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第二次大戦を指揮した当時のイギリスの首相チャーチルによる戦争の回顧録で、知られざる事実が満載の一冊です!
2020/06/04 11:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、第二次世界大戦を指揮したイギリスの首相チャーチルによって著された戦争回顧録で、河出文庫からは全4冊シリーズで刊行されているものの一冊です。同書は第2巻目にあたり、第1巻目に引き続いて、同書では1939年9月の英仏両国によるドイツへの宣戦布告から始まります。史上例を見ない規模の世界大戦が勃発し、翌年5月には、ドイツ軍はオランダとベルギーに侵攻してフランスに進撃し、たった3週間でフランス軍は壊滅状態に陥りました。イギリスは最初は無防備のまま孤立するのですが、敵対的中立を装ってヒトラーを支援するソ連をよそに、単独でヒトラーの指揮するドイツと耐久戦を始めます。ぜひ、イギリス軍を指揮した当時の首相の目からみた戦争の状況を知るという意味でも、読んでいただきたい一冊です!
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戦争に突入して俄然テンポが出てきた。実は第二次世界大戦勃発後しばらくはイギリスがほぼ単独でドイツを相手に戦っている。指導者としての戦争遂行能力があらゆる面で発揮される。
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原書名:THE SECOND WORLD WAR,Abridged one‐volume edition(Churchill,Winston S.)
第二部 単独で1940.5.10~1941.6.22
ノーベル文学賞
著者:ウィンストン・スペンサー=チャーチル、1874イギリス・オックスフォードシャー-1965、政治家、サンドハースト王立陸軍士官学校卒、元イギリス首相
訳者:佐藤亮一、1907青森県-1994、翻訳家、慶応義塾大学卒、元共立女子大学教授
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長かった。 (−_−;)
途中で何度やめようと思ったことか。
ストレスなく読むには私には教養がなさ過ぎました。
ヨーロッパを中心とした第二次世界大戦の、主要な場所、戦闘とその計画、重要な会談等々が頭に入ってないと
読んでいて、もうワケワカラン。
チャーチルさん、宰相の書く文章じゃないっす。
こまかすぎます。
加えて日本語訳も分かりづらい。
ずいぶん昔に訳されたっきりみたいです。抄訳が読みたかった。
でも読んで良かった。
本書を読んで、自分は日本から見た第二次世界大戦しか知らなかったという事がよく分かった。
アメリカって、太平洋だけでなく
ヨーロッパでも戦ってたんだね~。
ノルマンディー上陸作戦というのが、だいたい何なのかようやく分かった。
本シリーズ読破は今年の目標30個のうちの一つでした。
次はベストアンドプライテストで、ベトナム戦争について理解を深める。
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[ 内容 ]
<1>
強力な統率力と強靭な抵抗精神でイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導いた歴史的な政治家チャーチル。
本書は、歴史の舞台に直接参加した彼の手による、最も信頼すべき最高の第二次世界大戦の記録だ。
深い歴史観に基づく著作活動によってノーベル文学賞を受賞した彼の歴史物語を堪能できる。
第1巻は、一九一九年から第二次世界大戦勃発の翌年までを描く。
<2>
一九三九年九月、ついに英仏両国はドイツに宣戦布告し、史上例を見ない規模の世界大戦が勃発した。
翌年五月、ドイツ軍はオランダとベルギーに侵攻してフランスに進撃、たった三週間でフランス軍は壊滅状態に陥った。
イギリスは最初は無防備のまま孤立するが、敵対的中立を装ってヒトラーを支援するソ連をよそに、「単独で」ヒトラー・ドイツと耐久戦を始める。
