劇作入門に格好の一品
2019/01/09 16:23
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投稿者:ノラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
劇作の多くは話の状況を思い浮かべにくく読みにくい嫌いがあるが、この作品は構成が単純でとても読みやすい。劇作に関心のある方はまず手始めにこの本を手に取ることをお勧めする。
ノラ(ノーラ)という名の、二人の女性
2005/02/04 00:01
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投稿者:ツキ カオリ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノラ、もしくは、ノーラ、という名前で、印象深い、二人の女性がいる。
一人は、アメリカの作家、グレン・サヴァン『ぼくの美しい人だから』のヒロイン、ノーラである。ノーラは41歳のハンバーガー・チェーン店で働く売り子だ。27歳のエリート広告代理店社員、マックスと出会い、恋に落ちる。マックスはオペラが好きだが、ノーラはカントリー・ミュージックが好きだ。音楽の趣味に象徴されるように、二人は、何一つ噛み合わない。ノーラは、クラス(階層)の違うマックスの前から、予告無しに姿を消す。
もう一人は、本作の、ノラである。
ノラはノーラと同じ名前をもつのに、全く対極にあるような女性だ。
前述の『ぼくの〇〇〇』は、映画化もされたので、ご記憶の方も多いと思うが、ノーラは、「品」「品位」「品格」という言葉から、最も遠い女性だった。
つまりノラは、前述の3つの名詞を体現するような女性である。
ノラがヘルメルと結婚したばかりの頃、お金のために根を詰めて働きすぎてしまった結果、ヘルメルは、転地療養が必要なくらい衰弱してしまった。夫の命を助けるためにはイタリアに行くしかない。だが、イタリアに行くのには法外な資金が必要だ。ノラはヘルメルに内緒で借金をする。結果、ヘルメルは快方に向かい、順調に昇進し、ついに、銀行の頭取になった。ノラは今でも、ヘルメルに内緒で、少しずつ借金を返済している。そこへ、ノラにお金を貸したクログスタットがやって来る。
今、「いらしった」「ですもの」などという言葉を使う、もしくは、使いこなせる女性がいるだろうか。言葉使い一つで「優雅」という概念は、具現化できるのだ。
作中、ノラは、仮装舞踏会でタランテッラを踊るために、衣装をこしらえたり、ダンスを練習したりするのだが、まるで、衣擦れの音が、聞こえてくるような気になった。
優美なノラは、借金の事実が発覚した後、どうしようというのか?
終生、戯曲を書き続けた作者の、最も著明な作品である。
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選択現代文で読んだのだけど。社会劇。主張が前面に出すぎてて物語としては楽しめなかった。発表当時にはノラは斬新な女だったんだってね。出て行く女なんて今じゃ普通だけど(笑)
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イプセンの有名な戯曲です。
妻が夫の病気を治すために借用書を偽造し、借金をしたことが軸に展開していきます。
この夫婦はずっと『ままごと夫婦』をしてたんですね。
夫にとって毎日顔を合わす親友の死さえ興味がない。
なんだか子供が一番かわいそう。
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女性解放をテーマにした古典、ということで、今となっては時代遅れなところがあるんだろうと決め込んでしていたが、意外と面白い話である。というのも、テーマの主張部分よりも、劇の構成が上手いからに他ならない。段々と事件が迫ってくる描写は緊迫感に満ちていていい。
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ノラは自分勝手な女というより、結局結婚するにはまだ若すぎたのです。まだ自己を形成しきれていなかったのです。
ただそれだけ。夫も子どもも捨てて一人家を出るノラの未来はそう明るいものではないでしょう。家を出ることは失敗を失敗で埋めることでしかないからです。
チェーホフの『かわいい女』と比較して読むのも面白いです。
