投稿元:
レビューを見る
推しとはなにか、なぜ推すのか、Z世代とは、エンタメとは。哲学、社会学的にたくさんの問いがもらえる。必読。
投稿元:
レビューを見る
鬼滅の刃やフォートナイトといった身近な題材からその経済圏のカラクリを図表なども使いながらわかりやすく解説している。
SNSや動画配信などの新しいテクノロジーにより、その産業構造自体が刻々と変化しているのは肌感覚で分かっているつもりであったが、ちゃんとした数字で説明されることで腑に落ちたり、新しい発見があった。
名著。
投稿元:
レビューを見る
著者の中山淳雄さんにお話をききました
ききて:深水英一郎
——前回の著作「オタク経済圏創世記」と今回の「推しエコノミー」の違いや共通点ってありますか?
【中山さん】
共通しているのは「ライブコンテンツ化」という語り口です。これまではとにかく良いものを創って知ってもらって購入してもらうという「リーチ型」のマーケティングでした。
それがいまは一度SNSでもイベントでもファンとの結びつきができた状態から数少ないコアファンがコミュニティをリードしながらちょっとずつ関与度合いを上げていって、結果として購入という行動もその「推し」の表れとして出来上がってくる「リール型」のマーケティングに変わってきている。
まるで劇場の中を運営するかのように、着席してくれたファンが興味をなくさないように継続的な関係性のなかで、ライブコンテンツとして「運営をしていくこと」が大事になる、ということを語っております。
その範囲がゲーム・アニメ・マンガだけでなく、テレビや音楽、スポーツまで含んで伝えたことで、かなり多くの業界の方がこの本のファンになっていただいて、とても嬉しいです。
投稿元:
レビューを見る
アニメ・マンガ・ゲームを中心に、日本と世界のエンタメ産業を取り巻く経済について書いた本。特におもしろかったのは、オタクカルチャーが「萌え」から「推し」へどのように変化していったのかを解説している第2章。今や推し活はアイデンティティの表明だという話、何かを推すことは消費ではなく表現だという話、だからこそ発信リテラシーが問われるという話は本当にその通りだなぁ。オタクの行動を経済の観点から客観視できて新鮮だったし、ライブコンテンツの「運営」についても考えることができた。
【読んだ目的・理由】エンタメ産業に興味があったから
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.0
【一番好きな表現】個人的な趣味活動であるはずのエンタメは、SNS社会を通して互いに非政治的に(見えるが実は政治的な)アイデンティティを表明しあう、アナログとデジタルの良さを両にらみで味わい続ける、社会的な消費活動・参加活動なのである。(本文から引用)
投稿元:
レビューを見る
エンターテイメントビジネスの最前線で事業を営んでいた著者自らが、ビジネスの経験をベースにアカデミックな視点も交えて今後のエンターテイメントビジネスの地殻変動を説明する良書。
白眉は第2章の『「萌え」から「推し」へ、ファンの変化からみる「風の時代」』である。本書のタイトルにもなっている「推し」という現象をビジネスの観点から眺めた考察に富んでいる。「推し」とは一言でまとめれば、そのコンテンツに対して自らの有限な時間資源を投下することに対して、なるべくそのコンテンツを享受できる時間を最大化させる、というコンテンツ提供者・受益者の双方の暗黙の同意に基づくコンテンツのやり取りである、と自身は理解をした。そうした「推し」原理でのコンテンツビジネスを最大化させるためには、このコンテンツは未来永劫に続く(と思わせる)という安心感をファンに与えつつ、長く楽しんでもらえるための”運営”(ソシャゲで使われる意味合いが最も近い)によるLTVの最大化がビジネスへの要請となる。
余談であるが冒頭に収められた製作委員会のカネの流れの模式図は非常に良くできていると思う。以前にアニメの政策委員会の仕組みを把握すべく業界エキスパートに相当なインタビューを行ったことがあるが、そこから苦心して得られた全体像の理解と非常に近似したモデルが説明されており、「この本がその当時にあったら・・・」という思いを持った。そういう点でも、エンタメビジネスの人にとって色々学べるところは多い一冊であると思う。
投稿元:
レビューを見る
エンタメの外観と変容、米中との比較、日本の特異性、日本の特徴であるオタク経済圏の強みなどが分かりやすく語られる本
投稿元:
レビューを見る
最近のヒットコンテンツをもとにエンタメの消費、流通などの変化を解説の上グローバルなエンタメの歴史、日本の特徴等、幅広くエンタメ業界の今が分かる本。社会学や経営学の視座からの補助線もあり、素人(消費者)でも楽しめる。
