紙の本
なぜ、人類は遊牧生活を捨て定住化したのか?
2020/03/29 11:02
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、人類が長く継続してきた遊牧生活を捨て、定住生活をするようになったのはなぜか?という素朴な疑問について生態人類学の立場から人類史を再考した画期的な一冊です。同書は、「第1章 定住革命」、「第2章 遊動と定住の人類史」、「第3章 狩猟民の人類史」、「第4章 中緯度森林帯の定住民」、「第5章 歴史生態人類学の考え方――ヒトと植物の関係」、「第6章 鳥浜村の四季」、「第7章 <ゴミ>が語る縄文の生活」、「第8章 縄文時代の人間-植物関係――食料生産の出現過程」、「第9章 手型動物の頂点に立つ人類」、「第10章 家族・分配・言語の出現」といった構成で議論が進められ、一つ一つの内容が非常に分かり易くなっています。
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「不快なものには近寄らない、危険であれば逃げていく。この単純極まる行動原理こそ、高い移動能力を発達させてきた動物の生きる基本戦略である」
「遊動生活とは、ゴミ、排泄物、不破、不安、不快、欠乏、病、寄生虫、退屈など悪しき者の一切から逃れさり、それらの蓄積を防ぐ生活のシステムである。移動する生活は、運搬能力以上のものを持つことが許されない。僅かな基本的な道具のほかは、住居も家具も、様々な道具も、移動の時に捨てられ、いわゆる富の蓄積とは無縁である。」
「一方、定住生活とは、これら一切を自らの世界に抱える生活システムである。この生活を維持するには、ゴミ捨て場を定め、便所を作るなどして環境汚染を防止しなければならない。フワや葛藤、不安の蓄積を防ぎ、すみやかに解消するために社会規範や権威が要求され、、、」
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先の『暇と退屈の倫理学』の参考文献の一つ。著者は、農耕の開始→定住の開始という、我々が教科書で習った通説を否定し、定住の開始→農耕の開始としている。本書のポイントはこの一点に尽きるだろう。
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第1章 定住革命
第2章 遊動と定住の人類史
第3章 狩猟民の人類史
第4章 中緯度森林帯の定住民
第5章 歴史生態人類学の考え方
第6章 鳥浜村の四季
第7章 「ゴミ」が語る縄文の生活
第8章 縄文時代の人間‐植物関係
第9章 手型動物の頂点に立つ人類
第10章 家族・分配・言語の出現
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簡単に言うと、人類発祥時点からの割合で考えると、狩猟などの遊牧している期間のほうが長く、稲作などによる定住というのは革命的な出来事なんですよ、という本。タイトルまんまです。
遊牧っていいよね!となるけれど、実際問題、これだけ人口が増えると、狩猟でまかなえる訳もなく、うん。そこが切ないな。
そして類人猿や人類の先祖にまで話が行き、今の社会まで手が伸びるんだけど……だんだんノリになってません? となる。読み物としては面白い。
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[ 内容 ]
霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活。
不快なものには近寄らない、危険であれば逃げてゆくという基本戦略を、人類は約一万年前に放棄する。
ヨーロッパ・西アジアや日本列島で、定住化・社会化はなぜ起きたのか。
栽培の結果として定住生活を捉える通説はむしろ逆ではないのか。
生態人類学の立場から人類史の「革命」の動機とプロセスを緻密に分析する。
[ 目次 ]
第1章 定住革命
第2章 遊動と定住の人類史
第3章 狩猟民の人類史
第4章 中緯度森林帯の定住民
第5章 歴史生態人類学の考え方―ヒトと植物の関係
第6章 鳥浜村の四季
第7章 「ゴミ」が語る縄文の生活
第8章 縄文時代の人間‐植物関係―食料生産の出現過程
第9章 手型動物の頂点に立つ人類
第10章 家族・分配・言語の出現
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA81106872
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2007年(底本1986年)刊。各論文の初出年は81~85年で、底本での新規書下ろしを含む。著者は筑波大学教授。
人類史における定住は農耕とともに始まった。この至極当然とみられるテーゼに本書は反旗を翻す。
それは定住と農耕開始とは一致せず、定住が農耕に先行するという意味でである。
この点、著者のいう定住の端緒とは、①漁撈や②クリ・ドングリなどの非移動再生可能食材の利用亢進によると見ているのだ。
平成4年頃以降、頓に注目を集めた青森三内丸山遺跡を見ると、縄文的農耕論はさほど新奇ではない。しかし、その前の段階で、ここまで思考を巡らせているのは研究者としての着眼点の鋭さを感じずにはいられない。
