紙の本
古代DNAが切り拓く、衝撃の人類拡散史。
2018/08/24 19:36
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
現役の超大物遺伝学者による、このジャンル中の現時点での決定版。
扱っている年代は、主にネアンデルタール人以降。
科学の力によって、次々に新しい事実が明らかになっていき、
驚き感心するとともに、この学問が持ちつつある切れ味と破壊力に、
怖さのようなものも多少感じた。
例えば、ある民族の先史時代からの出自と由来が
科学によって明らかにされるということは、
その民族にとっても個人にとっても、アイデンティティに関わることでもある。
良くも悪くも、その民族が持つ神話を打ち砕いてしまうようなパワーを持つ。
あるいは、ある民族グループの人たちは遺伝的にこのような特徴を持っています、
また、遺伝子的にこのような病気にかかりやすいです、などと示されたときの、気持ち悪さ。
本書ではまだこれらのことは、それほど明らかにはしていないけれども、
本書を読むと遺伝学の進歩スピードにより、すぐにでもこのような主張が
たくさん出てくることは確実と思われる。
第11章では、上記の問題を含む、ゲノムと人種偏見などに関する
難しい問題に切り込み、論じている。
人種間の違いはないとする従来の科学界の教科書的見解と、
人種差別主義者たちがその主張の根拠として、
遺伝学の研究結果を利用していることの両者を、
著者は科学的立場から批判しつつ、今後、この分野の
さらなる研究の進展により、様々な新事実が次々に
明らかにされていくであろうことに、備えておくことの必要性を訴えている。
以下は本文より引用。
『ところが2009年を境に、考古学や歴史学、人類学、さらには言語学において
長く支持されてきた考え方に、全ゲノムデータが挑戦し始めた。
そして、こうした分野の長年の論争に一つひとつ決着をつけているのだ。』
『過去8000年のヨーロッパ史が目の前に展開し、
超スローモーション撮影ビデオを再生したように、
現代ヨーロッパ人が、今の自分たちとはほとんど類似性のない系統の集団から
どのようにして形成されたのかを見せてくれたのだ。」
『ストーンヘンジの建造者のような人々は、神々に捧げる
壮大な神殿や死者のための墓所を建てていたのだが、
数百年もしないうちに子孫がいなくなり、自分たちの土地が侵略されることになろうとは
知る由もなかっただろう。
古代DNAから浮かび上がってくるのは、現存する北ヨーロッパ人すべてのおもな祖先が、
わずか5000年前にはまだやって来ていなかったという驚くべき事実だ。』
『 ステップの人々がペストに感染して抵抗力をつけていたということは考えられないだろうか。
彼らの持ち込んだペストによって免疫のない中央ヨーロッパの農耕民の数が激減した結果、
縄目文土器文化の広がる道が開かれたという可能性はあるだろうか?』
『こうして、古代DNAによって、可能性のある移住ルートを追跡し、
その他のルートを除外できたため、10年にも及ぶ膠着状態に決着がついて、
インド=ヨーロッパ語の起源に関する議論に終止符が打たれた。』
『人類の先史時代を形づくった重要な推進力は、極めて多様な集団の間の
大規模な移住と交雑だったことが、古代DNAによって疑問の余地なく証明されたのだ。
厳密な科学の前に、純血信仰への回帰をめざすイデオロギーは退散するほかないだろう。』
『わたしたちは今、こんにち生きているほぼあらゆるグループが、
何千年、何万年にもわたってくりかえし起こった集団の交雑の産物であることを知っている。
交雑が人類の本質であり、どの集団も「純血」ではないし、その可能性もない。』
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過去の人類および現代の人類を広くゲノム解析をすることで、現生人類がどのようにして世界中に広まっていったのかを書いた本。色々なことがわかってきたことが書かれているので、あれもこれもと、書評もついつい長くなってしまう。
著者は、古代人類のゲノム解析の大家で、ネアンデルタール人と現生人類との混血の証拠を示したスヴァンテ・ペーボと研究をともに行い、その後自身の古代DNA研究室を開設して先端の研究を推進するこの分野のトップ研究者の一人である。ペーボがネアンデルタール人と現生人類の交雑を発表したのが2010年。『ネアンデルタール人は私たちと交配した』の原著”Neanderthal Man”が出版されたのは2014年。それ以降の数年の間にも、本書に描かれているように次々と新しい研究成果が明らかになっている。これまでは化石と遺跡と想像によるしかなかった人類の軌跡が、DNAという魔法のツールによって明らかにされようとしているのだ。