<3>
ソ連の参戦は連合国側には歓迎すべきことだったが、強力なドイツ軍を相手に、その抵抗力は充分とは言えなかった。
一九四一年十二月、日本の真珠湾奇襲攻撃によってついにアメリカが参戦に踏み切り、戦線は欧州から一挙にアジア太平洋地域へと拡大した。
枢軸側の猛攻の前に連合国側は苦戦を強いられたが、カサブランカ会議やカイロ会談など反抗の準備が始まる。
<4>
第二次世界大戦は、連合国側による反抗へと戦局が転換していた。
ドイツ、イタリア、日本は守勢にまわり始め、スターリングラードの攻防戦で形勢は完全に逆転した。
シシリー征服からイタリア進攻、テヘラン会談。
そして一九四四年六月六日、ついに史上最大の作戦「ノルマンディー上陸」が開始された。
翌年五月、チャーチルはドイツの無条件降伏を発表した。
[ 目次 ]
<1>
第1部 不幸への一里塚―1919~1940.5.10(勝者の愚行―1919~1929;絶頂期の平和―1922~1931;アドルフ・ヒトラー;いなごの年―1931~1933;暗黒化への背景―1934;崩れた空軍の均衡―1934~1935;挑戦と反応―1935;イタリアに対する制裁―1935;ヒトラー出撃す―1936;幕間の舞台裏―1936~1938 ほか)
<2>
第2部 単独で―1940.5.10~1941.6.22(挙国連立;フランスの戦い;海への進軍;ダンケルクの救出;獲物へ殺到;ふたたびフランスへ;本土防衛と反撃体制;フランスの苦悩;ダルラン提督とフランス艦隊―オラン;窮地に立って ほか)
<3>
第3部 大同盟―1941.12.7~(われわれの同盟国ソ連;ルーズベルトとの会見;ペルシアと沙漠;真珠湾!;世界大戦さなかの旅;英米の一致;シンガポール陥落;Uボートの天国;アメリカ海軍の勝利。珊瑚海とミッドウェイ島;「第二戦線をいま!」 ほか)
<4>
第4部 勝利と悲劇―1943~1945(シシリーの征服とムッソリーニの失脚;人工の港湾;イタリア進攻;地中海における停頓;北極洋の輸送;テヘラン会談―開幕;テヘラン―難問と解決;カルタゴとマラケッシュ;チトー元帥―ギリシアの苦悩;アンチオ攻撃 ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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「最初の40日間以降は、勝ち誇ったドイツとイタリアが、われわれに必滅の攻撃を加え、ソ連は敵対的中立の立場で積極的にヒトラーを応援し、日本は計りがたい脅威であった。われわれは単独であった。」
第2巻はヒトラーの侵攻でズタズタにされるフランスとロンドン空襲に耐え忍びながら反撃の機会を狙うイギリス。アメリカは兵器の支援を約束したがそれを含めても兵器の足りないイギリスがそれでも各国を支援し進撃するナチスドイツをなんとか防ぐ。イタリアはドイツと協同で作戦をしてるというよりは英仏が弱った好きにどさくさ紛れに領土を広げようとしている。
フランスが早々に占領されたため1944年上半期まで連合軍はイギリスにかかっていた。アメリカが西部戦線の主力となったのは45年になってからだ。海運の被害総数の半数がイギリスならUーボートを中心に敵潜の半数を沈めたのもイギリスだった。
挙国一致の戦争内閣を率いたチャーチルは実質に重きを置いて組織を改変した。「憲法は短く、あいまいにしておくべきだ」現代日本でこう言うとかなり叩かれるだろうが、チャーチルは自分の義務と権利を規定しないように気を配り法的手続きで時間が浪費されるのを避けた。臨時招集した下院で信任投票を行い、あらゆる政党からの信任を受けた。遅ればせながらイギリスは勝利を目指して戦うことで団結した。フランスが陥ちればイギリスは戦争を諦めると読んだヒトラーの目論見はすでに外れていた。
1940年5月9日の空襲を皮切りにドイツはフランスに進撃を開始した。ドイツの126個師団に対し連合軍は135師団と拮抗していたがドイツの攻撃力が上回り、フランスの防衛戦には50マイルもの穴が空きドイツ軍が流れ込んだ。15日にはフランス首相のレイノーは我々は負けたといい、オランダは降伏した。フランスは後詰めの機動部隊を用意していなかったため前線が崩れると後は後退しかなかった。包囲されたイギリス軍はダンケルクからの撤退に成功し34万人が逃げ延びた。3万人の捕虜とほぼ全ての陸軍の装備を失ったがドーバー海峡の制空権と制海権はまだイギリスが握っており、イギリスは闘志を保っていた。
