談志が死んだ(新潮文庫)
著者 立川談四楼
その死は弟子たちにも伏せられていた。立川談志、享年七十五。この不世出の落語家に入門したのは十八歳の春だった。それから四十年近く惚れ抜いた師匠から突然の破門宣告。「てめえな...
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商品説明
その死は弟子たちにも伏せられていた。立川談志、享年七十五。この不世出の落語家に入門したのは十八歳の春だった。それから四十年近く惚れ抜いた師匠から突然の破門宣告。「てめえなんざクビだ」。全身が震えた。怒りの理由が分らない。振り回され、腹を立て、やがて気づいた。大変だ。壊れてるんだ、師匠は――。偉大な師匠(おやじ)の光と影を古弟子(せがれ)が虚実皮膜の間に描き尽す傑作長篇小説。
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師匠談志への鎮魂歌
2016/01/26 20:57
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投稿者:小市民 - この投稿者のレビュー一覧を見る
立川流きっての文筆家、立川談四楼師による談志観察記。
談志師については生前より様々な評価がなされており、果たして同一人なのかと思う程毀誉褒貶が激しい。しかし、没してなお語られるということはそれだけ大きな存在であったのだろう。四天王と言われながら早逝した故柳朝師は別としても、先代圓楽、志ん朝両師については、作品は残っていても、その人となりについての著作は寡聞にして知らない。
それは両師に筆の立つ弟子がいないことなのか。
否、両師は少なくとも対外的には「常識人」であり、それに比して、談志師は沖縄開発庁政務次官当時の記者会見に代表されるように、一筋縄ではいかない人物であり、それが故に今なお様々な談志が語られているのだろう。
しかし、多くが認めるように、談志師の芸は一流であり、それに惚れ込んだが故に多くの談志師の弟子となった。
無論、著者の談四楼師もその一人である。
談四楼師の兄弟子には文字助師あるいは左談次師などもいるが、立川流設立の直接のきっかけとなった真打昇進試験騒動の当事者として談志師と行動を共にし、その後、死去までの談志師の変容について、怒り、寛容等様々な感情が交錯しながら描かれている。
そこには一部にみられるような無批判な談志礼賛ではない迫力があり、それが故に、立川談志を演じ続けざるを得ない状況で、老いと病により己が求める噺ができなくなってしまいバランスが崩れてしまった談志師の哀しみが明確になっており、談志師への見事な鎮魂歌となっている。
不謹慎ではあるが、談志師はその死によって立川談志という虚像から解放されたのではないか、そして、解放されたのは談志師のみでなく、談四楼師も含めた弟子達も。