電子書籍
重い内容だが目をそらせない
2018/01/23 16:43
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投稿者:AR - この投稿者のレビュー一覧を見る
実地取材で安楽死の各国事情を紹介。ここまで話は進んでいるのだなぁとしばし黙考。いろいろ考えさせられる所多し。自分も死ぬ時は自分で決めたいと思っているのでいろいろ参考になりました。個と家族とで生きる意味が違うという著者の指摘が印象的。
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安楽死
2019/09/16 18:56
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投稿者:ぽぽ - この投稿者のレビュー一覧を見る
一部の国や州では認められている安楽死。日本の場合は、延命治療をするかしないかしか選べず、議論も進んでいない。
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安楽死、尊厳死を認める国々と、死に纏わる問題をタブー視し続け、何も対応が進んでいない日本社会との乖離。ただ、安楽死・尊厳死を社会が受け入れる事の難しさも感じる。
高齢化社会が進む日本では、尊厳死を認めると「迷惑をかけたくない」という理由の死が多くなるような気がして恐ろしい。
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日本でも家族とかのまわりとかじゃなくて、その人の生き方としての死を早く尊重されるといいなあ。様々な愛と葛藤と希望を感じた一冊。
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安楽死どころか、日常的に死そのものを考えることすらないが、改めて自分はどう死にたいのか、逆に考えるとどう生きていきたいのか考えるきっかけとなった。答えはまだない。
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ヨーロッパやアメリカの安楽死事情についてある程度の納得や理解を進めながら読み進めた中で、最後の日本の事情にがっかりしてしまうのよね、日本人だけど。
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「安楽死」とは本書では
(患者本人の自発的意志に基づく要求で)意図的に生命を絶ったり、短縮したりする行為
を指す。
本書では欧州の事例を中心に、実際に安楽死を遂げた人、その家族や近しい人、そして幇助した医師に取材し、彼らがどのような経緯で安楽死を選び、実践したのかを追う。
著者は日本人だが、欧州で20年以上、生活している。
安楽死の問題に取り組むきっかけは、スペイン人パートナーのひと言だった。看護師である彼女は、末期癌になったら躊躇わずに安楽死を選ぶだろうと言う。そして「あなたはどうしたいか」と聞いてくる。
その問いに、著者は即答はできなかった。逡巡なく答えられる問題ではなかった。
彼我の違いはなぜ生じるのか。
日本では近年、著名脚本家の安楽死を巡る発言が物議を醸したが、一般的に、安楽死を認める傾向は高いとは言えない。一方、欧米は、安楽死に関する法整備の整っている国もある。そうした国が大半とまでは言えないが、認めるべきではないかと言う主張は増えてきているようだ。
文化の違い、宗教、家族観、そうしたものが安楽死の問題にどのように関わるのかという疑問が出発点である。
本書の特色は、「個」にフォーカスし、視点が地に着いているところだろう。
いくつかの事例に関する当事者の発言、行動が詳細に記載される。著者自身が、他人の死を目の前にして自分がどう感じたか、心情的にどう揺れ動いたかも克明に記される。
「死」というものが個人に対してどういうものなのかに重点が置かれていると言ってもよい。
最初に取り上げられるのは、安楽死が合法であるスイスを拠点とする自殺幇助団体である。
