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橋爪氏と大澤氏の日本史に関する対談。
古代から幕末までですが、もう少し近代史も範囲として
話をしていったほうが、と思います。
なんとなく日本史って幕末。もしくは明治・大正までで
終わってしまう傾向にあるので。
日本の特殊性やその必然性など、中国やヨーロッパと
比べて日本の武士や封建制の特殊さなど。
なかなか面白い内容だったと思います。
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【あくまで論として、自由対談として読まれるのがベターです】
「ふしぎなキリスト教」がベストセラーとなった社会学者の橋爪大三郎氏と大澤真幸氏のタッグが、今回は日本の歴史をテーマに対談形式で論じ合った本です。橋爪氏と大澤氏が、日本の歴史にまつわる18の疑問トピックについて、互いの領域の知識・アイデアを総動員して解剖していきます。話題は縄文・弥生時代から平安・戦国、そして江戸・明治時代までと、広くカバーされています。なぜ大きな古墳が作られたのか?なぜ日本には幕府が存在したか?なぜ信長は安土城を立てたか?など、選ばれているトピックもシンプル明快で、全編通して知的好奇心をくすぐるやりとりが進んでいきます。
対談形式の読みものとしては、終わりまでとても面白く読み通せました。特に、日本の歴史に対する視点の置き方、光の当て方が独特です。歴史を学ぶ時には正面から「何があったのか、そしてどうなったのか」を覚えたり理解するに留まることが多いですが、この対談のアプローチは「なぜそうなったのか、どういう位置づけと意味を持つのか」をヨコからナナメから切り崩していく印象で、新鮮に感じました。また、対談者お二人の知識や発想も型にはまらず、様々な一見関係のない考えや出来事を糸でつないでいく作業も非常に面白いです。
ただ、読まれる際には次の点を留意されると良いかと思います。
・タイトルが「日本論」となっているように、話される内容すべての根拠やデータが明確・正確なわけではなく、むしろ内容の大半が対談者の知識に基づく推察や仮説、アイデアによるものです。仮説の上に仮説を乗せるような空中戦のような展開もありますので、正しい正確な歴史を本書に求めてしまうと、真偽の?の連続で、なかなか前に進めなくなるかもしれません。へー、そんなこともあるのか、ぐらいに力を抜いて読むのがベターです。(論、としたのは「ふしぎな〜」で一部誤りが多いと批判を受けたため?というのは邪推かもしれませんが)
・同じく、内容はとても面白いですが、読後、得たものが何かの役に立たつかといわれると少し微妙ではあります。トピックも本当に絞られていますので、当たり前ですが各時代を網羅したものではありません。また、「げんきな」とのタイトルですが、読み終わって、日本の価値観を知って活力を得る、というような感じはありませんでした。ハイコンテキストな葛藤の多い歴史を良くぞ紡いでつないで来たな、というしみじみとした思いは湧きましたが。
・論調は基本言い切り型なので、わかりやすい反面、多少引っかかるところもありました。
例えば、冒頭まえがきで「歴史教員や歴史学者が歴史を理解していない」とバッサリ断言されていましたが、少なくとも私が中学から大学まで歴史を教わった方々は、大半がダイナミックで面白い時代や人々の数々を情熱を込めて教えてくれましたし、そこで興味関心が大きく膨らみました。確かに社会学のアプローチは新鮮ですが、敢えて歴史学者をことさら否定する必要はないのでは、、?と少し疑問でした。
以上、細かい点は色々あるものの、全体通して面白く読み進むことのできる一冊です。
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グローバル化が進む世の中で、日本ってそもそもどういうものか?を考えた時に参考になると思います。
縄文~明治維新まで、日本のガラパゴスっぷりがよくわかる対談でした。
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「ふしぎなキリスト教」の社会学者二人が日本の歴史に語り合った内容をまとめた本。
歴史の流れに従って書かれているけれど、それぞれの時代の中での天皇の位置づけの変遷が興味深い。
「あさきゆめみし」だとか「世に棲む日日」を最近読んだっていうこともあるけれど。カミの子孫であったり、お飾りであったり、神輿にのせられたり。
学生の頃、歴史の授業で習った単語が出てくるけど、そういった点を線で結ぶ作業もしないとな。
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『ふしぎなキリスト教』でおなじみの橋爪氏・大澤氏の対談。古代から幕末に至る日本史の特色を語りつくす。
興味深い内容が多いが、僕が特に印象に残った点をいくつか列挙したい。
1、武士とは馬を飼い、操る技術に習熟した人々であったという事。そのような人々が荷役や商人の護衛をしつつ実力をつけていった、という説。「馬」という動物を中心にす据えて武士を論じるというのは新しい視点だと感じた。
