読割 50
電子書籍
昔、革命的だったお父さんたちへ
日本の戦後史のなかで、団塊の世代は大きな役割を演じてきた。六〇年代の政治の季節では理想に燃えて行動し、八〇年代には働き盛りとしてバブルの現場を駆け回り、そしていま、大量定...
昔、革命的だったお父さんたちへ
昔、革命的だったお父さんたちへ
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
昔、革命的だったお父さんたちへ 「団塊世代」の登場と終焉 (平凡社新書)
商品説明
日本の戦後史のなかで、団塊の世代は大きな役割を演じてきた。六〇年代の政治の季節では理想に燃えて行動し、八〇年代には働き盛りとしてバブルの現場を駆け回り、そしていま、大量定年を迎え高齢化社会を現出させようとしている。しかし、このままでいいのか?いまの日本社会は、かつての理想からあまりにかけ離れてはいないか?年金持ち逃げと言われるか、有終の美を飾るか?いま改めて、団塊のお父さんたちに挑発とエールを送る。
※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
目次
- 序章 父よ、あなたは「革命的」だった
- 第1章 団塊世代、かく戦えり-戦後日本と新左翼運動(団塊前史
- 新左翼運動の多様化
- 『いちご白書』でオシマイですか?)
- 第2章 サブカルチャーにはじまり、終わった世代-団塊世代が切り開いた地平と挫折(黄金の六〇年代
- 24時間、なに考えてました?
- 「第二の敗戦」と「二度目の挫折」)
- 第3章 亡国の世代 やり逃げの世代-そう呼ばれて、消えて行くのか(だから彼らは嫌われる
- 若者はとっくにキレている
- 国を変えるか、国を滅ぼすか)
著者紹介
林信吾 (著)
- 略歴
- 1958年東京都生まれ。神奈川大学中退。作家・ジャーナリストとして執筆活動を行う。
葛岡智恭 (著)
- 略歴
- 1959年東京都生まれ。法政大学卒業。雑誌編集、広告制作にたずさわる。
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
第3章だけでも読んでほしい
2012/06/14 09:57
13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
第1章『団塊の世代、かく戦えり』は、「若い読者のための予備知識」とあるように、学生運動の歴史をとても分かりやすくまとめてあるので、学生運動を知らない世代の人にお勧めである。
第2章は、団塊の世代の知性に対する批判である。現在のマスコミ批判に通じるものがある。現在、マスコミを通じてメッセージを発信している中心が団塊の世代だからだろう。
そして、第3章はポスト団塊の世代が団塊の世代に対して抱いている本音である。
著者たちと何点か意見を異にするところがあるが、同じポスト団塊の世代として「そう、そう、その通り!」と叫んでしまうことが多い。他にも書いたが、安田講堂攻防戦の時、私は小学生であった。新しい日本を作ろうと闘っている大学生に憧れ、大きくなったら日本を良くするためにがんばるぞと思ったものだ。
しかし、高校生になった頃には、団塊の世代はセクト争い、内ゲバ、浅間山荘、よど号と自滅して、スターリンのソ連、文化大革命の中国などの実態も伝えられ始められ、我々の世代は、右とか左とかいうような単純な物言い、換言すればイデオロギーで、より良い人間社会が形成できるものではないことに気づかされた。
イデオロギー闘争は、結局は二項対立的思考であり、○か×かで思考停止ができるから、楽だったのだろう。しかし、なにひとつ解決されなかった。かえって志のある良心的な人物を埋もれさせてしまうこととなった。つまり、左翼的とか右翼的というレッテルを貼ることで、事の是非を論理的に考えない風潮を作ってしまったと言っていいだろう。
団塊の世代が全共闘の戦いを日本という国を本気で思い闘ったのであれば、そして、いまも自分たちの正義を信じるならば、早期退職・退職金断念・年金断念のいずれか一つでよいので、実行されたい。今の若い世代と将来の日本を考えれば、それくらいはしても良いのではないか。
山本さん、秋田さん、藤本さん、何とか言ってください。かつてのように、同志に呼びかけてください。
私たち、ポスト団塊の世代は、著者も言っている消費税率引き上げに耐えてゆきます。(私は、20%くらいまで上げないと次世代が困ると思っています。)
P.S.途中で何点か著者たちと意見を異にすると書いたが、次のような点である。
一番大きいのは、ポスト団塊世代の我々が、受験戦争にさらされたかのように書いているが、そんなことはない。著者たちよりも難しいと言われた大学に進んだが、私も、もっと難関大学に進んだ友人たちも、過酷と言えるほど勉強してはいなかった。団塊の世代以後、急激に大学定員が増加したからだ。また、管理教育は、ポスト団塊世代以後のことで事実誤認があると思う。さらに、この管理教育をやめた(ちょうど、団塊の世代の子どもたちが学齢になった)頃から、校内暴力・不登校などの教育問題が深刻化したのである。
もう一点は、西部邁らの評価である。(マスコミにやたらと登場するようになってからの西部は別だが、)民主主義は常に衆愚政治に陥る可能性がある。だから、それに警鐘を鳴らすこのような人物が民主主義には必要なのである。
最後に、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』の解釈である。主人公は劣等感など抱いてはいない。それどころか、『さよなら快傑黒頭巾』からも分かるように、団塊の世代の気持ちは理解できるが、もっと大人になろうよ、真理はそんなところにないよというメッセージなのだと私は読んだ。
紙の本
ただの入門書だが、、、、
2005/11/08 17:30
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:S.I. - この投稿者のレビュー一覧を見る
post団塊世代が書いた一世代上の世代に対する評論書。
新書としてはよくまとまってはいる。時代考証がややずれている点が幾つかはあるが、時の流れはまあ妥当な線だ。
結局団塊の世代とはいったい何だったのか、彼等自身の総括はされずに21世紀に入ってしまった。この書によると私などは『新人類』だが、自分ではそう意識をしたことはかつてない。私にとっての『新人類』とは今まさに40歳台に入ろうとしている人である。そして団塊ジュニアとは30歳台に入った世代である。これらの世代がこれからの日本をどのような国に導くのかがわが国の最大の問題点であろうが、団塊の世代が残した負の遺産である無責任や自己中心主義のまん延がこの国をおかしくしてしまったことだけは少なくとも彼等の責任である。団塊の世代は総括すべし。