その他、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、そして日本の事例が取り上げられる。
欧州ではいくつかの「安楽死」「尊厳死」に関わる協会がある。
その手法やポリシーにはいくつかの細かい、しかし厳然とした違いがある。薬物を飲むのか、医師が注射をするのか、あるいは患者自身が最後のスイッチを入れるのか。そして尊厳死の対象とされる「条件」は何であるのか。
法律との絡みはもちろんあるが、主催者それぞれの考え方によるところが大きい。
人が死を選ぶとして、それは自分だけの問題なのか。
身体的な苦痛が大きく、回復の見込みがないとすればどうか(とはいえ、本当に回復する可能性はまったくないのか)。
身体的な疾患でなく、認知症などの精神的な疾患であったらどうなのか。
自殺と殺人と尊厳死の線引きはどの程度明確にできるのか。
死に向かうそれぞれの人々は、読者にも鋭く問いを突き付けてくる。
自分であればどうするか。家族であったらどうするか。
具体的な事例と著者の内省は、読み手にも当事者の視点を持つよう促す。
個人的にはこれらの事例の多くは、自殺との線引きが困難であるように感じる。人生に絶望したから自殺することと本質的には同じなのではないか。
もちろん、読み手によって感じることは違うだろう。それだけこの問題は、「個」の視点が重要だとも言える。
本書で取り上げられた欧���の事例と日本の事例では、かなりの温度差があるように感じられる。
回復の見込みがないとされた患者が自ら死を選ぶ「権利」について、一歩二歩踏み込んだ欧州に対し、日本での事例はそこまでは至らない。家族が深くかかわっていることも特徴的だ。それが日本人のウェットな気質や社会構造のせいであるのかどうかはともかく、日本で例えばスイスのような形の「尊厳死」が法的に認められるのは、あるとしてもかなり先のことではないかと思う。
現状の欧州での尊厳死はどのようなものであるのか、そして「尊厳死」というものに対して読者がどう考えるのか、さまざまな問いを孕む点で、非常に考えさせられる労作である。
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安楽死,尊厳死する人たちやそれに関わる人達,またその家族などいろんな立ち位置の人から肉声を取って記録したもの.色々考えさせられた.筆者自身も考えが揺れ動いているようで,実際自分がそういう立場にならなければ分からないことだと思うが,その時にはどちらかを選べるように安楽死法案が認められている世の中であってほしい.
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スイス、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、日本と安楽死が許されている国、そうでない国の医師、本人、遺族を取材して書かれた力作。
こうして各国の事例と比較すると、日本の例を殺人罪で争うということ自体、日本の司法の欠陥と言わざるを得ないような気がする。
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安楽死に関して何ヵ国かを回って関係者にインタビューしたルポ。
宗教観、各国の事情・考え方、価値観の違いにより、受け取り方や法整備は様々。
メディアの報道は、スキャンダルを追うような傾向があり、背景まで追ったものは少ないことがわかる。
良いか悪いかではなく、どういう考え方があるのかを知ることができる意味で参考になったし、興味深かった。
以下は読書メモ:
安楽死は四つに分類される
1.積極的安楽死 医師が薬物を投与
2.自殺幇助 医師から与えられた致死薬で患者自身が命を絶つ 薬物入り点滴のレバーを患者が引くなら自殺幇助
3.消極的安楽死 延命治療の手控え、中止
4.セデージョン(終末期鎮静) 緩和ケア用の薬物が結果的に生命を短縮する 間接的安楽死
尊厳死の解釈は国により異なる 日本の尊厳死は3.に近い
スイス 積極的安楽死は違法、自殺幇助は黙認(法律の解釈でダメではない)。会員制クラブが自殺幇助を実施する。
オランダ 積極的安楽死も自殺幇助も合法。積極的安楽死が主流。
