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いや〜、価値観変わる。経営者には全力おすすめ。読んだほうがいい。意思決定層における多様性の必要性もさることながら、ビジネスチャンスでもある。自社のデータを見る視点が確実に変わる。
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人類の人口の半分を占める女性を「ないもの」として設計された社会は、「人」とは男性を意味する。男性を基準に制度はつくられる。スマホの大きさは男性の手の大きさを基準につくられ、棚の高さも男性の身長にあわせて設計されている。音声認識ソフトも男性の声にはよく反応するが女性の声には反応が鈍い。GDPには掃除、洗濯、育児、料理などの無償労働は含まれていない。
そもそもの前提として、制度設計の基になるデータに女性が含まれていないというデータにおけるジェンダーギャップがある。そのため、この世界は女性の視点が決定的に欠けている。
そこで、筆者は「女性の体」「女性に対する性暴力」「無償のケア労働」の3つテーマのデータを収集・分析し、それを社会に還元することがこの世界をよりよいものにすると提唱する。
男性のみならず女性もこの男性の作り出した世界に絡め取られていることも問題解決を難しくしているのだろう。
政治家や会社経営者の男女比が半々にならない限りこれらに問題は解決されないのだろう。逆に、制度としてクォーター制を導入することは一つの解決策だと思う。
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あとがきなどを含めた本文が67%で、残りの33%は参考にしたデータ?なところから分かるように、性差のデータが少ない中でかき集めてできた貴重な本です。
「多くの男女差別は悪意によるものではなく、認識の欠如によって生じている。」この文が答えなのでしょうね。
分かってはいたのですが、あまりに女性の扱いがひどくて読むことが辛くなったことが何度もありました。でも、読まずにはいられませんでした。なぜなら、私も被害にあっていることがいくつかあったからです。男性として産まれていれば…と思うこともありましたが、男性にはなりたくないです。男性は「女は異常で、非定型で、明らかにまちがっている、という意見で一致しているわけだ。」 と思っているように、私もそう思っている男性が嫌いだからです。
何が男女平等だ、と思います。
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2021/02/28 読了 図書館から借りて
著者は英国国籍のジャーナリスト。ブラジル生まれらしい(Wikipedia参照)。
350ページ程度の本文に1000以上もの論文、HPの統計結果等を引用して書いている。その引用も英国に限らず各国のものを集め、中には日本のものもある。
後述するが、文章の雰囲気からは星4にしようかと考えたが、この引用数や幅広さから星5とした。
章は「日常生活」、「職場」、「設計(デザイン)」、「医療」、「市民生活」、「災害が起こったとき」の6つにわかれている。
文中で取り上げられる事例として「女性の言い分が無視される」「男性であれば反感を買わない部分に関しても、女性であるというだけで誹謗中傷される」というものから(女性であれば多かれ少なかれ経験あるのではないだろうか?)、「そもそも認識されていなかったため対策をされておらず、伝えたらすぐに対策してもらえた」件も事例として挙げられている。
基本的に「男性と女性の比較」として書かれており、大変読みやすい。
読書中「ちょっと女性に肩入れしすぎでは?」と感じた部分もあったが、訳者後書きに「著者のイギリス人ならではの皮肉やユーモアが、随所にぴりりと効いている」とあったため、そこはイギリス流の皮肉やユーモアなのかもしれない。
ただ「男性と女性の比較」として書かれているが、やはり英国国籍、人類種の区分で考えると「コーカソイド」に関してしか書かれておらず、我らが「モンゴロイド」は蚊帳の外…
これは「デザイン」や「医療」の章を読んでいるときに強く感じた。
本書をわかりやすく書くためなのか、マイノリティなため見落とされているのか…
ここが星4レベルかな?と考えた部分である。
歴史を考えれば常にマイノリティは迫害される。
男性にとって女性は「自分の配偶者、親、兄弟」くらいしか出会わないためマイノリティであり、女性は自分自身だからマジョリティであり、働くと周りは男性が多くなるから男性もマジョリティとなる、というだけなのではないだろうか?と考えた。
