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投稿者:ビジネス読書 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルの通り、人生に生きる価値はない、という究極的なネガティブな内容であるにも関わらず、読んでいるとなぜか元気が出てくる不思議な本。
中島義道先生の戦闘モードの気迫が乗り移ってくるような気持ちになります。
人生に悩んでいる方、岐路に立たされている方、一度読んでみると良いかと思います。
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相変わらず、この人の異常に攻撃的なところがどうしても好きになれない。むしろ大嫌いである。信念を持つのは構わないが、そのことによって他者に大きなダメージを与えるのは、どのように説得されてもやはり受け入れられない。
しかし、それでもこうした首尾一貫した主張を続ける彼の著作をいつも買って読んでしまう。気になる。
それは、おそらく自分が幼い頃から思索していたことと共通する内容がところどころに散りばめられているからだろう。本書のタイトル文についても、小学生の頃からずっと思い続けていることだった。
だから、これからもう少し反感を抑えられるような文章で思索を綴って貰えないものだろうか、と願ったりするが、そうすれば彼ではなくなるのだろう。
次も我慢して読むだろう。
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哲学と心の病
キレるオヤジ
死を「克服」する?
他人の幸福
コミュニケーション力?
ニーチェの季節
明るいニヒリズム
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人間の生き方は大きく分けて、
努力に努力を重ねて自分の信念を磨き上げ、それを貫き通すか、
それともラクに生きるために信念を放棄するか、
の二者になり、前者をコミニュケーション的強者と呼ぶ。そして、前者の方が人生が豊になると説く。
と、読了後に気になったところを拾ってみたが、人生に生きる価値はある、という信念があるから書けるんだろうなー、全般的に。
中島義道さんの文章は初めて読んだので、もう少し他の著作を読んでみよう。変わった方だか、共感できる部分も多い。
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とおーーいところから眺めていると相変わらずおもしろい中島さん。
見てみたいけど知り合いたくない人だ…。
これを読んで「おれも」と思った量で中2病率が決まると思う。
途中で投げ出してしまったということはオトナになってしまったか…。
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中島義道先生のエッセイ。御大もだいぶ丸くなったようで…というか、以前ほど極論を言わなくなった(押し付けなくなった?)せいでまろやかな口当たり。
とは言いつつも、中島節は健在。知性的でない人や暴力的に善良な人を徹底的に忌み嫌うその姿勢、変わってない。ついつい共感してしまう。時折(全体の三分の一くらい)出てくる哲学的な話も、サラリーマンやってる身としては読みやすいライトな議論なので楽しく読める。先生の哲学的思索も深まっているようで、今後にも期待。
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これまで本を読んでほぉほぉと納得して読むことはあったが、この本は読んでいて「やっぱりそう思うよねぇ」と共感した箇所が多かった。哲学的な話については、あまり私に教養がないのでよく理解できなかったが、普段のものの感じ方などがあまりにも私と似ていて驚いた。哲学に興味をもつのがもっと早くて、大学で哲学を専攻していたらなぁ…と妄想しないでもないが、後悔はしていない。この本を読んでいなければ、そもそもそんな考えに至らなかっただろうし、この本を読んだことで哲を今後の人生の趣味にできれば、と思えたのは収穫だった。
私には後悔する過去も、あるべき未来もなく、ただ“今”しかないのでR。
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方丈記 ニヒリズムが結部で死への恐れから阿弥陀仏へ救いを求める。→死への屈服
リーアム・デブリン この世は神様が二日酔いの朝に作った冗談事だ
以下、引用
いじめの「本当の」原因
じつは仕事において協調性はそれほど必要ない。ほとんどの場合、それぞれが自分に与えられた仕事をきちんとこなせば―一致団結しなくても―、それなりに全体の仕事の成果は上がる。職場での協調性神話から目が覚めれば、少なからぬ人が職場で辛い思いをしなくて済むのではないかと思う。
人間嫌い
人間嫌いとは、つまるところ自分の信念と感受性に忠実に、世間と妥協しないでどこまで生き抜くことができるか、平たく言えば「わがまま」をどこまで貫けるか、実験している人種である。
世界は消え続けてきた!