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演劇関連の本を読んでいたときにやたらと近代劇の名作として挙げられるので原作を読んでみた。
幼い頃から人形のようにかわいがられもてはやされ、結婚してからも平和な人生を歩んできたノラ。
世間知らずで利己的な人間に育ってしまった彼女は過ちを犯すこととなる。
夫ヘルメルはその過ちから自分の名誉が傷つくことを恐れ、ノラを罵るが、危険が去ると再びノラを小鳥のように可愛がろうとする。
この事件を通してノラは、夫が自分を一個の人間として愛していたのではなく、愛玩動物、人形のように愛し、また妻、母親としての義務を要請する存在としてとらえていたことに気づく。
人形から本当の人間として自分を成長させ、正しい価値観を身につけることにしたノラは家を出て、社会で生きて学ぶことを決意するのだった。
婦人解放運動に大きな影響を与えたといわれるこの作品だがフェミニズム云々を抜きに客観的に見て、全うな男女関係、愛のあるべき姿の一つを提示する傑作だと思われ。ちなみに短いし、324円で入手できますwwww
そういえばFF9に「イプセンの古城」っていうダンジョンあったよね・・・
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戯曲として描かれている性質から
場面を思い描きやすい。
物語の初めは甘くゆるやかな日常のようで
半ばはドラマティックに展開する人生の一大事
それが最後にきて、全てを包含して色味が一変する。
人として生きることに対する
特に女性の生き方に投影される
自己との関わりと他者との関わり。
女性の自立とも取れる詩的な物語から
思い起こされる考えは少なくない。
それぞれが一つ前の作品により持ち上がった議論に対する
回答及び新しい投げかけとして捉えられる作品、
・幽霊
・民衆の敵
も読んでみたい。
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浦野所有
浦野レビュー◆ネタバレあり - - - - - - - - - - - - - - -
世界を揺るがした戯曲ですが、いまの感覚でいえば「それほどの作品なのかなぁ」という気がします。それに、ノラの行動はとても共感できるものではないような…。偽証をつくっておきながら、夫を鎌にかけ、その狼藉ぶりをみて子どもを捨てて家を出ていくなんて。とんでもないヤツだと思いませんか?
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フェミニズムの勃興と共に語られると言われるイプセンの『人形の家』。
「小鳥ちゃんは、ただただ愛らしくさえずって、幸せそうに歌い踊っていればいいんだよ」弁護士の夫が妻ノラにいつも言うのは、暗に「女はただ可愛らしくして、余計なことは何も言わずにそこにいるだけでいい」ということのようである。
しかしながら、ノラはノラで、小さな可愛いリスのように振る舞う一方で、夫には言えない重要な隠し事を持っている。
最終的にはその隠し事が夫にばれることで、強く罵られ、ノラは「人形のような生活を強いられる今の生活には耐えられない。自分は人形ではなく、人間として生きていきたいのだ」と夫と子供3人を捨てて家を出て行ってしまうというのがこの話の大筋である。
衝撃的で勢いのあるラスト。ノラの取った行動には賛否両論あるようだが、現代の女性が読むとどうなのだろう。
もしかしたら、結婚もして、子供もいるが社会には出ていない女性が同じような気持ちを抱え、共感することもあるかもしれないが、それにしても今自分の置かれた状況や、周囲の者があまりにも目に入っていない感じが、逆に女性嫌悪の風潮を際立たせているように感じないだろうか。
いくら女性をバカにするにしたって、もう少し理性的に描いて欲しいものだ、と感じるのではないかなぁ。
同年代の小説や映画が今すぐに思いつかないから何とも言えないけれど、でもそういえば、「ティファニーで朝食を」の主人公の女の子も相当に気まぐれな、自由奔放な性格をしていたから、割と最近まで女性と言えば(かなりのレベルで)感情的な生き物だ、という認識が男性の中にあった、あるいは女性も自分たちをそういうものとして生きてきていたのかもしれない。
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近代演劇の創始者、と名高いイプセンの著作。そもそも、つい先日まで、演劇を文章で読むことにどれだけの価値があるのか?と訝っていたくらいなので、初めてのイプセンである。
