紙の本
Out of Box思考の重要性を痛感
2023/11/17 11:56
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投稿者:巴里倫敦塔 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「女性向け」と刷り込まれたモノを下に見るジェンダー観が、数々のアイデアやイノベーションの芽を摘み、遅らせ、闇に葬ってきたことを歴史的に検証した書。牽強付会を感じる事例も散見されるが、キャスター付きスーツケースや電気自動車、宇宙服などの事例が面白く引き込まれる。思い込みから自分を解放し、クリエイティブな発想を生み出す“out of the box”の大切さを改めて感じる書である。人類の未来は、ジェンダー観改革の可否で大きく変わると著者は主張する。
「車輪付きカートを押すなんて男らしくない」「男性は鞄を手で持つべき」「女性の長距離移動は制限されるべき」というジェンダー観は、誕生寸前だったキャスター付きスーツケースの登場を阻んだ。車輪そのものが発明されたのは5000年前だが、キャスター付きスーツケースは1970年代を待たなければならなかった。
宇宙服の逸話も興味深い。女性の世界に属するものは技術とはみなされてこなかった。しかし密閉性が不可欠な宇宙服を生んだのは、ブラジャーやガードルといった“女性の世界”に属する製品を手がけていたお針子の技術だった。宇宙服は設計図ではなく、型紙から生まれたというのも面白い。
経済システムは女性のアイデアを意図的に排除してきた。イノベーションとは、支配し、潰し、破壊しなければならないという固定観念が、残酷で非人道的な経済を作ってきたと、著者は語る。別のやり方を見つけるには、ジェンダー感を変えなければならないとする。
AIが人間をしのぐ合理的思考力を手に入れたときに残されるのは、「女性的」とラベル付けされてきた資質だと強調する。他者のニーズへの理解、多様な状況や人に寄り添う感情スキルや社会スキルなどが求められる。
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”イノベーションとジェンダー”という副題からも伺えるように、本来「男性的なもの」として捉えられがちな技術革新、発明、テクノロジー…、といったもろもろな事柄をジェンダー論(昨今一般的に理解されているその意味合いは、そのバイアスを正す?的な?)というテーマに従ってひとつひとつ丁寧に解説してくれている書籍である。
その個別の事象の取り上げ方、掘り下げ方、が、若干の(あるいは過大な?)誇張もあるだろうが、事実(ノンフィクション)を、実におもしろおかしく、興味を引くような脚色で記述されており(もちろん裏付けとなる脚注はこれでもかという位につけられている笑)飽きずに読み進めることが出来た。
ただ、著者からしてみれば「笑い事ではない」歴史上の出来事であるのかもしれないし「面白い」と感じること自体、失礼極まりないことでは無いかとも思う。この書籍で紹介されている逸話の内容は決して「笑い話」ではなく「問題提起」なのでは無いかと…。事実、前半の「テクノロジーの進歩の裏にあった、女性の表には出なかった功績、活躍」と言ったこぼれ話的な内容から、後半の「魔女狩り」の描写に変わっていくあたりで、そのような「根底にある著者の思想」を、くみ取ることが出来る。
「女性の社会進出」とか「女性の活用」とか、もう何十年も前から言い尽くされてきた課題、議題を考えるときに、過去の歴史をわかりやすく深く考えるための補助として、本書は適しているのでは無いか?そのように私は感じた。
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なぜ、私たちは、車輪をつけたスーツケース、つまりキャスターバッグを5000年間発明できなかったのか。それは、旅行や冒険するのは男性であり、女性は長距離の移動をすることはないと思われていたこと。重たい荷物を持つことは男らしさの象徴であったこと(この鍛え上げられた腕に、こんな小さな荷物が持てないとでも?)。イノベーションの阻害要因の重要な一つとして、ジェンダーバイアスの存在を指摘する一冊。経済成長や技術革新、事業化だけでなく生活とのものまで、ジェンダーの観点で見直してみると、新しい切り口が見い出せる。また、自動化、AI化で奪われる仕事というのも、これまで主に男性が担っていた内容だったりする。これはもうすこし研究してみたい。
