論述力を鍛えよう
2014/02/22 23:54
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投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルの最後に「力」が付く本(特に新書)は読むまい、と思っていた。
が、本の感想を書いている身にとって、こういうタイトルの本は非常に気になってしまう。
(その他に「分かりやすい文章術」とかいうタイトルにも弱い)
ただ、本書では教育と入試のあるべき姿を論じるのが主。
「論理的に考え、書く」ためのハウツー本ではない。
(最後の章に"ヒント"ならあるが)
著者の専門は数学なので、少なくとも数学の入試はマークシートではなく、記述式試験を導入すべし、という主張している。
マークシート方式では「答えを当てる」事ができてしまい、その「答えに至る経緯」が、ほぼ無視されてしまうためだ。
「筋道を立てて考える」事より、最終的な「答え」だけが当たっていればよし、としてよいのだろうか?
著者は今のマークシート方式の試験では、「論述力」が軽視されていると危機意識を持っている。
会社で仕事をするようになって、つくづく思い知ったのは「論理的思考」「筋道を立てて考える」事の重要さ。
まさに数学の考え方。
「論述力」が低いままだと、顧客はおろか、社内の人間でさえ説得する事はできない。
会社に入っても、新人ならば、まだギリギリ相手も許してくれるだろうが、年次が上がっても、論述力が低いままだと目も当てられない。
自分は入試の際、数学は苦手で、私立の文系大学を受験することにして、数学とは縁が切れた。
が、「数独(またはナンバープレース)」「論理パズル」が好きだったので、それが「論理的思考」の多少の訓練にはなっていたようだ。
今にして思えば、自己啓発本などを読むより、はるかに役に立ったように思う。
以来、新人に「何か読んだり、やっておいた事がいいものはありますか?」と聞かれたら、「数独」と「論理パズル」を勧めている。
本当にやったかどうか、追跡調査を行った事はないが・・・。
ところで数学を面白い、と感じられるようになったのは、会社に入ってから。
おそらく「テスト」を受ける必要がない、という「安心感」があるからだろう。
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閑話休題
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本書の中で、仏教用語の「三慧(さんえ)」の解説をしている部分が印象深かった。
「三慧」とは「聞慧(もんえ)、思慧(しえ)、修慧(しゅうえ)」のこと。
「聞慧」:聞いた事や、書いてある事を事実として知ること。
「思慧」:聞慧として身に付いた物事に関して、それらの間の繋がりを組み立てたり、それらの背景を理解したりするように、自分で考える事ができること。
「修慧」:思慧として身に付いた物事に関して、きちんと説明できるように書いたり、応用して実践する事ができること。
学生ならば「思慧」でも、よいだろう。だが、教える側に立つのであれば、「修慧」まで必要であろう、という事が書かれている。
「自分は「修慧」の段階まで至っている!」
と言いきりたい所だが、「思慧」止まりで、「修慧」まで至っているものはどれだけあるだろうか、と冷や汗も出た。
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「論理的に考えること」のノウハウではなく、大切さを説く本。
私立文系の数学オンチ。終始自分のことを客観的に分析されているかのようだった。ゆとりと云われる世代ではないけれど、ゆとりへの道は始まっていたんだな。
社会人になった今、論理力の大切さを思い知っている。
自分の欠点の根源が色々わかる。
それがわかっただけでも読んでよかったと思える一冊。
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手に取った時の期待を軸に評価をつけているため少し低め。
タイトルに惹かれて手を伸ばしたのに、「論理的に考える方法」「論理的に書く方法」についての助言がかなりアバウト。
論理的な思考を習得したいと読み進めた私は少々落胆したものの、読み物としては面白い。著者の人間らしさにも好感が持てる。
作中のほとんどが現代数学教育への危険信号であり、ゆとり教育への批判。これから教師を目指そうとする大学生、大学受験を控えた高校生には社会勉強になる素敵な一冊かもしれない。
特に数学教師になろうとする人には是非読んでほしい。
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タイトルだけ見て、文書を書く教科書みたいなつもり(実際にそういうものを探していたので)で購入したら、中身はまったく違っていた。
現在の大学における諸問題から、入試の変化、社会の変化、数学と国語力の関係等々、普段から漠然と考えていた、すべてのことは独立ではなく全て繋がっているということを、少し具体的に示してくれた気がする。
すべての人に役立つ、納得出来る内容とは言えない(若干マニアック?)が、私には妙にストンと腑に落ちる一冊であった。
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「論理的に考え、書く力」をつけるための本ではない。「論理的に考え、書く力の危機」について数学教育の立場から記した本。最近、こういうキャッチーなタイトルの本が増えて困る。出版社の方も、タイトルと本の内容の整合性について、論理的によく考えてほしい。
