電子書籍
文学のパワーを感じさせる作品群
2021/09/21 01:25
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投稿者:なのはな - この投稿者のレビュー一覧を見る
家族がテーマの独特の価値観が印象的な3つの短編を収録した短編集。登場人物たちのオリジナリティあふれる思考が、セリフや行動でぐいぐいと迫ってくるような、それでいて脱力感をも感じる奇妙な感覚の短編群に圧倒されました。言葉を失う、うまく表現できない、そんな感想しか出せないようななんとも不思議な小説です。文学小説として一段高いレベルを感じます。ストーリー自体はしっかりあるのですが、一方でどこか煙に巻くようなところもあり、話に引き込まれているうちに自然に登場人物たちの独特の価値観に慣れてしまっている自分に気がつきます。このようになんとも評するのが難しい小説ですが、斬新な作品を楽しめること請け合いです。
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されど舞城王太郎
2019/03/28 12:45
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hm - この投稿者のレビュー一覧を見る
舞城王太郎の小説は読めてる気がしない。文字は入ってくるけど、作家の、表に出さず語ろうとしているものを読み取れている気がしない。
あるいは図る必要がないのかもしれない。無意味ということではない。「これだ」「こういう意味だ」という答えを、必死に求めなくてもいいのかもしれない。
読んだけどなんか読み切れてなくて、なんとなくもやもや残り、考え続けるのでいいのかもしれない。私の、舞城王太郎の本の読書はそういうものだ。
この本の物語には、妖怪の類は出てこない(たぶん)。だけど舞城王太郎の醸す、恐ろしいものは漂っている。
人間の起こす奇怪なことや様子を、完全な「リアリズムの小説」として書いたのが、この本なのかと思った。
直接的にこちらに話しかけてくる文体で、疲れた。同時に、読みやすいのですぐ終えられる。この舞城王太郎スタイル、文体も物語も、これからどこへ行くんだろう。
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人の影響力ってすごい。なんでもできそう。
ときに否応なく、だから怖い。
その影響力は自分すらも振り回しながら何処へ向かうだろ。
信じるって言葉だけなら軽薄で、行為が伴うとそれは沼。
人生は引き返せない。
希望は無責任に光るし。
でもそもそも自分以外に責任を求めてもなあ...。
なんか出てくる感想がヘンテコだけど耽読した。
トロフィーワイフやっぱり好き。
ドナドナも表題作も好き。
林檎の方の〜遠くの列車も良かったが。
てか全部良かったが。
選ばないと中身ないこの感じがまさに...。
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舞城王太郎という作家は、基本的に読者や評論家を煙に巻くような作風なのだが、時々誰が読んでも考えさせられる作品を出す。本作のように。
2ヵ月連続刊行の舞城王太郎さんの新刊。『私はあなたの瞳の林檎』が恋篇なら、本作は家族篇だという。そういえば、デビュー作『煙か土か食い物』は、家族がテーマだったと思い出す。帯のあらすじを見ると、ちょっと重そうだが…まあ、読み始める。
「トロフィーワイフ」という言葉は初めて聞いたけれど、嫌な言葉である。姉が離婚すると言い出した。妹が、姉が転がり込んだ知人宅に行ってみると…。幼い頃から、非の打ち所がない完璧な姉。だが、その内面は…というサイコサスペンスっぽい内容。本人に自覚はない。怖くもあり、哀しくもある。いい妹を持ったと思う。旦那とやり直せるかどうか。
「ドナドナ不要論」。序盤から理屈っぽいなあと思っていたが、その後は胸をえぐられるような展開が待っていた。自分が同じ立場に立たされたら。あるいは、妻を同じ立場に立たせたとしたら。義母の言動には眉をひそめるが、現実逃避かもしれない。この世は悲しみに溢れている。だからこそ、今ある家族との日常に、感謝しなければ。守らなければ。
最後に短めの「されど私の可愛い檸檬」。恋愛に慎重な男子。しかし、慎重なのは恋愛だけではなかった。あれ、恋の話か?と思ったら仕事論のようでもあり。彼のように行動する前に考えすぎてしまう心理は、自分はよくわかるかな。仕事で上に立つ器ではない点も共通している。それを受け入れた上で、どう振る舞うか。でも、家族の話ではないよね???
