ハンセン病について学ぶきっかけとして
2016/08/23 01:50
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投稿者:ぱやぱや - この投稿者のレビュー一覧を見る
ハンセン病について知りたいと思っていたときに偶然書店で見つけて購入し,読みました。
正直,作品に描かれているようなことが本当に行われていたのか,疑わしく思ってしまいました。ハンセン病の患者の方に対する差別や偏見,むしろ明らかな犯罪行為が思っていた以上に残酷なものだったからです。しかし,フィクションとはいえ,著者が取材に基づいて執筆した作品ですから,そのようなことが本当に行われていたのでしょう。目を背けていてはいけませんね。
ただ,残酷なことが行われていたという事実だけが前面に描かれているような気がしてしまい,あまり読み進まなかったというのが正直なところです。
ハンセン病について学ぶきっかけとしてはいい作品かと思います。今後,可能な限り専門的な知識も学んでいきたいです。
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2016/05/04
何度も読むのをやめようと思った。
でも、ハンセン病の人たちの苦しみから目をそらしてはいけない。
無知や、それに伴う恐れがおこす悲劇。
人間の弱さ。
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きっと綿密な取材をしたのだろう。読むのが辛い叙述もたくさんあったが、読んでよかった。少しはハンセン病と差別について知ることが、感じることができたと思う。
今度は本当の声を聞きたい。
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偏見と差別をここまで生々しく…
面白かった、という言葉は相応しくないと思うが、ハンセン病のことをもう一度振り返るきっかけになった
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単なる老人の失踪事件かと思いきや、ハンセン病の悲しい歴史が絡み読後は泣けた。ハンセン病は過去の病気でなくまだ苦しんでいる人がいる。是非読んで欲しい。文書も上手く小説としても面白い。
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著者は生粋のノンフィクションライターである。だが本書はフィクションである。
どこかで著者のノンフィクション作品はフィクション化されている用な書評を読んだことがある。
だからかも知れないが著者の作品を触れたことのある人にはノンフィクションに感じらるかも知れない。ただそこに著者の主観がなく、時間軸が違うだけなのだから。
これは語られることの無い日本の闇、人間の闇なのだろう。
個人的には巻末の「解説」から読むのをオススメする。なぜかというと、その方が内容を深く読めるからだ。もちろん最後に解説をもう一度読むことになる。いや、読みたくなる。
さすがに本書はフィクションらしく、最後は「ホッ」っとするのだが多分現実はもっと過酷なのだろうと想像する。
登場人物は加害者も被害者もその回りも人間らしく弱くも強くもある。著者の作品らしく生々しく描かれている。
人は忘却する生き物である。あの震災ですら忘れてかけてる。多分、日本人の大半がハンセン病やこのような差別をしらずしらず生きている。
だからと言うわけではないが、読んでみるのは良いと思う。
知らない方が幸せな時もあるが、知ってる方が人生に深見が現れ、人に優しくなれることもある。
そんな出逢いをしたい人は読んで見てください。
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フィクションではあるが内容は数多の取材による真実の結晶である。昨今、日本人は素晴らしいというTV番組が多い。誇らしい気持ちもある(過熱気味で気味悪さも感じているが・・・)。そんな日本人も鬼になるし、鬼畜の所業の過去がある。現代を生きる僕らに出来ることは、過去を知り、絶対に鬼にならないという固い決意。ぜひ本書を手に取ってほしいと思う。
あらすじ(背表紙より)
ある者は朝食を用意している最中に、或いは風呂を沸かしたまま、忽然と姿を消した。四国山間部の集落で発生した老人の連続失踪事件。重要参考人となった父に真相を質すべく現地に赴いた医師は、村人が隠蔽する陰惨な事件に辿り着く。奇妙な風習に囚われた村で起る凶事。理不尽な差別が横行した60年前の狂気が、恨みを増幅して暴れ出す―。ハンセン病差別の闇を抉る慟哭の長編小説。
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ハンセン病差別の闇について書かれた小説である。石井光太は迫害されるマイノリティーのノンフィクション作家という認識から、さほどの期待をせずに読みすすめる。文末には「すべてはフィクションである」という但し書きが添えられていた。
そうは言っても、あの石井光太が元ネタの取材なしにこれだけリアリティのある小説を書いたとは到底思えない、それほど弱者(ハンセン病患者)への迫害の描写が真実を語らせる。住職の言葉が印象的だ「感情をもって生きていけることがどれだけ幸せで尊いことか・・・それはお前の宝なのだ・・・」(P297)
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解説にもある通り、やるせなさを感じた。ハンセン病は教科書で表面上だけ習ったのみで詳しいことはあまり知らなかった。だが本書を通じて、未だに苦しみが続いていることを知った。ネットで気になり検索してみたが本書ほど詳しい情報は載っていなかった。今自分にできることは何かあるのかということを考えるきっかけになった。著者のノンフィクションの作品を数々読んできて、初めてフィクションを読んだ。帯にはノンフィクションを超えたフィクションと書かれていたが、ノンフィクションを超えたという表現が少し引っかかる。ノンフィクションもフィクションと同じ、ノンフィクションというジャンルの物語だという風な感じがあり、ノンフィクションとフィクションを天秤にかけ、それよりも内容が優っているため、超えたという表現を使っているように思えてならない。ノンフィクションよりも便宜的に伝わりやすくしたフィクションだと思うので、ノンフィクションを超えたというより、歴史を元にしたフィクション、などと言った謳い文句にして頂きたいと感じた。著者が今まで体を張って体験したノンフィクションの出来事にノンフィクション、フィクションで優劣をつけて欲しくないと言った気持ちになった。今後も深い視点の著者の作品を読み続けたい。