ムッソリーニが参戦、ソ連はドイツの勝利を祝福し、踏みにじられたフランスはイギリスとの同盟のために単独講和を結べない。フランスではイギリスに対する反感が沸き起こり、イギリスはフランスの植民地を奪い取ろうとしているというものがあれば、ナチの一州になった方がましだというものまで現れた。しかしイギリスは空軍が負けなければドイツの上陸は防げる、量的には優勢なドイツ空軍に対しても士気が落ちなければ対抗できると信じ、そしてそれは実行された。
ドイツがイギリスに上陸しようとすれば秋になり海が荒れる前に制海権を保持しなければできない。そして制空権を握れなければ一度上陸したとしても補給ができず後が続かない。陸海空軍がチャーチルのもとで団結したイギリスと違いドイツはバラバラで、上陸しさえすればなんとでもなるという陸軍、ノルウェー沖で敗れ上陸に悲観的な海軍、そして回廊を形成する責任は空軍に押し付けられた。空軍のゲーリング元帥は威信の高い陸軍に対抗するため空軍だけ���勝利を得ようとした。
バトル・オブ・ブリテンでは両空軍の性能はほぼ同じだった。数で上回ったドイツが当初は優位に立ったが最終的に損害数は変わらずドイツは制海権を手に入れることはなくやがて上陸作戦は破棄された。おそらく攻撃目標をロンドンにして士気を折ろうとしたのが戦術的なミスで、空軍の消耗戦をしかけた方がイギリスは困っていたのだろう。瓦礫の下でロンドンは耐え忍びながらイギリス軍は空港と航空機の修理に回ることができた。「人類の歴史の中で、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない」というのがチャーチルの有名な演説として残されている。
ヒトラーはバルカン、アフリカ、中東と戦線を拡大しついにソ連に戦線を布告する。ソ連を落とせばイギリスには後で戦力を集中できるからだ。しかしイギリスの戦いでも途中から制空権ではなくロンドン空爆でイギリスの心を折ろうとした様に、戦線拡大も上手くいかなかったところは置いといて転戦している様にも見える。一方のイギリスは本土防衛の戦力を割いてでも他国を支援した。敵対的中立から一転して援助を訴えた傲岸不遜なソ連に対してさえもだ。
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引き続きなかなかのボリューム。
地名、地理が頭に入ってない部分があるのでところどころよくわからず読み進めてしまうが、総じて戦時下の最高司令官の目線での物語は面白い。
一巻に続きソビエト侵攻に対する名スピーチでの終わり方は次を読みたくなってしまう
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ついに本格的に第二次世界大戦が始まり、フランスは早々に敗れる中有名なダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)などを含む大陸からの撤退、そしてこれも有名な「イギリスの戦い(バトル・オブ・ブリテン」など様々な戦いが縦横無尽に具体的な日付や担当者、部隊名や兵力を可能な限り明示して描かれる。戦線は大西洋や地中海、北アフリカなどにとどまらず、ギリシア、マルタ、クレタ島などに及びこの巻の最後にはナチのソ連侵攻を持って終わる。この時チャーチルは、既に事前にナチドイツ軍のソ連侵攻の可能性が高い事を知悉しておりすぐさま世界に向けて演説を行っているがその演説が中々自由人や民主主義を報じる国民やソ連一般人への激励を含み感動的であった。いよいよ次巻は凄惨極まる東部戦線と日本の参戦が描かれるものと思われ楽しみである。極上の当事者による客観性も高い第二次世界大戦の回想録であると言えよう
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頭の整理
1939年9月1日
ドイツがポーランドに侵攻
1939年9月3日
英仏がドイツに宣戦布告