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《「ありがちなジェンダー論」より独自的でユーモア》
イノベーションをジェンダー論の観点から批評した一冊。過去のイノベーションがいかに偏りがあったのか痛感できる。例が多いが、各エピソードともはっとされる部分が多く、読む価値が高く、個人的にオススメ。
ありがちなジェンダー論に独自の視点を追加しており、ボリューミー。ジェンダー論初心者も読みやすい一冊。(というより、初心者は教科書よりこれを読んで自身が抱えるステレオタイプに気づいたほうが楽しめるだろう。)
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無視されてきたアイデアというタイトルを見て面白そうと思って読み始めたが、ジェンダーの視点で読み解く本だと気づく
ジェンダーの観点もあるだろうが、トランク、自動車ときて、そうかな?と思いはじめた
途中で挫折
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12834546496.html
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革新的な発明がどんなに便利で合理的であってもすぐに市場に受け入れられるわけではない、というところまではわかるのだが、そのわけはすべて男性優位のジェンダー格差社会にあると言われると「はあ?」となってしまう。
この人は進歩的であるかのように振舞っているが、物事をとても単純に考えているか確信犯的にこじつけているとしか思えない。
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ジェンダー観をベースに、時代ごとの女性(や弱い立場となった人々)の役割・職業の事実と、そこから考えられる現代や未来の良い役割や待遇の考察を、10個のテーマから語られています。
女性への社会的な捉え方についてはかなり厳しく書いていて、『それは言い過ぎでは』という表現もあります。
ただこの本はジェンダーに限らず、現代の社会的な役割と、それを取り巻く先入観的なしがらみについて語られてる本であり、色々と考えることのできる本だったと思います。9章のAIと仕事の内容など、ジェンダー観からイノベーションと人間の仕事の変容についての考察は、この本ならではの示唆(ケア業界など、AI後の世界で重要視される仕事自体の捉えられ方についての指摘)もあり、面白かったです。
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業界知識と言いますか、スーツケースが1972年に発明されたという事実は知っていたけれど、なぜ1972年まで生まれなかったのか、ということに思考を巡らせたことはなかった。電気自動車ももっと早く普及して良かったものだったのかと、身近な領域の発明の大元について、関心を持ってこなかったことに反省させられた一冊。イノベーションを生み出す要因みたいなものが、より分かってきた気がする。
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キャスター付きスーツケースの発明は、ジェンダー差によって否定された例。
人間は合理的ではなく、新しいアイデアを認めたがらない。
車輪は道路を傷めるため当初は使われなかった。
余暇の旅行は富裕層の道楽で、召使いが荷物を運んだ。
スーツケースは、旅行の大衆化で生まれたもの。持ち手がついた。持ち手の比較検証記事が出た。
車輪がついたのは、女性が持ち運ぶため。カバン用にチケットが必要=車輪がついているモノは乳母車と見なす、の規定から。
スーパーのカートも男性客には侮辱と受け取る人がいる。
車輪のついた乗り物に乗ることは中世の騎士にとっては侮辱。
キャスター付きのスーツケースは、ジェンダーと結びついていた。
大手サムソナイトは、車輪野市を長辺側につけたため、安定性が悪かった。
サドウが短辺側につけて安定した。最初は客室乗務員向けだった。これが市場の目を見開かせた。
男性はカバンを持ち抱えるべき、女性は移動を制限されるべき、という限界を超えたとき、スーツケースの車輪は当たり前のものになった。
カールベンツは、車を馬なし馬車と呼んだ。妻のベルタベンツが90キロを運転して実家に行った。女性には運転能力がない、が定説。