この演劇――いや、物語に驚かされるのは、場所が始終まるで動かないという点であり、それでいて、物語としてはしっかりと動いているというあたりだろうか。また、なおかつ、場所が動かないというところが、「閉鎖的な環境=人形の家」というテーマをうまく示唆しているし、というよりも、そもそも、「人形の家」という風刺があまりにも巧すぎて、同時にそれが美しくすらあるのだから、たまらない。
訳者の影響もあるのだろうが、シィエクスピアに比べれば、言葉はかなり散文調で非情に近代的、言うなれば現代的である。余計な言い回しもあるにはあるが、言葉に余分な肉やきれいな比喩がもられているわけではない。無論、そうした中でも、一種のナルシズムが含まれてはいるが……。しかし、演劇を見て思うのは、言葉の端々にナルシズムやロマンが含まれているというところか。そういう言い回しは、別に嫌いではないし、どちらかと言えば好きなのだけれど、こういう言葉が自然と盛りこまれている時点で、欧州はナルシズムの文化と言えなくもないのだろう。
ちなみに、イプセンの女性解放的な思想は、『人形の家』『幽霊』『民衆の敵』と三部に渡って現れているらしく、幽霊と民衆の敵にも触れてみたいが、初期の頃の、詩的な言い回しにも触れみたいと感じる。また、本著の主人公であるノラと、その夫ヘルメルとを、「男――女」の関係にも見れば、フェミニズムにもなるのだが、ノラを男性として、あるいは、その性別を切り取ってしまえば、「名誉世間体に拘る旧態依然な人物――旧態依然からの脱却を試みる人物」との対比が生まれてきて、これは、近代的テーマであると同時に現代的なテーマとも言える。また聴衆に、男女のあり方、過程のあり方などに加えて、愛とは何なのか?といった普遍的なテーマを考えさせるような終わり方にしてある点も、ある種の執念を感じる。てめぇら、考えてみやがれやー、といった具合に。なので、物議を醸したというあたりに著者はさぞ溜飲を下したことだろうと思う。
そういえば、アンデルセンの絵のない絵本、の訳者も、この矢崎源九郎さんであったはず。このひとの訳は無駄な肉が剥ぎ落とされていて、シャープだなぁ。
追記。俺はむしろ、好きなひとの人形になりたいとも、思うけれど。
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『三四郎』で言及されたり、評論文とかででてきたり、社会科学的に有名な作品?これが新しい女性像か。このくらいで批判の嵐とは、近いようで遠い19世紀ですね。
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この話を読んでいる途中までは、いったい何処が人形の家なのかなと言う感じがしたけれど、最後まで読んで何となく分かった。但し、あくまでも何となくしか分からなかった。解説の中で、この話のテーマが婦人解放のように書かれていて、実際そのように感じたけれど、その問題と直結している第三幕を読んでいる時は、ヘルメルに感情移入してしまって、無知であった故にいきなりと感じて不条理に思っているだろうなと同情的に見ていた。ノラの言っていることも確かに納得できなくは無いが、ヘルメルにとっては納得し難いだろうと思った。
ところで、イプセンは「ペール・ギュント」の作者だったことを知った。イプセンと聴くとこの作品ぐらいしか思い浮かばなかったが、ペール・ギュントなども探して読んでみよう。
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最初は明るい妻とまじめな夫の幸せな話と思いきや・・・
後半の後半、最後の数十ページの、人間の本質、人間としての生き方の描写が大変すばらしかったです。
ノラが本当の自分らしさや幸せに向かうことに気づいたときの、それまでの人生の振り返りの描写、なぜそういう生き方になったのか、夫や父はそれになぜ気づかなかったのかなど、深い心が見えて刺激的でした。
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あなたの行動は人形ですか?
あなたはだれのマリオネットですか?
あなたは自分で自分を操っていますか?
人形に支配される生活は楽しいですか?
人形ってうつくしい。
あなたは自動人形。
あなたは機械人形。
自らは動けない。
心は持ってない。