読者の私はギリギリZ世代に分類される人間として推し概念やJOMO概念、サブカルを介したコミュニケーション(受信→発信)など、実感として腹落ちする説明が多い。また、消費者がコンテンツを選ぶ基準なんかも痛いほど共感できた…。
参考文献も随所に引かれており読みを広げたい人も楽しめる。
グイグイと読めて楽しかった。
投稿元:
レビューを見る
エンタメに精通した著者が鬼滅の刃や半沢直樹などここ数年でブームとなったものから日本と海外のエンタメの違いから推すという行動から生まれる経済を様々な角度から解説した一冊。
鬼滅の刃や呪術廻戦といったアニメやウマ娘やといったゲーム、半沢直樹といったドラマなどそれぞれのブームになった背景からSNSなどここ数年で流行ったものから拡散していったことや主体的に発信するものに変わりつつあることやタムパを重視した効率的な動画視聴法やオンラインゲームの双方向Twitterを使った祭りの演出など体験と物語にお金を使っていく現代のブームの姿を本書で知ることができました。
そんな本書の中でもアニメ映画の日米中の興行収入の違いやアニメを作る際の効率の違いなどは興味深いものでした。
エンタメ業界の今のブームの背景やスマホの普及などで変革が求められていることを本書で知ることができました。
素晴らしい技術を持つ日本のエンタメの目線を変えた商品を運営する戦略が世界を代表するこれからの未来を担っていく産業になり得るのではないかと感じた一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
『#推しエコノミー』
ほぼ日書評 Day618
鬼滅…が、あんなにも、どこでも見られたわけ。テレビに加えて、アマプラやHulu等14もの配信サイトを通じて「流していった」。従来の番組ならば、どこかひとつのチャネル限定にすることで、作品を買ってもらうのが普通だったが、『鬼滅』は「放送・配信を(…)ユーザーに認知してもらうためのもの」と割り切り、作品の卸値を「捨て」ることで、映画がDVD化され、主題歌が作られ、ノベライズやゲーム化…等が進み、結果、2020年時点で1兆円を超える経済圏を生成。元締めたるアニプレックス社単独でも、同年1千億円ほどの収益が『鬼滅』だけでもたらされた計算という。
そして、その「原価」ともいうべき、アニメ制作委員会の出資金額は2〜3億円。ただし、これが言わば超万馬券的な出来事であり、それ以外は大半が「ハズレ」という恐るべきセンミツの世界なのだ。
そんな時代では、ゲームも最早、自分でプレイするものから、他人のプレイを見るものにシフトしつつある。見るためのサービス「Twitch」には1日1500万人がログインし、それを見て呟きをあげるための「Discord」には1.4億人のアクティブユーザがいる。シュリンクが噂されたポケモンGOが持ち直しを見せ「2022年6月現在、データは ポケモンGO 毎月推定8000万人のプレイヤーがいる」という調査もあるが、それを超える人が、人のプレイを見て呟くことに幸せを感じている。個人的には想像しづらい世界だが、今日の現実なのだろう。
「FOMO(フォーモ): Fear Of Missing Out」と「JOMO(ジョーモ): Joy Of Missing Out」という表現は初耳。常にネットに繋がっていなければ取り残されるという恐怖感を超越し、今目の前のライブ感を楽しむのがJOMOなのだとか。これはメモしておこう。
そんなこんな、エンタメの教養書を自認する著者の非常に激しい思い入れの詰まった本。ではあるのだが、装丁への苦言。
まず、読み応えのある図版が多く掲載されているが、いかんせん字(Q数)が小さすぎる。紙媒体で出すのであれば、主たる読者層のことを考えるべき。
誤植も多数、さらに凡例の誤植(色違い)にいたっては、出版社の最低限の責任を果たしてさえいないと言わざるを得ない(p.93)。
https://amzn.to/3uPNIQ5
投稿元:
レビューを見る
テレビメディアはさながら季節ごとに全国巡業するサーカスやプロレス団体のようなものだ。習慣化した視聴は崩れにくい。同じシチュエーションでの視聴が約束されるため、ユーザーの共体験を生み出しやすい。
男性・女性としての「役割」を生きることのしんどさに代わって、「推し」としての活動は、自分の役割を忘れさせてくれる。見返りを(そんなに多くは)期待する必要もなく、自分自身の身の丈にあった消費でそれ以上の感動を与えてくれる。高校時代に戻ったようなドキドキを、同じ背丈の推し友とそれぞれの境遇やステータスに関わらずワ―キャーできていることが純粋にうれしい。推しとはがんじがらめの役割とリスクから逃れての青春時代の追体験と、「生きなおし」なのである。
