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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
珠玉の短編集。短編が次から次へと押し寄せてくる。心に残った印象深い話は多くあったが、正直題名が覚えられない。三浦さんは長編より短編を執筆するのが好みで、私は長編より短編を読書するのが好み、この需要と供給の一致具合。今まで知らずに生きてきたことが悔やまれるが、今後の楽しみが増えたと考えれば上々。水上勉さんのようなそこはかとなく悲しみを纏った雰囲気にも惹かれる。読めば読むほどはまっていく。三浦さんを辿る旅、まだ始まったばかり。きっと今年中に読み切ってしまうことだろう。嬉しいような悲しいような。短編、ばんざい!
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この人の話は奥が深い。
単語をひとつとって、それがこの話とどうつながってくるのか考えるのが楽しい。
短編だから読みやすいし、とてもおススメです。
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1回目は、2011年2月4日に読み終えました。
2回目、読み終えました。
(2012年10月2日)
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一度、読んだ本をはからずも再び購入して再読してしまった。
作者のつれづれを綴った掌編ばかりだが、勉強のつもりで
読んだ。感動することはなかったが、ただ、静かな日常の
生活など、各所に学ぶことが多かった。
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宝石のような短篇を百篇綴り、壮麗なモザイクに組上げる、著者独創の連作シリーズ第一巻。――文庫裏より
大学の授業でこの本を取り上げるというので、授業中に二篇読んだところ、その上手さにしみじみ感動した一冊。
その授業とは、生徒がそれぞれ文章を書いてきて、授業中に読みあうというものである。当然素人の作品が研ぎ澄まされた文章であるはずがなく(でも一人だけ、きらっとしたものを感じる人がいました)、少々「授業だから」と読んでいるようなところがあった。
そのあとにこの本である。比べ物にならない。というか、比べてはならない。そのあまりの実力差に、私はむしろ感動してしまった。
私の感想を書くより、この文庫は文庫裏の紹介文がとても素晴らしいので、そちらを見て興味を持った方は、せひ本を手に取ってみてください――と言いたいところ。
おそらく原稿用紙十枚そこそこであろう短編が収められた作品集。しかしその十枚に描かれる風情が、なんともいい。端正にして丹精。素人とはいわずものがな、最近の並み居る作家の文章と比べても、精度が違う、と思った。しみじみ一篇一篇噛み締めながら読んだ本であった。
中でも最初と最後の二篇は絶妙。
『青函連絡船から海峡へ花束を投じる男に、見知らぬ女の視線がからむ表題作。四十近くなった娘が幻の父と対面する、その一瞬の情愛がせつない川端賞受賞作「じねんじょ」』――と、これも文庫裏からの引用である。
ときどき、この文庫裏の紹介がとても上手い文庫があるけれど、これは一体誰が書いているのだろう? やっぱり作者が書いているのかなぁ。
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文章や情景をじっくりスルメのように味わうというのは、こういうことか。短編あんまり読まなかったけど、この人の本で短編にハマった。
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ザ・日本近代文学。
短編集というと、どうしても川端康成の『掌の小説』を思い出してしまう。
これはそれよりはやや長いけれど、味わいとしてはそんな感じ。
川の護岸工事のため、立ち退きすることになった途端、家がきしみ、すさみ始めたという「すみか」。
仮住まいの、一部屋ごとに孤絶しているはずのマンションなのに、なぜか大蒜のにおいが漂ったり、外で囁く男女の声が伝わって、思いもよらず近くで感じられたりすることを描いた「ささやき」。
筋の起伏で読ませるというより、感覚が捉えた僅かな変化を生命として作られる物語。
わたしの中の「日本近代文学」って、こういうイメージなんだけれど・・・。
三浦哲郎は、戦後にその命脈を保っていた最後の作家なのかもしれない。
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東京書籍の新編国語総合の小説1に「とんかつ」が取り上げられている。今までこの作者の存在を全く知りませんでした。世の中の人は高校一年生のときにこの作者の著書を読書しているのか。こういうのを読むと国語力がつくのかな?
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この短編集が一番すきかなあ。。。
一瞬を切り取って
ゆたかに表現する、三浦哲郎さんはすごいと思う。
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さまざまな人の、さまざまな人生が丁寧に描かれていて、のめりこむ。
普段の生活を大切にしていこうと思えるお話たちだった。
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やっぱり三浦哲郎の短編は、いい。
短いなかでも、細かい情景や自分でも気づかないほどの心の動きを思い出させてくれるような。
東北の空気を、本を読むことで吸える感じ。
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昭和の香りのする短編集。
一つ一つ、短いながらも登場人物たちの人生の一端が精緻に描かれることで、それ以前、それ以降に思いを馳せることができる。
昼食時の読み聞かせ放送にどうかな…と思ったのだが、中1~中3、900人以上いる生徒に向けてとなると、情景を思い浮かべられる生徒がどれくらいいるか、難しいかな…と断念。別の機会があればと思う。
三浦さんは「ユタと不思議な仲間たち」の原作者だったとは、知らなかった。