家族だからこそ、こじれるし、逃れられない。いいことばかりではない家族の側面を描いた最初の2編。しかし、家族に絶望するのではなく、むしろ希望を見出している。最後の3編目は、多くの読者にとって普遍的なテーマではないだろうか。
『私はあなたの瞳の林檎』と甲乙つけ難い作品集だ。またしてもやられた。
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【家族に悲しみはいらない―他人がとやかく言うなボケ!)】
3篇とも好き.
特にドナドナ不要論が好きだけど,家族のわずらわしさやめんどうくささを感じるトロフィーワイフも,ふらふらしている表題作,されど私の可愛い檸檬も好き.
能動的に動くというのは大変な手間なのだ.
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【トロフィーワイフ】
『もの凄いゼロに近い部分からだけど、微かな、《相手にする必要がない人がいる》という引き算の発見から、私はともかく自分を積み上げていく。』
「それは…偽物の自分を演じるのに慣れて、本物の自分忘れたってことじゃないの?」
「あはは。本物の自分って!実際に振る舞ってる自分が常に本物の自分だよ。こうなりたいと思ってなれないんだったら、それは自分の中にしかない《理想の自分》だし、本当の私はこうなんだよなーとか思っててもそう振る舞えないなら、それは偽物の《自然体》なんだよ。だって自然って、今そこにあるもののことでしょ? 完全な気楽さ、みたいたイメージあるけど、人生で完全に誰にも何にも気を遣わなくていい気楽さなんてどこにもないんだから」
「あのさ、トロフィーワイフって表現知ってる?」
「知らないけど…意味は判るかも。…勉強とか仕事とか頑張って、人生で成功したご褒美みたいにもらえるいい奥さんってこと?」
「あー…それはいい解釈だしそういう世界の住人でありたいけど、たぶん違ってて、男が自己顕示欲を満たすために結婚する相手のことだよ。人に自慢するための道具にされちゃう女の人。その女性の内面とか無視でね」
【ドナドナ不要論】
「言葉が通じなかったら力を使うしかなくて、だから《暴力》って呼ばれない程度の暴力を振るんだよ、皆」
『この茫漠としたかなしさは悲しいのか哀しいのかどっちなのだろう。両方なのかもしれない。それともまだ漢字の発明されてない新たなかなしさなのだろうか。』
「ごめんね。もし万が一私が帰ってこなかったら、穂のかのことよろしくね。今までありがとう。愛してるよ、本当に」
【されど私の可愛い檸檬】
「俺、四方田さんのこと、好きだよ。四方田さんのためになら、星の裏まで探しに行くよ」
「えっ…あはは!星の裏?どこよ。地球の裏ってこと?」
「ブラジルとかそういうところじゃないよ。どっか遠い星の裏っかわ。月とか水星とかじゃなくて」
「そうか。ありがとね。でも大丈夫。そゆなに遠くまでいかないから、私」
『そんな微力を集結し、俺は俺自身、改めてまともになり、好きな人を離さず、離れても探しに行き、そして世界を信じていかなくてはならない。言葉を本当にするのは俺なのだ。
その第一歩としてまずは決めなくてはならない。今目の前にある選択肢から、自分で選ばなくてはならない。自分の意思で、自分のやりたいことを。やるべきことを。』
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中編3編
私は林檎の方が好みだったけれど,こちらは家族の愛の在り方を描いて,裏の裏のまた裏を探るような視線で面白かった.
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「ドナドナ~」と表題作は楽しめたような気がする僕です…社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
トロフィーワイフという短編は少々くどいくらいに説教みたいな文章が続き…辛かったのでした。舞城氏の純文学系統の作品は時にこういうのがありますねぇ…作者の言いたいこと・訴えたいことみたいなのが前面に出ていて物語になっていないというか…そういうのがちょっと辛いかもですね。社畜死ね!!
