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新訳版。てっきり岩波と河出から出ていたものだと思っていたら、そうではなかった。
訳によって印象がかなり変わるのは翻訳ものの常だが、『運命の卵』は兎も角、『犬の心臓』はかなり印象が違う。個人的な好みを言うと河出版なのだが、本書はよりドタバタ感が増していて、終盤の犬がもたらす騒動の臨場感は新訳版の方が強かった。
また、訳注がマメについているのも、初めてブルガーコフを手に取った読者には親切ではないだろうか。
さて、本書収録の中編はどちらも『人為的に作り出されたものと、それに続くドタバタ』を描きつつ、当時のソビエト社会を強烈に風刺してもいる。そのせいで散々、発禁処分や上演禁止の憂き目に遭ったわけだが……。
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「犬の心臓」この中の犬はきっと革命そのものを表しているのかなあ。
「運命の卵」は英語版で以前に読んだ。
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「運命の卵」はストーリーだけを要約すれば、B級パニック映画。しかし、ソ連共産主義批判として解釈すれば、なるほどと思う。
「犬の心臓」の方が、物語として普遍性がある。これもソ連共産主義の批判ではあるが、人間の醜さ、愚かさ、社会の欺瞞を描いていて、ソ連時代を知らなくても考えさせる作品。読みながら『アルジャーノンに花束を』にそっくりだな、と思った。勿論アルジャーノンが後だが。
チャーリーとコロは愚かだが純粋で愛すべき人物(コロは犬だが)。知恵をつけて悪質になったコロの物語の方が、変に情緒に訴えなくて私は好きだ。
この翻訳者は柳瀬尚紀のように登場人物の名前も訳してしまうが、これは好みかな。コロって小さい犬のイメージなので、個人的にはそのままシャリクの方が良かった気がする。
註釈は素晴らしく、この註釈でソ連がどんな国であったかよくわかる。
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20世紀ロシア社会がどうこう、ということはさておいて、単純にSFミステリ(もしくはサスペンス、またはパニック)として読み応えが十分でした。
「犬の心臓」はやはり、「フランケンシュタイン」を彷彿させた。
もし「怪物」と「コロフ」を目の前に並べてみたらそれはもうおぞましくて恐ろしくて卒倒してしまうに違いないけれど、多分「怪物」のほうは駆け寄って助け起こしてくれるんじゃないかという気がする。一方、コロフのほうは鼻で笑うだけだろう。
「怪物」のほうはその醜さと不気味さを殊更に強調して描写しているというのもあるけれど、コロフは仕立ての良さそうな服を着せられて(ある程度の)教育も受けていて、さらに市民権まで取得している分、容姿はちゃんとしていそうに思える。算段ずくとは言え結婚してもいいという女が現れるくらいだし。
ヴィクター・フランケンシュタインは、生命の神秘に対する純粋な(幾らかは行き過ぎた)探求心から新しい生命を作り出した。生み出されたのは無垢な心を持った醜い怪物だった。
フィリップ・フィリーパヴィチは、「若返り」という命題の下に、成功と名声を夢見て新しい生命を作り出した。生み出されたのは野蛮で下品な、見た目には人間と大差のない生物だった。
この違いは、創造主となった人間の精神性の違いを示唆しているのかも知れない、とも思った。
それはつまり、科学技術に対する人間の姿勢である。
「運命の卵」はほかの物語ではなくて、原発事故のことを思い浮かべながら読んでいた。オランジェリーは原発、スモレンスクは福島であり、アナコンダは放射能、光線は核エネルギーそのものである。
そういえば「フランケンシュタイン」の副題は「現代のプロメテウス」だったな、と、書棚の本を手に取ってみて思い出した。
なんて因果な。
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注訳がとても良かったです。
ブルガーコフのいたソ連はめまぐるしく変わり、革命に内戦等、街や建物も次々と代わる時代だったそうで、内容もバタバタしてます。
犬の心臓はまず倫理に反する内容だし、痛烈過ぎて胸が痛かったです。
可愛いボロボロの犬が、下品な悪党になるなんて...。
めまぐるしく変わる母国を皮肉りながらも、戯曲の要素もあり色々と知れたし楽しめました。
なかなかマニアックな内容でした。
運命の卵はパニック小説でした。
犬の心臓の後だから結構後味悪いです。
大量のカエルと鶏と人が死に、カエルが可哀想でした。
何だかんだと言って、ブルガーコフは動物愛護主義者だったように思えます。
犬の気持ち、カエルの気持ちを純粋に描写されているところが、唯一ほっとできる瞬間だと思います。
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『犬の心臓』と『運命の卵』の二篇。
どちらも科学の力が暴走し、人間を混乱に陥らせる話。
『犬の心臓』はロシア版『フランケンシュタイン』かな?と
思っていたら、
犬が人間になったらまさに「犬畜生」な人間になっただけで、
残念なことに知性がまったく伴わなかった…そんな犬人間に振り回される
人たちの描写が面白かったです
日本の作家さんが人間になった犬を書いたら
きっと聡明な人間になっただろうなぁ
犬の捉え方がロシアと日本で違うのでしょうか…?