2、藤原薬子の乱は貴族が武器を取って戦った最後の戦いであること。承久の乱は天皇と武士が真っ向からぶつかった初めての戦いで、武士が勝利したという意味で画期的だった・・・等々。歴史に関する知識を増やすことができた。
3、信長のこと。安土城のデザインから、信長は天皇を安土に招くことを構想していたらしい。「招く」というのは目上のものが自分より下の者に対して行う事。つまり信長は天皇を下に見ていた、という事。信長の天皇観は大いに議論されているが、この考えは面白い。
4、秀吉については、「いつ信長が死んでもいいように準備していた。だからあんなに早く動けた」と書いている。常にあらゆる場面を想定していた、ということは信孝や柴田勝家は秀吉の中では常に「敵」だったのか。そう考えると秀吉は恐ろしい男だ。
5、江戸時代は流動性のある社会だった?武士から商人、、商人から武士という階級を超えた移行はできなかっただ、同じ階級内の流動性はあったという。大抵の農民が一生に一度は江戸に行ったことがある、というのも驚きの説。
『ふしぎなキリスト教』もそうだが、この二人の対談は非常にわかりやすい。読みかけて挫折した『おどろきの中国』にももう一度挑戦しようかと検討している。
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不思議なキリスト教と同じようなスタイルの本。正統性の確保にいかに腐心してきたかという観点が一貫して底流に流れている。基本的には長く続いているものに依拠するのが日本で、唯一その文脈から外れるのが織田信長。信長が天下をとった日本をみてみたい。
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年末年始に何読もうかと書店を物色して目に留まった本。
「元気な日本論」というタイトルと橋爪大三郎さんに魅かれた。413ページと新書にしては大部だけど、対談形式なので苦にならず読めた。
「なぜ日本には、天皇がいるのか」、「なぜ日本には、幕府なるものが存在するのか」、「なぜ信長は、安土城を造ったのか」などの興味深い問について、日本史の授業では教わらない-主に社会学の-観点から学べた。
ただ、古代からはじまった対談が明治で終わってしまうのは日本史の授業と同じか…。
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とてつもなく賢いおっさん二人の話を立ち聞きしたら、ちょっとは分かる部分もあったし、分からない部分は分からないなりに面白かった。
そんな感じ。
全部理解しようと思わなくていいし、どんどん読み飛ばしたっていい本だと思います。
何しろ、「一人で考えていたら悶々としちゃいそうな話も、二人で話したら膨らむんでないの」という気楽なスタンスに救われた。
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この書名の「元気な」は「日本」ではなく「論」にかかる言葉。日本史の18の質問を社会学的観点から語り合う。まずはなぜ日本は土器が発展したのか?から。なぜ日本で大きな古墳が発達したのか。なぜ日本は貴族階級、そして武士階級が生まれたのか、天皇を超える存在になろうとした信長を象徴する安土城など、興味深い根源から考えさせてくれるテーマが多い。貴族の代表格でもある藤原氏は爵位を継承していたわけではない、その権力の根源がどこにあったのか。武士の存在は日本にしかない!などは全く考えたこともなかったが、実にスッキリとした感じ!幕府と天皇の関係を巡る微妙な力関係が、北条義時の承久の乱の戦後処理、後醍醐天皇の失敗などから解き明かされる。天皇制が残る謎の解明でもある。平安時代の女流文学から発展した平仮名・片仮名論議も面白い。片仮名は最もプリミティブな感覚の層を表現する文字だとの説明は全くその通り!「常備軍がなく、国税も徴収しない徳川幕府がなぜあれほど強力だったのか。それは誰もが、幕府は強いと思っていたその意識にあった」とは皮肉ではなく、それでこそ幕末に急に幕府が弱まっていく謎が解けるように思った。
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元気と言えば、「元気ですか~」のあの赤いマフラーをした萌える闘魂が浮かんでくる。とはいっても本書にあの人は登場しない。日本人のルーツと価値観や行動様式はどうなのかと言ったことを探っていくことで「二十一世紀を生きる日本人、元気の源」を見ていこうという趣旨で書いたそうだ。
読んでいくと不思議に思っていたことが次々と出ている。日本の土器は、世界で一番古いのか、大きな古墳が造られたのか、貴族なるものが存在するのか、など。
新書の割には分厚いが、読み進むのに苦労はしない。『歴史上の出来事を、社会学の方法で、日本のいまと関連させるsディかtが出掘り下げた」とあるので、カビの生えた歴史にはならない。
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(橋爪)なぜ、まったく権限のない天皇や、中央政府をこの際なしにして、ヨーロッパみたいなほんとうの封建制にならなかったのだろう。いつまで経っても、律令制の外見はそのまま残って、中央政府のパフォーマンスはほぼゼロ。それで、人事だけやっているわけです。(p.130)