つまり女性にとってより良い世界にするためには、もっと女性が社会に出て「マジョリティ」となる必要がある。ここで著者の最も伝えたい意見と考えられるこの本の真髄は「変革の呼びかけ」なのであろう。
マイノリティの人たちは、社会が変革するまでは、マイノリティとして過ごしてきた「ユダヤ人」の生き方を目指すのがいいかも知れない。第二次世界大戦で目の敵とされたが、それ以外ではとても賢い戦術となっている。
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あるメーカーのオフィスチェアを買おうと思ったのですが、何十というブランドがある中で、女性の体形や身長を対象としたシリーズは1つしかなかったんですよ…
このように一つ一つは小さく見えることでもどうやら世界は女性にあった仕様になってなくない?という違和感を、数値と取材で示してくれる本。
現代日本で暮らしている感触とベストマッチで、やっぱりそうだったんだね…ということで驚きはないが、医療、家電、災害などあらゆる分野で、男性(多分その国のマジョリティ人種の)が基準になっていて、女性はmarginalizeされていることが示されている。で、実際困ることもたくさん起きているからどんどん変えていかないとね。
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中学生の頃の話だ。ある晩、母親が「500円あげるから食器洗いをしてくれない?」と言った。
それほど大仕事でもないし、別に疲れるわけでもない洗い物が時折ものすごく面倒になることは、たかだかひとり分で済む今の僕にもよくわかる。それでも普段から淡々と家事をこなしていた母が、「たかが食器洗い」に500円を出すというのには少し驚いた。
その後の記憶はあやふやだけれど、500円に釣られて僕は機嫌よく食器を洗ったと思う。そして偉そうに褒美をせしめたはずだ。ちょっぴり母のことを心配はしたけれど、「皿洗いくらい毎日やろうじゃないの」とは考えなかった。恥ずかしながら家事は母の仕事だと思っていたし、「家事なんか面倒くさがる思春期男子」という「特権」を手放すつもりもなかった。
首相時代から問題発言を繰り返してきた差別主義者が、自らが推進すべきオリンピック・パラリンピックの精神に泥を塗る暴言で世界を呆れさせている。僕も耳を疑ったし腹が立った。だけどこの本を読んでいる今、同時に怖さも感じている。これを読めば、濃淡の差こそあれ、僕も彼と地続きのグラデーションの中にいることに嫌というほど気づかされるからだ。
この世界は男性をデフォルトにして出来上がっている。辞書にもあるように「man=人間」なのだ。鍵盤の大きさが原因で女性のピアニストに手の故障が多いのも、ウィキペディアの「サッカーイングランド代表」のページに男子チームしか載っていないのも、極寒のフィールドで女性研究者だけが小用を足すために防寒着を脱がないといけないのも、すべては物事を決める場に女性がいないせいだ。
人々に「女の子らしい走り方をして」と頼んだ実験の動画を観たことはないだろうか。男性はおろか女性さえもクネクネとデフォルメされた滑稽な走り方をする中、まだ幼い少女たちだけがまっすぐ前を見据えて全力疾走する純粋さに涙がこぼれた。アメリカの調査によると、女児は6歳になる頃から「男性ほどは賢くなれないのではないか」と思い始めるという。間違った刷り込みは女性自身にも及んでいる。
世界の無償ケア労働の75%は女性が担わされている。5分もかからない僕の皿洗いが500円に値したはずがない。終わりのない家事労働に追われる母のたった5分の「一回休み」にこそ価値があったのだ。
目の前にあるのに見えていなかった不平等を膨大なデータで明らかにしてくれるとても良い本。大げさじゃなく(そして情けないことに)、どのページにもハッとさせられる事実がこれでもかと書いてあります。おすすです。
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【感想】
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」
2月3日に開かれたJOC臨時評議員会でのとある発言が、国内外に大きな波紋を広げた。この発言を擁護する男性、表立って批判する女性と野党議員、沈黙を貫く与党議員と、めいめいのポジショントークは連日メディアを賑わせ、女性への権利意識について再考するきっかけとなった。