ヨーロッパの車の3台に1台は電気自動車だった。ガソリン車は始動させるのが難しい。電気自動車は女性向け。
フォードはT型フォードの発売した年に、クララのために電気自動車を勝っている。屋根が初めてついたのも電気自動車。女性に向けたモノ。
男性は、女性が好むモノは距離を置きたがる=電気自動車が避けられた理由。
クランク棒で顎の骨を骨折したことがセルオーターがついた理由。1920年ごろ、T型フォードにも標準装備された。
ガソリン車が電気自動車を駆逐したのは、低コストだけではない。バッテリーの問題が大きい。
120年前に、電気自動車のレンタル、タクシーがあり、バッテリーの交換ステーションがあった。
バッテリーの問題で、ガソリン車のどこでもいける、という能力にかなわなかった。
真珠湾攻撃と同じ日、英領マラヤにも攻撃した。
完全な真空では温度は存在しない。が宇宙は完全な真空ではなく、温度を持つ粒子も存在する。
宇宙服は、縫い子によって作られた。
テフロン加工はNASAが使用したのが最初ではない。ティファールが、釣り具のコーティングに使われているものをフライパンに応用したもの。
コンピューターはガールイヤーという単位で性能を語られた=ガールイヤーとは計算にかかる女性計算員の年数による。コンピューターとは実は女性のことだった。ひたすら計算する人、の意味。p86
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エコノミスト20231024掲載 評者:後藤康雄(成城大学社会イノベーション学部、日本経済論、産業組織論、金融論)
東洋経済2023114掲載 評者:渡部沙織(東京大学医科学研究所公共政策研究分野特任研究員、ジェネティック・シティズンシップ(遺伝学的市民権)、公費医療、他)
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これはちょっと想像の斜め上を行っている内容だった。非常に面白い!「盲点」とはこういうことかと思う。
自分が男性であるからこそ、余計に見落としていることがあったということか。
これは十分に反省しなければならない。
男女の区別(歴史的には「差別」と言った方が正しいかもしれない)が、これだけイノベーションを阻害してきたということだ。
だったら停滞している日本が打つ手としては、簡単なはずだ。
男女比がアンバランスな組織においては、女性をもっと参画させて、「5対5」まではいかずとも、少しでも比率を補正することで、イノベーションが起こりやすくなるはずだ。
私自身が今は会社の中で人事部門に身を置いているのだが、そうは言っても、なかなかこれが進まないという現実にも直面している。
現時点では難しさも感じているが、やはり今後の未来を考えると、もっともっと多様性が進んでいくことは間違いないし、進めることを前提で組織を作っていった方がいい。
そのように考えると、今まで見過ごされていたアイディアも、もしかすると社内などでも見直されて注目されるものが出てくるのかもしれない。
歴史的に、テクノロジーの進化によって、人々の仕事の仕方が発展してきた。
発展の仕方として、勝手に直線的に進んでいると勘違いしていたが、よくよく考えてみると、こういう社会が形成されたのは、ほんの数百年前程度という感じだ。
人類の歴史を仮に20万年とした場合、ほとんどの期間と言える約19万年以上は狩猟採集生活を営んでいた訳だ。
この19万年間のイノベーションは、「火」とか、「猟の道具」程度だったのかもしれない。
それも数万年に1回表れてという頻度だ。
この時代に性差があったのかと考えると、存在したかもしれないが、我々現代人が感じる感覚とは相当に異なっていただろうと想像できる。
現実的に超未熟児で産まれてくる人間の赤ん坊は、当時においては母親が付きっきりで面倒見ることになっただろう。
しかも、医療が全くない時代であれば、生きるとは常に死と隣り合わせであって、いつ命を落としてもおかしくない状態での生活だった訳だ。
そこでの生存戦略を考えると、女性が一生を通じて多産になることは必然だろうと思う。
常に妊娠、出産、子育てを繰り返している状態が普通であれば、男性が担う仕事は、日々の食料調達だったり、身の回りの生活を整えることになるのも必然と言える。
この役割の違いを考える中で、男性と女性の優劣を考えることも意味をなさないだろう。
あくまでも男女差は役割としての区別であって、優劣を決める必要がない。
そもそも女性が子育てしなければ、その一族は滅んでしまう訳なので、役割としても超重要と言える。