さて、この本の主題である教育について考えてみると、センター試験が導入された当時、例えば難関私大入試には難問奇問がつきもので、国立大の二次試験も含め、大学入試は今より難しかった。センター試験には大学入試の良問化、標準化を目指すという目的があり、それなりに肯定的に捉えられていた記憶がある。
しかし、受験戦争を緩和したいという思いと、大学にも自由競争を促す政策と、人口動態上不可避だった受験生の減少。行きつく先は明らかで、大学生の習得レベルの低下という、国の競争力の将来に影を落とす結果になってしまった。多くの企業で最近の若手に物足りなさを感じているとしたら、その原因はゆとり教育のみならずということだ。
筆者は数学者の立場から、論述力の低下に着眼している。そして大学生の口から恐るべきことが語られる。彼らは数学の授業において、公式は教わったが、その証明については充分な時間が割かれなかったという。その理由は、ゆとり教育のため時間が無い、から、先生自身もよくわかってない、に移ってきているのだろうと思うとそら恐ろしい。論述力低下のスパイラルから抜け出すために何ができるのか、答えの主要な部分に大学入試改革があるのは間違いなく、こういうニュースにも注意を持ってないといけないと理解した。
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ゆとり教育に対する痛烈な批判。批判はごもっともであるが、タイトルと中身がマッチしていないという印象で、やや期待はずれ。
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自分が受験生だったころは、マークシートは単なる技をもって突破するものだった。またそれが偏差値管理主義の象徴であっても全く気にしていなかった。なぜなら偏差値は、ときにはステータスであり自分の立ち位置をチェックする好材料であったから。しかしいま、教育論を考える側の立場になった改めて思う。技で正答できるマークシートは悪であると。少しずつ改革は進んでいるようだが、やはり試験は考える能力を見抜けなければ意味がない。著者が提唱する「入学試験学」の考え方は非常に興味をひかれる。
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「論理的に考え、書く力の危機」について数学教育の立場から記した本。
筆者は数学者の立場から、論述力の低下に着眼している。そして大学生の口から恐るべきことが語られる。
彼らは数学の授業において、公式は教わったが、その証明については充分な時間が割かれなかったという。
その理由は、ゆとり教育のため時間が無い、から、先生自身もよくわかってない、に移ってきているのだろうと思うとそら恐ろしい。
論述力低下のスパイラルから抜け出すために何ができるのか、答えの主要な部分に大学入試改革があるのは間違いなく、こういうニュースにも注意を持ってないといけないと理解した。
1章では大学の現場から見た大学や学生の問題点が「考えて論述する」という視点から詳しく述べられています。
2章では1章で紹介した個々の要因の一つと考えられるマークシート式問題の問題点を、国語の問題二題を著者が作って述べているように、「単に数学だけの問題ではない!」という主張。
3章では、「ゆとり教育」は格差拡大の教育と総括している点が、他の「ゆとり教育」反対者とは趣が異なる点で、社会の格差やデータから述べている点に注目します。また教員採用の地方と大都市圏の異なった状況を、採用試験の難易度ばかりでなく論述式・マークシート式という視点から捉えている点に注目します。
4章では、「数学的思考法」出版後の社会問題である消費税増税、本年の参議院選挙、AKBじゃんけん大会などの身近な題材を用いて数学的な考え方を説明しています。
◎ 目 次
まえがき
【第1章】 ゆとり教育の「負の遺産」
1-1 1991年というターニングポイント
1-2 「お客さま扱い」に慣れた大学生
1-3 行き着く先は「替え玉受験」
1-4 地図の説明ができない大学生
1-5 「定義」と「規則」を軽視した結末
1-6 大学生は、なぜ「比」と「割合」の概念が苦手になったのか
【第2章】 マークシート式問題の本質的な弊害
2-1 国語のマークシート式問題を考える
2-2 答えをあてる技術がものをいい、良心的答案は不利になる
2-3 裏技だらけのマークシート式問題
2-4 マークシート問題では出題できない問題に良問あり
2-5 大学入試でマークシート式問題は止められないのか
【第3章】
3-1 「ゆとり教育」の本質は教育の格差拡大
3-2 すべては国語教育の充実から始まる
3-3 大学入試を抜本的に見直せ
3-4 教員免許の国家試験化を目指せ
【第4章】 論理的に考え、書く力を磨くために意識したいこと
4-1 グローバル化時代で大切なのは論述力
4-2 論理的に考えることの仕組み
4-3 論理的に考えるためのヒント
4-4 数学がもつ様々な視点
あとがき
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数学的なものの見方は生きていくために必要
書くことについてのアドバイスが集約されているのかと思いきや、ゆとり教育によって損なわれた論理的に考える力がどのようにして衰えていき、それに対応するにはどうしたらよいかが書かれていた!
数字も文字なのだから数学の問題を解くときにも国語力が必要!
マークシート式では論理的に考えるべき問題が出題できないから、学生が論理的に考えて勉強する習慣がつかない!
ゆとり教育を受けてきた教師には論理的思考を鍛える勉強が必要!
特に証明問題を解くことが重要!
もちろん最後の章には数学的な視点から文を書くヒントもある!
