紙の本
働いているけど本を読みまくる自分にとってこの本はどのような意味をもつか
2024/05/11 23:14
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投稿者:ttmm - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルから実際に本を読んでない人が読みのではなく、普段から本を読んでいる人がなぜ周りが本を読まないのかその背景や歴史を知る著書であった。年代によって娯楽が細分化した部分もあるが、活字に触れる機会が少ないという背景は年々気になるところである。
紙の本
人生は優先順位
2024/04/26 01:48
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投稿者:金賢守(キムヒョンス - この投稿者のレビュー一覧を見る
人生は優先順位
読めなくなるのではなく、読まなくなる
電子書籍
ノイズを楽しめる働き方
2024/05/19 01:20
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投稿者:はぐらうり - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分が思っていることととても近くて良かった。
情報はノイズキャンセリングされたもの。知識はノイズを含んだもの。つまり読書はノイズ。ネットやゲームはノイズがない。ノイズを楽しめる働き方の提案書。
転職前は移動時間(それも眠くないときだけ)が読書タイムだった。今は働きながら、月に10〜15冊ほど読めている。
読めることの相対的な特権は置いておいて、働きながら読むならやはり電子かなと思う。安いしね。働きすぎな仕事や家庭や育児をしながら細切れ時間を有効に使うのは、やっぱり大事。
ノイズを受け取れるアンテナを立たせておくためにも、文字に触れておくのが、「読みたい」を促進させることになるのだと思う。
自分の仕事に引き当ててもかなり示唆に富んだ内容だった。
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感想
時間はないし集中力は続かない。まずは隙間時間を見つける。そこから逆算して読める量を決定する。必要な本の大事な部分だけ。効率的に。
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タイトルで期待値が高かった分、途中が少し読み進めるのがしんどい。もし読み途中で離脱しそう(した)人がいたら最終章に飛べ!と言いたい。
それは本書の言いたいこと乖離があるかもしれないが、タイトルに引かれたなら最終章は読んで欲しい、そう思った。
途中、歴史の勉強か…??と思ったが、最後は著者の意見がしっかりあって良かった。
新書にしては分厚いなと驚きもしたが、確かに読書と労働のあり方を整理していくとこの厚さになる。
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タイトルに書いてある内容はほとんどなく、ほぼ読書の歴史についての内容だった。
結局、本気で働くのはやめて、半分の力で働きましょう。そういう世の中になってほしい。みたいな内容だった。
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読書や働き方、時代性等の様々な参考文献を引用し、時代によってなぜ本が売れたのか、当時の本の立ち位置は何かを論じ、現代における『なぜ仕事と読書は両立していないのか』が書かれている。
現代の読書はノイズだ。
今も昔も真剣に精一杯仕事をしているのは同じでも、なぜ現代では本が読めないのか。
自分は本を読むことを第一にしているからそこまで心配はしていないし、人によって本の代わりに娯楽として、または趣味として大切にしているものがあれば、それで良いのではないかとも思う。本は大切だけれども、本が全てではないし、本を読んでいれば偉いわけでもない。本書の主題とは異なるが、読み終わって感じたことは、時代に翻弄されずに自分の大切に気付けることが重要だということだ。
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2024年を迎えてから読書の冊数がガクンと落ちた。厳密に言えば、読んではいるけれども最後まで読みきれない。これまでは隙間時間が10分でもあれば本を開いていたのに、今では片道1時間以上かける通勤電車の中でさえ本を読む気になれない。読まなきゃ読まなきゃと思ううちに、月日は流れ、葉桜が目立つ時期になってしまった。
時間はある。また、読みたい気持ちもある。ただ、読むためのエンジンが駆動しない。現に本を開き読み始めさえすれば、次が気になり読み進めてしまう。だが本を開く行為そのものが億劫で、読み始めるのに膨大な労力を要する。
これはいったい何なのか──
さて、縁は異なもの味なものとは言い得て妙で、本との出会いは不思議なものだ。面白い本を求めているときに限ってめぼしい本が見つからない。逆にふらっと立ち寄ったときに「これは…!」という本に出会ったりする。
