コルシア書店の仲間たち
著者 須賀敦子
かつてミラノに、懐かしくも奇妙な一軒の本屋があった。そこに出入りするのもまた、懐かしくも奇妙な人びとだった。女流文学賞受賞の筆者が流麗に描くイタリアの人と町。(解説・松山...
コルシア書店の仲間たち
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商品説明
かつてミラノに、懐かしくも奇妙な一軒の本屋があった。そこに出入りするのもまた、懐かしくも奇妙な人びとだった。女流文学賞受賞の筆者が流麗に描くイタリアの人と町。(解説・松山巖)
※この電子書籍は1995年11月に刊行された文春文庫を底本としています。
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一編の小説といってよい
2019/01/26 11:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メイチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
簡単にいってしまえば仲間たちを廻る思い出なんですけど、それだけじゃない。全部とおして読んだときの最後の文章の響き方といったらないですね。名作です。
かけがえのない共同体
2008/01/07 00:00
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏目陽 - この投稿者のレビュー一覧を見る
カレンダーの上についている写真を見ると、こんな綺麗な場所に行ってみたいと何度となく思うことがある。写真はそこにあるものを寸分違わず、私たちの元へと届けてくれる。写真の撮られた場所に行けば、それがある。だが、それを文章で表現するとなると難しい。その場所のよさを余すことなく伝えたとしても、そこにほんの少しの誇張があれば、実際に行った時にがっかりするからだ。美文であるがゆえに、元の景色よりも描写されたものが勝ってしまうのだ。
しかし、須賀敦子の描写するイタリアは、非常に等身大の姿を描写している。美文でありながらも、それを褒めすぎず、汚しすぎず、落ち着いた筆致で書かれている。読んでいる最中、そっと目を閉じると、須賀敦子の見たイタリアの風景がぼんやりと浮かんでくる。
本書に収録されているのは、コルシア・デイ・セルヴィ書店を軸にめぐる作者とその周りの人々との、小さな共同体の話である。貴族の世界、ユダヤ系一家の物語、友達の恋の落ち着き先など、さまざまな人々との交流を描いている。
海外を舞台にしたエッセイはたとえば、日本とはこういった点で異なるといった比較的なものや、現地で苦労した苦労話、あるいは異文化コミュニケーションなどを中心に据えたものが多い。しかし、須賀敦子は決してイタリアと日本を比較するわけでもなく、その苦労を語るわけでもなく、自身が日本人であることを強調するわけではない。彼女が書くのはイタリア、ミラノで行われた些細な日常の一部であり、ナチュラルなミラノの姿であるのだ。
コルシア書店がなくなるとき、須賀敦子はそれを愉しい「ごっこ」の終りと書いた。それを読むと、このコルシア書店を軸に広がっていた共同体は、まるで小さな子供たちがなんとなく集まり、無邪気に遊んでいたかのような雰囲気を感じる。その共同体の終わりはすなわち、大人になるということだ。たくさんのしがらみを背負わなければいけないことだ。大人になってしまえば、この共同体に戻ることは、出来ない。
だからこそ、このかけがえのない共同体は、まさに青春と呼ぶに値するものではないだろうか。少なくとも私は、これを青春と呼びたい。
癒しの原型
2003/02/12 22:39
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:深爪 - この投稿者のレビュー一覧を見る
コルシア・デイ・セルヴィ書店。ミラノの都心で修道院の軒を借りてひっそりとかまえられたこの小さな書店は、第二次大戦後に、共同体を理想とするカトリック左派の若者たちのグループが、その活動の拠り所としていました。
この書店にかかわった著者が、若き日々を回想し綴ったエッセイです。
珠玉の短篇小説集といってもいい、端正な美しさを湛えた散文集です。読点が(意識的に?)多く打たれた文章は、それゆえに堅さがほぐれ、懐の深さを感じさせます。
さまざまな職業や階級の人々との交流そして別れが、淡々と、しかし慈愛に満ちた言葉で語られます。簡素な暮し。理想。その終焉。あるいは夫との死別。繰り返された出会いと別れのなかで、刻み込まれた確かなぬくもりが、ぬくもりのままに伝わってきます。
帰国を決意した著者が、書店の中心人物だったダヴィデに別れを告げに行く場面の描写は、ことのほか美しく浮かび上がり、時空を越えて読む者の胸に響きます。
自分に厳しく向き合い、闘うべきものと闘ってきた人の人生は、序章に引かれた詩の一節のように、その人の人生の疲れをも癒しうるのでしょう。
型にはまった日常に流されるに甘んじず、少しでも、確かな生とおぼしきものを求めていきたいものですね。
昨今、ホームページで自分の日記を公開する方々が多いとか。書くことで自分を見つめ直したいと思っている人には、一読の価値ありでは。