しかしながら、意見が割れに割れたこの騒動の中にあって、擁護する側も非難する側も、ある一点では同じ意見を有していた。
それは、「あなたの感じていることは思い込みにすぎないのでは?」ということである。
ジェンダー本は、まさにこの「思い込みにすぎないのでは?」という批判との戦いだ。
ジェンダー本は、「潜在的差別」というはっきりしない事象の存在を証明しなければならない。それにはかなりの困難が伴う。差別を被っていない男性たちから「近視眼的な被害妄想だ」というレッテル張りをされるのを避けるよう、慎重に、論理的に、言葉に気を配り、かつ老若男女に納得感を与えなければならない。
その難題を、本書は見事にやってのけたのではないだろうか。
本書が他のジェンダー本と一線を画しているのは、「潜在的差別」をデータの形で顕在化している点である。
ジェンダー論の中には、ともすれば語り手の身の回りのエピソードトークに終始するあまり、逆方向にバイアスのかかった論調に転んでしまうものがある。実際、フェミニストが男性優位社会に警句を鳴らそうと必死になるあまり、自身の観測範囲内での不快感を大きな主語で話してしまい、せっかくの男性読者にも白い目で見られてしまうことがある。
そうした読者は自分の偏見を更に強めてしまうのだ。「あなたの感じていることは思い込みにすぎないのでは?」と。
しかし、この本は違う。論旨を簡潔に述べると次の通りだ。
①車の設計や薬の効能など、世の中は「男性の標準モデル」を前提として設計されている。
②女性と男性の身体の作りはこんなにも違うのに、女性のデータは活用されていない。それを指し示す「データ・ギャップ」の証拠はこんなにもある。
③女性のデータが無いのは、ビッグデータ社会の到来を考えると大問題だ。
④だから女性を社会に登用すべきである。
本当にロジカルで、筋道が通っている。圧倒的なデータ量、データに裏打ちされた問題提起、首尾一貫とした主張。この本を読んでなお、「世の中にジェンダー・ギャップは存在しない」と胸を張って言える読者はいないのではないだろうか。
個人的には、「ベスト・ジェンダー本」と言っても過言ではないぐらいの傑作。是非色んな人に読んで欲しい。
【本書の概要】
この世界は男性のデータを中心に構築された世界である。何でも男性を基準に想定し、女性のことを考慮しない。これが「データにおけるジェンダー・ギャップ」だ。それは悪意によるものではなく、意図的でもなく、むしろ一種の思考停止である。
ビッグデータが人々の行動規範を定義づけている昨今にお��て、学習データが女性の存在を考慮していなくては致命的欠陥を生む。データにおけるジェンダー・ギャップが甚だしい世界にビッグデータを導入すると、既存の差別がさらに拡大し加速化することにつながる。
女性が職場で直面する性的ハラスメントや暴力、また実生活における不便不利益について、世界的にデータが不足しているのは、①研究が不足している ②大多数の女性が損害を報告していない という理由によるものだ。これは問題に対処するための適正な手続きを定めていない組織にも責任がある。
女性たちが今後、世界とどう関わっていくかを左右するテーマは次の3つの通りだ。
①女性の体について(身の回りの商品が女性の体の特徴を考慮しておらず、女性の身体のサイズには合わない車のデザインや、女性に効きにくい薬が生まれている)
②女性に対する性的暴力(押し付けられたジェンダー感により、男性は無意識のうちに優越主義に浸っている)
③女性による無償のケア労働が当たり前になっている
ジェンダー差から来るデータ・ギャップに対する解決策は、女性参画を促し、意思決定過程における格差を縮めることだ。女性たちが意思決定や研究、知の生産に関わっていれば、女性の存在が忘れられることはないのだ。
【本書の詳細】
1 男性が基準
「man」という単語が人間全般を指すこと、「医者」と言われれば無意識に男性を想像することのように、私達は女性であることが明確に示されない限り、ほとんどは男性のことを指していると考えている。男性が基準となる価値規範は私達の心理に深く根ざしている。現在の文化のように男性中心主義が顕著な場合は、文化そのものが当然のごとく女性を軽視するようになる。
文化史に女性が登場しないのは女性が権力の座につけなかったからだ、というのは一面的な見方であり、正しくは女性が一個人として尊重され要職を任される世界になっていなかったからである。アイデンティティが軽視されている人々や、自分たちの存在やニーズが認められない世界で動揺するのに慣れてしまった人々(=歴史における女性たち)は、この「男性優位への暗黙の了解」から逃れることができない。