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2018.03.01読了
最後は泣けました。涙が出るのではなく心が泣く感じです。本当に悲しい。
60年前なんてほんとにほんとに最近なのです。
戦後ですし、信じられない思いで読み進めました。
人間は残酷です。全員ではありませんが昔も今も何ら変わらない。究極のイジメ。
自分たちと見かけが違う、出自が違う、病気である。
そうやって何か理由をつけて誰かを人身御供に仕立て上げる。
人間は多分すごく不安でそれを紛らわすために他者を傷つけるのでしょうか?しかも1人じゃできずに同じように不安な仲間を募って大勢でやる。
たくさんの大人や子供がこういう作品を読んで考えるべきなんですね、自分の心の中に不安の悪魔が潜んでいるのかいないのかを。私自身も含めて。
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ノンフィクション作家として有名な著者のフィクション作品。
ちょっと慣れない感じのミステリーに違和感を覚えたが、全部読んで、ノンフィクションじゃ書けないものもあるという認識をした。
香川には行ったことがあり、お遍路さんもみたことがあった。
四国の山並みを想像しながら読むと、その悲しさが浮き彫りになった。
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山奥の集落で起きた老人たちの失踪事件。養父の殺人未遂で服役経験のある父が関わっているのか、60年前の悲劇との関係は。
ハンセン病患者が隔離され、差別されていた時代の患者たちの苦しみや悲しみが重い。伝染力の強い病気だと思われていたことや患者の症状が外見に出やすいこと、国の政策であったことから、本当にどれだけ大変だっただろうと思うと辛い気持ちになる。話自体はフィクションとはいえ、同じ過ちは繰り返さないようにしないとと思う。
ミステリとしては、殺人のくだりがちょっと安易すぎる気もするが、最後のサプライズは何だか府に落ちて、よかった。ミステリ好きだけでなく、ハンセン病について知りたい人にも読んでもらいたい本。
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裏表紙に書いてある物語の概要を見て、妻がこういったもの好きかなと購入。軽い気持ちで読み始めた本作。
ハンセン病を題材にして描かれているフィクションということだが、作中の事実があったかのような描かれ方であり、ノンフィクションのように感じた。物語のどこにも読み手である自分を見つけることができなかったからかもしれないかな。
ただ、プロローグとエピローグで話が纏められていたので、読み終わりはとてもスッキリしていたなと感じる。
内容としては、[とても勉強になった]と言えば薄っぺらく感じるかもしれないが、やはり勉強になったと言わざるを得ない。
ハンセン病や、それに纏わるその当時の日本。今の日本から考えると嫌悪感しか沸いてこないし、蓋をしたくなるような事柄ばかりだった。適した言葉が分からないが、人が分別されていたように思う。
何よりも当時から70年も経ってないという事に驚かされる。戦争もそうだけど。
日本は急激に豊かになって、水洗トイレのように汚いものから目を背けるようになったのかもしれない。
だから、こういった歴史も知らなければ、昔を知ろうとする人も多くない。自分の生まれ育った地域の歴史すら知らない人も少なくないと思う。しっかりと日本人として学ばなきゃいけないな。
ハンセン病を通じて、少し前の日本を垣間見れる良著。
多くの人に見てもらいたい。
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著者:石井光太(1977-、世田谷区、ノンフィクション作家)
解説:井上理津子(1955-、奈良県、フリーライター)
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家や故郷を追われたハンセン病の人たちが行く当てもなく四国遍路を延々と続ける過去があったことは知っていた。しかしそれは一般の遍路道ではない。カッタイと呼ばれ蔑まれながら人目につかないように移動したり、死体の処理など人々が嫌がる裏方仕事をすることでしのいでいかなければならなかったとは。信仰や発願成就の意味合い以上に、どこにも行けず堂々巡りをしていた人たちが、ほんの最近ともいえる昭和30年代くらいまで存在していた。
物語はハンセン病の人たちが受けた苦しみ、不条理を色濃く描き出す。現代の失踪・殺人事件に過去が絡んでくるミステリー小説の体だが、ミステリーの色よりハンセン病の人たちが苦しむ姿にうまく焦点が当たっている。
そんななか、主人公の父が幼い頃過ごしたカッタイ寺での日々は浄土のような桃源郷のような別世界の様相。そして山奥の集落の異常さも印象に残る。小さな共同体を平穏に営むために目をつぶっている異常の数々。民俗学的な視点からも興味深いありようが描かれる。嘘のような現実がつい最近まであったという驚き。
一方で、ハンセン病の人々以上に不条理を感じたのが男と女のあり方。ハンセン病患者として社会から低く見られている患者たちのなかで、さらに男たちが女を低くみたり慰み者にする。著者が意図しているかはわからないけれど、男たちのうっぷんの晴らしどころとしての性欲の発露、それが女性であったりいたいけなものに向けられる姿に、気分が悪くなる、怒りがわいてくる、悲しくなる。
著者はドキュメンタリーやルポルタージュ作家として高名。当初はノンフィクションとしてまとめようとしていたが、その限界や関係者の心情に配慮することでこういう小説としてまとまった。取材したなかには真実として表すには難しいものがあったということ。事実は小説より奇なりということか。