本書は、全世界の人類の由来に関して、最新のゲノム解析の結果わかったことをあれやこれやと欲張って詰め込んでいる。まずは改めて、章立てを追ってみることで、その中に何が書かれているのか振り返ってみる。
第1章では、人類のゲノムに関する基本的な知識が整理されている。著者は、ゲノムを使ってどのようにして過去の人類の歴史が分かるのかを丁寧に説明していく。
続く第2章のネアンデルタール人と現生人類の交配の話は、古代遺伝学が世の中から注目を浴びることになったテーマで、改めてやはり非常に面白い。
第3章は古代遺伝学をさらに推し進め、デニソワ人のゲノム解析をはじめ、ネアンデルタール人以外も含めた古代人類との交配についてその後さらに深まった知見を提示している。
第4章では、これまで知られていない古代人類の「ゴースト集団」の存在を仮定することで、現在のユーラシアのゲノム集団の分布が説明できることが示される。
第5章は現代ヨーロッパ人集団がゴースト集団由来のものを含めてどのように形成されたかの推定を詳しく説明している。
第6章は南アジア人集団の形成についてゲノム解析からわかっていることが紹介されている。カースト制度の影響やインド=ヨーロッパ語の拡散との関係性が語られて非常に興味深い議論になっている。
第7章はアメリカ先住民集団についての説明であり、アメリカへの移住は一度きりの出来事ではなく、アジアから複数回の移動があったことが示される。また、先住民のゲノム解析に特有の難しい課題についても紹介されている。
第8章はアジア人についての起源を辿っている。ここではわれわれ日本人の起源についても触れられている。
第9章ではアフリカ大陸のゲノム解析から民族間の交配について解説されている。これで、ざっとユーラシア、南アジア、東アジア、南北アメリカ、アフリカと世界の人類ゲノム分布の説明が網羅されたことになる。
第10章ではゲノムに刻まれた過去の社会的不平等の歴史に焦点を当てる。
第11章では人種についてゲノム解析から分かっていることを示す。本章は著者が最も伝えたかったことのひとつではないだろうか。「人類集団にみられる違いの新しい捉え方 - ゲノム革命の情報に基づく考え方を提案する」と宣言している。
最後の第12章では、ゲノム解析の将来について語られている。ここではゲノム革命が考古学に与える影響について考察している。
ざっとこれがこの本の構成である。
以下、もう少し詳しく見ていこう。
ネアンデルタール人との交雑については、非アフリカ人のゲノムの内、1.5%~2.1%がネアンデルタール人由来であることがわかっている。さらに本書では、ネアンデルタール人のゲノムの割合がヨーロッパ人よりも東アジア人で高いことと、その理由が、中東でネアンデルタール人との比較的大規模な交配が起こり、ヨーロッパにはその前に分かれて先に拡がった系統がいて、交配後の集団と再交配したと考えることが理に適っているという説が紹介されている。もちろんその頃には、ネアンデルタール人はヨーロッパ全域に拡がっていたのだが、ヨーロッパでの現生人類との雑交配は、それほど大規模ではなく、おそらく生殖能力にも影響があったのか、直接の子孫を残さなかったのではないかとの説を採っている。ゲノム解析から、そういった人類の足跡に論理的な形で思いを巡らせることが可能になっているのだ。
また、ゲノム解析の範囲はネアンデルタール人以外の旧人類にも拡がっている。例えばニューギニアやオーストラリア原住民に、シベリア南部で発見されたデニソワ人と人類の交雑の跡が残っていることが導かれている。ニューギニア人のDNAの5~8%がデニソワ人由来であり、これは他のどの現代人の集団よりも大きい。このことは、デニソワ人と非常に近い関係のあった旧人類がニューギニア近くの場所で交配を行ったということを示している。このネアンデルタール人やデニソワ人と人類の交雑の証拠から、これまで人類がおそらく多くの旧人類との交配を重ねてきたことがわかる。人類の遺伝系統は一本の幹のようなものはなく、互いに混じり合いが続いていた。多くの遺伝学的証拠がそのことを示しているというのが、この本の前半を流れるテーゼである。
そこでおそらく多くの人が気になるであろうことは、こうした旧人類の遺伝子が現生人類にどれほど影響を与えているのだろうかという問いだろう。本書では、旧人類からの遺伝子の有利な影響の事例として、チベットに住む人々の間で高地適応にプラスに働くであろう赤血球細胞で働く遺伝子がシベリアのデニソワ人由来のDNA区画にあることが紹介されている。また他の例としても、非アフリカ人が有するケラチンの働きに関わる遺伝子が寒冷地での体温維持に有利に働くネアンデルタール人由来である可能性が高いことが示されている。