→ドイツは東部戦線に戦力を集中し、英仏との戦闘はほぼなし
→まやかし戦争、奇妙な戦争と呼ばれる
1940年4月9日
イギリスはノルウェーに先制攻撃
チャーチルの発案だったが、ドイツ軍を前に大敗を喫した。
1940年5月10日
ドイツはフランスに侵攻。
マジノ線を突破し、戦車部隊により破竹の勢いで侵略。
イギリスではチェンバレンが退陣し、チャーチル首相のもと挙国一致内閣が成立。
1940年5月24日〜6月4日
ダンケルクの戦い
フランス駐留のイギリス軍を始め同盟国側軍隊、40万人の撤収戦(ダイナモ作戦)
1940年6月10日
イタリアが英仏に宣戦布告
1940年6月14日
パリ陥落
1940年6月16日
抗戦派のレイノー首相が退陣。
休戦派のペタン元帥が組閣。
1940年6月17日
抗戦派のド・ゴールがイギリスに亡命。
1940年6月21日
フランスが独伊に休戦申入れ
同22日、独仏休戦協定が締結されペタン元帥を首相とするヴィシー政権が成立。
親ナチのラヴァルが副首相に。やがて1942年には首相に。
1940年7月10日〜10月31日
バトルオブブリテン
7/10〜8/18 ドーヴァー海峡
8/24〜9/27 ロンドン空襲
10月 ロンドン及び各地の軍需工場無差別爆撃
その後もロンドンへの空襲は続く
年末の12月29日がそれまでで最大級の空襲。
機雷に加え、大量の焼夷弾により猛火となった。
1940年9月15日
ドイツのとど作戦(イギリス上陸作戦)の当初のDデー(決行日)
→ドーヴァー海峡の制空権、制海権を確保出来ず、逐次延期。9/17には無期限延期に。
1940年7月〜1941年7月
大西洋の戦い。ドイツのUボートにより、植民地や同盟国からイギリスへの輸送船が次々と撃沈。イギリスはカナダ、アメリカ、ニューファンドランドの協力を得て、なんとか制海権の確保を行った。
1940年11月5日
米大統領選→ルーズベルト異例の3選
1940年12月16日
ルーズベルトがイギリスへの武器貸与を声明
→1941年3月レンドリース法(武器貸与法)成立
1941年3月20日
ユーゴスラビア政府はドイツと協定
→しかし、3月28日、革命により政府は打倒され、対ドイツ政府が成立
→ヒトラーは激怒。隠密裏に進めていた、対ソ戦計画(バルバロッサ作戦。1940年12月18日に指令され極秘で準備)のDデーを5月から6月に延期し、ユーゴスラビアへ侵攻。
→4月17日、ユーゴスラビア降伏
→その勢いでギリシャにも侵攻し、4月24日、ギリシャも降伏
1941年5月
ドイツはイギリスの地中海の拠点、クレタ島にパラシュート部隊による猛攻。
→6/1までにイギリス軍はクレタ島から撤退
→6/21、クレタ島の戦い、北アフリカ戦線でのロンメルとの戦い、アラブにおける戦いでの意見相違、敗戦により中東軍司令官ウェーガン将軍が更迭された。
1941年6月22日
ドイツ(リッベントロープ外相)がソ連に宣戦布告。
ーーーーーーーーーーー
P17 挙国連立
「もし現在が過去を裁判するなら未来が失われるだろう」
P20 権力について
第1の地位と、第2、第3、第4の地位は全く違う。
P23 公務は文書で
私が下す指示は全て文書になっているか、あるいは直後に文書で確認されるべきものである
P25 国防相の地位
省の新設は考えなかった。そのためには立法が必要で、実際には個人的好意でほぼ全て解決されていることを一つずつ憲法いじりしないといけない面倒さ
P26 国防相の閣僚
秘密問題に接し、関係の深い閣僚の人事異動は事務の連続的、能率的な処理に有害である。
第2章 フランスの戦い
P33
しかし、ドイツ軍は攻撃の時期、方向、戦力を自由に選択出来る立場にあった。
→先制、主導の重要性
P35
5月9日から10日にかけての夜、ドイツ軍はフランスに奇襲
P55,56,70
ウェーガン計画に対しイギリスの遠征軍総司令官ゴート卿は海からの撤退を決断。
その時点でフランス軍への撤退命令はなし。
そうした中で、イギリス軍を当然最優先にしつつも、フランス軍もイギリスに救出した。
→P79 戦火の中、チャーチル自らがフランスに出向き同盟国としての仁義を切る。
P78
撤退戦における最後の迎え方。
アメリカ軍のコレヒドールでのマッカーサー撤退に繋がったと言われる。