言い換えれば、女性の存在が目に見えず、忘れられているせいで、そして私たちの知識の大半を男性に関するデータが占めているせいで、男性=普遍的と「みなされるようになった」のだ。
2 データで見る性差別
・車優先の除雪スケジュール
多くの国では降り積もった雪を除雪するときに車道から行う。車を運転するのは男性が多く、歩行者は女性が多い。車中心社会の運転手は概して男性であり、ベビーカーを運転するのはたいてい女性だからだ。また、滑って怪我をするのも女性のほうが多い。
移動に関する公共政策の多くは主に「雇用業務に関する移動」を想定しており、幼稚園の送り迎え、食材の買い出し、介護などの「ケア労働に関する移動」を、データで区分していない。実際には、車道よりも歩道を優先的に除雪したほうが、より経済的に便益が高いことがデータから分かっている。
・公共施設の不平等さ
トイレの数、公共施設における照明の少なさなどが挙げられる。男性よりも女性の方が、オープンスペースを歩くときに恐怖を抱く割合が高く、それゆえ移動に不便を感じている。(地下鉄やバスでの痴漢、夜道でのストーカーなど)
都市空間や交通環境をデザインする際女性を考慮に入れないという、「データによるジェンダー・ギャップ」の例である。
これらはほんの一例だが、「男性を基準にデザインする」という弊害が産んだジェンダー・ギャップは、世の中のいたるところに見られる。
3 労働
世界の無償労働の75%は女性が担っている。男性が無償労働を多く行う場合であっても、大部分を占めている日常の家事をこなすのではなく、子供の世話など楽しめることだけをやる場合が多い。無償労働を「カウントすべき労働」とみなせば、男性よりも女性のほうが、週当たりの労働時間が多くなるのだ。そして、この労働負担の差は実際に健康状態の悪化に繋がっているというデータがある。
有給出産休暇の長さと賃金補填率がどの国でも未だに足りていない。長時間労働の文化を悪化させているのは、典型的な男性の生活パターンにもとづいて設計された昇進制度だ。
私達は無償のケア労働を認め、正当に評価し、無償のケア労働に配慮した職場づくりを始めなければならない。
4 実力主義
先進国の人々は、世の中は実力主義であるべきだと思っているだけでなく、実際にそうだと信じている。しかし、実力主義は神話である。
米国を拠点とするさまざまなテクノロジー企業から収集した、248の勤務評価を分析した結果、女性は男性に比べてネガティブな個人的批判を受けている一方、男性にはそのようなことはなかった。また、白人男性は同じ業績の女性やエスニック・マイノリティの人々よりも高評価を受けていることがわかった。さらに、実力主義を標榜する組織ほど、男女ともに能力は変わらない場合でも、管理職たちは女性より男性の部下を好む傾向があることがわかった。
これは学問の世界においても根強く、被引用論文数は女性よりも男性のほうが圧倒的に多い。また、そもそも女性は前述のケア労働に従事するために時間を取られるせいで、研究の時間を確保するのが難しくなっており、スタートラインから公平でない。
こうした「男性のほうが優秀」というバイアスは学校で植え付けられてしまい、優秀バイアスを植え付けられた子どもたちが大人になって働くようになると、それを助長する側になることが多い。
今後、データの発展により採用過程をAIが担うことになると、問題はより深刻になってくる。現に、とある採用ツールが、客観的な基準を使っていると謡いつつも、実は女性に不利なように採用を行っていることが発覚している。
人間の偏見を取り除くために開発したはずのアルゴリズムが、逆に女性への偏見が含まれたアルゴリズムを考案してしまったのだ。
5 職場環境
エアコンの推奨温度は、47歳で体重70キロの男性の新陳代謝を想定している。そのせいで、女性は自身への適性温度から2℃ほど低い環境で仕事をしていることが分かっている。
これまでの職業研究は典型的な男性中心の業界を対象としてきたため、女性労働者の傷害を予防する知識に乏しいのだ。
特に介護士、清掃員など、重量物を運ぶときの配慮が全くなされていない。
女性は男性よりも筋骨格損傷が7倍も多く、股関節及び骨盤の疲労骨折は10倍も多い。
バックル、ハーネス、軍用装備などの「身体に密着させる器具」は男性の標準に合わせて作られているため、女性にフィットしないことが多く、怪我の原因になっている。