また、著者らはさらに詳細を極めた遺伝解析の結果、「ゴースト集団」と呼ぶ今は存在しない人類集団を仮定するところまで議論を進める。さらに、ユーラシアの旧人類の祖先がいったんアフリカに戻って、その後にいわゆる出アフリカが歴史上起きたという新説を唱えている。こういった想像力を刺激する議論ができるのもゲノム解析の魅力のひとつでもある。
また、中東からヨーロッパの現代人と古代人のゲノム解析を行うことで、互いに異なる遺伝集団が農耕や家畜化といった技術の進展とともに交雑が進み、5000年ほど前の青銅器時代に非常に遺伝的差異が少なくなったということもわかっている。本書ではヨーロッパの狩猟民族から農耕民族の遺伝子プールの交代や、その後ステップ由来の遺伝子集団が北ヨーロッパに広まっていったことなど非常に詳細なレベルでの人類集団の変遷が記述される。また、インド=ヨーロッパ語がヤムナヤ文化によって広がっていったことで、非常に広い範囲で似通った言葉が現在話されている原因になったことが示されている。これは、遺伝子学が言語学といった別の学問領域の謎を解明する強力なツールになるという事例である。なお、ヨーロッパに関する記述が色濃いのは、著者がアシュケナージ系ユダヤ人であり、やはり自身が関係する地域の集団の由来について強い興味があるからだろう。もちろん、ヨーロッパが寒冷地であるため、古代人の遺伝子の保存状態がよいことや、そのサンプル数も多いことなど、研究に有利な点も多いからでもある。
本書ではインド人のゲノム解析も比較的詳しく解説されているが、インドの歴史的経緯を反映していてこちらも興味深い。ヨーロッパ人の遺伝子も多くの交雑からできていったものだが、インド人の遺伝子も西ユーラシア由来と東アジア人・南アジア人との交雑したものであることが明らかにされている。ここで興味深いのはカースト制度の社会的地位が高いグループは西ユーラシア由来の遺伝子の割合が高いということがわかったことだ。また、西ユーラシア由来のY染色体が多く、一方ミトコンドリアのほとんどが古来からのインド人のものであるという。これは、西ユーラシアからの侵略者(男性)が多くの子孫を残したことを示している。同じ傾向が、実は現代のアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ人にも言えるという。さらに遺伝子解析の結果は、インドでこの交雑が4000年前から2000年前の間に起ったことを示している。これはインド=ヨーロッパ語が結果としてインドに浸透していったという仮説にも合致する。また、民族内婚姻が何千年にもわたって続いた結果、宗教的理由によって発生したアシュケナージ系ユダヤ人が遺伝的ボトルネックを持つのと同じように、インドの多くの民族でもボトルネックを持っていることが示されている。このため、アシュケナージ系ユダヤ人に多く発生する遺伝子を原因とするテイ=サックス病のように、インド人の各民族の病歴を調査することでいくつかの遺伝子の働きがわかるかもしれないという。 インドの中の隣の村との間の遺伝的差異は北ヨーロッパ人と南ヨーロッパ人の2~3倍もあるという。したがって、インドは一つの民族国家というよりも、婚姻範囲が比較的狭い小さな民族がより集まってひとつの大きな国を構成しているということができるそうだ。
東アジアについては、先に述べたように、日本も検証のスコープに入っている。著者は、斎藤成也さんという方と日本民族に関する協同研究を行っており、その結論として農耕民族系と狩猟民族系が1600年前くらいに徐々に交雑したと推定しいている。「この時期は日本列島の大部分が単一の規範のもとに初めて統一された古墳時代に相当する。おそらくこれが、こんにちの日本の大きな特徴である同質性の始まりを画する出来事だったのだろう」と書くのだが、著者の本書を通しての姿勢からするといかにも安易すぎる記載である。やはり、著���のホームから離れていることから、本来の慎重さと興味の量が薄れたのかなと思う。また、同じくアジアの人類について、孤立した太平洋の島々での移住の時期やルートなどはゲノム解析からわかってきている。一方中国を含む東アジア本土では、すでに多様な文化の発達に加えてこの数千年の漢族の膨張により高い複雑性を持っていることから、非常に解析が難しい地域であるとのことで、遺伝子による古代史の再現は現状では難しく慎重であるべきということだ。こういった東アジアやインドの例からもわかるが、各地域で特色があることがわかって面白い。