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社会主義体制を諷刺する作品を発表したため、
生前は冷遇されたという
20世紀ソヴィエトの作家・戯曲家、
ミハイル・ブルガーコフの中編小説2編。
奇天烈な事態に巻き込まれる人々の
ドタバタが描かれており、
読み進めながら笑ってしまったが、
作品に込められた意図、批判精神を想うと胸が痛くなる。
「犬の心臓」
ロシア革命後のソヴィエト体制下、
人間に虐待された犬を優しい紳士が救ったかに見えたが、
彼=フィリップ・フィリーパヴィチ教授には
マッドサイエンティスティックな目的があった。
犬は教授の実験台になり……。
楳図かずお『洗礼』愛読者もビックリ!
なストーリー(笑)。
教授の思惑と行為は
ヒトをそれまでとは違う新しいヒトに作り変えようとする
全体主義国家のあり方と二重写しになるが、
彼自身も事態の成り行きに翻弄され、疲弊するのだった。
「運命の卵」
モスクワ動物学研究所の所長であるペルシコフ教授は
両生類・爬虫類研究の第一人者。
1928年の夏、実験中に異変が起き、
特殊な光線を浴びた蛙の卵が異常なスピードで孵化。
教授はこの光線を用いた実験を進めたが……。
事態が人間の思惑を超えて惨劇に発展する
パニック・ホラーとも言える作品だが、
自分の研究以外に興味を持たない教授のキャラクターのせいか、
独特のおかしみがあって笑ってしまった。
作者が戯曲家でもあったせいなのか、
ブラックユーモアの滲む、
笑える恐怖映画のような雰囲気。
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『犬の心臓』
物語の筋らしい筋が展開されるまでが冗長すぎるように思う。革命後の社会に対する嫌悪と恐怖がやや粗雑に表出してしまっている印象があり、性急なテンポの文体とも相俟って、あまり面白く読めなかった。風刺のための戯画が、人間や社会というものにどうしようもなく刻み込まれてしまっている深淵に沈潜していこうとしているようには感じられなかった。
ただ、高度に発達した科学技術によって「人間」が「新しい人間」を創造してしまうということはどういうことか、という「創造主」問題には興味を惹かれた。「産み出す」主体(meta-level)と「産み出される」対象(object-level)とが、同じ「人間」であるということはどういう事態なのか。階層上の混乱か。「人間」を不当に特権化しているだけなのか。もしそうだとするならば、「人間」を不当に特権化したがる傾向、その無意識の根拠は何なのか。人間が作りだすロボットや人工知能が人間の社会でどのような権利と責任の主体となるべきなのか、という倫理学の問題とも通じるような気がする。
また、創造の原初に孕まれる暴力ということも考えさせられた。「私のもうひとつの仮説は次のようなものである。コロの脳は彼が犬として生きてきた間にいろいろな概念を貯め込んだ。コロが最初に使い始めた言葉はどれも、路上で使われているような言葉ばかりだった。コロがどこかでそれを聞いて、脳に保存したのだ」
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デュレンマットの増本浩子が訳しているので気になったが、ドイツ語文学者なのになぜロシア語文学?だいたいこの作者は何だ?テーマがSF的で訳がわからない、ということで読んでみたい。
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二つの話が収録されている。どちらの話も当時のロシアへの痛烈な皮肉があの手この手の表現を尽くしてか書かれていて、ロシアで発禁になるのも仕方がない。逐一注釈が同じページにあるし、最後の解説でもあるのでロシア文学に詳しくなくても楽しめる。著者は劇作家でもあることから劇にも造形が深く、かといって耽美的な描写というのはほぼ縁遠く、比喩表現も喜劇のように読み手に受けることを確信した語り口でテンポ感もある。
何が斬新かって、未来❨それも2、3年先くらい❩を勝手に捏造ししかもあたかも事実のようにピシャリと書いてしまうというところ❨しかも世界的な出来事ではない。注釈は入っている❩。いつか地球が一度滅んで、後の生命体がこれをうっかり見つけでもしたら信じられてしまうのではと勝手に心配してしまう。