劇団四季の公演を何度か観たが、いじめられっ子と座敷童の友情、命の輝きを感じる作品だったなあ。
2020.8.26
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三浦哲郎によるモザイクのような小品集の1冊目。10ページ前後で日常のふとした瞬間や、人の心の機微など、流れていきそうな事柄が紙面に留められている。
命日になると連絡船に乗り、親戚が飛び込んだ海に花を投げ入れに来ていた。その連絡船も廃止になる。同じ船いたやはり花を持った老婦人は、私にみちづれを見るような眼差しを向けるのだった。/『みちづれ』
寺に入門する前日に少年と母親は宿屋でとんかつを食べた。修行明けまで会えないかと思ったら、一年後に息子が入院することになったと言って母親が宿屋に現れた。久しぶりに出会った二人が食べたのは、寺では禁止されている、とんかつ。/『とんかつ』
入院中の彼は久しぶりに煙草を手に取る。初めて煙草を吸ったときのことが蘇る。/『めまい』
この地方では、冬の終わりの風を”ひがん・じゃらく”といいます。わたしはまだ若いころに、じゃらくに唆されそうになったことがありました。/『ひがん・じゃらく』
女同士のののしり言葉。心の中や一人の時につぶやくだけ。けれども自分でも思いも寄らないののしり言葉が口から飛び出して、それに自分で驚いてすべての力が抜けてしまった。/『ののしり』
うそ鳥の番をもらったことからおきた妻への疑惑。しかし夫婦は何事もなく続いていった。/『うそ』
鍵のあかなく開かなくなったトランク。なんとなく人に晒したくない自分自身を現す品々が入っているような気がして、開けられなくなってしまったんだ。/『トランク』
電信柱への犬のご挨拶。そこは家で居場所のない老人のなわばりでもあった。/『なわばり』
家は自分が壊されることを知ったのだろうか、一度に故障が出るし鼠は消えるし。振り袖を着た娘がまるで家を見捨てようとする座敷わらしに見えて慌てて家に戻したんだ。/『すみか』
新しいお母さんが好きになれないマヤは、出稼ぎのお兄さんに遠くに連れて行ってもらった。でもその旅は一晩限りだった。/『マヤ』
そのくせものは耳の中に飛び込んできて羽音を響かせるんだ。ああうるさい。/『くせもの』
霊験あらたかな水が出ると聞いて行列をなすようになった山道。まるでおさかりだなあ。/『おさかり』
マンションのどこかを伝って匂いや声が流れ込んでくるらしい。そしてある日声の主らしき男女を見つけた。まるで知らない人なのに、何かを伝ってこんな近くに感じる。/『ささやき』
晦日になると嫁に「実家でのんびりなさったほうがよろしいでしょう」と優しく家を追い出される老婦人。でも実家にだって居場所はない。馴染みの駐在さんの家の寝袋のほうが、好きに動けるだけ自由だった。/『ねぶくろ』
妊婦の土偶からは愛情と憎しみが感じられた。それを見る初老の男と若い女の間にも宿った生命があった。/『はらみおんな』
孫娘を泊めた夜、近所の若者に絡まれた老人。そして思いがけない方向に…。/『かきあげ』
田植えの後の天祈り(てんのり)の習慣の残る田舎の農村。80歳になるまで連��添った老夫婦は未だに互いの体と心に触れ合って生きている。しかし亭主は女房に自分の前に男に押し倒されたことが合ったのだと知ってしまう。50年も前の自分と知り合う前の事故のようなこと。亭主は家を出て歩いた。歩いて歩いて歩いた。保護された時に亭主は、過去に向かって歩いてその男を懲らしめてやりたかったんだと言ったのだ。/『てんのり』
棺桶(本当に桶)に入れられた祖母が笑った用に感じた話、赤子には別の何かが見えているのか?という話、幼い子供たちの初めての性の戯れ。/『おさなご』
病室の窓から見た、救急車の病人は、彼が密かに憧れているスナックのママさんだった。/『こいごころ』
突然妻が死んで半年たった。もう老年に差し掛かっているのににきびができた。自分の体も変わっているのだろうか。遺影に話しかけたその時に、妻の死が実感となって襲ってきた。/『にきび』
オーリョ・デ・ボーイ、嵐の前触れ。では自分が感じたもうすぐくる嵐はなんだろう。/『オーリョ・デ・ボーイ』
野生のハルリンドウを攫われたと勘違いした老人のちょっとした意地悪の話、餌をねだりに来るカケスにだんだん親近感を持つ話、霧の中から現れるのは犬か人かそれとも狐か。/『さんろく』
「患者さんのいちばん汚いところをきれいにするお手伝いが、看護婦の本来の仕事ですから。へいちゃらです」。不器用だがきれいな指で彼女は痛みをとってくれた。/『ゆび』
死んだと聞かされていた父親に会うことになった。娘ももう40、父だってもう80、いまさら怨みも執着もない。フルーツ・パーラーに現れた老人は花街の売れっ妓を妊娠させたとは思えないのんびりした老人だった。クリームソーダを飲む時間を共に過ごして、右と左に潔く別れた。でもお土産にくれたじねんじょをステッキのように持ったらお父ちゃんは戻ってきて、「先が傷つくから横抱きにしてやってけれ」って笑ったの。/『じねんじょ』
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二分か三分くらいで読める掌編・短編集。
老夫婦が祭りの後の夜、赤裸々に話し合い、何十年も前に妻に乱暴した男がいると知った夫が数夜を通して歩き続け、警察に保護された時、「自分はただ、過去へ向かって歩いていただけだ」と言う。その男に復讐しようとしたのだと。そういう言葉の選び方が良い。
「さんろく」もエッセイが小説に変わる魔術的な最後の一行にただただ感嘆。
著者あとがきに、元は短編小説家を目指していたとあり、この作品集における腕の冴えにも納得。
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わくらばと大分雰囲気のちがう作品が多い。書かれた時期が十年くらいちがうからだろうか。モザイクの最初の短篇集であるこの作品集は三浦自身も試し試しで色んなものを書いている気がして面白い。
かきあげがいちばん好きだったかもな。
三浦の短編は最後に人が死ぬことが多いのだけれど、なぜかそこに魅力を感じる。本人は話のオチに困ったら人物を死なせてしまうと対談で言っているけれど、しっかりとひとつの味になっていると思う。ちゃんといい小説の終わりとして死を描けるのは三浦のひとつの特徴なのではないか。