商品説明
震災後の日々をともに過ごす同棲中の二人、震災の直前に九十一歳で逝った謹厳な父、被災地に暮しつづける酪農一家の、言葉少なにたがいを思いやる姿……。日常の細部と感情のディテールをリアルに描きだし、それぞれの胸に宿る小さな光、生きる意志を掬いとる。大地震を経て生きる日本人をつぶさに見つめようとする短篇集。
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紙の本
東日本大震災をどこかで経験してしまった日本人
2015/08/11 08:27
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの日。
2011年3月11日。東日本大震災があった日。
被災した東北地方の人々だけでなく、この国のたくさんの人が感じただろう思い。それは、老いた人々も若者たちも、男の人も女の人も、重苦しい、逃げることのできないものであっただろう。
この短編集の著者橋本治は、そのことを「東日本大震災をどこかで経験してしまった日本人」と、書いている。
私たちは、あの日を経験してしまったのだ。
そこから逃げることはできない。
経験してしまったことから、どう歩みだし、どんな日々を生きるか。
この短編集には6つの作品が収められている。2012年4月に発表された巻頭の「助けて」を始め、ほとんどは震災から1年めの2012年に書かれたものだ。
「助けて」は同棲中の男女の物語。大学時代からの知り合いだが、強い思いがあるわけではなさそうな博嗣と順子。卒業後放送局のアナウンサーとなった博嗣は東日本大震災のあと、取材で被災地を訪れる。
取材から帰ってきた博嗣は、被災の現実に追い詰められていた。酒を飲み、涙を流す博嗣の姿に揺れる順子。
実際に被災したわけではないのに、男は被災者以上に嘆き、悲しんでしまう。
その姿はあの日を経験した多くの日本人に共通したものだともいえる。
何もできないことの罪悪感。
それをいかに受け止め、そこから抜け出すために、主人公たちのようにパスタを食べるしかない。
唯一の書き下ろしである「団欒」は、まだ来ぬ、あの日から5年後の世界が描かれている。
大災害で大きな被害のあった酪農家一家。久しぶりに父と母と娘と息子が食卓を囲む。酪農業を黙々と営む父親、そのあとを継ごうと進路を変更する息子。
「周りが闇でも、明かりが点っているだけでいい。その光が生きる意志で、誰もがそれぞれに意志を持っている。四人で囲む食卓を明るくするのは、そのそれぞれの持つ意志の光だった。」
それはもしかした、この国の人々に共通する光かもしれない。
被災した人だけでなく、被災しなかった人も、あの日を「経験してしまった日本人」が持つ「意志の光」こそ、私たちが忘れてはいけないものなのだと、この短編集は教えている。