大衆教育社会のゆくえ 学歴主義と平等神話の戦後史 みんなのレビュー
- 著:苅谷剛彦
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2007/04/27 11:00
日本は昔からずっと「格差社会」ですよ
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
苅谷の議論の進め方のキーワードは「データに基づいた議論をしましょう」だ。それはそれで異論はない。昨今、一部の偏向した教育関係者の猛反対をあざ笑うかのようにして全国で実施した「学力テスト」についても、苅谷は推進論者の一人である。しかし、最後まで読んで見ると分かるが、苅谷の主張は、要するに「日本には、かつて階層の無い社会があった。そこでは純粋にやる気の能力のある青少年が、両親の職業や、その出自にかかわらず上級学校に進学でき、苅谷のように東京大学に入学することが出来て、学歴社会の頂点に立つことが出来た。こういうほぼ完全なるメリトクラシーこそが日本社会の活力の源泉だったのに、その大切なシステムが今崩れようとしている。いうまでもない。格差社会の進行である。日本が格差社会になり、親の所得や親の職業が子供の将来に重大な影響を及ぼすようになると、日本社会は事実上の階級社会となり、社会が停滞し、活力が失われる。なんとかしなければならない」「親の所得ばかりでない。子供の将来に、もっと重大な影響力を及ぼすのは、家庭間に存在する『文化力格差』である。この家庭の文化力格差で子供の将来が決定されてしまうのも頂けない。政府が、社会がこれを何とかしなければならない」というものなのである。苅谷の議論が決定的に間違っているのは、まず日本に「親の所得や職業に関係ない平等社会が存在したが、それが今崩れている」という前提である。竹内洋の一連の著作が示しているように、あるいは中野孝次『苦い夏』に代表される彼の「青春のヒガミ小説シリーズ」に良く書かれているように、戦前の日本は完全なる階級社会であり、旧制高等学校に進学できたのは社会の「上層階級」あるいは都市の高級官僚・高給サラリーマンの子弟たちであって、要するに「高等教育」とは「金持ちが金持ちであり続け、社会の支配階層がその子弟も支配階層の一員であり続ける為の教育」を施すものという意味では、西欧とさして変わらなかったのである(ただ日本には数百年に渡る伝統を持つブルジョア階層は未形成で、いわゆるブルジョア文化が西欧ほどには庶民の文化と隔絶するには至っていなかったようなのではあるが)。昔も今も格差は日本社会に厳然と存在し、「かえるの子はかえる」ではあったのである。格差格差と大仰に叫ぶ連中は、視野狭窄で日本社会を広く見る目を持たない連中ではないかと私は疑い始めている(だって、俺の周りはみんな貧乏学生ばかりだった、みたいな)。
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