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現状の大学ビジネスとマークシート方式の入試に大きな弊害があることは周知の事実で、そのうえでタイトル通り「論理的に考え、書く力」を身につける具体的な方法を教えてくれると思ったが違った。あと著者は数学が好きみたいだ。
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佐藤優が勧めていたため、本書を読んだ。
芳沢氏の著書は何冊か読んだことがあるが、内容的に浅いものが多く心配であったが、案の定本書も深い内容ではなかった。
本と映画とラーメンは他人の勧めに乗ってはいけない。
佐藤優の勧めだとしても、乗るべきではなかった。
しかし、既知の事柄を確認する意味はあったし、新たに得た知識もあった。
1991年の「大学設置基準の大綱化」が、改悪であったことは有名である。それまで、大学は文部省が決めた設置基準を完全にクリアしなければならなかった。しかし、この「大綱化」によって単なるガイドラインになったため、設置基準がゆるくなったのだ。その結果、主に以下の二つのことが生じた。
一つは、一般教養の自由化である。卒業までに124単位を取れば良いので、幅広い知識を身につける機会が失われてしまった。専門知識はリベラルアーツを基にすべきで、専門バカを生むことになった。
もう一つは、大学数の増加である。少子化にも関わらず、大学数が増えたことで、大学側は受験生を集めるのが難しくなった。
以上、二つの改悪は結果的に、何を生んだか。
大学が受験生集めに必死になり、入試科目を減らし、推薦入試を増やす結果になった。
では、その結果どうなったか、
アホな大学生を大量に輩出した。
高等教育のあり方を変えなければ、日本は沈没してしまう。
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新聞の読書欄で佐藤優が取り上げていたので手にした一冊。
国語の重要性を説く数学者という意味では、藤原正彦と同じスタンス。藤原正彦の主張の多くに共感しているワタシとしては、本書の主張についてもウンウンと頷きながら読み進めることができた。マークシートの問題点を、国語・数学の例を挙げながら解説し、答えを「考える」のではなく、「当てにいく」姿勢になってしまうことを問題視する。マークシート式問題はよくないだろうと漠然と思っていたが、その理由を論理的に説明していてスッキリした。
ただ、どうしても引っかかるのが、本書のタイトル。最近の新書にはありがちだが、本書の内容と必ずしも合っていない。四章構成のはじめの三章は、ゆとり教育とマークシートの問題や入試に関する提言。ようやく最後の章になって、タイトルの内容になる。が、内容は濃いとは言えず、紙数も40ページほど。このタイトルに期待して読んではいけない。
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2018/12/20 Amazonより届く。
2020/7/8〜7/11
先日読んだ「%が分からない大学生」に続き、芳沢先生の本を読む。数学力の低下がさまざまな問題を引き起こす、というのは同意。もっとも、そんなに高等な数学でなくても、数学的思考のようなものはもっと磨くべきであろう。タイトルに「書く力」とあったが、ちょっと言い過ぎか?「考える」は良いと思うけど。
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数学、算数は論理的に考える力をつけるとよく言う。そしてその論理的とはどんな人にもわかりやすく説明ができることだともいう。
だが、自分には数学の照明を理路整然に解読することができない。この到って単純な矛盾を感じてしまうと数学という本性が分からないまま先には進まない。
この疑問を解決できる先生に今だたどり着けないでいる。
ただ、著者の書く本は好きだ。
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「試行錯誤を繰り返し、物事を考える学生が年々増えている」
その原因を、数学者である著者がおおよそ数学的な目線から、今日の大学入試のやり方を批判し、教育と入試のあるべき姿について論じられた本。
まず筆者が最も今日の教育の弊害と訴えていたものは入試の「マークシート方式」である。
本来、「答えを導く」ことが重要な数学が、マークシート方式によって「答えを当てる」教科になってしまっている。
「何が成り立ち、何が成り立たないのか」を証明する学問であるにも関わらず、大学入試のマークシート方式によってこのプロセスが軽視されてしまっている。
入試問題は答えを導く記述式の問題が適切である、というのが著者の意見である。
また、数学の証明問題の重要性について論じられていた。
証明問題は論理の通った文章を書く訓練であるにも関わらず、大学入試によって証明問題が軽視されているため、教育の場での証明問題を解く機会が減っている。
今日のグローバル社会では、文化や風習の異なる相手が納得できるように、論理的に考えて自らの立場を筋道立てて説明する力が重要になっている。
しかし、「正しい答え」を求めることが大事にされている現在の教育ではそのような力を伸ばすことができない。
現在の教育は「自らの頭で考え」「根本から理解する」力を育む教育からは程遠いところにあるのだ。
また、個人的に興味深かったことが、著者が教育の弊害の一つとしてあげていた「少科目入試」である。
確かに最近の私立大学の入試では、どんどん科目数が減っているような気がする。
これは、大学の偏差値を上げるためであるらしい。
入試の科目数を減らすときに一番狙われやすいのは「数学」である。
入試というものは高校までの学びに直接的に関係してくる。
高校のときを思い返すと、自分も含めた周りの人たちは大学に入るため、大学に必要な科目だけを熱心に勉強していた覚えがある。入試に必要でない科目は軽視されがちである。
そのため、私立文系狙いの高校生はほとんど数学を勉強しなくなるのだ。
これからのグローバル社会で生き残るために必要な「試行錯誤して考えることや論理的に表現する学び」を復活させるには、大学入試の体制を抜本的に変える必要があるであろう。