しかも、環境変動など外的要因の重要性にも言及され、環境考古学の奔りとも見える点でも同様の印象を抱いた。
もとより論文の集積であるため、それぞれの論考において叙述が重複することは否めないが、繰り返される記述内容こそが重要だとの目安になるわけだから、個人的には気にならなかった。
そして、定住における重要な技術革新の一が、漁撈用の定置網の開発である点がなかなか振るっている。
なお、霊長類における①手・腕の革新の意味と、②言語利用の2種の特性。
特に、②についていえば、無駄話や雑談に代表される「個体関係における安全保障の言語」と、調査・分析・計画等に関する意思疎通に用いられ、合理性に重きを置く「仕事としての言語」との2種に分別可能ということだ。
このように言語の役割・機能が分別される上、後者の比重が高まり過ぎていることが、個体関係の安全性を脅かす事態を招来しているとの指摘がある。
これらは書下ろし部分に書かれるが、興味を惹かれる仮説だなと。
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おそらく、分類がおかしいといわれそうだけれど。最後の言葉の意味の分類からだけでなく、どうも家族論に読めてしまう。
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遊動生活こそ人間の真の生き方なのかもしれない。
「私達の祖先は言葉より先に武器を持った」とう説は圧巻であった。
つまり、猟をする上での棒や石が武器ともなり、しかしそれを隣人に使うのではないという説明をするための挨拶、弁明がその次に現れたとのこと。
私たちが現在日常で使う情報伝達の手段としての言語は、そのずっと後の社会が出来上がってからというのも驚きである。
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『人類史のなかの定住革命』西田正規
國分功一郎さんが取り上げていたことでこの本を知りました。『暇と退屈の倫理学』だったと思います。それからおそらく5年以上本棚に放置していました。
『タコの心身問題』を読みながら、読もうと決めたのです。後半に書かれていたタコの海底都市オクトポリスの記述に惹かれたのです。著者ゴドフリー・スミスの推測では、海底に大きな金属片のようなものが落ちてきて、そこが安全な巣となった。そこに数匹のタコが集まり餌の帆立貝の貝殻が溜まっていき、それがベッドのような好い環境をつくり、さらにタコが集まった。そんな循環がうまれ、都市のようになったと。
その記述を読んで、知性や独自の言語を備えた未来のタコが想像できたし、海底には見たこともない創造物に溢れるのではないかとつい胸が躍りました。
つまりはそれは定住の発端を見たような気がして、さて人類はどうだったのか知りたくなりました。それが『人類史のなかの定住革命』手に取った動機です。
『人類史のなかの定住革命』読みながら、ぼくの常識がひっくり返されました。ぼくらは人類が最高の進化を遂げたと思っていたり、思っていなくてもその通念を無意識に持っているでしょう。西田さんは「定住優越主義」という言葉を使っていますが、それが通念になっていると思うのです。本書第1、2章だけでも読めばそれが間違いだとわかります。
たしかに定住によって発展したものは多いというより溢れています。けど、なぜ人類は長らく遊動していたのか、定住に移行したのかです。まずは定住のコストを知ると驚きます。西田さんの以下のまとめがおもしろい。
1. 安全性・快適性の維持
a. 風雨や洪水、寒冷、酷暑を避けるため。
b. ゴミや排泄物の蓄積から逃れるため。
2. 経済的側面
a. 食料、水、原材料を得るため。
b. 交易をするため
c. 共同狩猟のため。
3. 社会的側面
a. キャンプ成員の不和の解消。
b. 他の集団との緊張から逃れるため。
c. 儀礼、行事をおこなうため。
d. 情報の交換
4. 生理的側面
a. 肉体的、心理的能力に適度の負荷をかける。
5. 観念的側面
a. 死あるいは死体からの逃避。
b. 災いからの逃避。
定住こそ最高だと思っていると、実はこれだけのコストがあるのでした。住まいがあって寝泊まりすることっが安心と思って生きてきたけど、それは生きていくことの不安さの原因であったというのは、天地がひっくり返ったような思いでした。映画マトリックスのように、実はバーチャルな世界にを生きていた、といったら驚き過ぎかもしれないけれど、それくらいの驚きでした。
なぜ上下水道があるのか、わざわざ通勤したり買い物するのかのか、パンデミックが起きるたり感染予防に苦慮するのか。すべて定住の裏返しなのでした。これらを読んだ時に、デヴィッド・グレーバーが書き残したこと、お金、組織、ブルシットジョブなどの仕事の問題の起源はここでした。定住を選んでいくことによって、人類は様々な���所や人々の間に距離が生まれ、そこを埋めるべく複雑な状況を乗り越えなければならなかったのです。
そんな定住へと移行した動機は環境的な要因でした。西田さんが挙げているのが、まずは漁業。魚を獲ることは狩に比べて効率が良く女性や子供でも参加することができた。また、その定置網のような設備を準備するためにも移動せずにとどまっている方がよかったのです。他には越冬するため、という理由もありました。通年で狩猟採集のできない中緯度地域で生きるためには、食料の貯蔵もしなければなりません。このように移動と両立しづらい条件が揃ってきて、定住へとシフトしていったということになります。