だが、例えばゲームに熱中できる条件とは、とにもかくにも「どうでもいい」という点に尽きる。自分の社会的生活とは無関係に隔絶されているからこそ、ゲーム的にその世界を楽しめる。現実からの逃避と言われようとも、あまりに子供じみた愛着行動とも言われようとも、これが「どうでもいい」コンテンツだからこそ、夢中になって感情的な満足感を得て、厳しさのある日常で、毎週末の夢から覚めるような月曜日を乗り越える力になる。
だが、1周まわって、この「どうでもいい」空間が、再び人に活力を与え、人々との関係性をつなぎ、最終的にはそこで恋愛相手や結婚相手を見つけるということを助けるコミュニティ機能を担うようになっている。よく年長者から「勇気がない若者は1人前にリアルで相手も見つけられないのか」という嘆きも聞かれるが、これは決してリアルとバーチャルの戦いではない。若者にとってリアルもバーチャルも、最終的な人と人との関係をつなぐものという感覚は変わらない。
デジタルネイティブ世代にとっては、ZoomやTikTokで知る相手であってもデジタルという場所を「借りている」に過ぎないリアルである。役割や建前を持ち込まれ、扱いづらくなってきたリアルに対して、デジタルのほうが昔のディスコや飲み屋のような「祭り」を演出する機能が便利になって、より相手を「リアル」に感じやすい。バーチャルにおいても社交性やマナーは存在し、モテる人間はモテるし、モテない人間はモテない。あくまでツールとの「場」がデジタルに移行しているというだけの話なのだ。
■ウマ娘
そのゲーム性は存分にアイドル系アプリの手法を模倣している。美少女キャラクターとプロデューサーのような1対1の会話が深まり、キャラクター性をよりよく知れるバックグラウンドのストーリーが少しずつアンロックされていく。さらにはウマ娘それぞれのモチーフとなる競馬の歴史的なストーリーも織り込まれ、昔からの競馬ファンにも十分に刺さる内容になっている。飽和していたアイドルと音楽ゲームという組み合わせに終止符を打つような、美少女育成の新機軸である。
キャラクターの育成という意味では革新的ですらある。毎年7000頭のサラブレッドが生まれるが、中央競馬で勝利経験ができる馬は1500頭足らず、オープンに上り詰める馬は100頭(これがプロ野球選手や連載漫画家になるようなレベルだろうか)、GIレースで勝てる競走馬は20頭前後となる。競争率と淘汰のレベルではお笑い芸人や漫画家とそれほど変わらないが、それでも「毎年20頭の新しいウマのキャラクター・ストーリー」が生まれてくることはゲーム運営には福音だ。これだけのキャラクターと物語のもとになるモチーフがあれば、今後も新たに美少女キャラクターを作り続けられる。競走馬のIP(知的財産)を二次創作するためには馬主との許諾交渉が必要だが、その苦労を乗り越える価値がある話である。
■グッズはコミュニティへの参加表明
なおかつ、アプリというデジタル上だけのものに対して「家の本棚にBDが並ぶ」という展示効果は遅効性をもってユーザーの生活にインパクトを与える。アプリは開かなければユーザーはそれを思い出さないが、所有の形で常にユーザーの生活空間に展示されているだろう物理的な空間シェアは中長期的に何度もユーザーにウマ娘を想起させ、アプリを再度開かせる誘因となる。だからMDは大事なのだ。
ユーザーの購入には順序がある。アプリで300円課金して目当てのキャラクターを手に入れても、それは翌月にはすぐに忘れ去られてしまう。1万円もするライブイベントに友人と行けば、その体験は数か月後も思い出すような人生の一部となる。そこで手にした500円の缶バッチやキーホルダーは単なる記憶の物象化みたいなものでしかなく、さして機能はないが、だが小さなグッズは「楽しかったライブ体験」を呼び覚まし、もう一度アプリを開いてみるかという気持ちにさせる。
ツイッターのフォローをしておけば、アップデート情報とともにほかのファンが先週始まっイベントで盛り上がっていることに気づくかもしれない。徐々にウマ娘に興味が強くなっていき、その裏側にいる声優が以前自分が好きだったアニメでもキャラクターボイスをやっていたことに気づき、声優の情報を集めるうちに再びウマ娘への気持ちを強くするかもしれない。
■「閉じた商品」から「開かれた商品」 へ
第2章で伝えたことは、「萌え」から「推し」の変化のなかに、いまのユーザーの特徴が詰まっているということだ。すなわち、ユーザーは「消費」ではなく「体験」と「物語」にお金を使っている。モノとお金の交換の時代から、体験価値の時代に入っており、その時間をよりよく過ごすことにお金が消費される。