私は、十年ほど前に、「未来はない」ということを明晰かつ判明に腹の底から確信した。(略)「明日の天気」とか「今晩の予定」とか、語れそうな気がするのは完全な錯覚であって、それは未来について語っているのではなく、ただ「未来に起こると想定したあるもの」について語っているだけなのだ。「未来に起こると想定したあるもの」は、未来に起こることではなく、現在そう考えているだけのことである。(略)われわれが未来が「来る」と語るとき、空間と運動と物体のイメージにすがっていて、それ以外のことは何もしていないことがわかるであろう。五分後の休憩時間は五分後にこの駅に到着するはずの電車のように。いまどこかに「ある」わけではない。(略)つまり、いまこの宇宙の隅々を探してもどこにも「ない」のだ。なのに、一秒後、五分後にそれが生ずるのである。
オリンピックとノーベル賞
現代日本において、「俺は自分を誇りに思う」という言葉はめったに聞かれない。それが傲慢と紙一重であること、自己愛の吐露であることを知っているゆえに、誰でも警戒するからである。だが、不思議なことに、「俺は今回のノーベル賞受賞者を日本人として誇りに思う」とか「私はオリンピックで金メダルを取った選手を日本人として誇りに思う」という言い方に切り替えたとたん、傲慢という非難をくぐりぬけ、社会的に公認させる。(略)なぜ、われわれは「日本人として」誇ることをやめないのだろうか?(略)それは、人生の楽しみがなくなるからである。(略)人間はランク付けの好きな動物なのだ。集団の中でより高いランクにいたい動物なのだ。(略)それができなくとも、せめて自分が属する集団の勇者に「勝ってもらいたい」動物なのだ。(略)このすべてをやめるとき、人生の虚しさはその全貌を見せるであろう。(略)こうした共謀構造によって、われわれは自分の属している集団の成員を通して自らを誇ることをやめないのである。
解説
中島さんは死ぬのがこわい(こわかった)。それは、死がすべてを奪い去るからである。ところが、人生が無価値であると、とことん体に染み込ませたならば、こんなもん奪われたところでどうってことないという気持ちになる。かくして、死の不安から解放される。
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とある本のコラムを読み、著者に惹かれ本書を購入したのだがますます彼の魅力にハマった。彼の「自分勝手」な生き方は本当にカッコいいと思う。
本書は「五目ご飯」のような様々なテーマを混ぜ合わせた日記のまとめみたいなものだが、その中でも哲学の専門的な話も日常のいらっとした話も含め中島節が見えてきて面白い。
確かに人生には生きる価値も意味も目的も無いと思うし、みんな薄々気づいているが深く考えていないように思う。それか無理矢理意味を見いだしているように思える。
だが、巻末の野矢さんの解説も非常に的確なツッコミをしており、このツッコミに対する回答はまだ私の中ではまとまっていない。
私も著者のような魅力的な「自分勝手」な人間になりたい。
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ブロガーちきりんが同氏の「人生を半分降りる」を熱烈に薦めていたのだけど、高かったのでAmazonでこっちを購入。
したらエッセイだった(泣)
内容は題名の通り。
「積極的ニヒリズム」が心地よい。
カント、触れたこと無いから入門書買おうかな。
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屁理屈ともとれもすつけど、ここまで徹底しているとある意味すがすがしいともいえるか。理屈は自分の哲学に根ざしている点はよいか。
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人生に価値はない、とか言っておいて意外と上手く中島さんは生きているように思う。中島さんは一般人とは違う人なので、考え方が独特でとても面白い。
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タイトル通り人生に「生きる価値はない」と思う。価値があると思うから、人は自らの人生に可能性を見出そうとし、夢を持とうとし、何かのために生きようとする。
けれど、生きるべき価値などハナからないのだ。そこを受け入れてはじめて「人生」というものを真っ正面から見つめることができる。
未来などどこにもない。過去は記憶の中にしかない。どちらも「有」ではなく、瞬間としての「今」しかないとすれば、そこにどうして価値を見出すことができるのか。
人生に生きる価値があると思うから、人は不器用に生に執着する。戦争も虐めも醜い政争も、価値があるという幻想から産まれるのかもしれない。
人生に生きる価値はない。僕らはそこからリスタートしなくちゃいけない。
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生きる意味を見失っていた時に読んだこの本。
人生がいかに意味がないかを書いていて気分が落ち込む本なの
ではないかと思うが、そうでもない。
生きることに殆ど意味はない、なら縛られず自分のやりたいように
やろうっと思ったよりも前向きな内容だ。それ以外は
作者の回顧録が多い。内容がぎっしりと詰まっていることを
期待していた読者はがっかりしただろうが、新しい見解を取り入れると言う点ではいい本だと思う。
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75点。人生に生きる価値はない。と言われたら「は?それってどういう意味?」となるし、「だから意味も価値もないってこと」っていわれてもよくわからない。
無意味だということを自分が理解したとすれば、十分に有意味な行為だしなぁ。
無意味である、とはいったい、どういう意味で「ある」のか。
無意味さを、意味を経由して理解する以外の方法はない。
じゃあ、どうすればいいのだろう。
このひねくれた著者は一生をかけて、先のけっこうどうでもいいような問題について考え続けている奇特な爺さんです。
小さい頃、死が怖かった人は多い。私もそうであった。私の場合は死ぬという行為にではなく、死後を想像することに恐怖を覚えた。でも歳をとると、なんかどーでもよくなっちゃうことが増えて、鈍感さ具合に磨きがかかり、そのような恐怖を感じることは少なくなった。しかし、この爺さんは還暦を迎えてもなお死の恐怖について正面から向き合う。そして、こう言う。
「すべては意味のないこととそのまま潔く認めて、心の安寧を得るという生き方は、ずいぶん私の信条とは異なるものだ。だいたい、私は何事に関しても、単純に諦めるということがない」
なんてギラギラした爺さんではないか。かくして、明るいニヒリズムに通じるわけだが、この人の言う事は嫌いではないです。
いくつか、つまらない話題があるのでこの点数。