笑いを知的に楽しむ1冊
2004/01/13 00:41
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:木の葉燃朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
笑いについて対話形式で考察する「Iユーモア問答」と、具体的なユーモアの例を紹介する「IIユーモアさまざま」の二章からなる本。人によっては、具体例の多いIIを先に読んだ方が面白いかもしれない。ただし、Iにも笑いを分析するヒントがたくさんあるので、敬遠せずに読んだ方がいいことは間違いない。
IもIIも面白いユーモアの例がいっぱい出てくる。特にIIは、バーナード・ショウ、内田百けん(「けん」は門の中に月)、落語、連句などから、一般の人々のエピソードまで、色々なユーモアの例が挙がっている。これらの例も、ただ面白いだけでなく、「面白いとはどういうことか」について色々と発見ができる。
……などと紹介ばかりしていてもあまりこの本の面白さが伝わらないかもしれないので、最後にこの本の中から個人的に好きなユーモアをひとつ紹介。
長崎にある「佐世保」の読み方は「サセホ」と「サセボ」のどちらが正しいのかという質問に、地元の人が答えて「サセボですけれども、サセホという人もいます。どちらだっていいんです。ホボ同じですから……」(p.179)。
もし上のユーモアがつまらなかったら、それは決して本が悪いのではなく、このユーモアを面白がる俺が悪いので、本は是非読んでみてください。
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三谷夫妻に感化されて熟読。いやー、奥深いです。
例えば会議で煮詰まった時や、予測不可能な事態に陥ったとき
重い空気をパッと一蹴できるようなひとことを言える存在は
とても貴重だ。
そして、そんな大人に私はなりたいと思う。
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ユーモアが何かというのも考えさせられたけど、やっぱり具体例が面白い!
Do you see the boy?
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ユーモアの語源には「体液」という意味がある。体液は、血液、粘液、胆汁、黒胆汁があり、それらがうまく調和しているとき、人間は健康で、どれかが過多、バランスが崩れると特異体質になる。
体質の問題でもあり、気質の問題でもある。この得意な気質が環境の笑いを誘う。変わった人間の面白さ・・・、そこから転じてユーモアは得意なものに触れて生まれる笑い、おかしみそのものを呼ぶようになった。
ユーモアは、発する側だけでなく、受け取る側の心理作用としているところが独特。ウィットと比べて知的要素が少なく、共感的性格を帯びる。面白おかしいだけではなく、哀愁(ペーソス)、感傷を帯びる。複雑できわめて矛盾にみちたものである。
ユーモアは感情的なものであり、矛盾や不条理を論理ではなく、直感と常識で処理しようとする生活の知恵である。
ユーモアとは、<人間生活の欠陥を好意的にしかも距離を置いて眺め、単なるおかしみ、不自然さを超えて健康で自然な世界観に迫る気分>をいう。
他人だけを一方的に笑う人、自分が他人の目にどう映るだろうかと冷静に考えることのできない人はユーモアに欠けると言わざるをえない。自分を高い地位において、他人を見下して笑ったり、自分をわざと卑下してお世辞笑いするのではなく、自分と他者を同じ高さにおき、しかも相手に思いやりをかけて笑うときにこそ、真のユーモアが生まれ、そのときこそ笑いが人間の心を結びつける固い絆となりうる
ユーモアとは、自分をも他人と同じくわきから眺めて、そのおかしさを笑うことのできる能力、あるいは感覚である
衝突回避。ユーモアのもつパワーである。交差する二本の道路で、とちらからも車が走っていれば、ほっておけば交差点で衝突事故がおこる。そこで信号をつける。一方が通っているときは他方は停止する。待たされるのはおもしろくない。両方とも走って、しかもぶつからないようにできないかと考えて立体交差ができた。言葉の世界でも同様。議論をしていて、反対意見が出てきたときに、同じ次元で向かっていけば衝突する。そこで、次元の違う論理を持ち込む。どうなることかと息を呑んで見守っている第三者にとって、正面衝突を避けられたという快感がうまれる
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飛行機②
前半のユーモアの語源をめぐる話は、別にユーモアの定義を知りたいわけではないからあまり興味がない。
後半は、色々なユーモアを紹介しているわけだが、短歌の掛詞のような言葉遊び(駄洒落といっても良い)をユーモアに含めたところは評価したい点。
結局高尚なユーモアと低俗な駄洒落という分け方ではなく、言葉の意味に注目した笑いと言葉の音に着目した笑いの2種類があるのだということに過ぎない。
中には音に着目しつつ、意味の笑いも含んでいる洒落も存在し、これは間違いなくユーモアであると考える。
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[ 内容 ]
しゃれて気の利いたユーモアは、その場かぎりのものでなく、聞く者の記憶に長くとどまる。
気まずい場の雰囲気をたちまち明るくし、ときに、厳しい追及をさらりと受け流すのにも役立つ。
だが、ユーモアを発揮する側はもとより、それを感じとる側にも、洗練されたことばの感覚が必要である。
本書は、思わず頬がゆるんでしまうエピソードをまじえながら、その効用に光を当てる。
[ 目次 ]
1 ユーモア問答(ユーモア;語源;ユーモアとは;難しさ;視点転換 ほか)
2 ユーモアさまざま(さよう、長期的に見れば;人を食っている;アサリ軍水際撃滅作戦;ミシス・チムニー?;親があっても)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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外山氏は私と出身高校が同じということで昔から読んできた方の一人です。
興味本位で手に取った本ですが、私の今の生活に、いかにユーモアが欠けているかを痛感させられました。
ユーモアはある程度の心の余裕が無ければ解することはできません。
ユーモアを感じ、自分で他人を幸せにすることが出来るようなユーモアを言えるようになりたいものです。