さらに悪いことには、女性労働者が主となる業種については、労災研究がいっさい行われておらず、使用可能なデータが蓄積されていない。データが揃っているのは男性のデータだけなのだ。
化学物質を扱う工場(ex.プラスチック製品を作る工場)では、作った製品の危険性については議論されるものの、「働いている人への悪影響」には蔑ろにされている。もちろん、給料が低く劣悪な環境で働く人の多くは女性である。男性と女性では免疫系もホルモンも異なるため、化学物質に対する耐性閾値が違うのにも関わらず、女性への悪影響の研究は全く進んでいない。
6 男性向け=万人向け
女性の方が男性よりも手が小さいのは明らかなのに、スマートフォンやピアノは男性用サイズに設計されている。
また、音声認識ソフトは、男性の言葉よりも女性の言葉のほうが、変換ミスが有意に多いことが明らかになっている。
自動運転、医療補助、面接などにどんどんAIが導入されている中、こうした性差別的アルゴリズムによって、女性が不利益を被るばかりか、健康や安全が脅かされている。
女性のニーズの中には、男性には縁がないせいでまったく日の目を見ないことがある。こうした隠れた潜在需要に対して、投資家の動きは鈍い。例えばフリーハンドで扱える搾乳機のように、潜在市場がありながら男性目線では投資の対象にならないため、埋もれている市場はたくさんある。
データによると、女性経営者が受ける投資額は、平均的に、男性経営者が受ける投資額の半分以下である。にも関わらず、収益は男性経営者の2倍以上をあげている。
投資家が機敏に動くのは新興テクノロジーの世界だが、この世界こそ、「ハーバード中退の白人男性社会」が形成されている。
新しいテクノロジーの世界では、男性が人間のデフォルトであるという暗黙の了解がある。アップルは健康管理アプリを開発し、それを素晴らしく「包括的な」ヘルストラッカーだと豪語したものの、生理トラッカーは付随していなかった。
自動車の設計もそうだ。
女性が自動車事故に遭った場合は、死亡率は男性に比べて17%高い。それは車が誰のために設計されたかに関係がある。運転するとき、女性は背が低いため男性よりも前のめりになりがちで、その分危険なのだ。
こんな状況にあっても、運転席に置かれる衝突実験のダミーは男性用しか使われていない。女性用ダミーは助手席に置かれることが多く、しかも助手席のデータはさほど尊重されていないのだ。
7 医療
医療データにおけるジェンダー・ギャップはいまだに甚だしい。女性は男性の縮小版ではなく、免疫系や細胞も性別によって有意な差があるが、なぜ未だに男性が標準なのか?
男性に効果はあるが女性に効かない薬、その逆だが動物実験の段階で排除されている薬については、お���らく相当な数が存在するだろう。なぜなら、治験の対象者はほぼ男性であり、たとえ女性に多い疾病(うつ病など)の動物実験においてさえ、雌性動物が含まれていない(全体の12%)のだから。
8 市民生活
GDPに家事労働は含まれていない。サービス労働を除外した数値であるGDPは、現在の社会環境を正確に反映している指標とはもはや言えなくなっている。
1970年代半ばまでの戦後の時代は「生産性上昇率の黄金期」のように見えるが、実際に起こっていた大きな変化は、女性たちが外に出て働き始めたために、以前は家庭でやっていた料理や裁縫が、GDPに計上される市販の物やサービスに取って代わられただけなのだ。
推計によれば、無償のケア労働は、高収入国ではGDPの最大50%を占め、低収入国では80%を占めるとされている。一例であるが、オーストラリアで、無償の育児ケアの市場規模を計算したところ、金融部門を大きく抜いて、同国最大の産業とみなすべきほどの規模であることが分かった。
データによると、「女性が無償労働に費やした時間」と「雇用労働市場への女性の参加率」には、強い負の相関関係があることが明らかになっている。多くの女性は無償労働のおかげで、雇用形態をパートに変えなければならない状況に直面している。そんななかでも、女性の無償労働の詳細なデータはどこの政府も収集していない。
私達はつい、女性の無償労働というのは、女性たちがそれぞれの家庭の事情によって、子供や親の面倒を見ているのだと思ってしまいがちだ。女性たちの無償労働は、社会を支え、社会に利益をもたらしている。女性の無償労働は単なる選択の問題ではなく、私達が作り上げた制度に組み込まれてしまっているのだ。
9 女性の権利
