山口瞳「男性自身」傑作選 みんなのレビュー
- 山口瞳, 重松清/編, 嵐山光三郎/編
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評価内訳
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2007/03/12 23:27
読む訓練
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近本が読めない。
これは、イタい。長編どころか短編さえも読めない。仕事が忙しくなっているのは事実だが、新幹線や飛行機といった移動中でも読めなくなっている。以前神戸の大震災の時にもそんな経験をしたが、それ以外は本を読むことで仕事の悩みだとか人間関係のごちゃごちゃとかをなんとか解消してきたはずなのに、ここにきてどうしたことか。
何故本が読めないのか。第一に本を読むことが面白くない。本はきちんといつもと変わらず、いっぱいいいことを云っているはずなのに読み手である自分自身が反応しない。本に対して失礼だ。だから、何冊も途中で頁を閉じた。どのようにして本を読んでいいのか、戸惑っている。どうも本の読み方を忘れてしまったようだ。焦った。焦ったけれど、本を開いても心がほどけていかないのだからどうしようもない。これは人生の危機である。おおげさでなく。
その時、もしかして山口瞳なら読めるかと思った。週刊誌の読み物程度だったらなんとか読めていたので、週刊新潮に掲載されていた山口の『男性自身』なら読めるかもしれない。恐るおそるである。それに山口が元サラリーマンだったことも、山口ならと思った理由の一つだ。考えてみれば仕事は面白い。この歳になっていうのもおかしいが、仕事は苦痛ではない。(若い頃は嫌で嫌で仕方がなかった。人生の半ばを過ぎた頃から、もしかして仕事っていうのは面白いものかもしれないと思い出した。だから言うのではないが、若い諸君、遊びだけではいけない。仕事もがんばりなさい)そのあたりの事情が、山口の作品から感化されるかもしれない、と思った。
結果的には読了した。なんだ、読めるじゃないか、と思った。人生の先輩にちょっと叱られた感じさえした。「人生は短い。あっというまに過ぎてゆく。しかし、いま目の前にいる電車にどうしても乗らなければならないというほどに短くない」(245頁)山口を読んでよかった。でも、まだ恐る恐るである。
2007/03/17 22:58
潔(いさぎよ)い文体−読む訓練(2)
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
恐るおそる、読む訓練を続けている。
また山口瞳である。まだ山口瞳である。山口ならまた読めると思ったし、確かに頁を繰るのが楽しかった。先の頁に書かれているものを待ちきれずに読んでいる途中で次の頁を開こうとする気持ち。それが読書の醍醐味かもしれない。それがもどってきたら、もう大丈夫かもしれない。でも、山口の作品はどうしてすっと読めたのかしら。書かれていることだけでなく、そんなことを考えるのも、本を読む愉しみのひとつだ。
よく山口の文章はセンテンスが短いと言われる。そのことは『中年篇』の解説がわりとなっている「担当編集者座談会」の中でも指摘されている。引用する。「センテンスが短いというんじゃなくて、文章のテンポなんだよ。だから、テンポの作家、リズムの作家なんだ」(『中年篇』380頁)文章のリズム感が読む行為をも楽にしているし、そのことで読む快感が生まれているともいえる。しかし、山口は自らリズムを意識していたのだろうか。私は山口の文章の短さは潔(いさぎよ)さにあると思っている。戦中派山口にとって、潔(いさぎよ)さは特攻隊に通じる美意識であり、戦後のうだうだした世相の中で自分を律するものはそれしかありえなかったような気がする。それが山口の文体に見事に結晶化している。
思想的な話ではない。日常茶飯の風景を描いても山口の文体は潔(いさぎよ)い。この本の「春時雨」という短文から引用する。「雪割草が咲いている。これは春の序曲の前の音あわせの段階である。ヒヤシンスの芽が出ている。ヒヤシンスなんかは嫌いなのであるが、とにかく早く芽が出て早く花が咲くので目印のつもりで球根を埋めてある。カタクリが一本だけ、赤い芽を出した」(140頁)みごとに春の風景を切り取っている。こういう文体なら読書がすすむのは当たり前だ。読むことに悩んだら、ここに戻ってくればいい。少し自信のようなものがついた。もう大丈夫かもしれない。
最後に、ひとつ提案なのだが、駅にある書店でもっと山口瞳の本を並べられないものだろうか。電車の中で眠っているだけではもったいない。
2004/02/08 09:36
内容もだが巻末の担当編集者座談会がまた佳し。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
嵐山光三郎編集の好評「熟年篇」に続いて編集された傑作選(編者は重松清)……といってもタイトルを見ればわかる通り,初出はこっちのが先である。正確な日付は不明だが,最も初期のものは山口さん30代,すなわち今のオレよりも若い時に書かれたものと思われる。うーん,やっぱり昔のオトナはオトナだったんだなぁ(ヘンな物言いだが他に表現のしようがない,わかるでしょ?)。
巻末に収録されている編者司会「歴代山口瞳担当編集者座談会」が実によい。それによれば当時「週刊新潮」には斉藤十一という天才編集者がいて,面白くないと大家の連載でも一回で打ち切ろうとする。山口センセイによれば彼に打ち切られまいと毎回頑張ったと。その斉藤氏は晩年「『週刊新潮』は『男性自身』でモっているんだ」と言ってたと。いや,この辺の機微に「昭和」を感じでしまうのは私だけかしら。
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