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投稿者:tom - この投稿者のレビュー一覧を見る
大きく尊敬する先生に薦められた本書。
岩波版も手に取ってみたけど読み切る自信がなく、現代語訳で読みやすそうだと思って読み始めた。
結果的に大正解だった。ここで何度か読み返して現代語で意味を把握。次には原文にも挑戦したい。
きっと訳文からだけでは味わえないような世阿弥のいう「花」があるはず。
このように初心者にも読みやすい本が出版されていることに感謝。
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正月に購入して、半分まで読んで進んでなかったんだけど、移動電車のおかげでたくさん読めます。
申楽(さるがく)は、聖徳太師と秦河勝コンビが始めたみたいだけど、先日京都の太秦広隆寺に参拝してから、この著書が急に身近になった。
プロフェッショナルを目指す人には、是非読んでいただきたい示唆に富むものです。
能の本格デビューはいつにしようかな。
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能楽師「世阿弥」が室町時代に書いた秘伝書を
分かりやすく現代語訳してくれた本。
古文の苦手な僕にうってつけ!
内容は能を演じる上での心がけから始まり哲学にも至る。
能に興味がない人が読んでも面白くないんじゃないか?と思うだろうけどそんなことないです!
600年くらいに書かれた文章なのに、ぜんぜん古くさくない。
"どうやったら多くの人の心を掴めるか、美しいとは何なのか、幽玄とは…"
今のアートやクリエイティブな分野にも通じることがたくさん書かれています。
日本人の美意識を再認識するには一番の本です!
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意外に読まない日本の"名書"。
でもこれは長くなく、難解でもなく普遍的なものなのでオススメ。
能の上達の話だけど、ビジネスや人生にも通じる。
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秘すれば花なりー
しか知らないので、中身を読んでみます。
知り合いの方が野田総理に読んでもらいたい本のリストを作られていていたので、ちょっと挑戦。ただ原文ではなく新訳で。薄いのでパラパラと読めそうです。
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物事を"極める"ことの
極意を少しでも知りたい
将来、仕事に就く上でも
世阿弥の言葉を知ることは役立つのではと思う
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能の理論書。一子相伝。明治時代に公開。
後ろにある要約を読んで何となく理解する。
「花」がキーワード。別紙口伝によく知られた言葉が出てくる。
いまいち理解できていない。時間のあるときに再読したい。
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一子相伝の書と聞くと門外不出の秘伝書なのかとどきどきわくわく感が募ってきそうだが、風姿花伝は世間一般でも十分通用する、というか人としての資質として誰もが備えておくべき重要ごとをコンパクトにわかりやすく教え説いてくれている書だと、初めて読んでの率直な感想である。
第一の「年来稽古條々」は子育てや教育に通じる。
第三の「問答條々」は世阿弥(観阿弥)の人柄を知ることができる。
そして、第七の「別紙口伝」はものごとの本質に迫る部分。
とくに印象に残ったのが、「秘する花を知ること」「因果の花を知ること」
この書が世間に出てよかったと、私自身は読んでみてそういう感想を持った。
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能の世阿弥がしるした書。能の心得について深い洞察に基づき記載されている。伝統芸能だけあり、一つ一つが非常に深く、その片鱗が垣間見れてとてもおもしろい。いかに花を出すか。一つ一つの違いを演じ分けるかが非常に難しそう。能をみにいきたくなった。面白さを極めんがための徹底的な分析、計算がされており感銘を受けました。
<その他学んだ事項など>
・幼い子に芸を教える際は、心のままにやらせてみることが大事。事細かによい、わるいと教えると、やる気を失い、芸そのものが止まってしまう事がある。
