持った(番組の大越キャスターと青山キャスターはお気に入りだけど)。いささか単純化しているかもしれないが、無縁とは自由を求めるための代償というようなものでもある。著者が述べているように、網野善彦が世に問うた『無縁・公界・楽』は、私が大学生の時、人生に大いなる希望を与えてくれる著作だった。
人は一人で死ぬ。たとえ今わの際に誰かがそばにいても、一人であの世に行くことに変わりはない。そのことを覚悟し、泰然としていたいと思う。
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(2011/6/4読了)農村のムラ社会→会社(終身雇用)というムラ社会→農村も運命共同体としての終身雇用もなくなった現代=無縁社会(←今ココ)。しかし、そもそも戦後の人達はがんじがらめの「ムラ社会」から解放されたいと思ったんじゃなかったの?という問題提起。『私たちが無縁を求めてきたのなら、無縁死はその延長線上での出来事であり、必然である』(P197)。その通りだと思う。私は少なくとも、ムラ社会になんか帰属したくない。
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無縁社会は、我々が望んで作った訳ではないが、結果敵には出来上ってしまったのだが、、!(◎_◎;)
人は関わり合って生きていたい、うーん、いや仮面かも(笑)
社会制度が悪い訳では無い。
しかし、肉体は借り物、しんだ状況だけではないと思う。いつ死を迎えるかわからないから、たえず悔いのない時間過ごしたい。
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孤独死について、ただ悲観的に考えるのではなく、冷静に、客観的に捉えた本。孤独死孤独死と騒がれているけれど、そんな社会を作ったのは自分たちなのだと胸に刺さる。
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島田裕巳「人はひとりで死ぬ」読んだ。昨今無縁社会という言葉を耳にし、人々は無縁に対して恐怖を抱く。しかし、無縁社会は人々がそれを望んだのではないか。高度成長期、村の寄合(有縁社会)からの脱却が無縁社会を招いた。サラリーマンとしての生き方が子、孫に無縁社会を強いているのではないか。
特に第六章がしっくりくる。親父としゃべってて理解不能になる理由はここに載っていた。
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「無縁死」することへの不安に対して、自由と豊かさを求めた果てに到来したのが「無縁社会」だと説く。
痴呆により長期間家族の介護を受けみとられて死ぬのと、孤独死・無縁死するのと、どちらが尊厳ある死か?と問いかける。
「無縁社会」と「有縁社会」のどちらを選ぶのか?
村社会から、企業社会へ、
「冠婚葬祭」の変化
村の信仰と、新宗教の有縁社会、創価学会の躍進と停滞、
「おひとりさま」は孤独でさびしい物か、自由で豊かなものか・・・
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宗教を専門とする筆者が一人で死ぬことは、悪くない、長生きをして死ぬまで生きられれば良いとしながら、なぜ無縁社会となったかについて述べている。
無縁社会以前の有縁社会は稲作が大きく関係し、お互いに助け合わざるを得ない状況があった。冠婚葬祭も大きな役割を果たす。
日本人は海外に移住した際に信仰を持っていかない。先祖信仰はあるが、二男、三男は位牌を持っていけないため、物理的にできなくなる。
ガラスの導入は家の中に光をもたらし、一家が光の下に集まるという人の暮らし方を変えた。
悟った人ほど人の死に直面して動転しない、悲しまない。
都会に出てくる次男、三男は会社に所属して村社会に属することができた人もいれば、学歴が低く、日雇で過ごした人もいる。
女性のおひとりさまは消極的なもので、わずらわしさから逃れるため。
新興宗教は都市における新たなつながりを作る一つの手段として拡大。
創価学会は、20世紀初めにでき、日蓮の流れを汲んだものだった。所属のほとんどが庶民であり、そのためエリートと利益が対立するため、エリートの確保が難しいという点がある。
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無縁社会はメディアが報じているような、強い寂寥感を伴うものとは必ずしも言えない。に賛成。
地方の村社会にあるような、有縁社会のしがらみよりは、都会の干渉しない生活の方がいいなーと思った。
孤独であるということは、縛られないということ。
途中読みにくくて、流し読みしたが、新興宗教がなぜ広がって行ったのかも分かったので面白かった。
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孤独死が増えているという報道がなされている。確かに都会には単身者が多くなり孤独死の人がこれからも増えるだろう。しかし、報道でされているように孤独死は不幸なんだろうか?その疑問から著者は分析していく。そして、結論からいけば人はひとりで死んでいくのが自然だというのだ。村の有縁社会から無縁社会の都会に望んできた人が今の社会を形成している。つまり、人は無縁社会の方を選んだのだ。
そして、無縁社会を生み出しているのがサラリーマンの家庭だという分析には虚を衝かれた思いがした。確かに、サラリーマン家庭はそれどれの自立が尊重され家意識が希薄になっている。それが、孤立を生産しているのだという。僕たちは。結局ひとりで死ぬのだから、孤独死を恐れることなどない。
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以前読んだ「無縁社会」に対しての一意見として読んだ一冊。無縁であることの危険性の裏側には、有縁から都会に逃れてきた歴史があり、手に入れた自由が無縁だったならそれもいいのでは、という著者の考え方にも確かに一理あると思いました。また、田舎での有縁社会を持ち込んだサラリーマン社会と、それを見てきた第1世代の"有縁"に対する濃さと、もともと都会で育って縁の少ない状態だったその子どもたち第2世代が求める方向が違ってくるのも当然だなと思ったり、今のU・I・Jターンが見直されている状況を過去から俯瞰して見ることができて、いい本だなと思いました。オススメかも。
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NHKスペシャルで扱われて一気に広まった「無縁社会」という言葉は、どちらかと言えば残念な事象をイメージして使われることが多い。しかし本書の著者はそれは必然的に訪れたことであると共に必ずしも悪いことではないという主張を持っている。
新書というのは何らかのテーマについて解説したものと著者の主張を全面に出して展開しているものがある。本書は後者であろう。無縁社会がどのように形成されてきたか歴史を紐解く部分はそれなりに説得力を感じるが、最終的な結論はとても主観的なものだ。
そもそも、社会がどのようになることが望ましいかという問いに正解はない。具体的な問題に対する解決策を検討することはできるが、「どうあるべきか」は結局主観的な話しかできない。だから著者が無縁社会を肯定的に捉えてそれを主張することはそれなりに意味がある。
ただ、無縁社会によって起こる主な問題である「孤独死」に関する考察は、葬儀や供養の話が中心となっており、少々違和感があった。自らの意思で孤独に生きていた人で、自分の死後にしっかり供養してほしいと願っている人がどれだけいるだろうか。少なくとも私は、先祖の墓をきちんと守れないことに対する申し訳なさはあっても、自分の死体がどうなろうと気にならない。せいぜい、腐乱して近所や大家に迷惑をかけたくないという程度だ。
今後、この問題に関する書物は増えていくだろう。単なる開き直りではなく、前向きに孤独な将来への備えになるようなガイドが出てくるとありがたいのだが。