また、ゲノムは比較的現在に近い時代においても様々な歴史を反映している。アメリカ大統領ジェファーソンが黒人奴隷のメイドと子供をひそかに成したことがゲノム解析からわかったことは有名だが、このような事例はアメリカ大陸のそこかしこに残る。また、モンゴル帝国の領土の男性の8%は、1300年~700年前に存在したと思われるY染色体由来のものを持っており、歴史的な推定からこれがチンギス・ハン由来のものではないかと言われている。実際に男系に伝わるY染色体と女系に伝わるミトコンドリアの系列を調べると、いずれの地域でも5000年内に共通の男系祖先をもつあろうY染色体が多く見つかっている。一方、女系のミトコンドリアではそのような事例はほとんどない。ヨーロッパでもインドでもヤムナヤ文化の担い手の中の一握りの男性が広くその遺伝子を侵攻・征服の過程で拡散していったと想像される。明らかにY染色体とミトコンドリアDNAの間には不平等が存在する。これが最も強く表れている例が南米で、例えばコロンビアのアンティキア地方では、Y染色体の94%がヨーロッパ人由来なのに対して、ミトコンドリアDNAの90%がアメリカ先住民由来であるという。
さて、ここまでのレビューを見ると、著者はあまりにも人種というものにナイーブなのではないかという感想を持つかもしれない。特にヨーロッパではナチスの過去があり、この件を扱うのは大変デリケートな問題だ。
実際にはその逆で、著者はその点について極めて誠実に振る舞おうとしている。ここで「誠実」というのはまず科学的事実について正確な理解を求めるということである。著者はまず、人種と呼ばれている集団間の遺伝子の差異は、集団内の遺伝子の差異よりも小さいため、「人種というのは虚構である」という神話を否定する。学会でもそう振る舞うことが正統であるかのようにされていたが、それは皆がそう信じたがって飛びついた仮構であり、データに誠実であろうとするならば、集団間には実質的な差異があるという厳然たる事実に目を背けてはいけないと主張する。ある研究では、遺伝子配列から世界中のサンプルを「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア先住民」「アメリカ先住民」と強い関係のあるクラスターにわけることが可能であることが示された。これに対する著者の立場は次の通りだ。
「たとえ今はまだ、その差異の正体がわからないとしても、砂の中に頭を突っ込んで、差異など見つかるはずはないという振りをするのはよくない。差異があるという現実に対処できるように、科学界や社会はしっかり準備するべきだろう。沈黙を保ち、一般大衆や同僚に向けて、集団間の実質的��差異などさもありそうもないと暗にほのめかすという戦略はもう通用しないし、明らかに有害だ。わたしたち科学者はそのことを肝に銘じるべきだ。もし科学者としてあくまでも意地を張って、人間の差異を理性的に考察するための枠組み作りを怠るなら、その空白は似非科学で満たされ、オープンに話すよりもはるかに悪い結果を招くだろう」 - そして、重要なのは、「差異があってもわたしたち自身の振る舞いはそれに左右されるべきではないと悟ることだ」という。
そういう意味でも著者は、アシュケナージ系ユダヤ人の優秀さを遺伝的な観点から説明しようとするニコラス・ウェイドを強烈に批判する。彼の主張はステレオタイプで、人種差別を助長すると。
自分もウェイドの本『宗教を生みだす本能』をレビューで強烈に批判したので、この人も同じように考えるのだと安心した。一方、ウェイドが参照したグレゴリー・コクランおよびヘンリー・ハーペンディングの著書『一万年の進化爆発』について、著者は論理に誤りがあるとして批判しているが、自分は一読して比較的高く評価していた。この辺りは、本を読んで得られる知識だけだとどうにも評価が難しい。特に論点になっているアシュケナージ系ユダヤ人の遺伝的特性については、著者自身がアシュケナージ系ユダヤ人であることもあり、微妙な問題やバイアスをはらむ可能性がある。コクランらの議論には明らかに誤っているであろうロジックもあるが、一概に無視をすることもできないのではと考えている。
著者は、とりわけこの点には慎重さを失わない。それはとりもなおさず、遺伝的差異が科学的にはあるということを前提にしたものだ。またその慎重さは、そのことが容易に悪用される可能性があることを正しく理解しているからだ。ただ、同時に著者は、その社会的に求められる慎重さが科学的探究の妨げとなることがないようにということも願っているのである。