時間をつぶすという行為はデフレ化しているのだ。第2章の2-2で述べたように、広告効果でいえば1時間何かをみるという行為は3ドル程度を支払っていることになる。ただその300円の使い先として、我々は時間つぶしにあらゆる選択肢をもっている。ふっとカフェで暇になればアマゾンプライムでダウンロードしたての韓国ドラマを1時間みればいいだけだ。インスタグラムとツイッターを回遊していれば30分などあっという間に過ぎてしまう。
視線のデフレが進む環境では新たなプレミアム商品に人気が集中する。人はその時間、皆がみているコンテンツを当たり前のようにフォローするよりは、よりよく自分だけの体験をしたいと考えている。でも高いお金を払って海外旅行に行く余裕はないし、1万円払って観劇に行ってもよくわからない内容で眠ってしまう。自分にもわかりやすく、かつ誰もがやっていないような特別な体験がほしい。それは写真をとってSNSにアップできるものが望ましく、自分が楽しんだというログを残しておきたい。
タムバの高い体験とログによる自分のヒストリーの彩りという観点に、体験消費の目的が変わってきている。いかに有効に消費をしているかという「見え方」の問題は、ヴェブレンの誇示的消費や、ブルデューの社会資本が説いてきたように、自分の趣味嗜好がスケルトン化しやすいSNS時代において、より先鋭化して差し迫るようになった。
差別化の道具は陳腐化している。会社の肩書や学歴での差別化はオシャレではない。ビジュアルでの差別化はイケメン・美人に許された特権である。金持ち自慢や恋愛リア充自慢は誹りを受ける。
だがキャラクターや2次元作品を使った自分の趣味嗜好の顕示は、自分自身の能力を問われず、誰もが親和的な気持ちをもって受け入れてくれる代替的かつ安全な自己表現になりえる。人は趣味を使って、アイデンティティの差別化を図るようになった。映像・写真での表現がプロフェッショナルのようにできるテクノロジーが手元にある。誰もが一世代前のプロカメラマンやアーティストのように、高い資本投下をせずとも表現ができる時代になっている。そうしたときに、「萌え」という内的体験ではなく、「推し」という外的体験に、人々の趣味活動はソーシャル化している。消費ではなく表現なのである。
投稿元:
レビューを見る
●アニメは年間300作品の8〜9割は赤字
●週刊少年ジャンプの定期視聴者層が2020年までは20代が主であったが、2020年4月以降から子供が視聴してるのに影響されて年齢層が上がり、大人買いするユーザーが増えてる
●人々はより、時間に対してセンシティブになってきている
推しとは、と言うより、メディアとは何かについての記載が多かった
鬼滅が多く例に挙げられていた
投稿元:
レビューを見る
クリエイターエコノミー、ブロックチェーン、Web3、メタバースなどバズワードがあるものの、これらをつなげる思想が欲しかったので、ちょうどよかった。色々気づきがあった。
投稿元:
レビューを見る
エンタメを切り口にから、日本がこれからどう戦っていくべきか分かる本
日本らしさを残して、変わるべきことを変えていこう!
投稿元:
レビューを見る
タイトルから勝手に「推し活」についての本かと思い手に取ったが、まじめにアニメや漫画を中心に映画や音楽ビジネスなども含めた「エンタメビジネス」について書かれていた。著者はそこを伝えたかったわけではないと思うが、現代において「売上を立てる」ためにどんな工夫が行われているか、ぼんやりとしていたものがハッキリして、自分の仕事にも役立ちそうだ。
投稿元:
レビューを見る
タイトルに惹かれて手にしたが、エンタメ業界の構造変化から日本の目指すべき方向性への示唆などに富み、非常に面白かった。解説のみならず、文化圏や社会観と紐付けてエンタメを掘り下げていく内容であり、一冊を通おして楽しめた。
日本のアニメコンテンツは、放送・配信を収益化ポイントとしてではなくユーザ認知のための手段として捉え、放送局や流通にこだわらない「脱テレビ化」の傾向にあり、版権ビジネスによるキャラクター経済圏として確立させることが成功の鍵となっている。また、ユーザー側のコンテンツへの関わり方としては、内的な感情による「萌え」から、「推し」という外的体験による表現へ変化し、ユーザーにとって趣味趣向は「消費財」ではなく「表現財」としていかに自分を「関与させていくか」という対象になった。インターネットにより地理的な距離がゼロになった現代において、キャラクターの死とは人々の間で共有されなくなることであり、キャラクターは思考(言語・文化・概念)の距離を埋める「交換財」としての機能を果たす。