生き延びるための手段でしたが、定住であることが新たな枠組みとなって発展していったのでした。今のぼくらは、もはや定住が当然のようになっています。いかに定住を楽にするかを考えながら生活の仕組み、経済の仕組みを組み立てています。
言葉についても書かれています。冒頭で触れた『タコの心身問題』でも、人間の言葉が外部との伝達手段として発達したものが、内になる言葉として機能していることが書かれていました。『人類史のなかの定住革命』では、言葉は安全保障のためのものだったと書かれています。挨拶のようなかたちで、お互いに安心であることを示すのです。その後、狩りなどで連携を取るために言葉が発達していったのでした。そこで仕事のための言葉として発達したのです。西田さん曰く、現在は「安全保障の言葉」より「仕事の言葉」の比重が大きくなってきた。するとそもそもの安心を与えるための役割が小さくなってしまった。そのあたりに、ぼくらがコミュニケーションに疲れる要因があるのでしょう。
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人類の歴史に置いて長く続いた遊動生活が有益なものと考える立場から、それが破たんしたために定住を始めたという発想の転換がおもしろい。農耕を行わずに定住する社会の多くが魚類資源に依存した生活を行っており、定置的な漁具を発達させている。魚類資源は陸上動物よりも生産量が大きく、年間を通した漁獲が期待できる。定置漁具は必要な労力が少なく、魚類の危険性も少ない。水産資源の利用が定住生活の出現に重要な役割を果たした。
・ヨーロッパでは、後氷期の森林拡大とともに遺跡が海岸部に集中する。
・氷期が終わり、中緯度地帯に森林が拡大し始めると、ユーラシア大陸の各地に定住集落が現れ、魚類資源の利用、ナッツの利用、食糧の大量貯蔵を伴っている。
・西アジアの地中海沿岸部で水産資源と野生穀物の利用が出現した後、内陸部で最初の農耕集落が出現する。
・5世紀中頃、大阪の泉北丘陵一帯で日本で最初の大規模な焼き物生産が始まった。
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定住によって装身具や土偶、文様などに能力を使うようになった。
農耕社会の特徴は、実は定住社会の特徴だった。
栽培は定住生活の結果であって、原因ではない。初期は漁業生活ではないか。漁獲高は狩猟に比べて安定的で豊富。
薪として木を借ることで、栗、クルミ、小麦、大麦が群生してきた。
広葉樹林を薪として利用すると、アカマツ二次林へと変化する。クリ、クルミ、ワラビ、フキ、ウド、ミツバ、タラノキなどの陽性植物は二次林に好んで生える。
水産資源の活用で定住集落が出現し、栽培化が進行した。その後水産資源が得られない場所で農耕化が促進された。
家族を形成することは、道具を持ち歩く人類が安全を保障するために支払った代償である。食料が分配され交換された社会が成立した。
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「人類史のなかの定住革命」読。
人類が何百万年も遊動生活していた理由の一つとして、グループ内での不和や緊張関係の解消の意味もあったという説は、なるほどと思った。
そして定住が始まって以来、現代の人類の緊張関係は解消される兆しすらないというのも、そのとおりだと思った。
定住が始まった理由として、気候変動などを上げているが、そのへんは頭に入らなかった。
最後の方で「安全保障の言語」 「仕事をする言語」というものを持ち出して、
「安全保障の言語」は天気の話や、近況報告、今度呑みに行こうなどの社交辞令でこれはどの民族も一緒で、猿が無駄に長時間毛づくろいしたりするのと同じことで、これを拒否することは、人間関係において緊張を持続させてしまう。
「仕事をする言語」は現代なら会社での今月の売上が下がったとか、家庭での子供の学校の成績の話などとしている。
これは昔、狩りのときのチームワークのための言葉が発達したものだろうという。
現代日本社会ではこの「仕事をする言語」が溢れかえっていて、最後に金属バット殺人事件の話を持ち出して、事件が起きた家庭では「仕事をする言語」しか使われず、常に緊張を強いられたのではないかと言う。
少し強引な気もするけど、数百万年続いた遊動生活と、現代日本の核家族の仕事に追われる生活は確かに違う。
数百万年続いた遊動生活が人類の本来の姿で、1万年前に始まった定住革命はいまだに続いているというのは、ああそうだなと思った。
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『サピエンス全史』を読んだ人は必読のこと。歴史とは出来事だが文明は脳内の変化を示すものと私は考えている。それは一人の脳内で起きたシナプス結合の変化が短時間で伝染する様を現している。文明とはネットワークそのものだ。
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