ベルギー 積極的安楽死は合法(殺人罪に問わないと解釈を定めた)。自殺幇助は合法ではないが黙認。
精神疾患者も安楽死できる。
アメリカ
ヨーロッパでは安楽死=尊厳死
アメリカでは安楽死や自殺幇助は違法だが、尊厳死は合法
実際には尊厳死=自殺幇助 しかし、その言い方を嫌う。
安楽死を行う人の特徴 4W. White Wealthy Worried Well-educated
スペイン
安楽死は違法 ローマカトリック教会の影響力が強い
未成年の安楽死(セデージョン)
愛
日本
積極的安楽死は刑法199条(殺人罪)違反
自殺幇助は刑法202条(嘱託殺人罪)違反
迷惑の文化
欧米との価値観の違い
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オランダの死因3〜4%は安楽死。「死に方」を考える
欧米で活躍するジャーナリスト、宮下洋一氏が自殺幇助団体の代表であるスイスの女性医師と出会い、欧米の安楽死事情を取材しながら死をめぐる思索を深めていくノンフィクションだ。
実際に自殺幇助の現場に立ち会った著者は、ヨーロッパ人の強い自我に衝撃を受ける。安楽死はオランダの死因の三~四パーセントだと言われても、日本人である著者はその数に驚きを隠せない。取材を進めるうちに著者は、病による苦しみを抱え、安楽死を望み、自ら死んで逝く人々のまなざしのなかに包み込まれていく。荘厳な個の最期に同情の入り込む余地はなく、彼岸へと去っていく者によって此岸に立つ不安を覚える。
スイス、オランダと当事者たちとの対話を重ねるなかで著者は次第に「安楽死を選べる」ことによって「死を選択しない自由」が生まれることを知る。多様な死に方のオプションがあって初めて人は「生きること」を自らの意思で再選択できるのでは、と。
思えば命は自然からのギフトだ。あたりまえに享受してきた「生」に限りがあると知るとき、人はもう一度能動的に、命をつかみとらねばならず、その瞬間から新たに「生きる」という行為が始まるのかもしれない。本書は「安楽死を望む人々」を取材しながらも、誰もがそれぞれの「死に方」をもっている、という人間存在の多様性へと啓かれていく。
欧米を回った著者は日本に戻り、安楽死に関わった日本の医師たちのその後を追う。西洋から東洋へ。ふいに文章のトーンが変わり、読者は曖昧な薄暗い世界へ引き込まれていく。終末期における医療現場の混乱、対話の不在が露呈する死の臨床。救いはないのか。しかし、著者の優れた共感力は、薄皮を剥ぐように医師の内面へと迫る。次第に日本的な死生観が医師の語りを通して顕現してくる。その思いは著者にではなく、苦境を支えてくれた地域社会に向けて独白のように語られるのだった。医師たちのモノローグの中に彼らと自分のつながりを敏感に感じ取っていく。
西洋をていねいに取材してきた著者の結論は、実に予想外であった。終章に著者は記す。西洋的文化の中で見失っていた「生かされて、生きる」感覚を日本での取材を通して発見した、と。これは、西洋を体験した著者だからこそ探り当てた東洋の真珠であると思う。著者の目を通して、読者もまた西洋と東洋の死生観を俯瞰することになる。
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安楽死の合法化に賛成だ。
少なくとも、耐え難い苦痛があり、治る手立てがなく、死が目前に迫り、本人が希望しているという状況下で、それでも死んではいけない、自然に死ぬまで我慢なさいというのはどういう拷問だよ、と思う。
というのは個人的な意見であって、いやおれは苦しくても安楽死しない、最後までがんばる、というひとに言いたいことは特にない。
ひとの生き方死に方は、他人に迷惑をかけるんじゃなければ自分で決めればいいとぼくは思う。
他人になぜ上から目線でいいだの悪いだの言われなくちゃならないんだろう? 反対する人はなぜ反対なんだろう?
夫婦別姓や同性婚の合法化に似ている気がする。別にあんたに別姓や同性婚をしろと言っているわけじゃない。あんたが趣味じゃないというのならほっといてくれればいい。それが必要な人が使うだけの話で、あんたには何の迷惑もかけない。それなのに無関係な人がなぜ邪魔をするんだろう?
