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電子書籍
鉄道ひとつばなし2
著者 著:原武史
話題沸騰の鉄道コラム、待望の第2弾! 皇居と鉄道の関係、抱腹絶倒の「日本の鉄道全線シンポジウム」、鉄道から見た「隣県の壁」、日本の駅百選……鉄道を通して、近代史を、天皇を...
鉄道ひとつばなし2
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鉄道ひとつばなし 2 (講談社現代新書)
商品説明
話題沸騰の鉄道コラム、待望の第2弾! 皇居と鉄道の関係、抱腹絶倒の「日本の鉄道全線シンポジウム」、鉄道から見た「隣県の壁」、日本の駅百選……鉄道を通して、近代史を、天皇を、文学を、都市と郊外を、日本の本質を考える珠玉のコラム集です。日ごろ何気なく乗っている鉄道を見る目が一変します。(講談社現代新書)
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紙の本
病膏肓に入る
2007/11/04 01:51
8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
原武史さんはビョーキだ。間違いない。本書を読んで、そう感じた。何でも原さんによれば、鉄道は精神安定剤、心の清涼剤なんだそうで、仕事で行き詰ったとき、面白くないことが続いたとき、原さんは何気なく「通勤電車」に乗って、あてどなく終点までいったりして、そうすると「すっきり」して気分が晴れ晴れしてしまうようなんである。つくづく良い趣味と言うか、便利な趣味を持った人だこの人はと思う(こうして原さんは本気で北総線の終点や、小田急多摩線の終点近くにまで乗っていってしまうのである。普通、夕方に人跡未踏の唐木田なんて駅のホームに降り立ったら、その日一日を無駄にしたみたいで落ち込むでしょ)。三重県の津まで「全部国鉄で行こう」などと小学生の時分に思い立ち、普通のコースなら東京から3時間もあればいけるところを延々9時間くらいかけていっちゃうあたりからして「栴檀は双葉よりかんばし」を地で行くという感じなのだが、例によって「鉄道原理主義者」の視点から、やたらとJRに絡む「クレーマー」的文章が随所に目立つ。鉄道の利用者は圧倒的に「通勤・通学」者であることはもはや自明であろう。通勤通学者にとって何より邪魔なのは、東海道線でいまだに使われている、あのボックスシートというヤツだ。あれだとシートピッチが狭く、体格が向上した日本人にとって今や向かい合わせ4人乗るのは至難である。それに混雑した車内で乗り降りするにもボックスシートは非常に不便である。それに何よりいけないのは、皆さんドアの近辺に固まって奥のほうに行こうとしないので、朝夕のラッシュ時には必要以上に乗り降りが不便となるということだ。だから「通勤通学」者の視点から見れば、横須賀線がボックスシートを全廃しグリーン車を除いて全席ロングシートにしたのは極めて正しい判断なのだが(同様の理由で地方のローカル線からもボックスシートは続々と追放されロングシートに成り代わっているのだが)これが原さんには非常にご不満らしい。なぜか。曰く「旅情が失われる」「車窓の風景が醜い」「駅弁を車内で食べづらい」って、おいおい。電車と言うのは基本的に移動の手段なんだし、鉄道会社と言うのは、まず第一に金儲けのために鉄道を経営しているのであり、その金儲けのためにはお客様の満足を確保するのが最優先であり、そのお客様の圧倒的多数は「通勤通学」者なのであって、原さんみたいに「車窓」から風景を眺めたり、社内で駅弁を食べることに無常の喜びを覚えたりする「物好きな連中」は極めて少数なんだって、全体から見れば。だから原さんの主張は、原さん言うところの「真の鉄道ファン」にとっては「正しいこと」なのかも知れないが、そんな連中の意見を最優先していては鉄道会社の経営は成り立たないし、一部の「好事家」の為に、大多数の鉄道利用者は不便を強いられるということになるということを原さんは理解しようとしていない。笑える。九州行きの寝台特急「あさかぜ」に対する必要以上の思いいれも、私には強化できないところだ。父の故郷が博多だったこともあって、私は「あさかぜ」に何度か乗ったが、あんなもの、ちっとも楽しくなかった。岩国から下関にかけて食堂車で朝食を食べるのだが、洋食コースに「オートミール」が出てきて、まずくて朝からゲーゲー吐いた嫌な思い出をいまだに私は忘れられないでいる。三段ベッドは狭くて何度も落ちそうになったし、最上段は暑くて寝苦しかった。だから九州新幹線が出来たときは本当にうれしかった。笑えるのは東武線と東急田園都市線が半蔵門線を介して一本につながった時の東武と東急の温度差比較だ。確かに東武線とつながったことを東急サイドではほとんど全く広告宣伝していない。そりゃそうだろう。東急田園都市沿線という日本屈指の住宅街に住む人間にとって、わざわざ東京をまたいで埼玉栃木くんだりまで出かけていく(しかも在来線に乗って)謂れは何にもないからだ。東武動物公園にいくくらいない、神奈川県民ならズーラシアにいくし、上野動物公園だってある。今更日光でもないだろう。あんなとこ、修学旅行でいけば十分だ。福知山線の事故を「鉄道文化」に結びつけて論じるあたりも牽強付会の臭いが濃い。文化の問題ではなく「経営の問題」と見るのが普通だろう。中央本線に乗りたくて、わざわざ山梨学院に講座をもってみたものの、遠すぎて遅刻ばかりして結局数年で去る(でもその間に十分中央本線を堪能して元はとっている)と読めるあたり、趣味と実益を実現する人生を歩み楽しそうだなこの人と思える。不思議なのは近年原さんが始めた年末年始を各都道府県の一ノ宮で過ごすという行事だ。これ原さんは家族同伴で行っているのだろうか。それとも奥さんや子供さんに見放されて、原さん単独で旅行されているんだろうか。原さんは一体どういう家庭環境なのか、このあたりも次号あたりで書いてもらいたいところである。
紙の本
鉄道を政治学者はこう見る
2022/12/31 12:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鎮文修 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は自身を鉄道マニアとみなしていない。確かにマニアと言われるほど鉄道(特に車両編成について。ハエ8というのは川越所属の8本の編成という意味ではない)に気を払っている様子はない。敢えて言うなら鉄道文化の愛好者なのだろう。
しかし、多少我田引鉄に思われるところがある。
例えば「鉄道から見た『隣県の壁』」という題のコラムは、県境に接する二駅の両方に停まる列車の割合を調べている。結論は「地域の発展に鉄道が貢献できることとは何か、都道府県は考えるべき」云々であるが、これは全体的に腑に落ちない。『隣県の壁』というなら県境の通過列車本数でもいい気がする。また、地方が衰退していくことの対策としては、隣県との交流より、県内の中小都市と閑散地域との連携のほうが重要に思われるが。
もっとも、本書は鉄道小話として、著者のような見方もあるのか、という軽い気持ちで読むのが良いのだろう。