・24,5は花が咲きだし、ベテランに勝つこともあるが、それは本当の花ではない。それで得意になってしまうと後々仇となる。もともと備わっていた花も失ってしまう。
・本番で相手に勝つには。バリエーションを多く持ち。敵と違う芸風で攻めること。
・上手は下手の手本。下手は上手の手本となりえる。下手のよいところを上手が自分の得意芸にとりこむことはこれ以上ない理想的な方法。
・物数を極めることが花の種となる。花を知りたくば、種を知ること
花は心、種は技。
・自分の芸を極めてこそ、あらゆる芸風を知ることができる。目移りしていると、自分の芸もわからず、他の芸風を身につけるなどかなうはずもない。
・見る目がない人にも楽しめるよううまい下手のみではなく、工夫を取り入れることが大事。
・正直にして円満であること。
・耳にしてやさしく、わかりやすい言葉を使うべき。自然と幽玄な風情になる。
・音曲は体、すなわち意味・内容、風情・演技は用、すなわち、表現。温曲より動きの生ずるは順。動きより音曲を残すは逆である。能を書く時は逆に、風情を念頭に置いて書く。そうすると自然と一体として作品ができあがってゆく。
・花は四季折々に咲くもの。珍しさゆえに愛でられる。猿楽も珍しいからおもしろい。花、面白い、珍しい。これらは三つの同じ心。散らずに残る花などない。花は散り、また咲く時があるゆえに珍しい。一所にとどまらず他の姿に移りゆくことが珍しい。
・人がこういうふうにやるはずだと思い込んでいる場面を、同じ不利でありながら、工夫をめぐらせて行うものことそ面白いと評価されうる。
・下手は習い覚え、そのままうたうだけなので、珍しいと感じさせるものはない。上手は同じ節でも曲を心得ている。
・過ぎし芸風をやり捨て、やり捨てしては忘れてしまう事、ひたすら花の種を失い続けることになる。種があれば、また年々時々に花にあえる。
・秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず。秘することには効用がある。秘め事は露見すると、秘密にしておくほどもないとなる。
・家はただ続くから家なのではない。継ぐべきものがあるから家なのだ。
これは日本最古の能楽理論書。
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観阿弥の口伝と言われる風姿花伝を現代語訳で一応読了。芸術の技をいかに大勢の人に魅せるか、当時からここまで考え抜かれていたことに驚くも、まだその程度の理解しかない。星三つなのは自分が腑に落ちた理解ができていないから。2月の読書会の題材でもあり、他のメンバーとのディスカッションは楽しみ。
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世阿弥は、室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師で、父の観阿弥とともに猿楽(能)を大成し、『高砂』、『井筒』、『西行桜』等の作品のほか、多数の能芸論書を著した理論家でもあり、世界の芸術史上でも稀な天才と評される。
本書は、父の観阿弥から口伝で教示された内容を書き記したもので、第七・別紙口伝に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」と記されている通りの一子相伝の秘伝書であり、明治までは観世家・今春家に秘蔵され、一般の目に触れることはなかったが、明治42年に写本が発見され、『世阿弥十六部集』として発刊されたことにより、一般に知られることになった。
本書は七篇で構成され、各篇では以下が述べられている。
第一・年来稽古條々・・・申楽者(能役者)の生涯を7歳から50歳過ぎまでの各年代別に分け、修行の工夫の方法が説かれる。
第二・物学條々・・・芸の根本である物真似の技術を題材別に俯瞰している。「学ぶ」ということは、良いものを「真似ぶ(る)」ことであることが説かれる。
第三・問答條々・・・演じるにあたっての具体的、実践的演出方法及び能に花を咲かせるための工夫と秘訣が説かれる。
第四・神儀に云わく・・・申楽者に対して、芸の正統性に対する誇りと家芸を重んじる精神の自覚が促される。
第五・奥儀に讃歎して云わく・・・「その風(伝統)を得て、心より心に伝えていく花」として『風姿花伝』の書名の由来が述べられる。
第六・花修に云わく・・・作能の手引きとして名作の条件、能を知ることについて説かれる。