P123
多くのことが不確かだったときだけに、主導権を回復することがなによりも大事であった。
→イズメー将軍への手紙
P126
戦車上陸用船やマルベリー港(浮かせて運ぶ人造港)の開発
P239
イギリスは膨大な量の武器をアメリカに発注。
しかし、ドルの外貨準備と、その代わりとなる金の保有は底をついており、今後の武器支払いが不可能になることは明白だった。
そうした状況のもと、再選を果たしたルーズベルト大統領は「Lend-Lease」(武器貸与)という形をとることを決めた。これは古い法律の一部に根拠があったが、イギリスが発注した武器をアメリカが買い取り、リースすることを議会で説明し、理解を得る必要があった。
P335
クレタ島の制海権維持
カニンガム提督「海軍が新艦を建造するには三年を要する。新しい伝統を作るには三百年を要するだろう。撤収(すなわち救出)は続けられるだろう。」
P346
中東作戦における現地のウェーガン将軍と本土のチャーチルほか三軍参謀らとの意見の相違と結果。
「できる以上のことはやらぬとか、やるからには確実にものにできることをやるということは、常によくいわれることである。しかしこの原則は、人生や戦争における他の原則同様に、例外を持っているのだ。」
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独ソ戦開始まで
戦時内閣の首班当事者かつ文学賞を得る筆力を備えた人物による記録は
ガリア戦記を思わせるものがある
これはブリテンでなくイギリスの戦いと書かれているけれど
日本にとってはわりと関係ない大西洋の戦いやアフリカ戦線も興味深い
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第二巻はイギリスがやられまくる。ドイツ強すぎ。フランスがやられるとフランスもドイツに協力するので益々差が開いて行く。ドイツによる本土抗戦に多くページが費やされる。この頃はまだアメリカが参戦してくれていないので、孤軍奮闘、孤立して先が見えなく精神的にも苦しかったと思う。さらにイギリスは世界帝国でもあったので戦線が広い。広がる広がる。これは本当に大変だ。最後にドイツがロシアに宣戦布告するところで終わる。ドイツはロシアに戦線を拡大しなければ歴史は変わっていたのだろうか。本当に不思議だ。しかしドイツ強い。
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第2巻では、ついにドイツがフランスへの進行を開始。映画にもなったダンケルクでの救出作戦(ダイナモ)には、個人の所有する小型艇も多数参加し33万人以上の兵士を英国に救出したそうです。
フランスがドイツに降伏し、ペタンを首班とするヴィシー政権に移行しますが、ドゴールがフランスの未来を背負う人物として登場します。「平然とした振舞いのなかに、苦痛を耐え忍ぶ並々ならぬ資質がうかがわれた」とチャーチルによって評されています。ドゴールの評伝を読んだ際に、彼がチャーチルの英国やルーズベルトの米国に対して不信感を抱いていた様子が書かれていたのを思い出しましたが、チャーチルの言を借りれば、対独協力政権となったヴィシー政権に対しても関係の改善を促し続ける必要もあったことにより、英国は二心を持っている、との印象を自由フランスに与え、それを代表するドゴールとしては、英国の傀儡でないことを示すために強めの態度をとる必要に迫られたため、と説明されています。
1940年の夏のこの頃は、英国は西欧諸国にあって独伊に対峙する唯一の国だったようです。事実、この後にドイツによる激しい空爆に曝され、海上ではUボートに攻撃されながらも、バルカン、北アフリカ、中東にも戦線が拡大していく中での英国は正に孤軍奮闘の様相を呈しています。
敵将ながらチャーチルはロンメル将軍を高く評しています。1944年のヒトラー暗殺計画に連座して落命しますが、「素晴らしい戦争の賭博士」と評されています。
本書では、チャーチルが霊感によって使用人を空爆による爆風から守ったエピソードも紹介されています。絵を描いたり、闘い続けることに対するスピリチュアルな演説といい、チャーチルには神通力のようなものが備わっていたのかもしれません。