古代DNAの解析は、サンプル数が増加することでさらにいろいろなことがわかっていくだろう。特に今までは西ユーラシアに偏っていたサンプルと解析が、他の地域でも同様に多くのサンプルが集まってくることで、より多くの事柄が明らかになることが期待されている。一方で、アメリカ原住民の遺伝子研究において問題となったように、墓を暴くような行為については慎重さと地元集団との同意が必要であることも留意されている。
最後に、多くの人が抱くかもしれない、この研究が何の役に立つのかという問いに対して、著者は次のように答える。
「わたしたち科学者は研究資金助成システムにすっかり馴らされ、自分の研究を健康やテクノロジーへの実際的な応用という観点から正当化しようとする。しかし、人間に本来備わった好奇心そのものが尊重されるべきではないだろうか? わたしたちは何者なのかという根源的な問いの探究を、種としてのわたしたちにとっての至高の目標とすべきではないだろうか? 見識ある社会とは、知的な活動を高く評価するものではないだろうか?」
と答えている。自分もそう思うよ。
本書に書かれてあること全部理解をしようとすると大変にハードだけれども知的刺激はたくさんもらえる。少なくとも人類の出アフリカ説の全体像をつかむというこ��については今のところ一般書でこれよりも詳しいものはないだろう。遺伝子学について興味がある人なら手に取ってみるべき本。
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『ネアンデルタール人は私たちと交配した』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/416390204X
『宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4757142587
『一万年の進化爆発』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4822283992
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旧人類と現生人類の交雑について知りたかったのだが、
ついていけなかった。
科学的な説明が難しいというではなく、
仮説を組み立てている論理展開に。
そして、自分が興味があったのは、
DNAが明らかにする人類の移動や交雑ではなく、
もっと文化的な交雑だったことに気が付いた。
カーストとジャーティという制度によって、
特定の集団内でしか結婚できなかったインドが、
遺伝学にとって重要な意味を持つのには、
ちょっと複雑な気持ちになった。
そして、アシュケナージュ系ユダヤ人社会では、
遺伝的に潜性遺伝病(以前の劣性遺伝子が引き起こす病気)を内包しているがゆえに、
高校生の遺伝子を調べてから、お見合いさせるという話にも、
複雑な気持ちになった。
また、奴隷としてアメリカ大陸に運ばれた際に、
船倉に詰め込まれ多くの人が亡くなったことは、
結果的に、
劣悪な環境でも生き残れる遺伝子を選別することになったのではないだろうか、
とふと考えてしまった。
面白かったのは、
モンゴル帝国のたった一人の男性が、
その領土内に直系の男系子孫を何百万人も残したことがわかったこと。
断言はされていないが、それはチンギスハンでしょ。
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最新の研究状況が反映されている。
激しく進歩している分野と実感した。
統計処理の手法等が十分に理解できず残念。
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ネアンデルタール人のゲノムの割合がヨーロッパ人よりも東アジア人で高いことと、逆かと思っていた。
東アジアの中に日本の記述も入っている。農耕民族系と狩猟民族系が1600年前くらいに徐々に交雑したと推定しいている。そんなこと知っているよと言いたい。
遺伝子間に書き込まれた集団間の差異がどのような性質、方向性をもつか本当に見当がつかない、との作者の意見には賛成。個人をそのグループの想定上のステレオタイプで判断することが人種差別の本当の罪なのだ、と思う、という著者の判断は正しい。
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日本では人類学、考古学は文系に属するけど、多く海外では理系に属する。データの解析、地質や年代の測定など、学際的な知識が求められるからだ。そんなわけで日本の考古学の学徒だった自分には、少々難しい内容だった。地理感がつかめず、何より方法論がよくわからない。星3つの評価は内容の問題ではなく、多分に自分の知識不足に原因があると思う。そうは言っても、古い知識をいくつかアップデートすることができたのは有益だった。性的バイアスなど、印象的な内容もあった。日本人の由来にも軽く触れられている。