人間は、自分が経験することを「他の人も一般的に経験することと似ている」と感じる「投影バイアス」を持っている。すると男性は、男性中心主義社会こそが「公平で普遍的な常識である」と信じ込んでしまう。ここで対等の立場を要求する女性に出くわすことで、初めて偏見の存在に気づき、そのような女性の行動こそ偏見であると錯覚してしまうのだ。
同じ国会議員でも男性と女性では、政治にもたらす視点が変わる。国会議員になった女性が政治において限定的な影響力しか与えられないのは、男性中心の後援ネットワークから排除されているからかもしれない。
そして、今の政界は女性が活躍しやすい環境ではない。男性は女性の話を遮りやすく、女性は不当な扱いによって討論の時間を奪われるケースが多いことが分かっている。また、概して男性は「野心的な女性」に対して――同じように野心的な男性とは違って――ネガティブな感情を抱くことがデータから分かっている。
人口の半数を占める女性を政治の場から除外することは、データにおけるジェンダー・ギャップをより一層加速させることになる。
10 女性のいない災害復興
戦争、自然災害、パンデミックをはじめとする災害が発生すると、都市計画から医療まで、あらゆる分野のデータにおけるジェンダー・ギャップが悪化する。平和なときに女性の視点を取り入れなかったつけが回ってくるのだ。
復興計画担当者たちはビジネス上の��益を優先し、「住む場所を失った何千人もの人々」のニーズを汲まなかった。結果として、キッチンのない仮設住宅、通勤手段のない場所への居移転計画、女性特有の医療ニーズ(産科検診など)の不備、といった憂き目にあっている。
避難所、難民キャンプといった施設は、男女分けがされていないがために、レイプ被害が発生しているとされている。仮設トイレや風呂場も別れておらず、トイレへの道のりにも、トイレ自体にも照明がないため、女性は二人一組で行動したり飲まず食わずで過ごしたりと不便を被っている。
実は、女性たちが難民になるのは男性による暴力が原因である場合が多い。私達はふつう、人々の住む場所がなくなったのは戦争や災害のせいだと考える。避難民が男性である場合はそのとおりで、女性の一部にももちろん当てはまるが、女性がホームレスになる原因の第一位は男性の暴力なのだ。
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人類史、美術史、文学史、音楽史、さらには進化の歴史も、すべて客観的な事実とされている。だが実際には、そうしたファクトは私たちをあざむいている。人類の半分が含まれていないせいで、それらのファクトは歪曲されている──
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2021年2月頭の森氏の「女は黙っとれ」発言をきっかけにこの本を手に取った。普段購入する本よりもお札一枚分多い金額に一瞬ためらったけれど、事前に目を通していた『この本は紛れもなく、非常に役立つ実用書である。手元に置いておいて、自分が黙らせられそうになった時、いないことにされそうになった時に反論の根拠として常に出せるようにしておきたい。』という書評の言葉に背中を押された。
参考:書評全文
https://web.kawade.co.jp/bungei/3957/
読めば読むほど頭が痛くなる。私たちはこんなに不自由な社会で暮らしているのか。
もちろん、日本で定職を得ている「私」と、本書で紹介されているような貧困地域の女性では、そこにも大きな隔たりはあるし、平成生まれの「私」と昭和生まれの母親世代、あるいは祖母世代の女性のあいだにも「女性差別」と言ってもその影響力にはグラデーションがあるだろう。
しかし、森氏の発言や、つい先日Eテレで放送されたという亀井氏の夫婦別姓を望む人々への暴言などを見るにつけ、問題の根っこはなにも変わっていないと強く感じる。少しばかり待遇が良くなったからって「ま、いっか」なんて言ってやるもんか。
雪かきひとつとっても、女性の行動パターンを勘案することでまわりまわってコスト削減につながる、女性が働けるようになればその分GDPが向上する、など社会的なメリットも多くある。多くの企業にとっても人口が増えれば利用者や消費者が増えて売上にもつながるはずなのに自社の女性社員の出産や育児には消極的な態度をとる。二枚舌じゃないのか。
いないことにされている世界の半数の人たちが教育に経済活動に参加すればより優れた結果を生み出すことができる(なんせ可能性は倍になるのだから)。そうしたら私たちはその恩恵を受けてより豊かな社会で生きることができのに(この話は『教育格差』(筑摩新書)にもつながる話だ。)なぜいないことにする?