ヽ(・ω・)/ズコー
けれどもまあ、舞城氏の書く会話の応酬は好きですねぇ…ユーモアもあり、時にふふ…と笑いもこぼれます。
まあ、そんなわけで久々の舞城作品、堪能さしていただきました…さようなら。
ヽ(・ω・)/ズコー
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選ぶって難しい。
今の時代、昔より選択肢が増えてるから
自由でもあり生きにくくもあるなー。
三作とも、色んな人いるなーーって思った。
厄介でそれでも愛おしい家族。
家族のような人たち。
磯村くん、がんばれーー笑
林檎に引き続きおもしろかったです
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林檎が良かったのでこちらも読んでみた。
これもある意味哲学的な話だった。
「トロフィーワイフ」は、読んで、ごめんね、みつをの「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」っていうのを思い出しちゃって。舞城王太郎は相田みつを、絶対嫌いだと思うんだけど。
妻が膵臓癌になっちゃう「ドナドナ不要論」、仕事を決められない表題作も良かった。「《自分がどうしたいのか》の答えを出すことがこんなに苦しく、人生で一番難しいものだなんて」(P235)。「自分がしたいようにすればいい」とアドバイスする人って、自分のしたいことがわからないという苦しみを知らない。しかし、それがわからない人って案外多いと思う。何がしたいのかわからず、とりあえず生活のために働き馬齢を重ねる。したいことがあると思っていてもやってみたら人生かけるほどでもなかったり。
安易にいい話にまとめないところが良かった。
個人的には林檎より檸檬が良かった。
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「林檎」とは全く違う大人の愛の物語。「トロフィーライフ」夫婦なんて元は他人。家族とはなんだ。愛情とはなんだ。今回も作品から舞城氏の吠える声が聞こえてくる。幸福とはそれを感じる人間が定義するものであって、決して他人にどうこう言われる筋合いのものではない。「ドナドナ不要論」これは本当にきつかった。膵臓癌を患った椋子が、夫、愛する娘、実父母とやり取りする様は、現実味がありすぎて泣きたくなった。不条理に癌を与えられ、それでも母で娘で妻でなければならない一人の女。夫視点で飄々と語られるがゆえに痛々しく心に沁みる。書き下ろし表題作よりも上記の二編が心に残りました。他の方は、この世界観が特殊なものと思うでしょうか。久しぶりにページをめくるのももどかしいようなノンストップの読書をしました。
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第二弾は家族がテーマ~『トロフィーワイフ』二ヶ月ぶりに母からの電話を受けた私・扉子は、姉・棚子が離婚だと突然言い出して慌てている。姉は夫・知樹の元から飛び出し福井の通称・軍曹の家に居候しているらしい。棚子の夫によるとダ・ギルバートの講演の話をして幸せは見つけるものだと話したら、姉が家出したらしい。私が福井に着くと、軍曹は車で迎えに来て、姉は軍曹の義父母の介護をし、3歳の息子の世話もしているらしい。軍曹自体は働きに出ている。軍曹の家に着くと、家の中はちゃんと整理整頓されていて、まるで棚子のマンションのようだ。私は悟った。棚子はこの家と家族を支配している。この家の人たちのために何としてでも連れ帰らねば。これは生きるか死ぬかの戦いだ。階段での攻防で棚子は腕を折り、私は前歯を折った。『ドナドナ不要論』子牛の気持ちなんか分からない、知る必要もないと思うから「ドナドナ」なんて要らないって思っていた僕・智は福井の祖父が亡くなっても葬式に行けないとだけ言い、理由を話さない妻・椋子が理解できない。落ち着かせると、ステージ3の膵臓がんで転移も始まっているらしい。手術しても、出血が酷く、何度か新蔵が止まったが、心臓直接マッサージで息を吹き返した。義母は私の娘・穂のかにそんな姿を見せたくないと、一切見舞いに来ない。漸く自宅に帰り、親子3人の暮らしが始まったが、最初の晩に穂のかがおねしょをすると、躾だと妻は凶暴になり、穂のかは薄情なのだと怒り出し、娘は義父母の家で暮らし始める。僕の暮らしは職場と義父母の家と自宅を巡る忙しさ。胃痙攣を起こして気絶し、見た夢は多摩川で溺れる男の子を救う話だった。『されど私の可愛い檸檬』大学に通いながら看板会社でアルバイトする僕は案外モテる。でも本当になりたいのはデザイナ。バイト仲間と多摩川の花火大会で会い、つきあい始め、彼女はバイトを止め、公認会計士になるための専門学校に通い始める。僕もデザインの専門学校に通おうと思うが決断できず、ようやく学校に入り、事務所で出版デザインの仕事も始めるが、僕には本質が分かっていないらしい。ワインのムックを出す話から、出勤をしてワインバーの店長になる話に展開し、あたら言い彼女が妊娠し結婚し、子どもができたが逃げられて…~書き下ろしの展開がぐずぐずギュッで吃驚したが、ついていけない。家族ものは、恋愛ものより読みやすいが、最後は何? 自分?