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いきなり、ユーモアの定義、ユーモアとはなんぞやといった問答が始まるので面食らった。確かに分かっているようで、よく分からない。p.8あたりにウイットとペイソスという言葉もあって、ユーモアとどう違うのか、逆に同じなのかはっきりしない。
ただ、ユーモアは発する側と受けとる側双方の心理作用であること、時代や国境を越えることが難しいことなどが何となく分かった。
p.48で問答が終わると、今度はいろいろなユーモアの例が紹介されている。これが実に面白い。例えば、私は天国に行けるのか、地獄に行くのかという質問に対して牧師が、「どちらもいいところですよ。天国は気候がいいですし、地獄はお仲間がたくさんおりますから…。」と、こんな感じである。
途中で徒然草や日本の伝統的な文学の話もあって、この辺り私にはかなり難しいが、ずいぶん時代が違うので致し方ない。全体的には肩の凝らない話ばかりであっという間に読み終えてしまった。
感想。私自身、まずユーモアが理解できる人間でありたいこと。そして、できれば自分からもユーモアを発信できる人間でありたいこと。考えてみれば、ユーモアを問答で定義していこうなどというのはいかにもユーモラスで、そう考えると、この『ユーモアのレッスン』というタイトルも、ユーモアたっぷりに思えてくるから不思議だ。
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この本を読めば、、、というハウツー本ではありませんが、ユーモアとは何、話すときのポイントは、などなど結構参考になります。もちろん読んでいて面白いです。ぜひ一度お読みください。
たとえば、本に書いてあるジョークではないですが「きしゃがきしゃからきしゃにのってきしゃする」??? ・・・僕たちの使う日本語でも、普段は絶対使わない言葉を使ったダジャレ、、、そして前後関係がない、、、わかりますよね。みんな凍ります。
あ、まあ、言ってる人にとっては立派なユーモアですので!
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あまりユーモアの得意でない自分が、本書を読むと劇的にユーモアの達人になれるのではないかと期待して購入。ノウハウ満載、とワクワクして読み始めたものの、その期待は見事に裏切られた。
が、そいういう目的で書かれたものではない事が読み進むにつれて判明。レッスン、というよりは本書から自分で発見しろ、ということか。
なぜイギリス人がユーモアが、しもブラックジョークがうまいのかが、よくわかった。それはヨーロッパでも島国だったから。閉鎖的な環境では言葉が洗練され、暗黙知が伝わりやすい。ユーモアやジョークは共通の理解がないと伝わらない。たとえば例が出ているが、ある女性の生き方の講演会で後援者が「老婆は一日にしてならず」と言ったとたんに爆笑の渦に包まれたと。これは「ローマは一日にしてならず」という言葉を知っていないと笑えない。
島国は狭い空間で共通認識が深まるのでひねったジョークが伝わりやすい。海外に行ってディナーでみんなが笑っているのに自分が笑えない事はよくある。英語がわからないのが本当かもしれないけど、時事的な常識が共有されていないからだと思う。
背景的には日本も島国でジョークが洗練されているはずだ。その最たるものが川柳だろう。
様々なユーモアやジョークが満載ではあるが、結局ユーモアのセンスは私には身に付かなかったみたい。でも考えるヒントにはなった。
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はじめにユーモアの語源について、あとはおもしろいユーモアの紹介集といったところ。はじめてきく話ばかりでおもしろかった。
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レッスンというよりも,ユーモアの具体例を紹介してくれている。そもそも,ユーモアは洗練された言葉の上に成り立つものだから,一朝一夕で習得できるものではありません。
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「ユーモア」とは、当事者と傍観者の違いから生まれる笑いであり、外国語の壁を越えて伝わることは難しく、論理を超越する、ことばの教養、らしい。
46~47頁の島(英国・日本)と大陸(フランス・ドイツ等)の違いの考察は面白かった。海に隔てられている島では言葉が”成熟”して、「あいまいさ」や「ユーモア」が発達したと。それは例えば、細かい部分が崩れる・風化するという形で英語の文法にも表れているという。一方で、大陸の言葉(ドイ ツ語やフランス語)は文法の面で細かい規則が守られていて、「論理の整合性を重視」するという。
「ツーカーの仲」、果ては「以心伝心」なんていう言葉もある日本語は、フランス語や英語に比べると「あいまいさ」が目立つように思えて、少し前まで「日本語はあいまいな言語だ!論理的じゃない」などと考えていた自分にとって、この視点は新鮮だった。
以下は引用・メモ。
***
「ユーモアを解するには、頭をはたらかせる必要がある。ことばの感覚が洗練されていないと、ユーモアをつくり出すのはもちろん、うけこたえもできない。笑うこともできないのである。こどもに通じないのはそのためである。笑いというものは高級なものである。」94頁
「もの真似で始まったスピーチ文化である。だいいち、三分を超えるのは異常だということすらご存知ない。すくなくとも一度はみんなの笑いをさそうような目玉がなくてはいけないことなども夢にも思わない。」スピーチとスカート 119頁
渡部陽一さんを思い出した。ことばの意味や内容ではなく「話し方」によるユーモア。「間どり」137頁
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ユーモアは言葉の教養。
ユーモアを理解するには教養が必要。
新しいアイディアを掴んだ人は誰でも変人になる。その考えが成功するまでは。
ユーモアは国境を超えない。教養の境界は国境ほどにはっきりしないから、あまり注意されることもない・
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多くの著書で有名な外山滋比古先生の一冊。
国内・国外を問わず多くのユーモアあふれた名言をその背景と共に紹介されています。
ユーモアには知性が求められるというわけで、なかなかセンスの良いユーモアをタイミングよく繰り出すまでの道のりは険しいように感じました。
これからも、当分下ネタあたりでお茶を濁すことになりそうな私です。
付箋は11枚付きました。