塩野七生の愛のありか
2008/08/20 14:39
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
塩野七生という作家は 自分が女性であることを縦横無尽に使って
いる点では 特筆すべき作家である。好きな男に肩入れしている時の
塩野は 「だって好きだからしょうがないじゃない」と言い切って
いる。これに反論することは難しい。塩野自身が それを分かって
いて そう言っている。これを確信犯と言うのである。
そんな塩野の想い人の一人が マキアヴェッリである。彼は
「君主論」で 日本でもよく知られている。マキアベリズムという言葉
は 日本でも悪い響きを持って言われる。そんな彼の悪評に我慢が
ならないのが 深情けをしてしまっている塩野である。
本書で マキアヴェッリの生涯に親しく触れることが出来た。
そこで描かれる彼は 幾分が滑稽味を帯びた 我々と等身大の男で
ある。塩野は 彼を我々の目線に下げた上で その稀代の現実主義を
説く。
実際 「君主論」を読んで見ると 彼は 科学者の視点で人間を
語っているだけのように思えてしかたない。善悪を超えて 実態を
冷静に叙述する彼は 正しく科学者である。
そんな彼を 愛をこめて塩野七生が描き出す。面白くないわけがない。
君主論を読む前にご一読を
2017/06/06 13:11
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投稿者:サラーさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
塩野さんが親友ニコロ・マキアヴェッリについて書いた本です。割とエッセイで書いていたこととかぶる箇所もありますが、当時のフィレンツェの政治情勢や庶民の生活も触れているので、ルネサンス期のイタリアの本が特に読みたい人にもオススメ。君主論を読む前に読むと良い感じに予備知識を持った状態で君主論に入れるので読んで損するところはないです。
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頭がよく現実的な、しかし権力もなく見た目もぱっとしないこのおじさんへの、ものすごく愛に満ちた本です。と言っても塩野さん流の愛し方ですが。
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読んでいると作者が女性だということを忘れる。繊細さや柔らかさにですら潔さが漂う感じ。
フィクションなんだかノンフィクションなんだか、この人の話を読む時は読んでいると境界が分らなくなる。
じっとり染み込んできて、拾い読みが許されないくらい濃密な厳しさみたいなのを感じる。
それでいてすごく艶かしい文章を書く人だなあというのをいつも思う。この人の作品って大抵そう。
「ルネサンスの女たち」が一番好きなのだけれど、この本はハードでもお構いなしに鞄に押し込んで読み漁った。凄く楽しかった。
余談だが、この人が物凄く好きだったので、受験中世界史の問題の全てに私はこの表記を使い通した。
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細川選。
フィレンツェ共和国みたいですね。うちの部は。
サヴォナローラ該当者が多すぎますけどね。
もちろん中道主義者・大統領ソデリーニとか気狂いピエロも…
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「夜がくると、家にもどる。そして、書斎に入る。入る前に、泥やなにかで汚れた毎日の服を脱ぎ、官服を身に着ける。
礼儀をわきまえた服装に身をととのえてから、古の人々のいる、古の宮廷に参上する。そこでは、わたしは、彼らから親切にむかえられ、あの食物、わたしだけのための、そのためにわたしは生をうけた、食物を食するのだ。そこでのわたしは、恥ずかしがりもせずに彼らと話し、彼らの行為の理由をたずねる。彼らも、人間らしさをあらわにして答えてくれる。
四時間というもの、まったくたいくつを感じない。すべての苦痛を忘れ、貧乏も恐れなくなり、死への恐怖も感じなくなる。彼らの世界に、全身全霊で移り棲んでしまうからだ」
人間性の現実を冷徹に見極める彼の思想哲学とは裏腹に、なんと人間臭い人物だったのだなと、ほほえましく感じる。
いや、そういう人間だったからこそ、あの『君主論』を著すことができたのだろうか。
実に魅力的に描かれていて、彼のことがたまらなく好きになる。
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ルネサンス傑作集の最終巻。
長かったよ(苦笑)
同じモノカキのマキアヴェッリを主人公にして、塩野七生は時に熱く、また冷静に、寄り添い、離れ、相反する要素を同時に描いたように思う。というか、そのようにしか書けなかったというべきか。
このルネサンス傑作集は、個々ですでに文庫オチもしている。けれど、こうやってまとめて読むことでルネサンスというものがわかってくる気がする。それは、宗教からも国からも唯一縛られることを拒否した時代。だからこそ、チェーザレ・ボルジアのような徒花が、そしてマキアヴェッリのような知性が、そしてヴェネチアのような個性が、生きたのだと思う。
これは、ぜひまとめて読んで欲しいです。
でもって、やっぱり私の好きな男の原点は、チェーザレです<殴
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チェーザレの連載再開を祝うに当たって、やっぱりもっと勉強しないとなぁと思って手にした一冊(全三巻だけど)
やっぱり塩野さんはおもしろい!!