(大澤)天皇とカミとが別々にいれば、おまえはカミから見捨てられたとか言って、天皇を打倒することができます。しかし、天皇とカミがつながっているとそれができない。天皇を否定することは、カミごと捨てることになる。カミごと捨てるには、もっと上位の普遍性を持った宗教なり、理念なり、法なりが必要ですが、それがまったくない。そういう状況だったからこそ、日本は「古代化」を進めなければならなかった、ということでしょうが、ここまで話してきたように、その「古代化」は、そのオリジンの中国のモデルをずいぶんと歪めるかたちで進行した。(p.135)
中国人は科挙という制度をつくって、官僚に地位を与えたとき、文字以前の、人間のプリミティブな層を、政治的には排除して、そういうものを機能させない世界をつくった。
日本人の場合は、その文字以前の、どこからともなくやってくる超越的な声みたいなものが、結構あとまで利いていて、僕らはふだん意識しないけれども、なおその圏内にいる。これがカタカナを住まわせる場所として、今でも機能しているのではないか。(p.157)
トップの意思は、変数Xみたいにして、そこにどんな内容でも代入できるようにしておかないとならない。しかし、それでは、国レベルにせよ、組織レベルにせよ、政治は機能しないので、トップの意思を代行する実効的な決定を下す人が側近にいる。摂関政治型のシステムは、こうしたやり方の理念型ですね。(p.179)
一揆はたいてい、土一揆とか、徳政一揆とかみたいに、債務をなくしてくれ、税率を下げてくれみたいな要求が多い。ボストン茶会事件みたいな、根本的な反抗の原理を持っているわけではない。あくまでも条件闘争です。農民の側からすれば、領主に年貢を取られる理由はないはずなのに、納めない、とまでは言わないんです。一見、反体制運動のように見えるんだけれども、本当うの反体制には絶対にならない仕組みになっている。農民は必ず領主に対して、納税の義務があるという、負債の感覚を持っていて、それを前提にした上で、負債を小さくして、と要求するだけ。(p.256)
安定しているがゆえの、幕藩体制の究極の歪み。領土はもう絶対に、拡大できない。でも統治にあたっている武士は、戦闘者集団である。戦闘なき戦闘者集団問いう矛盾が、幕藩制のベースにある。でも250年あまり、決定的な破綻には至らずにやってこられた。それがちょっとした外圧で大きく変化したのも、もともとごまかしていた弱点を抱えていたからだと思います。(p.325)
日本の近世社会は、職業の流動制がかなり高くて、社会学用語で言えば、社会異動の可能性が結構あるんですね。身分制のわりには。そもそも士農工商で商が一番下なのですが、商人が軽蔑されたり、自己卑下していたかといえば全然そんなことはない。商人こそ、むしろ、成功するチ���ンスもかなりあった。
だからこそ、文字を学ぶことに意味があるわけです。文字を学んでいれば、成功し、裕福になる可能性が高まる。識字率の高さは、近世の幕藩体制がいかに社会異動の可能性を内蔵していたかを、証明していると思うんですね。(p.411)
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二人の非常に知的で好奇心溢れる対談が読むことができた。
改めて日本という国の特異性が浮き立つ議論だと思った。
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碩学の二人の対話は巧みなプレイヤーのジャズのように,お互いのフレーズを巧妙にアレンジしてさらに深い点にのめり込むといった,読んでいてぞくぞくするような場面が続出.例えば,幕藩体制の定義で,戦国時代が平和の裏に伏流している という表現は通常の歴史書には出てこない.さらに幕藩体制の政治原理に朱子学を持ってきたがうまくいかず,儒教と仏教をうまくミックスした という説.江戸時代の武士の正統性を何に求めるか苦労したこと 等々.非常に楽しく読めた.
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『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』(ともに講談社現代新書)と同様、橋爪大三郎と大澤真幸の二人の社会学者が、日本史についての解釈をおこない、現代にまでいたるこの国のありようを解き明かそうとしている本です。
著者たちの日本史の解釈は、専門の研究者から見れば大胆にすぎるのではないかと思われる箇所もありますが、日本社会の歴史的な形成過程を明らかにするという問題設定から日本史を読み解くという本書のスタンスは、歴史研究においてはあまり見られないアプローチのしかたで、おもしろく読みました。
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・日本の歴史を多角的に分析。歴史的にみて天皇制が無くなるかもしれないタイミングはいくつかあったが亡くならなかった理由など非常に興味深い。このような解釈もあるんだね。視野が広がる