モッキンポット師の後始末
著者 井上ひさし
食うために突飛なアイディアをひねり出しては珍バイトを始めるが、必ず一騒動起すカトリック学生寮の“不良”学生3人組。いつもその尻ぬぐいをさせられ、苦りきる指導神父モッキンポ...
モッキンポット師の後始末
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
商品説明
食うために突飛なアイディアをひねり出しては珍バイトを始めるが、必ず一騒動起すカトリック学生寮の“不良”学生3人組。いつもその尻ぬぐいをさせられ、苦りきる指導神父モッキンポット師──ドジで間抜けな人間に愛着する著者が、お人好し神父と悪ヂエ学生の行状を軽快に描く笑いとユーモア溢れる快作。
目次
- 一 モッキンポット師の後始末
- 二 聖パウロ学生寮の没落
- 三 聖ピーター銀行の破産
- 四 逢初一号館の奇蹟
- 五 モッキンポット師の三度笠
- あとがきにかえて──
関連キーワード
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
ドタバタコメディーの傑作
2010/01/10 01:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る
東北のカトリック系孤児院の援助で高校を卒業した小松青年は、今まで世話になった神父の紹介状のみを懐に入れて上京、S大学文学部仏文科主任教授のモッキンポット師と会う。異様な風体で関西弁を話すフランス人神父に驚きつつも、S大学文学部仏文科への入学と聖パウロ学生寮への入寮を許可される。以後、モッキンポット師は指導神父として、小松青年を物心両面で支援することになる。
食欲と性欲は人一倍あれど赤貧洗うが如しの小松は、食費と遊興費を稼ぐために、オンボロ寮の悪友である土田・日野と組んで、アルバイトに勤しんだり事業を立ち上げたりする。しかし生来の欲深さが災いして、ついつい悪知恵を働かせ、カトリック学生とは思えない悪行不品行に走る。やがて悪事は露見し、モッキンポット師は謝罪や弁償などの尻ぬぐいをさせられるのであった・・・(この辺り、『こち亀』の両津勘吉の金儲けを想起していただけると、良く分かると思う)
【不良学生トリオの健全な(?)仕事→悪事へと流れる→露見→モッキンポット師の後始末】という展開が繰り返される、マンネリズムの極致とも言える作品だが、貧乏生活(これがまた笑える)から脱出すべく、動物的本能に突き動かされた彼等が次から次へと考え出す(違法なものを含む)金儲けのアイディアと、やりすぎて失敗する様には抱腹絶倒するしかない。
本書巻末の解説に詳しいが、小松ら3人とモッキンポット師が奇妙な共犯関係にあるところが興味深い。不信心の極みと言うべき3人の青年に常に苦杯をなめさせられ、彼等を叱責するモッキンポット師は、根っこのところで3人を信じている。神父という立場から逸脱してまで、3人を救っている。3人も神父を騙し神父に甘えつつも、神父を尊敬し信頼している。それがゆえに神父に告解もするし、『アベマリア』の罰も蕭々と受け入れるのである。この師弟関係は感動的ですらある。
作者の井上ひさしはカトリック修道会ラ・サール会の孤児院「光が丘天使園」の出身で、献身的に働く修道士に感動して洗礼を受けている。また上智大学外国語学部フランス語学科在学中は、浅草のストリップ劇場フランス座を中心に台本を書いていた。そうした経験が本作には投影されており、それが荒唐無稽に見えるドタバタ劇にリアリティを与えているのだろう。超オススメの作品である。
井上ひさし全著作レビュー 4
2010/07/24 17:16
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『モッキンポット師の後始末』『聖パウロ学生寮の没落』『聖ピーター銀行の破産』『逢初一号館の奇蹟』『モッキンポット師の三度笠』の5編を収録。初出はいずれも「小説現代」(1971年~1972年)。
井上ひさしは仙台第一高等学校卒業後、当時寄宿していた孤児院の神父の推薦で上智大学文学部に進学(入学時はドイツ語学科、のちにフランス語学科に転科)したものの、学業そっちのけで浅草のストリップ劇場フランス座で台本を書き始めた。当時のフランス座は渥美清を筆頭に谷幹一、関敬六といった錚々たるコメディアンが活躍しており、この時の体験を小説化したのがこの連作短編である。
まあどこまでが事実でどこまでが創作なのかは作者のみぞ知るだが、主人公小松を始めとする聖パウロ寮の学生達と、彼らにいつも「おだてられ、欺かれ、たばかられ、金品をたかられ、嘆いてばかりいる」モッキンポット神父との交流、というか虚々実々丁々発止の駆け引きは正に抱腹絶倒である。井上ひさしが描く笑いは、時にはシニカルだったり、時には社会批判が強かったりすることもあるけれど、本作はそういう風刺や批判の毒の要素は極めて弱く、限りなく間抜けでお人よしの「モッキンポット師行状記」を無邪気に楽しめばいい。
作者が実際に世話になった孤児院の神父たちは、自分がぼろぼろの着古しの衣類で我慢しても子供達には少しでもいいものを着せてあげようとした献身的人達ばかりで、作者は「キリスト教」を信じるというより、「キリストの教えを信じて自分たちに尽くしてくれた神父」を信じていたそうである。その無償の善意を思いっ切り誇張し、小松たちがとるハチャメチャな行動との落差(コントラスト)が生み出す可笑しさを、破天荒で奔放な笑劇として仕立てたのがこの連作短編と言えよう。
小難しい理屈や分析をせずストレートに心の底から笑って楽しむもよし、モッキンポット師に究極の「至上の愛と慈悲」を見出すもまたよし。