ローマ人は途中で自分が何巻読んでんのか分からなくなって辞めちゃったけど、これはなんといってもルネサンス!
1巻はまだそんなにボルジアは出てこないけど、それにしたって、この時代背景にはゾクゾクせずにはいられないよねー。
もし、好きな時代に生まれられたなら、この時代に生まれてみたかったかもしれない。
(いや、そう簡単には言えないか)
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著者のマキアヴェッリに対しての贔屓、いや愛が存分に伝わる1冊。著者自身が自分が書いたマキアヴェッリの友人たち(ヴェットーリやグイッチャルディーニなど)と、どちらがマキアヴェッリを理解しているか張り合ってるところが面白い。塩野作の他作品を読んでいてフィレンツェほどイタリア統一の足を引っ張っている国は無いなと感じていたが、視点がフィレンツェに移ると、ヴェネツィアや法王陣営、その他の小都市国家も三者三様だったんだなと。
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この本の狙い通り、「君主論」により目的のためには手段を選ばない冷徹な人間像からはかけ離れた人間ということがわかった。むしろ人間味のあふれた、俗っぽさが伺えた。残念ながら時代には翻弄されたがその中で「君主論」等を表すに至った洞察力で、指導者に下記の者を望んだのである。
ヴィルトゥ(才能、力量、能力)、フォルトゥーな(運、幸運)、ネチェンタ(時代性、時代の要求に合致する)
この本を読んで彼の生きた時代を考慮するとこれらを選ぶ理由が分かった。
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2010.11.10 めまぐるしく移り変わる時代のなかで、変化に翻弄されながら官僚として、そして作家として生きるマキアヴェッリの生涯。作家として、名声を得たあとも、最後まで政治への思いは潰えなかった。母国フィレンツェを愛した偉人の一生。
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マキャベリの思想よりも、その思想がいかに生まれたかを、マキャベリという一人の人間の人生を追いかけながらなぞっていく。そんな感じの一冊。
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いつか読もうと思っていた塩野七生の本を初めて読んだ。
マキャベリズムという言葉で知られる、君主論を執筆したマキャベリについて徹底的に深く描かれている。マキャベリはどういう時代に育ち、書記官時代に何をして、そしてフィレンツェ追放後、物書きとして何を考えていたのか。
マキャベリは誠心誠意祖国のために尽くしてきたが、不当に祖国を追放された、そこにはどのような怒りがあったのか。活かされなかった天才の姿と、天才を活かさなかった時代が圧倒的な質量で書かれていてとても面白かった。
経営層に塩野七生が好まれるのが分かる気がする。交渉のやり方、それぞれのひとの立場の想い、攻略方法、経営戦略にも繋がりそうな政治の世界に触れることが出来る。
でも、天才マキャベリの無邪気さ、自由奔放さ、そういった人間味もしっかり描かれているのが、ただの歴史本で終わらない醍醐味を与えてくれる。
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愛すべきマキァベリ!
本題からは逸れますか、有名なゴンドラの唄のルーツは、ヴェネツィアではなく、フィレンツェの偉大なるロレンツォに辿られるとのこと。
勉強になりました。
またルネサンスの都フィレンツェに行きたくなる一冊。
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マキャヴェッリ これまでは「君主論」の著者ということくらいしか知らなかった(もっとも、君主論だっていまだ読んじゃいないのだが。。)。
ふーん、もともとはフィレンツェの敏腕官僚&外交官なんだね。それも相当な労働中毒だ。
42才の時クーデターが起き、それまで活躍しすぎていたこともあって、あえなくクビ。収入の道を絶たれ、生きがいも無くし、失意の中で「君主論」など後世に残る著作を次々とものにする。人生、何が不幸なのか、何が幸いするのかわからないもんで、このクビがなければ後世これほどマキャヴェッリの名前が残っていないはず。
マキャベリズム 辞書によれば「目的のために手段を選ばないやり方」とある。いささか印象が悪い。これも後世の人々の誤解や歪曲がかなり入っているらしい。聞いて見なけりゃわからんもんだ。とはいえ、塩野先生はほれ込んだらあばたもエクボっぽく書くので、塩野説を100%信じてもいないわけだが。。。。