というわけで、どっちかというと「なぜ安楽死が(日本では)合法化されないのか」が知りたくて読んでみた。
海外の、安楽死の当事者たちのレポートだから、「安楽死が必要なわけ」が強く印象に残り、反対意見はあまり出てこない。
実は本書の中で、一番の懐疑派は著者自身のようだ。いくつかの事例には理解を示しながら、著者は最後までどうもすっきりしない。見ていてよかったのだろうか、止めるべきだったんじゃないか、と悩み続ける。そのせいで、「安楽死合法化に反対する人の気持ち」がぼんやりとわかってきたような気がする。
第一に、著者は基本的に「死ぬのは悪いこと」だと思っている。悪いことを許していいのだろうか?と疑問を感じている。でも安楽死を希望する人は、死ぬのが良いことだと思って死のうとしているわけではない。健康で、毎日楽しいなら誰もが生きていたい。そうではないから、苦痛を長引かせないために、死を選ぼうとするのだ。
第二に、安楽死について一般解を導こうとしている。本書には、一度は安楽死を希望したが医師に説得されて治療を頑張ったら治った人が出てくる。この事例は安楽死合法化の大きな反対材料になっているらしいが、それを言うなら逆に苦痛が長引いただけの人もいるだろう。どちらの選択肢を選ぼうと、結果から言うと間違いだったという可能性は必ず残るのだ。病状、苦痛の強さ、本人の意思や環境はひとそれぞれ。ある解がそのすべてに適合するとは限らないから選択肢そのものを与えない、というのは理屈としておかしいとぼくは思う。
本書の最後の章は日本の状況に割かれている。残念ながら、日本で楽に死ぬのは楽じゃなさそうだ。本人が楽に死ぬと、まわりの人がえらい目に会う。早くなんとかしてほしい。できれば、ぼくが死ぬ前に。
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よくまとまってわかりやすい、みたいな意味の「良い」とは違う良さのある本。言語化しきれない不可解な行間までも含んだ本で、悲しかったり恐ろしかったり、訳もわからず涙が出たりもした。割りきれないものを割り切れないまま見つめて描くさまに価値を見る。こんなことが本当にあるのかという、知らない世界の実存を知る。
ひとの死は簡単には扱えない、そう述べると陳腐すぎるのだが、ともかくそういう実感がこみ上げる本。法で、対話で、果たして整理がつくものか。民族や宗教、文化などの土壌、個人の特性(知的発達や生育歴など)、もろもろによってときにそれができた事例があり、もちろんできない事例がある。きっと、そうそうにはできないのだと思い知る。
自意識というものの強固さは生死を規定するように思えながら、そんなもので定められない揺らぎや動揺にもひとの本質を見る思いがする。
とにかくいろんな気持ちでいっぱいになる本。ぜんぜん整理はつかない、その体験にこの本の価値があると思った。
あとメディアってなんだろうというのも、この本からはものすごく思わされる。
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作者の論は要するに安楽死ないし尊厳死の是非を欧米的なリバタリアニズムにおける価値とアジア、特に日本におけるコミュニタリアニズムによる価値の間で、多分にセンチメンタルを交えての揺れ動きを綴ったものに過ぎない。歴史的には宗教や倫理がその価値決定判断の中心にあったものからすればほんの少しの議論の進歩はあるものの、橋田寿賀子の、たいして深くもないが当事者としての発言の強さの前にひれ伏してしまっていることがなんとも情けない。やはりルポルタージュは作家のあるメッセージが、それがどれだけ偏っていようと必須であって、これでは単なる事例集でしかない。欧米的価値観で安楽死を容認するというパートナーとの会話を最終的に記するべきではなかったか。
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自ら命を絶つという行為は個人に認められた自由の一つなのか。それとも個人の死は家族・友人などの社会を巻き込むものでありそうした自由は個人には属さないのか。
本書は安楽死が合法化されたスイス、オランダ、ベルギー、スペインといった国々を舞台に、なぜ人は安楽死を選ぶのかという理由に迫ったルポルタージュである。メインの取材対象はスイスの自殺幇助団体ブライシックを率いる女性医師である。年間80名弱の安楽死を自殺幇助(致死量の点滴の準備・処方までは医師が行い、最後の栓を患者自身が外すことで直接的には医師が自殺には関与しない)という形で行う彼女への取材には、実際の自殺幇助のシーンも含まれている。
安楽死の直前まで親族を招いたパーティーを行い、その最中にひっそりと息を引き取るという男性のエピソードなど、日本においては到底あり得ないような死の在り方がここにはある。著者は冒頭の疑問を持ちながら取材を続け、死の持つ社会的な意味合いよりも個人の自由を貴ぶ欧州の思想には一貫して疑問を持つ。一読者の自身にしても、どちらかという答えには窮するが、普段考えないような死の意味合いを徹底して読みながら突き付けられるというのは、貴重な体験であった。