本書を読んで感じたのは、とにかく人類は移動する動物なんだなということ。何か目的があったわけてはないと思う。定住革命を経てなお、本質的に人類は旅をする動物だ。遥かな祖先たちの好奇心に感謝。
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読了。
文字通り日進月歩、次々と新説が登場するこの分野。本書は仮説や推論を極力排し、古代人全ゲノム解析結果というエビデンスを徹底的に拠所とする点が新しい。めちゃくちゃ面白いのだが、エビデンスを徹底的に重視するというストイックさ故、読み物としては余りにアカデミックで(笑)、咀嚼には相応の覚悟とカロリーが必要。人類はアフリカで誕生して、ユーラシア大陸を経由して世界中に拡散した、という定説に対しても、実は斯様な単純な旅路では無かったとDNA鑑定結果から反駁している。一日1歩三日で3歩、3歩進んで2歩下がる、人生はワンツーパンチ…、人類の苦闘の歴史がきちんとDNAに刻まれるという事実に、人智の及ばない意思を感じるのは私だけか。
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かつての考古学・人類学は発掘された化石の形態などから人類の進化、移動を推測することしかできなかった。最近のDNA配列決定技術、解析手法の向上は、これまで見えていなかった古代の人類の移動を描き出しつつある。本書はその日進月歩の分野の第一線で活躍する研究者による著書。
著者は古代人の人骨からDNAを抽出し(なお、古代人の人骨からDNAを抽出し、配列を決定する技術を確立したのはスヴァンテ・ペーボ。ネアンデルタール人のゲノムを解読した科学者でこの分野のパイオニアである。そこに至るまでの彼の苦労を書いた自伝的著書「ネアンデルタール人は私たちと交配した」と本書をあわせて読むとより理解が深まるだろう。)、その配列を解析することで、古代の人類がどのように移動していったのかを明らかにしつつある。
なぜ古代人のゲノムを解読することでその移動を明らかにできるのか?我々のゲノムはA,T,G,C,4種類のDNAの文字が30億ほど並んでできている。親から子へゲノムが引き継がれるときに、このDNAの文字列はそっくりコピーされる。しかし、ごくまれにではあるがこの文字列の書き写しにエラーが起こることがあるのだ。ある部位のAがTに代わるといった具合にだ。
現生人類がアフリカからでた後にある部位でAからTへの変化が起きたとする。そうするとアフリカ人のゲノムのその部位はAだが、ヨーロッパ人やアジア人など、変化が起きた後の人類の子孫はその部位にTを持つ。人のゲノム配列中でこのように人種間で異なる文字になっている場所が何万箇所もある。それを照らし合わせ、統計的手法を組み合わせて調べることで、どのように人類が地球上に拡散していったかを明らかにできるのだ。
そうして浮かび上がった現生人類の移動は、従来の説とかならずしも一致しない。ヨーロッパでは農耕の拡散が人口集団を塗り替えていったと考えられていたが、ゲノム配列からわかる人の移動はそれとは異なっていた。アジアではまだ存在が人骨で発見されていない未知の人口集団が予測されるという。
それどころか、我々現生人類ホモサピエンスですら、一筋の進化を辿ってきたという考えすら誤っていたことが明らかになった。我々と異なる、絶滅したとされるネアンデルタール人のゲノムがごくわずか、2%ほどではあるが現生人類のゲノムに残っているというのだ。しかも興味深いのは、アフリカ人のゲノムにはネアンデルタール人のゲノムは入っていない。これは現生人類とネアンデルタール人の交配がアフリカを出た後(中東、ヨーロッパ)で起こったことを示している。
また、オーストラリア大陸の原住民アボリジニには、別の絶滅した人類デニソワ人のゲノムが最大で5%ほども含まれているという。
このレビューを書いたのは本書を読んでから1年近くたってからなので、不正確なところや、内容をきちんと押さえていない箇所もあるかもしれないことを断っておくが、本書の面白さが少しでも伝わり、本書を手に取ってくれる人がいれば幸いである。
