商品説明
第一次大戦後の困難な時代を背景に、一人の若い女性が飢えと貧困にあえぎ、下女、女中、カフェーの女給と職を転々としながらも、向上心を失うことなく強く生きる姿を描く。大正11年から5年間、日記ふうに書きとめた雑記帳をもとにまとめた著者の若き日の自叙伝。本書には、昭和5年に刊行された『放浪記』『続放浪記』、敗戦後に発表された『放浪記第三部』を併せて収めた。
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紙の本
恨み辛みも力に変えて
2009/08/16 00:09
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:木の葉燃朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
林芙美子による、実体験(日記)を元にした記録。20歳前後、大正時代の生活が描かれている。
新潮文庫版は三部構成になっているが、これは発表時期の違いであり、同じ時期を書いた内容である。正確に言うと、元の日記から抜粋し雑誌に掲載する、ということが三回行われたため、このような形式になっている。
読んでいると、当時彼女が非常に大変な時期を過ごしたことが良く分かる。生活の貧しさ、当時女性が就く仕事の質、交際・同棲した男性の問題点など、苦しさが文章から伝わってくる。
芙美子はカフェーの女給や会社の事務員をしながら文学の勉強をするのだが、女給は今でいう水商売に近い。また当時のカフェーの女給は訳ありの女性が働くことが多い環境だった。一方、事務員も落ち着いた仕事ではあるが、待遇や人間関係など、芙美子には馴染まない部分も多かったようだ。職を転々、と表現できるくらい仕事を頻繁に変えている。また経済的事情や住み込みの仕事に就いたなどの理由で、住まいも変えている。時には父母の元へ戻り、しばらく行商をすることもある。子どもの頃から父母とともに行商で生計を立てたという生まれ育ちもあるのだろう、ひとつところに止まるのは性に合わないのかもしれない。
ただ、そういう苦しい生活の中で、さまざまな執着心がある。その思いが、生きる強さとして感じられる。いつかは文学者として名を成そうという思い(その裏返しとしての、編集者や同業者への恨み)、報われない今の生活をなんとかしたいと、資本家や時には神や皇族などにも毒づくまでの権威や権力への憤り。そうした気持ちは、ネガティブなのだけれど、力強い。大正時代、一人で生きる覚悟を決めつつ日々を過ごす女性の迫力を感じる。
なお、新潮文庫版には、『放浪記』出版後の状況を記した後記のような部分がある(第二部の最後)。ここを読むと、『放浪記』が話題になった後も、状況が劇的に変化したわけではないようだ。結婚し、生活は安定したようだが、一家の生計は彼女の文章に依存するようになり、家族を含む人間関係には相変わらず悩まされ(夫からも作品を非難される)、それでも家族が人並みに生活できることに喜びを感じている。
ここにはカタルシスはないが、それが現実なのだろう。しかし、彼女が亡くなって数十年を経た今でも、作品が出版され続け、読まれ続けていることに、彼女の思いの強さが報われているように、私は感じる。
紙の本
心の放浪
2008/12/03 18:27
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
放浪記 林芙美子 新潮社
森光子さんの演劇でロングランされているという新聞記事を見て読み始めました。山下清著「日本ぶらりぶらり」でも、鹿児島の部分で、林芙美子氏のことが紹介されています。清氏がちょうどいい石があると腰掛けたのが、林芙美子氏の記念碑だったそうです。
小説だと思っていましたら日記でした。大正時代後半から昭和初期、私の祖父母が青春時代を送っていた頃です。福岡県の炭鉱地区の記事から始まります。「東京タワー」の著者リリー・フランキー氏は、この本を読んだことがあると確信します。この本から名作「東京タワー」が生まれているに違いありません。本作品は文章にリズム感があります。日記であることから高野悦子著「二十歳の原点」を思い起こします。女性が生きていくことは、なんてつらいのでしょう。女性は、なぜこんなに自己嫌悪に陥るのだろうか。なにがそんなにあなたを悲しませるのか。
この本を読むと東京の歴史がわかります。随筆のようでもあるし旅行記のようでもある。現代にも通じることが書いてあります。つくづく、年月が経とうと人間の営みに大きな変化はないと悟ります。途中から日記形式は小説形式へと変化していく。違和感を覚える。記述は虚構か。貧困日記が裕福な生活へと変わっていきます。戦前の文章とは思えません。まるで現代の出来事のようでもあります。饒舌(じょうぜつ)な文章は病的でもあります。おいしいものの記述は幸福感をもたらしてくれます。
文章全体が「詩」になっています。読み終えてみて、東京での記事が多く、「放浪」とは思えませんでした。それとも地理の放浪ではなくて、「心」の放浪だったのだろうか。
紙の本
作者の奔放な生活が話を暗くなくさせている
2019/01/22 22:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
有名すぎる森光子氏も舞台「放浪記」の原作。森氏が他界し、もう芝居を見られなくしまったという悔いが残る。この原作は、作者が「放浪記」によって世に出る前までの日記を修めたもので、第1部から第3部まであるが時系列でつながっているのではなく、第3部は戦前、発禁を恐れて出版できなかったもののようだ。それはそうだ、天皇(大正天皇)は頭に障害があるらしいと、そのころにはタブー中のタブーであることを書いてしまっているし、皇族に生まれたらこんなひもじい生活をせずに済んだのにという恨み節まで述べている。普通の生活をして普通の奥さんになっていたら貧しくても楽しい家族生活が待っていたかもしれないが、作者はそんな生活が嫌だったようだ、でも悲惨ながらも楽しい生活をおくっていたように読める
紙の本
生きるとは苦しいこと
2001/04/19 23:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:emis - この投稿者のレビュー一覧を見る
有名な「放浪記」ですが30代半ばになって初めて読んでみました。
貧しい家庭に生まれ、少女のときから働き尽くめに働き、職を転々とし、底辺であえいでいる20代始めの若い女の暮らしが、綴られていました。
何度も繰り返される「食いたい!」「男が欲しい!」「金が欲しい!」という欲望、泥沼のような生活。体を売るか、いっそ死んでしまうかという極限の生活の中でも日記を書き綴り、詩を書きつづけ、童話や講談を書き食いつなぎ、作家を目指す若い娘。
貧しいことから生まれる悲哀や、母への愛から生まれる悲哀。現代でここまで貧しい女の子はいないかも知れないが、それでも心情的には通じるものがあると思いました。
生きるとは苦しいこと。
死んでしまいたいほどの苦しみの中にいても生き続けなければならない、生きようとする人間の弱さや強さが、読んでいて息苦しいほど伝わってくる一冊でした。
紙の本
大正時代の"ザ・貧乏物語"
2023/01/02 20:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひこにゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
大正時代の東京で生きる若い女の貧乏物語。この話が事実なら林芙美子は遊女の一歩手前の生活をしていたということ。そんな痛ましくさえある生活の中でも多くの海外の文学作品や哲学書を読み、また文人や出版社に突撃訪問をしていることに感嘆させられました。のちの文豪の片鱗か。
スマホでコトバンクを活用しながら読むと語彙が増えます。
第一部は面白いと思えずなかなかページが進みませんでしたが、第二部からは読むのが楽しみになって来たことが不思議です。名作と言われる所以と感じました。ただ、いくつか出て来る詩は私にはさっぱり分かりませんでした。