本書はまさにその一冊だ。
前置きはこのくらいにして、なぜ私は本を読むことができなくなったのか。分析するに、
1) 時間がない
2) 仕事による疲労
の二つの要因に分けられると考えた。しかし考えても考えても、①読書する時間はあるし、②疲労困憊するほど働いているわけでもない。
では、なぜ本が読めないのか。これにはさまざまなアプローチがあると思うが、本書は歴史的な文脈からこの問題を徐々に紐解き最終的には社会的な側面からアプローチを試みている。その過程が正しいのかは別として、非常に興味深い手法であり一読に値する価値がある。
私たちが読書をする目的を考えてみよう。勉強するため、情報収集、仕事へ役立てるため、単純に趣味として、などなど高邁なものから凡俗なものまで多岐にわたる。それぞれにそれぞれの良さがあり、どれが良いと区別できるものではない。しかし、どのような意識を持って読書するかによって読書の「仕方」が変化するのは事実だ。そして、現代の社会人が読書できなくなったポイントはここにある。
大衆による読書という知的慣習は日本開国に遡る。欧米諸国に追いつき追い越せを果たすために、明治政府は国民へ教育の重要性を説き読書を推奨した。だから昔も読書をする習慣は存在していた。当時の日本国民は資本主義が流入し長時間労働が蔓延する中で本を読んでいたのだ。そしてこの慣習は今もなお続いている。
要するに現代の読書は何かしらの答えを探すための読書であるのだ。出版業界の業績は下がりつつあるが、その中でも「自己啓発系」のジャンルは堅調である。それは自己啓発本が何らかの答えをくれるからだ。
その根底には「コスパ」「タイパ」の考え方が潜んでいる。無駄なく効率よく情報を集めたい、答えを知りたい。そんな下心が見え隠れしている。つまり私たちは無駄が嫌いなのだ。
本書では、小説などの本から得られる芋蔓式の知識をノイズありの知識と定義付けし、反対に、読み手が知りたい情報そのものをノイズのない知識と位置づけをしている。読者は、前者を不要なものと捉え、後者に至上の価値をおく。
しかし、そんな偶発的な知識を切り捨て���良いものだろうか。そうして得た知識が役に立つものであれ役に立たないものであれ、恩恵を与えてくれるのは確かだろうし、そうした厚みが精神的な余裕へとつながる。これを俗に「教養」と言う。
そう、私たちは「教養」が大事なものであるとは頭で理解しつつも、そんなものに労力を費やしている余裕はない。答えは今すぐに知りたいし、教養を培ったところで何の役にも立たない(可能性の方が高い)。
だから私たちは気軽に情報の手に入るSNSにのめり込むのだし、直接的な解が導出されない文学作品を読む気力が起きない。実用的な情報を絶えず求めるウォーキングデッドさながらだ。
しかし、私はこれを書いていて思うのである。即物的な情報は結局はすぐに廃れる。新聞と同じだ。新聞はありとあらゆる情報が記載されているが、一年と経てばただの紙屑でしかない。激動の荒波に耐えうる本質的な知識は長い時間をかけて収集し、知識と知識を掛け合わせて自らが見つけ出していくしかない。つまりそれは「知恵」だ。
皆さんも胸に手を当てて考えてみてほしい。ついこの間仕入れた実用知を現実世界へ上手く使うことができただろうか。おそらく多くの人が失敗に終わったことと思う。
なぜなら、状況に応じて実用知を使い分けていないからだ。のべつまくなしに「チシキ〜」「チシキ〜」とさまよい求めてみても、そっくりそのまま適用できるわけではない。情報や知識は状況に応じて「加工」する必要があるのだ。
にもかかわらず私たちは実用知を「加工」せずそのまま使おうとする。だがその試みは得てして失敗に終わりがちだ。だから私たちは次から次へと情報を求め続ける知的ゾンビへと化してしまう。
言うなれば知識は食材だ。新鮮なうちに適切な調理をすれば美味しい料理になる。しかし、腐った食材を調理しても美味しいものはできない。また、いかに新鮮でも調理法を謝れば美味しくはならない。
一方で、知恵つまり料理の技術があればどうか。食材が新鮮であればなおのこと、たとえ多少劣ったものであったとしても調理法ではいくらでもよくなる可能性がある。
要するに知恵とは既存の知識に付加価値をつける技法なのだ。
知恵の前段階には「教養」が存在し、教養の前には「ノイズありの知識」が存在する。そして、ノイズありの知識の前には「ノイズなしの知識」が横たわる。私たちはこの「ノイズなしの知識」を仕入れて満足している。本当に重要なのはその先の先だというのに。
これまで私が切り捨てたモノの中にどれだけ高価ものが眠っていたことか。それを思うと、本の隅から隅まで暗記するほど読みたくなる。
まあそれこそ本当に読む気が失せるんだろうけれど。
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各時代の労働や社会背景を通して、読書という価値について考えられました。働きながら読書を楽しみたけど、現実はできていない理由も合わせて考えるよい機会になりました。