どちらの話も人間が恐ろしいものを人間の手で産み出してしまう、というテーマで書かれている。犬の心臓はまだ喜劇の範疇で収まるが、運命の卵は途中から突然マジで深刻な描写ばかりになるので度肝を抜かれた。途中まで軽妙で機知に富んだ語り口でユーモラスに話が進んでいたので油断した。そういうのに弱い人は注意。個人的にはスリリングで、どうやって収集をつけるか気になって最後まで読んでしまった。
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ブルガーコフ。命がけで批判・ほのめかしを仕込みつつ、立派に娯楽小説に仕立てているところが凄い。訳者あとがきは豪快にネタバレ。古典だからネタバレしたって良いってもんじゃないだろうに(笑
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人間の脳下垂体と精巣を移植する実験の結果、人間化した犬が手術を行った博士たちを混乱に陥れる「犬の心臓」、特殊な光線を浴びることで異常に繁殖した巨大アナコンダが人々を襲う「運命の卵」の二編。いずれの作品にも、人間の手で作り出された生物に翻弄される人々の姿が描かれ、この普遍的なモチーフのために読んでいてそこまで古さを感じなかった。「犬の心臓」では手術を行った博士がことを収めることができたが、「運命の卵」では人は問題を解決することができなかった。このまま破滅的な終幕を迎えるのかと思っていたが、最後はかなりあっさりと話が終わったので、作者が描きたかったのは実験や人為的ミスが混乱を生むところだったのではないだろうか。
設定だけとってみるとSFだが、これらの作品にはSF要素に加えて随所に当時のソビエト連邦への皮肉が散りばめられている。たとえば、「犬の心臓」で教授のもとに管理委員会(当時の住宅不足に対応するために、大きな住居の住宅に強制的に他人を済ませる政策が行われたことを踏まえている)の男女がやってくるシーンで、一様に同じような恰好をしている彼らに対して教授が性別を尋ねるくだりがあるが、これは革命後に宣伝された男女平等では単に外見が均一化されただけだったという皮肉が込められているという。これ以外にもかなり手厳しい批判ととれるところもあり、発禁となったのもうなずけるが、その皮肉を通じて革命後のロシアの人びとの暮らしを垣間見ることができる。当局に睨まれながらこれらの作品を書いたという作者の心情はどのようなものだったのだろうか。
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よくこんなの革命後に書いたよなあ…。
解説読むといっそうそう思うほど、風刺がてんこ盛り。
犬とカエルはいじめちゃダメだ。
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現代ロシア文学とまではいかないがソビエト連邦時代に活躍したロシアの作家ミハイル・ブルガーコフを読んでみた。
カテゴライズするのが非常に難しい小説であるが、むりやり当てはめるならSFになるのだろうか。
『犬の心臓』『運命の卵』の両作品とも非常に風刺の効いた作品である。
どちらも天才科学者がとんでもない発明、発見をするはなしであるが、これが面白い。
『犬の心臓』では、人間の若さを維持するために動物の臓器を人間に移植するのだが、あるとき、犬に人間の臓器を移植してみたらという話である。
『運命の卵』は、科学者が偶然、生物の成長を著しくスピードアップさせる光線を発見してしまい、それを政府が悪用した(悪用するつもりはなかったのだが・・・)というはなしである。
非常に当時のソビエト連邦政府を小ばかにしたというか、皮肉を言いまくっているところが面白い。
特に本書は、注釈が細かくついておりその当時の様子がよくわかる。
ロシア古典文学にはまっていた僕であるが、いやいや、近現代のロシア文学も面白いじゃないですか(笑)。
この調子でどんどんいってみましょうかね。
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100年も前のロシア文学。
今の人が読むと、設定がB級映画っぽいかもしれない。
風刺小説。
当時のロシアの歴史背景が分かると見方が変わると思います。