そもそもそういう背景というか、人類の歴史がそうなっている中で、産業革命以後のほんの数百年の間に社会の考え方が変化してきただけじゃないかと感じてしまう。
男性が上位、さらに言えば白人の男性が最上位とした方が、この工業社会では都合が良く、それに合わせて様々な差別を生み出してきたのではな���だろうか。
スーツケースに車輪を付けた方が便利だと気が付くまでに、何年もかかってしまったという話は非常に印象的だ。
「だってスーツケースを運ぶのは、力の強い男性の役割だから」
たったこれだけのことで、車輪をつけて楽することを拒否していたという。
自動車の普及についての話も非常に興味深い。
自動車というものが発明された当初は、電気モーターとガソリンエンジンとで競っていたらしい。
しかし、結果的にマッチョなガソリンエンジン車が世界を制してしまったが、それも男性の考えが影響したという話。
これも非常に面白い。確かに男性の方がメカニカルなものを好むし、力強いエンジン音が「男のロマン」を感じさせたからというのも理解が出来る。
そもそもエンジンを始動させる行為が力技だったから、自動車を運転するのが男性の仕事となったという経緯もある。
こういう文脈で考えると納得できる部分もあるが、これも私自身が男性だからなのだろう。
そもそも「男のロマン」という言葉自体が時代錯誤的で、これからの時代は間違いなく使われなくなっていくと思う。
そういうバイアスがかかっていることは間違いない。
この自動車普及を例に取ってみても、便利な電気自動車が軟弱に見え、ガソリンエンジン車が力強さを感じたことが影響したというのは一定の説得力がある。
故障の度合いとか、スピードだけではない、そういう一見合理性とは関係ない部分で、社会への浸透度合いが決まってしまうというのは、意外と本質なのかもしれない。
そういう文脈で見てみると、今後主流になりつつある「ユニバーサルデザイン」という考え方は、これからの時代を考慮しても非常に重要なものだと思う。
気が付かないバイアスに囚われてないだろうか。
本当の意味で、誰にとっても機能面として使いやすく、優れたものは何なのだろうか。
そういうものを追求していく姿勢は、これからの未来社会を生きる中で本当に重要なことだと感じたのだ。
他に本書で興味深く感じた章は、「肉体」に関することだ。
脳が人間の意識を支配しているのは、ある意味では正しいとも言える。
しかし、果たして本当なのだろうか?
「肉体こそ人間の根幹であり、何なら脳だって肉体の一部のはずだ」という内容の一文で、「その通りだ」と思ってしまった。
人間は肉体を持つからこそ、イノベーションを起こせるのではないだろうか。
そんな風に感じたのは、テニスのジョナサン選手姉妹のエピソードが、非常に面白かったからだ。
二人は、正確にサーブの練習を何時間も行っている。
何度も何度も飽きずに、打ち続けている。
しかし、同じ練習をただ漫然と繰り返している訳ではない。
その1球1球は、ジョナサン姉妹にとっては、それぞれ意味が異なっているということだ。
体全身で感じて、ラケットをボールにぶつけるが、決して適当に行っている訳ではない。
コート内での風の状態や、温度湿度、もちろん体の状態。
それら全てを総動員して、1球1球の軌跡を追っている。
これは、全く同じ状態を再現する機械とは、実は真逆ではないか。
全く同じように同じ位置にサーブを打ち込もうとしてい���1球1球のこの練習こそが、機械の発想とは全く異なっている。
実際にこの練習が活きるからこそ、試合の中でクリエイティブな展開を生み出して、人々を感動させる。
どうやらイノベーションの種は我々の身近に転がっているようだ。
今までの固定観念を振り払って、我々自身がそのことにどうやって気が付くかどうか。
やはり「気が付かない」ということは、本当に大きな損失なのだと思う。
常に意識を高めるしかない。
(2024/2/20火)
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発明:
合理性や利便性によってあらゆるテクノロジーは発展してきたと思われがちだが、歴史を辿ると明らかに「非合理」な理由で廃れたり導入が遅れた技術は数多く存在する。それがジェンダー観だ。「スーツケースに車輪なんて女々しい」「簡単に動かせる車なんて女々しい」など、特定の商品が売れなかった理由にはジェンダー観による壁があった。マーケティングの施策を振り返るとき、こうした観点で考察すると新たな発見があるかもしれない。