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人はなぜ「美しい」がわかるのか みんなのレビュー

  • 橋本治 (著)
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みんなのレビュー5件

みんなの評価3.8

評価内訳

  • 星 5 (1件)
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  • 星 1 (0件)
3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本人はなぜ「美しい」がわかるのか

2007/10/22 22:13

「美しい」が分かる人=「孤独」の意味を知る人

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書を手にした理由は、書名が私の興味を引いたからだ。本当の意味で「美しい」ことを「美しい」と素直に言える人は、案外少ないのでは無いか?私は、常々、そう思っている。本当の意味で「美しい」を分かる為には、「醜い」も知る必要がある。その為には、何事にも目を逸らさずに、事実を事実として受け止め、自分なりに消化した上での、自分の判断が必要で有るが、世にそれだけの事が出来る人は少ないと私は思っているのである。
書名だけで、手にした本書だが、読み進むに従って著者の面白い論理展開にのめり込んでしまった。まず、著者は、「美しい」=「合理的」と論を始める。しかし、この「合理的」の限界を指摘し、「美しい」=「恋」という論理展開を進める。合理的で無い事象にも「美しい」を与えるのである。そして結論として、「美しい」=「人間関係」という論に行きつく。従って、「人間関係」の不要な人には、「美しい」も不要であるのだ。
著者は、清少納言を「美の冒険者」と呼び、兼好法師を「美の傍観者」と呼ぶ。そして、「枕草子」を面白いといい、「徒然草」をつまらないと言う。「徒然草」は、世の美をつれづれなるままに綴ったのに対し、「枕草子」は、「春は曙」と自らの主張をぶつけるのである。「美」を傍観した者の文学と「美」に挑んだ者の文学とどちらが面白いか?は言うまでも無いという論拠を綴る。私も全く著者の意見に同感である。
最後に「孤独」というものに着目する。「孤独」とは、近代になって初めて現れた観念である。「孤独」とは、「個」が認められて初めて現れる概念である。しかし、前近代においては、「個」と言う概念は無い。それは、「家」であり、「村」であり、集団である。罰や罪は、その集団に対して行われ、集団から外れた「個」は、出家又は狂気として片付けられた。「個」という概念が確立した現代においては、「自立」が求められ、「自立」は、即ち、「孤独」へと通じる。私は、「孤独」を否定的には捕らえない。「孤独」=「自己満足」=「自らを由しとする」=「自由」と考える。前近代に無かった「自由」という概念は、「孤独」という概念と共に人間に認識されたと考える。
本当の「美しい」と知る人は、「孤独」であり、「自由」であると私は、思うのである。

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紙の本人はなぜ「美しい」がわかるのか

2003/02/17 05:05

敗北宣言

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る

≪もしかしたら「美しい」と感じることと、「敗北感」はどこかで関係があるのではないか?——私は唐突にそう思ったのです。≫

「はァ?」と、聞き返す。だがその時はすでに遅く、著者の気まぐれな一撃は既に私の脳天に決まっていた。……またやられた。
端正な文章が、なにか筋道だったようなものを感じさせて、「ああ、この順路を行けばいいんですね。」と、安心して先へ進ませる。すると突如、提灯オバケやら、ろくろっくびやらが横合いからグワッと。来る。

理屈じゃ、ない。そんなことは、最初からわかっていたはずなんだ。あの輝きが、あのきらめきが、どうにも気になって仕方がなくなって、それでそこを一歩も動けなくなってしまって、そしてそんな一瞬が、もうどんな説明も受け付けないぐらいにスゴイものだってことがわかってしまって、そう、そんなことは、もう既にわかりきるぐらいわかっていたはずだったんだ。

だのにね。

やっぱりよくわからないんだ。アレがどういうことなのかってことが。

そしてそんなもどかしい気持ちをどうにか形にしたくて、みんなにも知ってもらいたくて、彼は、こんなまわりくどいカタチをとったのかもしれない。


≪「美しい」とは、「合理的な出来上がり方をしているものを見たり聴いたりした時に生まれる感動」です。≫

と言ったかと思えば

≪「合理的な出来上がり方をしているものは美しい」とか、「美しいものは合理的な出来上がり方をしている」というのは、嘘です。≫

と言い出したり、

夕焼けを美しく感じた幼少時代の叙述が、まさに美しい文章で語られたかと思えば、「枕草子」と「徒然草」のテキスト解釈が始まったり、

「そんなこんなでどうなるんだこの話はっ」などと首をかしげていると

≪豊かな人間関係の欠落に気づくことが、人の美的感受性を育てる≫

と来たり。

でもそんな不意打ち・だまし討ちでも、しばらく手の上で転がしているうちに「あ、そうかもしれない」「ああ、そうなんだ」って、だんだん腑に落ちてくる。そう感じられる。そしていつしか視線を本からはずし、遠くの方に眼をやって、なにを考えていたかも忘れる頃になると、自然に彼の決めぜりふが訪れを告げるのだ。

≪これはこれでそういうもんだから、これでいい≫

ああ、そうだったな、そういうもんだったな、と。そういった過程が、「美しい」ことを感じ取る瞬間と微妙にオーバーラップして。だから、私は安心して再び歩みを進めることができる。


「ダメだからイイのだ」といってるような気もするし。そんなことを平然と言ってもいいのかとも思うし。だからこそ余計わけがわからないし。しかし、そんな感覚のもとに、彼の中に確かなものを認めてしまう。

だって、この本は、ほかならぬ著者自身の、「敗北宣言」なのだから。

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紙の本人はなぜ「美しい」がわかるのか

2002/12/23 21:57

「美しい」と思う人

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者: - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は橋本治が「美しい」ということを通じて、人の生き方を見直す。「美しい」が作者によって変幻自在の広がりを見せ、時には自分自身の小説を読者に語りかけ、清少納言と兼好法師を現代日本に登場させ、また学校教育のあり方を問う。
 私が読後に感じたのは「美しい」を読者に理解させる道具を用意して、「後は美しいって自分で感じなさい」という「素っ気なさ」と「愛情」が全体を通じていた。読後はやっぱり最後は自分自身で「美しい」って感じてみたいと思ってしまった。
 なんてわかりやすく、難しく、面白く、まとまりのある本なのだろうか。何度も読みたい本の1冊だ。

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