冒頭の「黙っとれ」発言については、女性のほうが話を遮られやすいことがデータに基づいて紹介されている。世界でもあるあるな話のようで頭がくらくらしてくる。
炎上案件といえば、生理と射精を同一視して炎上していた件を思い出したが、これって女性の体は男性の劣化版とする考え(p.226)と通じるものがあるように感じた。そもそも男女の体はまったく別のものなのだと認識していたらわざわざ同一視して互換させる必要なくない?
ぶつぶつと文句だらけでもはやレビューでも感想とも言えない文章になってきたが、ひとつだけ言えるのは、値段や厚さに手に取ることを躊躇しているのならばとりあえずどこか気になるところを少し読んでみてほしい。どこを開いても、きっと、これはじっくり読まなければ、と思うだろうから。
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「あ、そうか。世界はそもそもわたしたちをいないことにしてるんだ」
という最悪な気づきをしてしまった。
「フェミって感情的だから」とほざく人間は全員、データに基づき淡々と女性差別社会が400ページにわたって記述されているこの本を隅々まで読んでから出てきてほしい。
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女性の声を聞かず、男性ばかりで(白人ばかりで)あらゆる決定を下すからこそ、税制も車も薬も物語もトイレも女性のことを考慮して作られない。
データを収集することもなく、女性の意見を「お淑やかでない」からと退け、「わきまえていらっしゃる」とご満悦。
男性が男性のために作った社会で生きている。それを痛いほど叩きつける一冊でした。
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女性は地球上の人間の半分を占めているのに、「ないもの」にされている。あらゆるものは男性を基準に設計されていて、man=人間、だ。
制度も男性を基準に、棚やピアノの鍵盤、スマホの大きさまで男性の体の作りが基準となっているし、そこに女性が楽に操作できるようなどという計らいは一切ない。家事、育児、介護などの無償ケア労働の75%は女性が担っている。
……さて。
存在していない私たちは現に存在している。
で、みんなどうする?
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考え方の気付きを得られるヒントにはなるが、文章が翻訳独特の言い回しがある為苦手な人は不向き。
読むのに時間がかかりました。
ある意味、新規ビジネスを始めたいがアイディア浮かばない人にも向いている。
ただ、過激なフェミニズムの文章表現があり、
そこはニュートラルに書いて欲しかった。
伝えたい問題とそれを解決できるヒントを書いて
伝える事が重要のはすだが、筆者の感情の吐露は必要なのか疑問である。
気付きは得られたので、気になる方読んでみても
良いかなと思います。
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今いる世界しか知らないから、それがどれだけ男性中心に設計されているのか、気づかないままでいることが多かったなと思う。
そして、ジェンダーやその他マイノリティに関する偏見に関する議論になった時に大きな壁になっているのが「投影バイアス」=自分が経験することは、人びとが一般的に経験することと似ているはずだと思ってしまうことだというのが最も大きな学びだった。自分がマジョリティになりそうなときは特に、気をつけようと思う。
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日常生活・職場・設計・医療・市民生活・災害。法律や政策がもとづいているデータを検討するなかで見えてきたことは、データに女性が存在していないということ。女性のデータがそもそも取られていない、または、データが性別に分けて分析されていないことによって、実際に様々な(ときには命にかかわる)不利益が女性たちには生じている。それはすべて、男性=基準(デフォルト)とする認識が未だに根強いからだ。これだけの多岐にわたる分野の「データ」を集めて一冊の本にしていることも驚きだが、急速な進展は期待できないもののジェンダーに十分配慮したデータが収集され、分析され、それにもとづいて適切な運用がなされたならば、この社会はまだまだよくなる余地があるのだという期待感も湧いた。