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『トロフィーワイフ』
頭よし顔よし、性格も良い完璧妻VS「人は誰でも与えられた状況に幸福感を得ることができるし、さらには価値観も変えることになる」という理論、というお話(だと思う)。
完璧を演じているうちに、それが板につくというレベルを超えて、自分自身と不可分になっていくという感覚は多くの人が感じているところではないか。しかしこの物語の「棚子」は、理想の自分を求めることは「自然」なことであり、自らも欲してきたところだとする。完璧であろうとして苦しむのではなく、自然とこなすことができ、また、さらに周囲の人間を巻き込んで完全に自分のペースに巻き込む、というかほとんど洗脳していく。確かに、人は親切にされると無下にしにくいものだが、その類だろうか。
誰からも愛されるように仕向けられる女が、自分は夫にとって代替可能な、偶然の産物の、幸福であると感じとった時に、ショックを受け止めきれないという話で、何というか狂気の話だけれど、ピュアな話だと思う。そもそも舞城の小説の人物達はほとんどピュアだが。
『ドナドナ不要論』
人はなぜ不幸な歌を歌いたがるのか。
実際、不幸な話であった。明るい要素があまりない。私もバッドエンドの話は読みたくない方で、目を背けたいから、最後はうまくまとまる話ばかり読んでいる。
それにしても他人の悪意というのは凄まじい。わざと連絡をしてもらえなかった最初のエピソード、本当に娘を思いやっているのかも疑念の残る義母。現実にさもありなんという気がした。涼子が退院後、娘に辛くあたってしまうのも妙なリアルさがある。こういう絶妙な不条理さの表現は舞城の持ち味だと思う。
『されど私の可愛い檸檬』
人生の選択の難しさ、やりたいことと実践の乖離。でも、何でそれをやりたいと思ったのか、また主人公の具体的にダメなところも、前2作ほど丁寧には物語に織り込まれていないと思った。主人公が、向いていないこともただ愚直にやり続けようとすることが、坂上には負担だったのか?
少し抽象にしすぎたかもしれない。
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あぁ、わかる。どうにもならんことをどうしようもなく考える。大した解決はなく、自分の脳内で幸せを製造して生きていくんだ。うぬ。他の本も読んでみようっと。
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発表時期の違う短編集。
トロフィーワイフだけ読んで、一年ほど机の上に積ん読をしていたのだけれども、「ID:INVADED」が思いの外楽しかったので、重い腰を上げて読んでみた。
ドナドナ不要論は、このドナドナ不要論というタイトルがとても良いけど、話自体は悲しい悲しいお話で、されど私の可愛い檸檬も、やっぱりちょっと悲しいお話。だったのだけれども、絶妙に「ありそう」な会話や丁寧な人物描写や設定が痛てて・・・となる。けど、こういうのは、日々ツイッターで無尽蔵に見られるようになったから、やっぱりあんまり読書で見ていたくないのかもと思ったり。