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古代人DNAの解析から旧人類、現生人類の混ざり合いの流れが分かる。集団における人種の混ざりあいの性的バイアス(男性のDNA)、人種に残るDNAの違い等は納得できる。全般に詳しすぎて疲れた。▼P288日本人について;何万年にもわたって狩猟採集民であり、2300年前ごろにアジア本土起源の農業が始まる。斎藤成也の現代日本人のモデルは、現代朝鮮人と関連のある集団(農耕民、弥生人?)とアイヌに関連のある集団(狩猟採集民、縄文人?)の混じり合い。農耕民が80%、狩猟採集民が20%で、混じり合いの平均の時期は1600年前ごろの古墳時代。狩猟採集民と農耕民との間の社会的な障壁の打破に何百年も要した。
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しばらく前に、ミトコンドリアイブという説が流行ったことがあった。それは、ミトコンドリアの遺伝子のみに着目した系統樹であったが、これは全DNAを対象とした人類の遺伝的変遷の研究における今日の到達点を書いたものである。
ミトコンドリアイブほど有名にならないのは、分かり易い結論を避けているためだろう。現生人類にも、若干のネアンデルタール人DNAが受け継がれているとか、単純なアフリカ起源説ーアフリカを出た現生人類の祖先がそれぞれの地域に散らばって独立して発展したーを否定するなど、それなりに影響のある説を提示している。
DNA解析による人類史の研究はまだ始まって間がなく、サンプル数も手法も限られている。ここに書かれたことが全て正しいとは言い切れないが、DNA研究が今後考古学に重大な影響を与えていくことは疑いない。著者自身が例えているように、炭素14法に匹敵する画期的な変革と言えるだろう。
この研究は、人種差別に対して、人類が皆交雑することによってできていること証明することによって打撃を与える。しかし、その一方、遺伝的に異なるエスニックグループは存在するという不都合な事実も明らかにする。
結局、知識は使い方次第なのである。
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DNA解析によって人類が遺伝学的にどのような歩みを経て
現在に至ったのか、少しずつ明らかになりつつある。解析
技術自体の進歩や、発掘された古代の遺骸からDNAを採取
する新たな方法の発見などにより、近年この分野の進歩は
めざましい。この本は、少しずつわかり初めてきた研究の
成果を紹介し、これからの展望を示した本である。人類の
歴史は、進化の系統で良く示される樹状ではなく、網の目の
ようなイメージで交雑を繰り返してきたという点が興味
深かった。
このような研究は人種差別や身分制度などと相まって否定的
に捉えられがちだが、要は研究に対する姿勢と使い方だと
私は思う。人類に純血種など存在しない。
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凄かった。
しっかりとした検証に裏打ちされた事細かなデータを自分のような一般の人にとても分かりやすく提示してくれる。
歴史や人種を形だけなぞるよりこういう本がもっと増えることを祈りたい。
その上で、じゃあ自分は何ができるんだろうと考えさせられた。
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現世人類とネアンデルタール人が交雑していたというのは現代では有名な話だが、それを明らかにしたのは「古代DNA分析」という研究分野。その第一人者である著者が、古代DNA分析の仕組み、ヨーロッパ、インド、アメリカ、アジア、アフリカの各地域に住む人々の由来に関する最新の仮説、そして集団間の遺伝的差異(優劣)という極めてセンシティブな問題に対してどう向き合うべきかを論じる一冊。
人類が進化の樹形図のように枝分れして進化してきたという直感は実は誤りであり、現世人類を含む様々な人類がお互いに交雑を繰り返して現世人類に至っているという。「集団間の実質的な差異の発見という避けられない未来への正しい対処は、差異があっても(集団ではなく個人に注目することで)わたしたち自身の振る舞いはそれに左右されるべきではない」と説く。
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面白いです!
初等中等教育ではおそわることがまだない、人類史の最新の知見が述べられています。文字としては記録が残っていない「神話」の時代をDNA分析で探究するという興奮の試み。
印象的であったのは、インドの成り立ちと、ストーンヘンジへの推察。
発行から時間を経ているので、その後の研究成果を反映した改訂版を期待します。
通しで全編を丁寧に読むのは時間を要するので、忙しい方は、興味を抱く章だけを読むことがおすすめ。