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さまざまな事例を引きつつ、日本における労働の歴史を紐解きつつ、「読書」という行為の持つ意味や労働との関連を考察する。序章冒頭の「花束みたいな恋をした」からの例、「パズドラしかやる気しないの」に頷きまくる諸氏も多いのではないか。「全身全霊で働く」蜜のような味から、「半身で働こう」へと。身に沁みた本。
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現代人の私には、昔の人ってたくさん本を読んでたんだよな〜位のイメージだったので、時代を追って本との距離感や捉え方を知ることができた。
その上で、働きながら本を読むにはというテーマにも触れていた。ノイズを受け取るゆとりのある生活、社会が実現できたらいいですね。
著者の「売れすぎである。」等の表現が面白かった。
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タイトル通りの内容ではなく、労働者向け自己啓発本の話であり、労働の話。めくってみたところでそういうのもに対する軽蔑みたいなのが見えるようでちょっと苦しい。やっぱり「新自由主義」とか出てくるし。あとでゆっくり読んでみたい。
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タイトルに共感しかない!いつも小説ばかり読んでしまうので見地を広げるために手に取った本。
インターネットは使えるのに、なぜ読書はできないのか。それは、インターネットが自分の不要とする物は全て削ぎ落とし、欲しい情報だけを手に入れることができる、いわばノイズのない存在だから。深く共感しました。
自分が欲しいものだけではない、ノイズまで飲み込む行為は労力を要するけれどもそれが教養、知識として身になる、人間としての余白を生むのだと、改めて読書の素晴らしさを実感しました。
近代以前の労働者と読書の関連史も面白かったです。明治以降、立身出世という言葉は、立身という元々武士に対して用いられた語と商人などの庶民に対して出世という語を合わせたものであり、身分制度が廃止され実力で立場を切り開くという風潮の現れである。立身出世の概念は明治以降の近代文学に大きな影響を与えている、、、ほうほう。謎に記憶に残った箇所を書き出してみました。(自分の文章力では要点を表す能力がないのでここで断念。)
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結論:資本主義と新自由主義に魂を売るな!
SNSで話題で、自分自身課題感があったので読んでみた。
スマホばかり見てしまうあなたに、という帯とは裏腹に日本の読書史と労働史に対する考察で、前々からなんとなく感じていたことやモヤモヤしていたこと(ex.ビジネス書や自己啓発本を読むのは読書というのか?現代人は職業人としての自分を内面化しすぎでは?など)の点と点が繋がった。
私自身キャリアチェンジをするというときで時には勉強や仕事に全振りしなければいけないかもしれないけど、それに自覚的になること、仕事だけが自分の全てではないこと、日単位じゃなくてもいいから月・年単位では家事や趣味や余暇や「無駄な時間」含めていろいろな活動をして自分の中で良いバランスを探っていくことを大事にしたい。
最終章でバーンアウトについて触れていたが、私は頑張りすぎる方ではなくどちらかというと最後まで頑張れなくて詰めが甘く、まさにバーンアウトできるぐらい頑張れる人に憧れやコンプレックスを抱いていたり、ショート動画ばかり見て「時間を有意義に過ごせていない」ことに劣等感を感じていた。
(もちろんショート動画よりは読書に時間を使いたいが) そういった自分を少し肯定できたのと同時に、あらゆる呪いから自由になり、自分にとっての豊かな時間、豊かなあり方を模索できたら良いと思う。
ーー
★時間とお金のムダ
★★普通〜微妙
★★★よかった
★★★★心が動いた(感動した、意表をつかれた、ショックだった)
★★★★★人生の本棚に入れたい
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自分も一度本を読めなくなったことがあった。ただし、それは仕事を始めたからではなく、メンタルの不調から来るものだった。あのときはいろいろなものを受け入れるのが難しくなっていて本屋に入ると涙を流していた。筆者の言うノイズの考え方に納得がいった。安直に他の娯楽が充実しているから、などではなく、これまでの日本での読書の考え方の変遷を辿っていって今はこうという構成でとても勉強になった。
昨年は資格の勉強などであまり読書をできなかったが、今年はそれも落ち着いて月平均20冊以上読んでいる。仕事にも慣れてきて、終わったらへとへと状態から抜け出せたのが一因かなと思う。また、寝る前の一時間は電子機器から目を離すことを決めていて、その時間で本を読んでいる。読み始めてしまえばこっちのもので、続きが気になるようになる。最後の本を読むコツでないですが、これも参考になれば幸いです。