第七・別紙口伝・・・能のテーマである「花」のイメージをあらゆる角度から見つめ、「常住せぬもの、それが花であり能である」、「年々去来の花(初心忘るべからず)」、「ただ時が選ぶもの、それが花」などが説かれる。
能という一古典芸能に留まらない、美、芸術、更には人生についての多くの示唆が、美しい言葉で綴られている。
(2007年9月了)
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すごい。600年も昔に書かれたのかこれ。 芸を極めるには練習が当然だし、こんなことを意識しないといけないって内容が惜しげもなく書いてある。もとは秘伝の書らしいからそらそうか。 ただ、極めたい芸のあるなしとは関係なく、こんな姿勢で生きたいよね、と読んでて思わされる。ちょっと観客のこと意識しすぎな気もするけど、人に芸を見せるなら、こんな意識じゃないといけないのかもしれない。 軽く通しただけなので、もっかい読まないといけないわこれ。
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世阿弥が約20年かけて書いたという本を現代語にしたもので、大変読みやすいです。
日本人にとっての美とはどういったものなのかわかりやすく書かれており、
能に関わらずお芝居など芸術になんらかの形で関わる人には胸に響くものがあるのでは、と思います。
現代ではあまり使われることが少なくなった「幽玄」や、「花」の言葉の意味を考えるきっかけになります。
感情に訴えたり闇雲な考えを押し付けたりという内容ではなく、冷静な見方で理論的に語られているので理解しやすいです。
花の時期を過ぎた後どうするか、などについてもきっぱり語られています。
「秘すれば花」。珍しいから素晴らしいと感動する。
相手の期待を良い意味で裏切ることこそが感動を呼び起こす というのは、シンプルながら核心をついた言葉だと思いました。
子供がなにげなくやりだしたなら、こと細かに、良い、悪いと教えないこと。あまりに厳しく注意すると、子供はやる気を失い、億劫となって、能そのものが止まってしまう。
これも、能以外にも言えることだと思います。
若い役者がその若い声と姿で「すごい役者が出てきた」と評価され
ときに名人にも勝ることがあり
そこで本人が慢心してしまうとそえは若さゆえの一時の花であり、真実の花にはならない
『たとえ人にほめられ、名人に競い勝ったとしても、これは今を限りの珍しい花であることを悟り、いよいよ物真似を正しく習い、達人にこまかく指導を受 け、一層稽古にはげむべきである。』
というのも、深く頷くところです。
老人を本当にうまく演じるにはやはり相当の名人でなければならず、
老人を本当にリアルに演じるだけでは花がなく面白くない、というのも確かにそのとおりだと思いましたし
そういったことまで書いてしまうのだな、という点にも感動しました。
面白いということが大切で、鬼もリアルに演じれば怖くなりすぎて面白さがなくなってしまいます。
「花はありな から年寄りに見える公案、くわしくは口伝する。」というのも素敵です。
申楽を始めるときに観客席を見て、今日はうまくいくな、とわかるというのは
お芝居をやっている人も非常に共感するのではないでしょうか。
『上手の芸が目利かずの心を満足させることは難しい。下手は目利きの眼に合うことはない。』
というのも、あらゆる世界で言えることな気がします。
『狂う演技に花をおいて、心を込めて狂えば、感動も面白い見所も必ず生まれるものだ。』
『能の命は花にあり』
芸事だけでなく、仕事など誰かに対する場合にも
心に置いておくべき真理だと感じました。
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能の本家である世阿弥が書いた、一芸を究めることの心得本。生まれて初めて「日本人でよかった」と思えるほど、随所から侘び寂びの美しさを感じる。一文も読み飛ばせる箇所がないのに、心底驚いた。20年以上かけて編集されただけある。
能の舞台には、大げさな仕掛けも、シーンへの理解を深めるために入れ替わる背景もない。すべてが演者にかかっている。洗練された美しさ、と偏にいうのは簡単だが、その底に眠るものは何か。日本の美の本質を見出すことができる一冊だ。
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能の技術に関する説明部は一般には役立たないが、非常に含蓄深い名作でした。現代語訳によってそれが通じるようになっています