上越新幹線物語1979
著者 北川修三
上越新幹線は東北新幹線と同時開業する予定だった。しかし建設中の1979年、群馬県内の高崎駅~上毛高原駅間にある全長1万4830メートルの中山トンネル内で、日本トンネル建設...
上越新幹線物語1979
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商品説明
上越新幹線は東北新幹線と同時開業する予定だった。しかし建設中の1979年、群馬県内の高崎駅~上毛高原駅間にある全長1万4830メートルの中山トンネル内で、日本トンネル建設史上最悪といわれる出来事が発生。その結果、開業は大幅に遅れ、さらには高速の新幹線がスピードダウンせざるを得ない半径1500メートルのカーブがトンネル内に残された。当時の建設担当者が語り残す苦闘と真実のドキュメント。
北川 修三(きたがわしゅうぞう)
1948年石川県生まれ。京都大学理学部地質学鉱物学科卒業。1970年、日本鉄道建設公団(現、鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に入社。3年弱の青函トンネル勤務を経たのち、トンネル技術者として上越新幹線中山トンネルはじめ全国の鉄道トンネルの建設に携わる。2002年公団を退社、引き続き建設コンサルタント会社に勤務してトンネル建設に情熱を注ぎ、現在に至る。
※電子書籍の仕様による紙版と異なる図版・表・写真の移動、本文中の参照指示の変更、ほか一部修正・訂正を行っている箇所があります。予めご了承ください。
目次
- 1.中山トンネルで上越新幹線がスピードダウン
- 2.トンネル水没と奇跡の生還
- 3.上越新幹線建設スタート
- 4.立坑を抱えた中山トンネル
- 5.立坑掘削に4年
- 6.中山トンネル工事を直接指揮
- 7.工事被害の拡大
- 8.再度水没
- 9.ルート変更の決断
- 10.中山銀座の出現
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上越新幹線が取り残される理由
2013/02/11 00:50
2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:山之下宮雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る
お古の車両しか配備されない理由の一端が解ります。
また、現場の技術者・技能者の苦闘も良く解ります。